9・野外活動とローストチキン
放課後、家政部の活動が一通り終了した後、霧咲先生主催のミーティングが行われた。
僕はといえば〈進化の声〉のアルバイトはサボっているが、家政部からは抜け出せないでいる。霧咲先生のまじめな態度は僕をびっくり箱扱いしているようには見えなかったし、なによりも料理の修業は続けたかったからだ。
例の事件の後、王虎さんは僕から少し距離を取っている。何か思いつめたような、そして落ち込んでいる様子がありありと判る。
僕の近くにはスズメちゃんと亀沢さんのグループが座っている。スズメちゃんは僕の食生活に興味があるようで、何かと僕の過去の体験談を聞いて来る。
「ひえええ! 昨日総くんが食べていたのは、芋虫だったのか、なのだ!」
一緒に話を聞いている亀沢さんや他の1年生たちも、唖然としたり身を震わしていたりする。
「そんな驚くほどの事は無いよ、オーストラリアのアボリジニだって食べているからね」
「ほえー」
こんな調子で不思議な擬音を発しながら、スズメちゃんが僕の食生活を聞いてくる。亀沢さんは相変わらず黙ってこくこくと頷くだけだが。
「しかしたまには普通のお弁当とか食べてみたいと思ったりしないのか? なのだ」
「父さんが変な食材ばっかり買ってくるからね……」
スズメちゃんは少しためらった後、思い切ったように、
「そ……それじゃ今度あたしがお弁当を作ってくるから、一緒に食べてみてはどうなのだ?!」
「スズメちゃん、ありがとう。でも普通の食材じゃダメなんだ。自然に生きていた食材じゃないとね」
「スズメちゃん言うな! じゃあお母さんの実家から野性のキジや放し飼いの鶏とか送って来てくれるから、ウチにそれが来た時にあたしがお弁当作ってきてやるのだ!」
「いいなー、あたしも食べたい」
「あたしもー」
「ええい! みんなの為に作るのではないのだ!」
他の1年生もお弁当タイムに参加表明し、亀沢さんまでうんうんと頷いている。
その時、王虎さんが僕に激辛麻婆大さじ10杯程度の、おどろおどろしい目線を送っているのを感じた。えええ? 僕が悪いのか?
そんな時、霧咲先生が教壇に立ち、ミーティングを始める。
「はい、皆さん静かにして! えーもうすぐ高校生活初めての中間試験があります。中学と違って勉強する事も多いと思いますが、頑張ってください」
「ええ~っ」「はぁぁ~い」
と気の抜けた返事が聞こえる。
そのカリブ海よりブルーになった家庭科教室を明るくしたのは、霧咲先生の提案だった。
「ところで、試験が終わって七月二十日から夏休みですが、最初の三日間に野尻湖郊外の山間の村で野外活動を企画しています。テーマは『自然と共に味わう』です」
わあっと歓声が上がる。
「参加は強制ではありません、有志に限ります。参加費は交通費のみ、その他のお金は予算の中から出します。宿は格安の公共の宿に泊まります。食事は自炊ですので、お米やお味噌は買っていきます。野菜は向こうに直売所がいっぱい有りますので、地元の農家から購入します。お肉などはこちらの方が提供してくれます。レストラン〈進化の声〉の神味刀子さんです」
教室の前の扉が開き、見覚えのある人物が入ってきた。
「どーもーみんな~、宜しくね~」
な、なんてコトだ。軟体動物が歩いているようなクネクネした歩き方で神味シェフが入ってきた。そして僕の顔を見てニコッと……いやニヤッと笑った。
くそ! そこまでして、僕がパコーンと弾けるのが見たいのか!
「シェフは料理の手ほどきもしてくれます。皆さん、学べる事は出来る限り学んで下さい」
「は~い!!」
みんなの元気な声が家庭科教室に響く。
「それと、今回の野外活動に見学者が参加します。さあ、入って」
家庭科教室に入ってきた人物を見て僕は息を呑み、思わず王虎さんの方を見る。王虎さんはあっけにとられた表情をした後、またおどろおどろしい表情で僕を見る。なんで僕をそんな目で見るの?
