後日談2✳︎祈りの聖女の処刑
フルム・その後
救済不要と思われましたらスルー推奨
添削、誤字報告ありがとうございます
散り始めた花弁を連れた暖かな風が、窓から訪う。
すっかり痩せて細くなった腕を伸ばして、手のひらで花弁を受け止めた。
柵の嵌まった窓の下から、可愛らしくはしゃぐ高い声が聞こえて、急いで側に駆け寄る。
かしゃりと音を立てるほどに顔を近づけて、外に広がる芝生の庭を見下ろすと、そこにはメイドに抱かれた赤ん坊と、その顔をのぞき込む小さな女の子がいた。
「わたしが、おねえしゃまでしよ」
メルニ、私の娘。
舌足らずな幼い声に涙があふれる。
榛色の柔らかな髪が、春の陽光にきらきらと輝く。
大事に育ててもらっていることが見てとれて、胸の前で手を組んで感謝を捧げる。
ーーありがとうございます、陛下。
私の視線に気付いたメイドが、こちらを見上げる。
私の姿を見た後、お包みに包まれた赤ん坊が見えるようにと向きを変えてくれた。
十日前に生まれた我が子の、翠玉のような瞳は今は閉じられている。
私の愛おしい子供たち。
どうか、健やかに。幸せに。
心から祈っても、もうなにも起こりはしないけど、今まで生きてきた中で一番強く祈った。
「フルム」
「……はい」
呼ばれる声に振り返ると、少し痩せた先帝陛下と黒いローブを纏った人間と、フードの付いたマントの護衛の兵士が二人。
「覚悟はできております」
最後にもう一度、窓の下の優しい風景を目に焼き付けて、ふわりと微笑んだ。
今から、私は処刑される。
「不義の子を皇女と偽称した罪。聖女リュンヌの暗殺を企て、聖女巡礼を妨害した罪。
フルム、其方の死をもって償うことを命ずる」
白磁の杯を手渡され、黒いローブの執行人が毒入りの葡萄酒を注ぎ入れる。
芳醇な香りと共に、今までの自分が足早に脳裏を駆け巡った。
父と母に捨てられ、教会で孤児だと罵られながら雑事をこなし、まだ赤ん坊のリュンヌの世話をして、毎日くたくただったこと。
強い祈りの力に目覚めてからの、真の聖女と皆に敬われ、美しさを讃えられ、愛されたこと。
クレセントに想われ、リュンヌを蔑み、ヌーベルを求め、違う男に愛されたこと。
ヌーベルがなぜ、私を愛さなかったのかは今ならわかる。
一番素敵なものを愛するわけではないのね。
愛しているから、一番なのよ。
クレセント、違ったの。
貴方が私を愛していたのは、違ったのよ。
「子供たちを、よろしくお願いいたします」
「確と」
二人目の子は男の子だった。クレセントの血を引く男の子なんて、皇帝がいなくなったこの国には火種でしかない。
それでも陛下は子供達を守ると誓って下さった。
この方にお任せすれば、あの子たちは大丈夫。
愛しい子。可愛い子。
あなたたちを残していく母を許してーー
一気に杯を呷る。喉を焼く熱が胃の腑に流れ落ち、頭の奥と体が痺れてぐらりと揺れた。
がしゃん、と音を立てて、床に落ちた杯が砕ける。
苦しい。呼吸が詰まり、胸を締め付けるように痛みが走る。指先が痺れ、身体中が冷たくなり、がくがくと震えた。高い音の耳鳴りと共に、目の前がざらざらした砂粒のようなもので塗りつぶされる。
「はっ、ああっ、あーーーーーッ!!」
怖い。怖い。怖い。
死ぬの?私は、死ぬの。
ああ、でも、これでようやく終わりなのね。
「そう簡単なもんじゃ、ないですよ」
ひどく冷たい声と共に、体が暖かい力に包まれた。
「はっ、はあっ、はーっ……は、っ、ぐっ!」
唐突に呼吸が戻り、喉からせりあがる空気の塊に咽せながら、急激に苦痛から解放される。それもまた苦しくて、体を床に投げ出したまま側にいる黒いローブの執行人を見上げた。
「フルム様は相変わらず、甘えていらっしゃる」
にこりと笑うその顔。
「リュンヌ……?」
それは、世界で一番、見たくない顔だった。
「自分で産んだ子の面倒くらい、自分で見てくださいよ。孤児が子供捨ててどうするんです」
一番知っているくせに、とリュンヌが私を睨みつけてくる。
「なっ、なによ偉そうに!」
重たい体をなんとか起こし、こみ上げて来る怒りをぶつけてやろうと口を開こうとした時、それを削ぐようにリュンヌが屈み込んだ。
草色の瞳とまっすぐに目が合う。
「あの日から、メルニちゃんに会っていないのでしょう」
「……余計なお世話よ」
そう。あのクレセントが処刑された日から、私は娘に会おうとしなかった。
だって、どんな顔で会えと言うの。どうせ死んでしまう母親じゃない。忘れた方がメルニのため。
メルニはもうすぐ三歳。私が捨てられた時より小さいから、大丈夫。きっと忘れられるわ。
「……そもそもなんで、父親のことバレないと思ったのか」
「うっ、るさい、わね!産むことしか頭になかったのよ!」
呆れ返ったリュンヌの言葉に反射的に噛みつく。痛いところを突かれたせいだわ。
だって、私を好き勝手に抱いていたのはクレセントなのに、たった一度の不貞でできるなんて思わないでしょう!
