4✳︎聖女の護衛
誤字報告ありがとうございます!
見たらこの話も全部ノーベルに…
※人食欲表現あり(食べません)
目の前に転がる、無残に落とされた首。
呻き、縋り、口づけて、気付く。
彼女の首から下は、どこにあるのだろう。
首の前で伏していた体を起こし、辺りを見回すと、近衛が首のない遺体を丁寧に布に包んでいるのが見えた。
リュンヌ。
後ろで縛られたままの両手で少女の首を抱え、立ち上がる。気が逸ってもつれそうになる足を必死に動かして、ほとんど倒れ込むようにして辿り着いた。
「リュンヌ……」
力を込めて手縄を千切ろうとした時、辺りに耳障りな歓声が響く。
無意識に振り返ると、民衆に向かって両手を掲げるクレセントの姿が見える。そして、その手に握られた血塗れの錫杖も。
「お手を。ヌーベル様」
夢から醒めたような心持ちで目を瞬くと、近衛の鎧から小刀を取り出すのが視界に入る。
言われるまま両手を浮かせると、拘束する縄がぶつりと切られた。
「あれではもう鳴るまいな」
「……今日は、一度も鳴りませんでしたよ」
兜の下から残念そうな呟きが漏れる。
そうか、とやけに凪いだ気持ちで呟き、自由になった手で血のこびりついた赤毛を撫でた。
「あれの音は清らかだった。奪うだけのこの国には似合わない」
ーーーーーー
「……殿下はどうした」
尋ねると、貧相な子供がびくりと体を揺らす。
「稀代の聖女候補とやらは」
「……お二方で、お出かけになりました」
恐る恐るというような返事の声は存外力強く、庇うでも諂うでもなくただ事実を言ったという風だった。
「そうか。では始める」
「え」
分厚い帝史の本をやたらと長いテーブルの端に置き、貧相なそれの向かいに座る。座るように促そうと見やると、驚いた顔が見つめていた。
「……なんだ?」
「いえ、お二方を探しに行かなくて良いのかと」
「侍従が付いているだろう。連れ戻すなら彼らの仕事だ。それに、やる気のない者に教えるほど俺は暇ではない」
皇太子と聖女候補への帝史の授業は、竜神に仕える我が一族が教鞭をとることとなっている。
それを先ほど伝えた時の二人は、教本の分厚さに嫌な顔をしていたがまさか逃げ出すとは。
目の前の貧相が申し訳なさそうに眉を下げる。
「ですがその、教わるのが私一人では時間のむだでは」
「?……やる気がないようには見えんが」
それの前に積まれている紙束を見ながら首を傾げると、それの顔がぼっと音を立てて真っ赤に染まった。
「もっ、もうしわけありません!おみぐるしい物を」
教本を写した紙束を隠そうとする小さな手を掴んで止める。ところどころインクに染まった、かさかさした荒れたそれは、しかし温かい。
「確かに紙は粗悪だが、字は丁寧で誤字もない。だがどれ程時間をかけた?今日帝史を教えると決まってから、それほど経ってないだろう」
「十日ほど前に通達と教本を届けていただきました」
「十日もあったのか」
思わず呆れるが、それは目の前の子供にではない。
今日初めて教本を見た顔をしていた二人にだ。
それより、皇太子と聖女候補には皇家より教本が用意されるはず。用意がないのなら、それは皇家の不備。
聞くと、子供は写本を優しい手つきでなぞる。
「聖女となるのはフルムさまだから、私の分はいらないと判断なさったそうです。ですが、教会の資料室の奥に教本があるのを知っていたので」
「これは原本か。道理で」
教会に保存されているのは書かれたままの原本だ。皇家の教本は皇家に都合の悪い内容を改竄したもの。
俺が教える部分はむしろ改竄された箇所であるから、皇家の教本であれば写本しても意味がないので、この娘には幸いと言うべきか。
だが、修行や奉仕に追われる聖女候補に、手隙の時間などそれほどもあるまい。
ましてやこの子供は、六つかそこらであったはずだ。体の必要とする眠りも人より多かろう。
「無理をせずとも言えば良いものを」
思わず無茶を咎めると子供は目を丸くする。だが、自分でもその言葉に驚いた。
今まで人に情を揺さぶられたことなどなかった。呆れるくらいはあるが、不快に思うことすらほとんどないというのに。
目の前の貧相な娘が、その体を、命を削り些事に煩わされることに、何故か言いようのないもどかしさを覚えたのだ。
「ありがとう、ございます」
戸惑ったように俺を見ていた娘が破顔する。
年相応に幼い、無邪気な笑み。
愛らしい、と素直に思え、なにか胸の奥からじわじわと熱が生まれるのを感じる。
「ですが、とても楽しかったです。たくさんの事を知れて、賢くなれた気がします」
「善いことだが、体を壊しては元も子もない。お前はまだ赤ん坊のようなものだろう」
「え、赤んぼ……では、ないです」
困った顔で否定されたが、小さくて弱々しいその姿が赤ん坊でなければなんだというのか。
「……ふむ。そうか、この守りたくなる気持ちが母性というやつか?」
「え、先生はとてもおきれいですが、女の人なのですか?」
「いや、私もまだ成人しておらぬので性別は決まってはないが、雄であろう」
首を傾げた娘が、眉を寄せて思案顔になる。
これもやけに可愛く思えるのだ、やはり母性だろう。と、いうことは俺は雌になるのだろうか?