周りを見ると、スズメちゃんも『おいおい、そこまでするかぁ?』という表情だったし、亀沢さんも『……あ、っそう』というような呆れた感じだった。
他の部員は呆気に取られた顔をするか、嬉しい悲鳴の混じった歓声を上げるかどちらかだ。
「紹介します、1年2組の龍崎由樹さんです」
「宜しくお願いします」
軽く会釈をした彼女は、相変わらず凛とした姿で教壇の前に立っていた。
僕は父に言われた様に、彼女の立っている姿から彼女の本当の姿を見切ろうとするが、やっぱり強大な力を誇るティラノサウルスを〝進化の記憶〟に持つそのプレッシャーがひしひしと伝わってきてしまう。
彼女は部員達の姿を眺め、僕を見つけるとまるで場違いな者がそこに居るかのように数秒ジーッと眺めた後、大げさにフイッと横を向いた。その上横目でジトーッとした視線だけを送ってくる……まだ根に持ってるな、彼女。
まさに僕が感じるプレッシャーは、彼女がその視線に〝進化の記憶〟の存在を乗せて送ってきているからのようだ。周りの一年生の何人かは戦慄を覚えたようで、震え上がっている。
「さて、野外活動について何か質問は?」
霧咲先生が聞くが、一年生は勝手が判らないで黙ったまま、二・三年生は勝手知ったる野外活動なので質問らしい質問も無いのだろう。
突然、由比副部長が手を挙げた。
「先生、もし大地君が来た場合、部屋はどうするんですか? 彼だけ一人部屋ですか?」
教室の中がざわめいた。クスクスした笑い、女の子特有のゴシップに対する反応。
スズメちゃんが僕に耳打ちする。
「副部長、総君と同じ部屋がいいとか思ってるのか? 意外に積極的なのか? うくくくく」
「ありえないよ、そんなの」
あのしっかりした副部長が、そんな事を考えるわけないでしょう?
亀沢さんが、大さじ5杯程度の疑問が入った目線でまじまじとスズメちゃんを見ている。
「イッ? あ、あたしはそんな事考えてない! そんなはしたない!」
否定している割には嬉しそうなんだが……。
副部長が続けた。
「別に一人部屋が羨ましいとか特別扱いなのかとか、そういう事を言っているんじゃないです。でもなんか問題が発生しそうな気がするんですよね、大地君のせいじゃなく」
そう言ってまず龍崎さんを見て、王虎さんとスズメちゃん・亀沢さんと、他の部員を含めまじまじと見まわした。
龍崎さんは平然とその視線を受け流したが、王虎さんとスズメちゃんはギクッとしたようだ。副部長、正しいです。僕が問題なのではなく、僕に問題が降りかかってくるんです。
「大丈夫、心配要らないわ。彼はこういう経験をたくさんしてきた人だから」
そういって霧咲先生は、教壇の後ろにおいてあったパッケージになった袋を持ち上げた。
ああ、そういう事ですか。
◇
「電車旅っていいわねぇ~大地くん~。のんびりしてて、のどかで……」
シェフが窓の外の景色を眺めながら、吟遊詩人のように大袈裟な仕草でうっとりと呟く。
「…………」
「聞こえるのは列車の音だけ……見えるのは流れていく景色だけ……アンニュイねぇ……」
「……ええ、そりゃぁ静かでしょうね……」
一人の世界に浸りきっているシェフの言葉を遮るように、思わず僕は口を開いた。
「この客車に居るのは、僕達3人だけなんですからね!」
今僕らは野外活動を行う場所に向かう列車の中なのだが、僕は他の部員と隔離されて別な客車に席を取ってあった。
しかもこんなに広い特急列車の客車なのに、同じ客車の中に居るのは龍崎さんと神味シェフだけだ。他の部員は隣の客車にまとめて乗っている。
「いくら何でもやり過ぎなんじゃないですか? 客車一両借り切ってしまうなんて!」
「たまたま、この客車に予約が入って無かっただけじゃない?」
「そんなワケありますか! 他の客車は満席じゃないですか!」
僕が指差した一般の客車は、通路口のドアのガラスから見てもハッキリわかるほど満杯だ。
「大地くん、そこまでしなければいけない理由があるのよ……」
シェフが真剣な顔してつぶやくのを聞いて、僕はハッとしてシェフを見返す。
「……まさか……この間みたいな出来事をシェフは予測して?」
「ううん、違うの……何故こうしたかと言うと……」
ガバッとシェフは立ち上がるやいなや……軟体動物と化して僕に抱きついてきた!