相手の近衛ーージェイスは、唯一、私の振る舞いを諫めてくる男だった。
兵士として凛と立つ姿勢がヌーベルを思わせるあの男が疎ましくて、狂わせてやろうと媚香を嗅がせて誘惑したの。
苦悩しながら私に溺れる男の熱に充足したあの夜。
……そうね。愚かだったと思うわ。
だけど、メルニを授けてくれたあの一夜は、過ちだろうと愚行だろうと、何度戻ったとしてもきっと、同じことをするの。
本当に、愚かなことよね。
「色々と覚悟なさってたようでゴリッパデスネ」
「あんた、私の死に目を笑いにきたのでしょう!?なぜ解毒なんてするのよ!」
相変わらずの態度で私を見下すリュンヌに、思わず怒鳴る。
この子ってば、私がどれだけこき使って酷いこと言っても、いつもこうやって人を馬鹿にした目で見ていた。そのくせ態度だけは丁寧なのが、余計にイライラしたのよね!
しかも、大した力もないはずなのに、癒しの力ですって?ええ、それはそれはゴリッパデスネ!
「先帝陛下のご意志です」
「……はぁ?」
「フルム様はとうに、減刑がなされていますので」
いつも通りのさらりとした口調で言われて、ぽかんと口を開けた。
減刑?私は死刑で。覚悟も、待って、とうに、って?
「そもそも、帝国の聖女であったのも、クレセント殿下の婚約者であったのも私です。不貞をしていたのはクレセント様であって、フルム様ではないでしょう。もちろん、尻が軽くて褒められた行為ではないですけど」
なんでわからないの?と言わんばかりのリュンヌの目が、ものすごく懐かしいわ。この目、ほんとに嫌い。
「未婚の皇太子に子がいるなぞ、外聞が悪くて発表もできなんだ故、皇女詐称についてもごく内輪の話で済んでおる。養育に国費を不正使用した件については、死罪というほどのことでもない」
先帝陛下が続けて、にんまりと人の悪い笑みを浮かべる。え、なにこのヒト。厳格で生真面目な賢主じゃないの?
「あとは、聖女巡礼の妨害と私への暗殺未遂ですが、正直へでもありませんでしたので、私より赦免を願い出ております。死なない程度に苦しい思いをさせるだけで良い、と」
ねえ、なにそれ?だけってなに?
死なないのが救いとでも言いたいの。
睨み付ける私を、リュンヌは慈愛に満ちた笑みを浮かべて見下ろした。
「ねぇ、フルム様。辛かったでしょう?毒を飲むのも、死を待つのも」
「ーーッ!」
呼び起こされるこの数ヶ月の記憶。
後悔と懺悔。自分の醜態への羞恥と罪悪感。
他人からの侮蔑と、喪失感。
辛い、なんて、生温い。
「愛する人を失うことも」
満足げに笑うリュンヌに、ごちゃ混ぜに絡まった感情が、するりと解けた。
……そう。本当にあなたは私のことを嫌っていたのね。
聖女の力に目覚めてからは、好かれるようなことなんて何一つしていないって自覚はあるのに、気付かなかったなんておかしいわね。
「祈りの力は地の気を奪うもの」
まるで、訓示を授ける聖職者のように、リュンヌは清廉な空気を纏って囁いた。
「竜は地の気を吸収して竜気とする。
故に、祈りの聖女が竜気を奪おうとするのは本能だそうです。
要するに、フルム様はヌーベル様の竜気に欲情していたのですよ。祈りの聖女はつまり淫乱なのです」
「なっ!?」
あまりの言葉に言葉が出ず、はくはくと口だけを動かすと、リュンヌは興がのったように目を輝かせ、私の手を握った。心地よい温かさに腹が立つわ。
「ルーナ帝国は終末を迎えました。クレセント様の処刑とともに皇家は途絶え、かけがえのない財である国民も随分と減ってしまった」
悲しげに眉を下げても、あんたの考えることなんてお見通しなのよ。私を馬鹿にして喜んでいるはずよ。
睨む目を鋭くするたび、リュンヌの目に浮かぶ愉悦も大きくなる。なんなのよ、本当に!
