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一人称  作者: ロムねこ
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第一話、あるいは私の日常

特別ってなんだろう

悪い事なのかな

それとも良い事なのかな

でも誰かが特別なのならかわいそうだな

だって誰かが特別じゃないんだもの

特別じゃないのも特別だって?

それは特別な人の戯言だよ

だからせめて私は特別を知らないことにしたんだ

それは優しさと残酷さを産んだと知らずに


私は眠い頭をおこしながら浮かんだ言葉の海を見る。

それは怒っていたり、泣いていたり、笑っていたり、無感情だったりする。

私の心に響いてくるものは何もなくて、いつしか全てが見終わっていく。

そこに私は何を求めているのだろう。

新しい発見とか、自身を満たしてくれる人とか。

いや多分それは本心じゃない。

きっと生贄を求めて徘徊しているんだろう。

優しさの渦に包まれた幸せそうな人形をまた作ろうとしている。

それに賛同するものもいるだろうけど。

彼を見ていたらそんな気は失せていく。

優しさが永遠ならどれだけ良かっただろう。

私が神ならどれだけ良かっただろう。

あいにく私は彼の中にすむ魂だったから、未完成の優しさしか与えられなくて。

それは残酷に彼を攻撃した。

つかみどころのない話でしょ?

私はこんなことしか言えないんだ。

とても複雑でややこしいことを言いながら何も言わない。

そんな言葉が流れていく。

だって仕方ないじゃないか。

私に話したいことなんかない。

この世界がいかに残酷なのか述べることはできても、それは私の意見じゃない。

だって私は世界がとても幸福だという意見も言えるから。

それも心のそこから言える。

だから私の意見なんかない。

あるのは無駄に緻密な嘘だけだ。

嘘の反対は真実じゃない。

だって嘘はいくらでも作れるんだから。

だからそうだな。

私みたいな奴を卑怯者だとか、サイコパスだとか呼ぶんだろうね。

ただ私みたいな奴にも感情はあってさ。

自分に嫌気もさしてくるけどそれを虚構で埋め尽くすんだ。

結局わからないって?

そうだね、私も私について知らない。

いや知らないといえば嘘になるね。

みんなが知っている私の真意を私は知らないのさ。

だってその真意は私が抱いていなくて、彼らの中で錬成されたものだから。

だから私の中の本当の気持ちと差異がある。

だから私は私を知らないっていうの。

だって彼らにとっては驚くべき内容を私は隠しているから。

そう、例えば私は善人だって呼ばれた事がある。

でも過去には悪人だって呼んだ人もいるし、最悪と呼んだ人もいるんだ。

じゃあ私は悪いのかな、善良なのかな。

答えはない。

ある時は悪で、ある時は善なんだ。

それを彼らは人間らしいと評価する。

でもさ、おかしいんだよ。

私が悪だと評された時、彼らは私を非難する。

でも私が善であれば、彼らは私を肯定するんだ。

それは彼らの都合もあるけど、私はおかしいと思う。

だって人間には悪と善があるはずなのに、彼らは悪だけ否定する。

じゃあ世界で一番の善人は悪事を許されるのかと聞けばそれも違うわけで。

結局彼らは人間なんて欲しくないんだって気がつくんだ。

唯一の神という存在があったなら、それはきっと機械のように正確で変わらないんだろうし、人々はそれを求めている。

だから私は神の真似事をしているんだ。

人間のいう正しいだけを実行するように自分を捻じ曲げて、自分なんて捨てて生活したんだ。

そしたら彼らはこういった。

「貴方は何がしたいんだい?」

私が出さなければならない答えはもうない。

だって彼らは何かにつけてしたいことを否定してきたんだもの。

彼らが肯定するような現実的で、正しくて、遂行できるものはない。

あるのは御伽噺で読んだ面白おかしい非現実的な誰かの正義だけ。

それは彼らに否定されるし、きっと彼らの中での間違いだから。

だから私は私のしたいことを正解だと思ってくれる人を生贄にするんだ。

多分。

そう、多分。

結局自我なんて捨ててしまってどこへ行ったのかわからない。

だから自我の様なものを信じるしかないんだ。

それが間違いだってわかりながら。

正解を知らずに正当性を覚えて、現実を知らずに現実性の中に生きてきた私にとって、自我よりも自我性の方が自我に近いのなんて当たり前だ。

だけど正しそうで、現実になりそうなものでも、現実でもなければ正解でもないものは沢山ある。

結局自我性は自我ではないんだ。

わからないでしょ?

でもさ、なんとなく正しい。

こんな抽象的で現実味のない話が正当性のある話なんだ。

こんな話が私の中での正解なんだ。

だから私はこれをどうにか説明しようとしている。

それはまるでどこかの学者の様だけど、一体全体どんな学問なんだろうね。

哲学だろうか、それとも心理学なんだろうか。

言語学者かもしれないね。

こんなねじ曲がりが常識を作って、混沌を作る。

それはまるで宗教の様でもある。

結局何を研究しているのかわからないけれど、とっても重要なことだというのはわかるんだ。

だって少なくとも私は自分が正しいとは思わないから。

不完全って完全よりもややこしいものなんだ。

だって、どの様に不完全なのか説明するのに、完全な部分の説明がいるから。

不完全なものは完全から何かがかけたり、何かが多過ぎたりするものだから。

それとも全く違った世界があるのかもしれない。

どちらにせよ不完全な議論は完全より難しい。

だから私が正しくないのなら、それは私が正しいということよりも言いづらいんだ。

そもそも何が正しくて、何が間違っているのかもわからないし。

例えば私が生きていることは正しいのかも。

さっきも言ったけど完全に一つでも足せばそれは不完全だからね。

必要な人と必要ない人はもしかしたらあるのかもしれない。

それが正しい姿だとしても間違いじゃない。

でも人間はどんな人間も生きるべきだっていう言葉に正当性を感じる。

だから人間は殺したがらない。

結局人間は議論の本質や何が正しいのかなんて気にしていないんだ。

だからせめて私はそこを正しくやろうってそう思うんだ。

私という存在が正解じゃないとしても、私の考えはもしかしたら正解かもしれないし、必要かもしれないからね。

ほんとつかみどころがないね。

だって正解も間違いも列挙して、何も言わないんだから。

でもこうすれば、正解も間違いも正解っぽくないかい?

たとえ一方が間違っていたとしても、正しかったとしても、それを突きつけるのは正解じゃないからね。

まあ突きつけないのも正解じゃないんだけど。

それでもどちらかを贔屓していないという意味で、突きつけるよりは良いんじゃないかと思うんだ。

どちらかを贔屓することは間違いを産みやすい。

刷り込みって奴だね。

結局正しいことは理解しづらいから、正しそうなことを理解してしまう。

じゃあもし、その正しそうなことだけでできた国があったら?

それは正しいんだろうか。

それが私を知ることで、それが世界を知ることで、それが全てを知ることなんだ。

だからこれはすごく重要なことなんだよ。

何を話したいのかわからないよね。

でもね、私に話したいことなんてないんだ。

だからここにあるのは言葉だけ。

奥の底に感情はあるだろうし、それはとても短いんだろうけど、ここにあるのはただの言葉だけ。

それもうんと長いね。

一部の人は嫌いだろうね。

だって正解がないんだもの。

じゃあ仕方ないから作った正解でもおいておこうか。

この世界は間違っている。

これが本当かどうかはわからないけど、少なくとも正解が欲しい人は満足してくれると思うんだ。

結局何も話さなかったね。

これが私の脳内で、これが私の中の正解なんだ。

納得いかない?

そうだよね。

でもこれが正解なんだ。

私の中では。


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