「大地くんと、こうしてスキンシップする為じゃない~」
「や、やめて下さい! ほ、他の部員が見てるじゃないですか!」
僕はじたばたとシェフから逃れるべく、身悶える。
「……いやらしい……」
龍崎さんが思いっきり冷酷な目で僕を見ながらつぶやく。
「龍崎さん、僕は被害者なんだぞ。いやらしい、なんて言われる筋合いはない!」
「あら、スキがあるから簡単に抱きつかれちゃうんじゃない? 大自然の中でそんなにスキだらけじゃあ簡単に喰い殺されちゃうわね」
「あら、龍崎さんも大地くんが食べたかったの、一緒にどう?」
シェフが笑えない冗談を飛ばす。その瞬間、客車の数枚の窓がミシッと言う音を立てる。どうやら龍崎さんが怒りにまかせて自分の〝進化の記憶〟を一部展開したようだ。
強烈な波動を感じても、シェフはいたずらっぽく笑って気にとめる様子も無い。すると更に他の部員が居る客車から、つんざくような怒号が飛んだ。
「シェフ! 一体何をしているのだ! 総くん、デレデレしていないで離れるのだ!」
こちらの客車に通じる扉の前で、スズメちゃんが副部長に止められながらも僕らの方に向かって威嚇している。さらに亀沢さんまでもがこちらに来ようとしているが、部長の目に見えない力が振り切れない様で金縛りにあったように動けないでいる。
更に王虎さんまでもが少し離れた先から、相変わらず激辛麻婆豆腐のようなどろっとしてヒリヒリした視線を送ってくる。
霧咲先生にスズメちゃんを押さえる役を任せた副部長が、こちらの客車に入ってくる。
「シェフ、色々御指導頂けるのはありがたいのですが……お願いですから部内に余計なもめ事の下味をつけるのは遠慮して頂けますか?」
副部長も表情は柔らかいが、おでこの辺りの血管がピキピキ言ってるのがわかるくらい浮かび上がっている。
「ごめんね、由比さん。『旅の恥はかき捨て』ってヤツ?」
そう言って、シェフは僕から離れてくれた。
「龍崎さん」
副部長は龍崎さんにも向かって話す。
「あなたはもっと聡明な人でしょ、こんなことで見境がなくなるようでは困るわ」
「すいません、大地くんがあまりにもふがいないので」
「そうね、大地くんもちょっとスキが多い様ね。気をつけてね」
「すいません、副部長。一流シェフがこんなに料理以外の事ではだらしない人だとは思わなかったもので」
僕と龍崎さんはふてくされたように答える。
「他のお客さんや部員が動揺します、おとなしく座っていて下さい」
副部長はそう言い放つと、もと居た車両に戻って行った。
「怒られちゃった、テヘ?」
シェフがカワイ子ぶって言うが無視してやった。
龍崎さんは副部長に言われて、自分の迂闊さを恥じているようだった。ちょっと落ち込んだ儚い感じがすごく可愛く映る。思わず気になってチラチラ見てしまうが、向こうも僕の事をチラチラ見ていて、お互い視線が合うと気まずくなって視線をそらしてしまう。
またその視線に神味シェフが気付いて、にやにやした顔を僕に向けるのが癪に障る。まるでに神経をゴリゴリとごまの様に擦る雰囲気の中、僕たちは野外活動に向かった。
野尻湖に程近い、公共の山荘に僕たちは到着した。
空は試験が終わった僕たちの心を映すかのように青く、流れる雲は白く穏やかだ。試験の結果だけは相変わらず、宇宙の深淵に落ちていく一歩手前だったが。
僕は宿の庭にようやく組み建て終えたテントの入り口から半身を出して、空を眺めている。野外活動に参加する事になった部員は三十人中二十人と約七割の参加率となり、その内男子はもちろん僕一人だけ。霧咲先生は問題が起きることの無い様、僕をこのテントで宿の庭に宿泊させることにした。
宿の中は女性だけの城・大奥と化していて、そんな中に僕が入っていけるわけがない。
僕は料理の腕を磨く為に家政部に入ったのであって、覗きや夜這いの為に入ったわけでは無いことを、先生や他の部員は解かってくれていると思うが、何しろ高校に入ってまだ4ヶ月だ。不安に思う部員も居るだろうし、逆にそんなところに居たら僕が不安になる。
ところで、庭にはテントが三つある。
一つは霧咲先生と龍崎さんのテントだ。
霧咲先生は僕が邪な発想をして、宿に忍び込まないように見張る為と、それ以外にも邪な外部の人間が居たらいけないということで、警戒の為のテントを張ることとなった。
龍崎さんは急な参加だった事と、正式な部員でない為に同様にテント暮らしとなった。
