5✳︎癒しの聖女
145行目に誤字報告2件頂いたのですが、そちらは適用を見送り、当該部分削除して加筆しました。詳細は活動報告で。
ご指摘ありがとうございました!
帝史を学び、知りたくなかったことも知りました。
それは、帝史を改竄したのは皇族だけでなく、教会もだということ。
ヌーベル様の授業だけが、正しく学ぶ機会なのですが、皇家や教会の方々は、逆にヌーベル様が竜神様に都合の良いように改竄していると仰っているようです。
ヌーベル様に教わる内容には、竜神様の非もあります。千年近く前にこの地を一旦壊滅させたのは竜神様なのだそうです。
ですが、皇族の教本には皇族の非、教会の教本には聖女や教会の非については欠片も記述がありません。
さて、どちらが不自然でしょう?
正当性は置いておいても、癒しの力を自分に使いながらとはいえ、十日間寝ずに書き写した物が、教会や祈りの聖女に都合の良い物だったと知った時はショックでした。
実際に皇太子殿下と稀代の聖女候補様のクズっぷりを目の当たりにした、今ほどではありませんけどね。
「なに煽ってくれてるんですか」
「すまない、楽しくてつい」
小声でヌーベル様を諫めると、にっこりと場にそぐわない笑みを向けられました。
反射的にぐぅと言葉に詰まりましたが、今、結構なピンチです。
怒りに染まった顔の殿下……見ていなかったのでわかりませんが、もう陛下なのでしょうか?戴冠がまだなので殿下でしょうか。
……クレセント様が近衛と処刑場の兵に、私達を捕縛せよと命じられました。数は多くはないですが、逃げ場がないのが困りものです。
人形の自分に付き添うための近衛の格好ではありますが、私に剣の心得はありません。学んだのは最低限の護身術だけです。
「ヌーベル様」
「心配はいらない。俺にも欲が出たからな」
ほんの数日前までの憔悴が嘘のような、ヌーベル様の活力が漲る瞳。胸がつかえて呼吸を止める私に、ヌーベル様が力強く頷いてくれました。
「生きたいと」
ああ。思わず涙があふれます。
ヌーベル様が生きることを望んで下さる。
それだけで全てが報われる気がしました。
ですが、罪深いことに、私にも欲が出てしまいました。
孤児で、偽聖女で、想いも伝えられない私ですが、ヌーベル様と一緒に生きる未来を望んでも良いでしょうか。
私は目を閉じ、かつてない絶望を味わった時のことを思い出しました。
ーーーーーー
いざ巡礼の旅に向かいます。
年老いていますが賢く穏やかな馬のハーヴィに、皇帝陛下が手配してくださった沢山の物資から、教会のお偉い方にあれこれ抜かれた荷をくくりつけ、私は手綱を握り歩き出しました。
「リュンヌは乗らぬのか?」
「荷が増えるとハーヴィが大変ですし」
それに、なぜかヌーベル様は徒士で手ぶらです。歩く以外の選択肢がありましょうか。
もしかすると、このような侍従のいない旅には慣れていらっしゃらないのかもしれません。
……ひょっとすると、私よりお荷物なのでは?
「リュンヌは荷などではない」
「きゃあ!?」
失礼なことを考えていると、ムッとした声がして、私の体が宙に浮きます。
私を抱き上げたヌーベル様の、宝石のような紫の瞳がすぐ側にあり、思わず悲鳴を上げました。
相変わらず、命の危険を感じるほどの美しさです。
「乗らぬのなら俺が抱えて行こう」
「乗ります!」
間髪入れずに返事をしたら、不満げな顔でハーヴィの鞍に乗せられました。
ーーーーーー
最寄りの祈り場がある町で歓迎の宴に誘われましたが、私は偽聖女。用意して下さったお食事だけいただき、先を急ぐからと宴と宿泊は断りました。
町外れの農地の中心にある祈りの舞台に上がり、胸の前で両手を組んで祈ると、辺りがほんの僅かぼんやりと光ります。これが私の力の限界です。
わかっていたこととはいえ少し落ち込んでしまう私に、ヌーベル様が耳元でこそりと囁きました。
「リュンヌ、手を地面につけて癒しを」
私に傷や疲れを癒す力があることは、ヌーベル様には知られています。異端な力だと思っていたので、思い切って伝えるまで二年もかかったのですが、ヌーベル様は出会ってすぐに気付いていらしたそうです。
首を傾げましたが、ヌーベル様の指示に従います。古事に関しては守人たる方より詳しい方はおられません。
なにせ、千年生きるという竜神の記憶を継いでおいでなのですから。