やがて娘がはっとしたように顔を上げ、顔を青くした。
「竜は性別が曖昧であり、竜神に仕える一族は、竜の末裔であると本にありました。もしかして先生は竜の」
「その通り。俺は竜の血を引く者だ」
娘のように帝史を学べば知ることなので、特に口にしないだけで隠しているわけではない。
だが娘は青くした顔をさらに白くして、慌てて椅子から跳ね上がるようにして床へと平伏する。
「もうしわけございません!」
「謝る意味がわからん。俺はただの竜の一族で、神ではない」
「守人さまは尊いお方です!私などがお側に近よるなんて!」
小さいそれがますます身を縮めるようにうずくまるので、席を立って更に側に寄る。そうすると、その格好のまま壁まで後ずさっていった。
怖がらせているようなので、仕方なく触れるのを諦めて言葉で宥めることにする。
「其方は聖女候補であろう」
「聖女はフルムさまでございます、私は」
「そのような妙な線引きは不要だ。俺にしてみれば、授業から逃げ出す稀代などより真摯に学ばんとする其方の方に価値を感じる」
もっと言うなら、この世のすべての人の中で、唯一この娘だけに。
「私の側に在ることを過分に思うのなら、篤と学べ。……名は」
草原を思わせる瞳をぱちぱちとさせ、娘はその頰を紅くして笑んだ。
「リュンヌともうします」
ーーーーーー
「リュンヌ」
「ヌーベル様?その出で立ちは」
簡素な聖女の衣を見に纏ったリュンヌに声をかけると、振り返ったリュンヌが首を傾げた。
俺の身につけた、旅装を兼ねた簡素な鎧とマントを見て、はっとしたように俺を睨む。
「まさか巡礼について来られるおつもりでは」
「ついて行く」
「そんな、殿下がお許しになるわけが」
「了承は得た」
「……近衛のお仕事は」
「度々教会に行けるから殿下についているが、リュンヌがいなければ意味がない。そもそも俺の任命権はこの国にはない」
殿下は俺が皇帝の近衛で、その命で自分の近衛をやっていると思っているようだが、元々俺は正式に近衛の役についているわけではない。
仕事をせねば伴侶を養うことができないと皇帝が言うから、休みが多く給料の高い近衛の仕事をしているだけだ。
「ヌーベル様も大概ですよね……。真面目にこき使われてる自分が虚しくなります」
諦めたようにため息をつき馬に鞍をつけるリュンヌを手伝うと、目を逸らしたまま小さい礼が返ってくる。
「巡礼の伴にするには些か年老いているな」
そもそも聖女の巡礼は、教会の一番良い馬車で回るはずだが、と思いながらリュンヌを見つめる。白の衣姿も可愛い。
「陛下が駿馬を下賜するとは仰ったのですが、申し訳なくて。それに、ハーヴィは私の馬ですから。無理をさせないように気をつけます」
「そうだな。ゆっくり行けばいい」
二人きりなのだから。と微笑むと、リュンヌがまた半眼で睨んでくる。反抗期というやつだろうか。
「巡礼を終えれば、リュンヌに褒賞を与えて自由の身にすると皇帝に誓わせたから、早く済ませたくもあるが」
「えっ」
リュンヌが驚いて俺を見る。久しぶりにまっすぐに目が合った気がする。
「そんな、形だけの巡礼なのに……」
「あの稀代とやらが祈るより有益だ」
「それでも、私の力では焼け石に水でしょう」
「言うなれば、枯れ土に呼び水だ。卑下することはない」
ここ数十年、収穫が落ち込んでいるのも当然のことで、帝国の国土は疲弊しきっている。この数百年間、聖女の祈りで生命力を根こそぎ奪われ続けているからだ。
肥料や水をやるといった、他国ではごく普通の育て方を学ぼうとする人間がいれば、まだマシだったのだろうが。
代わりだと?
リュンヌは癒しの力を持つ聖女だ。
今、この国に、この地に、何より必要な力。
枯れた土地にリュンヌの癒しの力を注げば、春にはその一年の収穫を支えるのに十分な力が戻る。
真の聖女だと?