「母たるあなたへの刑は、未来に繋がるものであるべきだと存じます。
婚姻を結び、未来の国民を増やし、育ててください。その淫乱な本能で」
「言い方!わざとでしょうけども!」
私はリュンヌの手を振り払い、腰に両手を当てて立ち上がった。少しくらりとするけど、どうでもいいわ、そんなこと。
私はまだまだ生きていくのだから。
「わかったわよ、その罰とやらも受け入れるわ!相手は誰よ。どうせ陸でもないやつなんでしょ!刑だものね!」
「そうですね。刑ですからねぇ」
にこにこと笑うリュンヌの後ろから、合図を受けた陛下の護衛が進み出る。
「フルム様」
聞き覚えのある声と共に、マントのフードが取り払われ、榛色の短い髪が現れた。
「……ジェイス。どうして」
茫然と呟く私に、リュンヌが首を傾げる。
「メルニちゃんのお父さんですからね。癒してありますよ、そりゃ」
あの日、クレセントによって奪われたはずの緑青の瞳に息を飲む。
「近衛の解散後、先帝陛下の元、私兵として仕えております。恐れながら、メルニ様のお世話も時折」
凛とした声に愛おしさが混じって、思わずへたりと座り込んでしまう。
目の前に跪いたジェイスに、目頭が熱くなる。
押し寄せるのはとてつもない後悔。
私を正そうと向き合ってくれた人。
自分の浅慮で傷付け、屈服させようと誇りを踏みにじり、それでも私を守ろうとした人。
巻き添えを食って、守ろうとした主君に殺されかけ、誇り高い騎士の職務まで失った人。
「わ、私、あなたに許されないことを」
「あなたが俺をただ傷付けようとしたことも、愛してくれていたわけでないのはわかっています」
ジェイスは痛みを堪えるような顔で微笑む。
震える手を取られ、吸い寄せられるように目を合わせた。
「それでも俺は、あなたの側にいたい。メルニを娘と呼び、あなたの産んだ子を息子と呼びたい」
ねぇ、フルム様、とジェイスは囁く。
その瞳に、堪えきれない愛おしさを浮かべて。
「俺は、あなたの罰になるでしょう?」
「……酷い罰ね」
涙を浮かべて微笑むと、手の甲に口付けられた。
それでも、あなたを大切にしたいと思うわ。
あなたが私を罰してくれる分だけ。
涙を払って顔を上げると、リュンヌはもういなかった。
辺りを見回す私に、陛下が苦笑を浮かべて言う。
「ヌーベルの元へ戻った。其方の幸せなど見ていたくないと言ってな」
「……自分が仕組んだことなのに。嫌われているから仕方ありませんけど」
思わず唇を尖らせて言うと、ジェイスがなにか言いたげに私を見る。
なによ、と睨むと困ったように口を開いた。
「リュンヌ様は俺に頭を下げられました。あなたを幸せにして欲しいと。赤ん坊の時に孤児となった自分が生きてこられたのは、あなたのおかげだからと」
「っ!」
「あなたを幸せにすることは、俺の希望でもあるから任せて欲しいと答えました」
「そっ、んなこと、は、聞いてないわ!」
なんなの。
本当に、なんなの!
私を嫌いだと、私に助けられた覚えなどないと言っていたくせに!
親にも捨てられた私の世話なしでは生きられなかった、赤ん坊だったあなたに、救われていたのは私の方なのに。
きっとこれからも、私は何度も悔やむだろう。
ジェイスに愛を注がれるたび、娘の成長を見つけるたび、息子にクレセントの面影を見るたびに。
「行くわよ!ジェイス!」
「はっ……その、どちらに?」
「子供たちのところに決まっているわ!」
すくっと立ち上がる私に、私の手を取ったままのジェイスも続いて立ち上がる。見下ろしてくる緑青は記憶にあるより、ずっと優しい色。
「ふむ。ならば儂も、孫たちに会いに行くかの」
「あっ、ずるいですわ、陛下!」
途端にいそいそと部屋を出た陛下の背中を、私はジェイスの手を引き追いかけた。
まずは、子供たちの父と母になるために。
ざまぁものは読んでると腹立つけど、書いてるとあほな子ほど可愛いのね…という発見。
お読みいただきありがとうございました。