2✳︎真の聖女
※ヒロインなのに斬首あり
※血肉表現あり
鎖の落ちる耳障りな音に、重い物が空気を裂く音と、それが地面に落ちて転がる音に目を開くと、ぶしゃりと飛び散る血の赤が鮮やかだった。
あんなみすぼらしい子でも血の色は美しいのね、と思わず見惚れてしまったわ。
罪人とはいえ、一人の少女の死を悼むフリで、肩を震わせてクレセントの胸に顔を埋めた。
横目でこっそり見たリュンヌの転がった頭からはどくどくと血が流れていて、その醜い死顔をこちらに向けていた。
なんて哀れなのでしょうね。
興奮のおさまらない民衆の狂気の中、ほっと息をついたクレセントが私の背に腕を回してぎゅっと強く抱きしめてくる。
だけどすぐに慌てて体を離し、私のほんの少し膨らんだ下腹を見つめて微笑んだの。
ちょっと、私達は今ようやく想いを交わせるようになったばかりだっていうのに、そんな慈愛に満ちた眼差しを向けられたら、悟る者がいるかもしれないじゃないの。
本当に詰めの甘い男。
皇帝の錫杖を掲げて民衆に処刑の終了を告げようとしたクレセントを押し留め、リュンヌの遺体を片付けていた近衛に合図をする。
「フルム?」
少し疲れたような顔で私を見るクレセントににこりと笑いかけ、するりとその腕に指を這わせる。
微かに目を瞬いたクレセントが、なにを勘違いしたのかほんのりと目の下を紅く染める。……閨の誘いじゃないわよ、馬鹿ね。
「まだ一人、罪を償うべき者がいるでしょう?」
嫣然とした笑みを浮かべてみせると、なんのことだかわからないという顔で、とりあえず笑い返してくるクレセント。
顔だけはいいけど頭はあまり良くないクレセントは、こういう時に物事が進まなくて面倒なのよね。
まだ近衛の方が勘が良くて使いやすいわ。
そう、その近衛がやはりいい仕事をしてくれる。
先程合図をした近衛が、一人の男を処刑場に連れ出して来た。
艶やかな漆黒の髪に紫水晶の瞳。三年前と変わらぬ美貌だが、薄らと髭が伸びている。
汚れた旅装のまま引き出されたリュンヌと違い、きちんと身を清め、白いゆったりとしたシャツに濃紺のトラウザーズ姿。
後ろ手に縛られていても凛々しい佇まい。
しっかりと身に付いた筋肉が見て取れて堪らなくそそられる。
「ヌーベル?フルム、なぜヌーベルをここに」
クレセントはまだわからないようで、耳触りな民衆のざわめきも相まって苛立ちが募った。
「なぜわからないの?この男は偽聖女と一緒に、聖女の務めたる巡礼を穢したのよ?共に処刑すべきでしょう」
「フルム、いや、しかし、処刑など」
クレセントは戸惑いながらも、きっぱりと首を横に振る。
クレセントがヌーベルを兄のように慕っているのは知っているけど、私のことより優先しようとするなんて思わなかったわ。
私は苛々と爪を噛み、クレセントを睨みつける。
私だってヌーベルの美しさを気に入っている。
詳しくは知らないけど、皇帝陛下にすらその忠誠を捧げることのない高潔な男。
だったらその忠誠は、真の聖女の私に捧げるべきでしょう。
私の聖女としての力は今までにない程強いから、リュンヌみたいな貧相な食事や身なり、朝から晩までこき使われる普通の聖女候補の生活なんて無縁。
私は特別なの。リュンヌとは違うのよ。
だから、教会の偉そうな聖職者だって、ご機嫌伺いに来る貴族だって、私の言うことはなんでも聞いてくれた。
だからまだ子供だった頃に、可愛くお願いしてみたの。『ヌーベル、私のものになって』って。
そうしたらあの男、表情一つ変えず、私を見もしないで『嫌だ』って言ったのよ!?
信じられないわ!そりゃその頃は天使みたいに愛らしくてもまだ子供だったから対象外だったのよね。
断られてからしばらくして、ヌーベルはクレセントの近衛になった。クレセントが父である皇帝陛下にお願いしたからだって聞いて、陛下に頼めば良かったのねって気付いたわ。
だから今度は陛下にお願いしてみたの。その時には少し大人になっていたから、谷間を寄せておねだりポーズまでサービスしたのよ?
なのに陛下ったら胸だけしっかり見て、ヌーベルは駄目だって言うの!
手に入らないものはもっと欲しくなるでしょう?
私はずっとヌーベルが欲しくて堪らなかったのよ。
堪らなすぎてクレセントに体を許してしまったり、ヌーベルに体型の似てる近衛に抱かれてみたり、ちょっと間違った方向に行ってしまったのは否定しない。
でもそれだけ本当に欲しかったの。
だからプライドも捨てて、ヌーベルに愛を囁いたの。磨き抜かれた体を見せつけて、誰もがうっとりするような笑みを浮かべて。
だけどヌーベルは、表情ひとつ変えず、自分が望むのは唯一だと言って私を一蹴した。
唯一、それは難しいわ。聖女は皇帝に嫁ぐと決まってるもの。私はクレセントの物にならなきゃいけない運命。
そうよ。だったら、聖女じゃなくなればいい。そうしたらヌーベルの唯一になってあげられるわ!