両手を地面に着き、癒しの言葉を唱えます。
「癒しを」
はい、一言です。ヌーベル様曰く、修行して使いこなせれば余計な文言は不要なのだそうです。
祈りの力はフルム様を超えられるとも思えませんし、聖女になりたいわけでもなかったので、生きる役に立ちそうな癒しの力をたくさん練習したのです。
すると、辺り一帯の地面にすぅっと力が染み渡るのがわかりました。ですが作物には変化がありません。立ち合いの町長にも胡乱げな眼差しを向けられました。こちとら偽なので不敬とは申しません。
町を後にして日暮れまでのんびり歩き、丁度見かけた街道沿いの旅人小屋に泊まることにしました。帝都への大きな街道なので、しばらくはこうして泊まれる小屋があるのですが、郊外に出れば野宿が必要になるでしょう。
小屋に入り、仕切られた区画を一つお借りして、床に大きな毛皮を一枚敷きます。陛下が下さった物で新しくてふかふかです。
私としてはヌーベル様の側にいるのも恐れ多いし恥ずかしいのですが、七年前に出会った時から私を娘のように思ってらっしゃるヌーベル様は、私が照れ隠しに睨んでみても気にすることなく、私にぴたりと身を寄せます。
他の旅人はいないのですが、上掛けも一枚きりなので一緒に使うより仕方ありません。私が譲ろうとしてもヌーベル様が聞いてくださらないのはわかってます。
秋の収穫が終わった季節。冷え込む夜に二人身を寄せ合っていると、母親の温もりとはこんな感じだろうかと、ふと思います。
私を産んでくれた人にも、こんな風に寄り添って温めてくれる人がいてくれたらいいな。
そんな綺麗事を言えるのは、見上げた場所にヌーベル様の綺麗なお顔があるおかげです。
美しく気高い、温かい方。この方の側にいるために、せめて気高くありたいと思うのです。
「リュンヌ?」
私の視線に気付いたヌーベル様が目を開けました。
起こしたことを詫びようとした私より先に、ヌーベル様が思いついたように口を開きます。
「先程の癒しのことを説明し忘れていたな」
「そういえば。ヌーベル様が仰っていた呼び水とはあのことでしょうか?」
出発前に仰っていた、枯れ土に呼び水という言葉を思い出して聞いてみると、よく出来たというようにぽんぽんと背中を撫でられました。
「古来、聖女は二人いた。祈りの聖女と癒しの聖女。
春は種を蒔き、祈りの聖女が命を目覚めさせ
夏は雨が降り、太陽と水が命を育てる。
秋は実を摘み、癒しの聖女が土地を癒やし
冬は雪に抱かれて、土地は静かに眠りにつく」
ヌーベル様の低い静かな声が、歌うように紡がれます。帝史にはない、聖女の歴史。もしかすると帝国が出来る前のお話でしょうか。
「祈りの力で土地の力を奪っても、収穫の後に癒しの力を注いでおけば、冬の間に土地はひとりでに力を貯める」
「まあ、初耳です。授業でも習ってませんよね?」
聖女を育てる教会ですら、そんな話を聞いたことがない。重要なことだと驚いて上体を起こすと、寝かしつけるようにヌーベル様の胸に抱き留められた。
「そんなことを言えば、今よりずっと酷い形でリュンヌを搾取しようとするだろう。もしくは」
「もしくは、フルム様を脅かすものとして始末されていたかもしれませんね」
ため息をつく私の頭を撫で、ヌーベル様は少しかすれた声で続けます。眠いのかもしれません。
「聖女はやがて、人々から崇められ増長した。
そして祈りの力に比べて癒しの力はわかりづらい」
「確かに」
祈り場でのことを思い出して頷くと、ヌーベル様の腕が私の体を包み込む。あたたかい。
「俺は癒しの力が好きだ。リュンヌが好きだ……」
すり、と頬が頭にすり寄せられ、ドキッと心臓が跳ねました。ヌーベル様が甘えてくるというとんでもない出来事の破壊力に体が強張ります。
「続き、続きをお願いします!」
熱くなる顔をごまかすように慌てて先を促すと、緩やかな手つきで頰を撫でられる。
「帝国の聖女はなぜか、我儘で頭が悪いのが多い。そのせいか、それを取り仕切る教会までが次第に頭が悪くなり、癒しは嫌だという聖女を認め、祈りだけが残ったのだ」
「それは……ほんとに頭の悪い理由ですね」
フルム様と教会のお偉い方々を思い浮かべて眉を顰める。稀代の聖女だからのチヤホヤだと思っていたけど、代々受け継がれてきた癒着なのね。
「自然の摂理から切り離され、人の都合の良い仕組みの中で生きていると、必要なことから目を背けることに慣れるのかもしれん」