祈りの力は土地の恵みを奪う力だ。
ほんの少し頭を使って計画的に使えば良いのに、この国の聖女は馬鹿みたいに根こそぎ奪う。
リュンヌの赤毛の頭をさらりと撫でた。
竜の幼生の鱗が赤いため、この赤は子供の時だけなのかと思っていたが。
「……ヌーベル様の過保護」
「リュンヌは俺の聖女だからな」
憎まれ口に微笑みを返すと、リュンヌがうぐっと小さな呻きを漏らして、諦めたように目を細めた。
「よろしくお願いします。……私の守人様」
ーーーーーー
「癒した土地の力、全部奪われてしまいました」
兜の下から聞こえた声が震えて、現実に引き戻された。
泣いているのかと不安になって兜を脱がすと、短くなった赤毛の下にあるのは怒り。
三年の間、地道に癒して回った癒しの力は、先程の真の聖女とやらの祈りで全て使い果たされてしまった。
あの光と恵みはあれの力ではなく、リュンヌの力だ。
「悔しそうだな、リュンヌ」
ふ、と笑みを漏らすと、ものすごく睨まれた。
自分の形をした肉体をぽこぽこと叩きながら、絞り出すような声で文句を言う。
「当たり前です!三年ですよ?貧乏旅行でこつこつこつこつ貯めて回ったのに!今もう冬ですよ?あんなに実らせても収穫する前にすぐ枯れちゃう!無駄遣いすぎますよ!」
「わかった。わかったからリュンヌを叩くのはやめてくれ。竜気が散って消えてしまう」
慌ててリュンヌの拳を止めると、さっきよりも強い眼差しを向けられる。
「私じゃないし、もう用は済んだんだからいいじゃないですか。そもそも、なんで首にあんな風にすがりついたりしたんですか」
「……美味そうだったから」
「…………は?」
「竜気を練って作った人形だが、リュンヌの髪と血を使っただろう。……愛しいが過ぎて美味そうだ」
青ざめたリュンヌが、布に包んだ首を胸に抱えて後ずさる。
「ちょ、ヌーベル様?」
「いなくなると困るからリュンヌのことは食べないが、それは食べてもリュンヌは消えない」
「ふんぬっ」
「ああっ」
リュンヌが両腕に渾身の力を込めて、首を形作っていた竜気を散らす。ぽひゅうと気の抜ける音がして、残ったリュンヌの髪だけが布の隙間からパラパラと落ちる。血は全て流れ出てしまって残っていない。
髪だけでは食欲は湧かないので、ため息をついて、近衛の鎧に身を包んだリュンヌを抱きしめる。
「俺の番は焼きもち焼きだ」
「焼きもちじゃないです!」
「リュンヌ……?」
茫然とした声に振り返ると、蒼白の顔で目を見開いた祈りの聖女がこちらを見ていた。
「フルム様」
しまった、と呟くリュンヌとの計画では、後を任せてこっそり逃げ出す予定だったのを思い出す。
「どういうこと?なぜあんたが生きて……ヌーベルと」
「どうした、フルム……っ、偽聖女!?」
聖女だけでなく、殿下にまで気付かれてしまった。
そしてそれは即ち、集まった貴族達や民衆にも気付かれるということ。
「ああ……私は死んだことにして、ひっそり生きていこうと思ったのに……」
がっくり項垂れるリュンヌ。
だが俺にとっては好都合だ。元よりこんな茶番、リュンヌが望んだのでなければ付き合う気もなかった。
そうだ。まるでリュンヌを自分の駒のように扱った奴らに、リュンヌが俺のものであることを思い知らさねばならない。
「どういうことだ、貴様、なぜ生きている!?」
怒りに燃えるクレセントの瞳。ああ、本当に、自分の頭を冠の台にしかしない俗物だ。
「クレセント。これはリュンヌの筋書きだ。巡礼が終わり、邪魔になったリュンヌをお前が生かしておくはずはないと、リュンヌは知っていた。
だから、一度自分を処刑させたのだ。これ以上お前達に煩わされないためにな」
「そうか、身代わりを仕立てたのだな!なんて残忍なことを!」
「どの口が言うんです……」
呆れたようにリュンヌが呟き、布に包まれた首から下の人形に小刀を突き立てると、またぽひゅうと音を立てて竜気が散った。
「な、一体、」
「竜は竜気を練って人形を作り、人の世に混ざるのだと帝史の授業で教えただろう」
「それはっ……ただの、作り話だと思って」
なぜ帝史で作り話を教えなければならんのだ。……まあ、歴史はある意味創作めいたところはあるが。
「言っただろう。リュンヌの筋書きだと。孤児だ、ただの聖女候補だと蔑んでいたリュンヌの手のひらの上で転がされて、真の聖女だ皇帝だと騒いでいたのがお前なのだ」
先ほどから繰り返された言葉を思い出し、そうか、こういう気分を言うのだなと微笑んだ。
「ざまぁないな、クレセント」
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