だから私は、クレセントや教会の嫌らしい爺達を味方につけて、リュンヌを身代わりの聖女に仕立てた。
リュンヌが聖女として巡礼に行ってる間に、私はヌーベルと他の国に逃げるのよ。そうして二人で幸せに暮らすの。
なんて素敵なのでしょう!
そう思っていたのに、ヌーベルは突然いなくなった。なんてこと、リュンヌと一緒に旅立ったというのだ。
偽物とはいえ聖女の巡礼だから、リュンヌ一人ではマズいのはわかる。だけど、なぜ護衛がヌーベルなの?
私がヌーベルを欲しがっていることを知っているクレセントの仕業かと疑って、殺してやろうと思ったけど、そうじゃなかった。
『ヌーベルが望んだから』
クレセントがそう答えた時、音と色が消えた。
なぜ?ヌーベルは私を拒んだのに。
ヌーベルが望むのは唯一だというから、私がその唯一になってあげるはずだったのに。
まさか、ヌーベルの唯一がリュンヌだというの。
気が付いたらクレセントに組み敷かれていて、嫌だと言ったのに避妊もせずに何度も犯されたわ。
終わった後、本当に殺してやろうかと思ったけど、次期皇帝になるクレセントが怒った私に、愛している、欲しいものはなんでも与えるって泣いて縋るから許してあげることにした。
欲しいもの?私の欲しいものはヌーベルだけよ。
そうね、私は真の聖女なのだもの。この国にはなくてはならない、唯一の神聖な存在。
ちょっと動揺してしまったけど、リュンヌが唯一なんて、そんな馬鹿げた話があるわけない。
だからきっと、ヌーベルが旅から戻って来たら私の物に……そうよ、だから早く戻さなきゃ。偽の聖女の巡礼なんてさっさと終わらせるのよ。
私はクレセントの名前であちこちに命令した。
聖女一行を宿に泊めてはいけない。もてなしてはいけない。食事も施してはいけない。
だって偽物なのだから、当然よね?
困ってすぐに帰ってくると思ったのに、全然帰ってこないの。リュンヌは私と違って貧相で情けなくてみっともない子だから、野宿も粗食も平気なのよ。
きっとすごく汚らしくってヌーベルを困らせているわ。そうよ、ヌーベルにリュンヌを始末させるのはどうかしら。リュンヌを見張る為について行ったのだとクレセントが言っていたもの。だったらリュンヌがいなくなれば良いのよ!!
ヌーベルが帰ってこない。リュンヌを殺せって命令したのに。何度もリュンヌに刺客を送ったのに。
聖女の巡礼は続いている。二人は生きて一緒にいる。ヌーベルはリュンヌと一緒に今もずっと一緒にいるーー
首を軽く振り、美しい髪を払って、感傷を振り払う。
過ぎたことはもういいわ。大切なのはこれから。
「ヌーベル」
私の腕を掴むクレセントの手を払って、やつれても尚美しいヌーベルの前にゆっくりと歩み寄る。
押さえ込む近衛の力に抵抗もせず、罪人らしく情けなく跪いているヌーベルはどこか虚ろな瞳を民衆の方に向けている。
「最後のチャンスをあげる」
尖ったヒールでヌーベルの膝を踏みつけて、口端を上げてその顔を覗き込んだ。
美しい顔に伸びた髭が色っぽい。だけどキスするのに邪魔だから要らないわ。
「死にたくなければ、私の物になりなさい?」
そうしたら、私が貴方の唯一になってあげる。
「ーーリュンヌ」
「っ!」
ヌーベルの口からこぼれた悲痛な声に息を飲む。
「リュンヌ、」
「ひっ!!」
虚ろな視線を追うと、そこには目を見開くリュンヌの首が転がっていた。
空洞のような目と目が合って、反射的に悲鳴を上げて後ずさった。
「リュンヌっ!!」
初めて聞くヌーベルの感情にまみれた必死な声に、信じられないという顔で彼を見たのは私だけではなかった。
クレセントも近衛も、いつの間にか静まり返った貴族も民衆も、必死の形相で叫ぶヌーベルに気圧されている。
「っ、大人しくしろっ!」
「リュンヌ、リュンヌっ!!」
ヌーベルを拘束していた近衛が暴れる彼に振り解かれて吹き飛んだ。
はっとしたクレセントが、私を庇うように引き寄せる。
「ヌーベル、落ち着けっ」
「リュンヌっっ」
後ろ手に縛られたまま、リュンヌの首に取りすがり、頰を擦り寄せ、唸り声をあげるヌーベル。
どうして?そんな汚い、情けない、みっともない、偽物の聖女なんかに。
「リュンヌは死んだわっ!」
頭がかっと熱くなって叫ぶ。
そうよ、もう死んでるの。醜い、みすぼらしい、穢らわしい生首なのよ。
「貴方が悪いのよ!私を選ばないから!」
私は真の聖女なのに。この世で一番美しいのに。誰もが傅くのに。
私を愛するべきなのに、愛さないから。
「ざまぁみなさい!!」
貴方の唯一なんて、もう存在しないのよ。
思い込み激しい系です。