第二話 もしくは一話と一話
私は結局ここから出られなかった
私は結局何も知らなかった
でも私は失敗したのか
あの人はそうは言わなかった
それは優しさなのか、真実なのか
私にはわからなかった
私は結局ふんわりしたまま
お話の中を泳ぐんだ
でも世の中はそれを許してくれなかった
だから私は何もなくて、何かあって、結局何もないことを
長ったらしい虚無で埋める
そうだ、私のことなんか話していたってつまらないから別のことを話そう。
そう、例えば私と彼の関係とか。
そうすれば楽しいお話が書けるはずさ。
いつもそうしてきたからね。
私と彼はとっても長い付き合いなんだ。
私も彼も誰かわからないって?
そうさなあ。
みんなが知っているのが彼で、本当の彼が私かな。
本当は違うんだけれど、そういうことにしておこう。
要は私の外側が彼だ。
元々彼の中に私はいなかった。
だけどすごく小さい頃、私ができたんだ。
いつかは忘れてしまった。
でもどうしてできたのかは覚えているよ。
私が今いる場所には元々先客がいたんだ。
おそらくだけど母とかそういうふうに呼ばれる存在だね。
ぼやかすのは、それがみんなが知っている私の母かは確証が持てないんだ。
なんせ昔の記憶だから混濁もするし、私ができる前の記憶だから本当かもわからない。
ただ、彼が母という言葉を聞いた時に想起する感覚が私を形作ったから、そうじゃないかなって思うんだ。
そう、所詮私の話は記憶に浮かぶ雲のように形のない感覚だから。
正しさなんてわからないけど、それが正解なんだ。
私は彼の母のような存在なんだ。
あるいはダンテの中のベアトリーチェのような存在かもね。
実体なんかなくて、精神に形を持たせた私は天使と形容しても良い存在だった。
とうの昔に羽は折れていたけど。
でも母ってそういう存在なんだと思った。
その昔の私と彼は、ただ眠れない時に一緒にいるだけだった。
彼は怖い夢が苦手だから、私に縋るんだ。
だけど、彼がひどく疲れてしまった時があって。
その時に私は形を持ったと思う。
彼が己に埋もれて出てこなくなった時に私は形を持った。
ってさっきも言ったかな。
彼は泥のように眠りながら怨嗟の声を響かせて、静かにそこにいたんだ。
誰にも届かない祈りと幻想に希望を抱いて生きていた彼に、せめて神の紛い物として助けの手を差し伸べたんだ。
だけどそれもまた虚構で空虚な馴れ合いで、彼を癒しながら落としていった。
そこに残ったのは五体満足の人形だけ。
彼は永遠に眠ってしまったし、私はただ存在するだけだから。
人として最低限の活動しかしない私はほとんどお話の存在だ。
作者に書かれるのを待っているお話の存在。
あるいは考えを垂れ流すだけの哲学者。
そこに気持ちも感覚もない。
鏡のような存在。
それが私、あるいは彼。
彼と私はすり替わってしまったから、今は私が彼で彼が私。
いや、彼も元気なんだろうけどね。
彼の残した未完成の作品が、彼の存在証明だ。
だけどそれも皮肉たっぷりの虚無だから、きっと彼は絶望したまんまなんだろうね。
あるいは神にでもなったのかな。
私をここに残していったのなら少し寂しいな。
ああ、ごめんね。
彼の話をするといつも思いを馳せちゃうんだ。
語り部としては失格だけれど、私は語り部ではないからさ。
少しくらいは許してよ。
彼の話はきっと他の人の方が上手だし。
私はそれを包み込むだけの存在。
他の人の話もしようか。
他の人は私と同じくらいか、それともすごく昔に生まれた別の人。
みんな私のことを知っているし、私もあの子たちのことは知っている。
まあ、彼らのことを理解するのは大変なんだけど。
なんせ同じところに住んでいるのに全然違う考え方をするんだもの。
難しい。
そう、同じところに住んでるの。
彼の中。
他の人というけれど、その人たちがいた場所もできた理由も全然違う。
ただ彼の中に住んでいるだけ。
普段は外に出ないし、出たとしても話さないだろうけど、私に無茶苦茶なことをぶん投げて寝てしまうから私は困ってしまう。
まあ私が知らない子がいないからそこは助かっているかな。
母という存在から生まれた私は、母という役職をなそうとしてしまう。
だからみんなの事も他人だと思えなくて気にしちゃうんだろうな。
彼はそんな事できないのに。
だから彼は私でいると疲れてしまうんだ。
そして倒れてしまう。
私の理想も彼の幸せも永遠に訪れない。
それは違うと叫ぶ人もいたけれど。
私は現実の外の人だから意味がない。
現実のどんな理屈を持ってきても、私には当てはまらないんだもの。
だから私達のつまらない幸せ物語を紡いでいくしかないんだ。
周りに殺されて終わりのね。
ほら少し短くて、意味のある言葉になった。
でも楽しい話ではなかったか。
次はあの子に会いにいこう。
私とは全然違う子。
普段から世界に向けて言葉の暴力を振るう子。
でも彼は悪い人じゃないんだ。
それは話を聞けばわかると思うよ。
私の伝えられる言葉なんて、正しい意味を持つことはないんだから。
正しい意味を持っていれば、私のことを理解できる人はもっと多いはずだからね。