ヌーベル様はそれほど気にもしていないような口振りですが、それは教本の改竄にも言えることです。
教会の権威を支えるのは聖女。それも聖女は皇帝妃となるのです。その不興を買おうとするお偉い方々はいらっしゃらなかったのでしょう。
「目を背けた結果が、この不作なのですね……」
「帝国の国土は疲弊しきっている。これ以上を奪わず、年月をかけてまで自らの手で癒そうという人間は、この国にはおらぬだろうな……」
すう、と穏やかに眠りに落ちた寝息が聞こえます。
ヌーベル様の言うことはもっともでしょう。
生まれてからずっと、種さえ撒けば豊穣が約束されてきた人達なのですから。
この国の未来が少し不安になった私は、思考を振り払うのにヌーベル様の温もりを享受して、目を閉じました。
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そうして各地を癒して回る内に、早いもので三年が経ち私も17歳になりました。来年には成人です。
残念なことに、馬のハーヴィは旅先で寿命を迎えてしまいましたが、広い草原で眠るように息を引き取った最後に悔いはないと思いたいです。
本来祈りの巡礼であれば、三月ほどで済ませなければならなかった行程なのですが仕方ないと思います。
癒しのために時間がかかったこともありますが、宿にも食事処にも入るのを拒否され、体はいつも疲弊していました。クレセント様とフルム様の嫌がらせでしょう。
挙げ句暗殺者のような方々も邪魔をしにいらして、ヌーベル様に呆気なく返り討ちにされたのでした。
痩せた土地では食糧を探すのも簡単ではありませんでしたが、ヌーベル様はとても狩りがお上手でしたし、怪我人や病人を癒したお礼に食べ物をもらうことで、なんとか飢えを凌ぎました。
苦しい旅でしたが、ヌーベル様と二人でいられることは私の喜びでした。出来るだけ長く二人で旅をすることができればという願いは叶いませんでした。
ヌーベル様が病を得てしまったのです。
私の癒しの力は役に立たず、日に日にやつれていくヌーベル様の姿に、無力な自分が情けなく思えて。それでも宿を貸して下さる人はいません。皆、癒しの力も効かない病を恐れたのです。
立ち去るためにといただいた荷車に、三年間の使用ですっかりへたれた毛皮に包んだヌーベル様を乗せ、両手の豆が潰れて血が出るのも構わず荷車を引いて歩きました。
効かないとわかっていてもそれでも、残った癒しの力の全てをヌーベル様に使いながら。
もう間もなく最初に立ち寄った町が見えるという頃、ヌーベル様が私を止めました。
もうよい、と。
この時の絶望を思い出すと、今でも足が震えます。
そのお陰で、捕縛され投獄されたときも、断罪され自分の死を望む声を向けられた時も、ーーきっと自分自身が実際に断首されたとしてもーー絶望などというものとは無縁でいられたぐらいに。
「リュンヌと出会えるかわからず生きてきた数百年に比べれば、死は怖くない」
ヌーベル様は本当にそう思っているとわかる、綺麗に澄んだ瞳で私を映し、微笑みます。
「数百……なにを、言って……。まだ成人していないと仰ってたではないですか!」
「それはそなたの年齢のことだ。……竜は、番の成人に合わせて性別を変える。リュンヌは俺の唯一の番だ」
ひゅうひゅうと風を裂くような苦しげな呼吸が、酷く耳障りな告白でした。
「愛している、リュンヌ」
「ヌーベル、さ……」
言葉だけでなく、その美しい微笑みでもそう告げた次の瞬間、ヌーベル様の体はばぁっと無数の光となって飛び散ったのです。
ヌーベル様そのものといった美しい光。これがヌーベル様に教わった、竜気というものではないでしょうか。
咄嗟に伸ばした私の指先をすり抜け、竜気は帝都の方向へと飛んでいきました。
それを見た瞬間、私は理解したのです。
竜の一族、効かない癒し、数百年、竜気ーーその意味を。
真面目に授業を受けて、本当に良かったと思いました。
私は力を振り絞って自らの体を癒しました。
ハーヴィがいれば、全力で私を運んでくれたのでしょうが、ハーヴィはもういません。すぐそこに見える町で盗んででも馬を手に入れ、一刻も早く帝都に行くのです。
「言い逃げなんて、許さないんだから……っ!」
六話で終わるかも不安なところ。(おい