もう一つは神味シェフのテントだ。シェフは先生だけに警戒させられない、と言ってテント暮らしに参加した。
まあいわゆる『両手に花』状態なのだが、実際のところは二十四時間常時監視体制化での野外活動なので、まるで映画の中の囚人のようだ。
女の子達はそれぞれの部屋に入り、夕飯前のひと時をみんなでくつろいでいるようだ、それぞれの部屋からは楽しそうな笑い声が聞こえてくる。うう、少し寂しいです。
そういえばここに来る電車の中も、副部長に注意されて結局誰とも話す事が出来なくなったのですこし寂しい行程だったのだが、あの後さらにひと騒動あった。
スズメちゃんと亀沢さんのグループはなんとか僕の車両に遊びに来たかったのだが、車両と車両を結ぶドアの前の席に先生と部長・副部長が陣取っていて、通る事が出来なかった。
そこで途中停車したある駅で、一度車両から出て外から周って僕の車両に侵入しようとしたが、停車時間が短くドアが閉まってしまい、危うく置いて行かれそうになってしまった。
僕が窓の外に置いて行かれるスズメちゃんのお団子を発見した時には彼女たちの『待ってぇ~』『置いていかないでぇ~』という悲鳴が駅舎の中にとどろいた時だった。
何とか車掌さんが電車を停車させてスズメちゃんたちは置いて行かれることは無かったが、彼女たちは霧咲先生にこってりと絞られていた。
王虎さんはと言えば、さすがにそこまでの“暴挙?”に出る事はなかったが、時折大さじ二〇杯程度の疑念と詮索の入り混じったあの激辛麻婆豆腐のような視線を通路越しに送ってきた。その表情たるや、たまに視線が合ってしまうと思わず首を振ってしまうほどだった。
しかしそんな電車の中での出来事も、父と二人で世界を旅していた頃には決して味わう事の出来なかった旅の楽しみだ。思わず苦笑いをして空から視線を外す。
ふと見ると、手にお菓子を持った由比副部長がこっちに近付いてくる。
「副部長、散歩ですか?」
「違うわよ、あなたに謝りに来たの。ごめんね、一人で不自由な思いさせて」
手に持ったお菓子を僕に渡す。
「今日のお夜食。夕飯で足りなかったら食べて」
「気を遣って頂いて、有難う御座います」
「君が邪な考えを持つことは無いとは思うんだけど……」
副部長は僕の耳に顔を近付ける。
「逆に他の部員や『覚醒者』が何を考えているか判らないから、君もくれぐれも気をつけてね」
そう言って僕の顔を見てにこっと笑った。いつもの真剣な副部長からは想像も出来ない屈託のない笑顔。
「副部長?!」
副部長の言葉に驚いた。この人は何を知っているんだろうか?
「霧咲先生が顧問をしている部に居るんだから、ある程度の事は知っているわ。あたしは『覚醒者』じゃあないわよ、ただウチの部は結構それなりに長い歴史があるの。この野外活動もね。あたしは副部長になったからには、諸先輩方から受け継いだこの部を守りたいってただそれだけを考えているの」
色んな考えがあるものだ。
「もちろん今は君もウチの部の部員なんだから、出来る限り力になるわ。その代わり……」
「その代わり?」
「他の部員も、龍崎さんや王虎さんと同じくらい面倒見てあげて」
そう言って由比副部長は、いつもの真剣な顔で僕の顔を見た。ただでさえ真面目な雰囲気の副部長の顔がもっと真剣な色を帯びている。
「わかりました。僕に出来ることがあるなら、精一杯頑張ります」
僕が素直に返事をすると、副部長はニコッと笑ってくれた。
「あーっ! 副部長が抜け駆けですかー!」
スズメちゃんと亀沢さんのグループが宿の窓から僕たちを見ていた。
その声を聞きつけて隣の窓から王虎さんも顔を出し、その他の生徒も何人か覗いている。
王虎さんは驚きの中に恨みがましいような表情を加えたような複雑且つ恐ろしい、ここが過去に殺人のあった山荘だったら、その犯人にピッタリの表情をして僕を見ている。
王虎さん、僕が何かしたわけじゃないのにそんな顔で見ないでよ。副部長だって僕に気を遣って来てくれたんだから。
「何言ってるの、一人でテント暮らしじゃかわいそうだからお菓子の差し入れをしたのよ。『抜け駆け』って言うからにはあなたもここに来たかったの?」
副部長の指摘に、スズメちゃんはウグッと言葉に詰まった。どうやら本当にそんな事を考えていたのか? スズメちゃんの横から亀沢さんがさもありなんといった表情で、うんうんとうなずいている。
「雫!」
照れ隠しをするように、スズメちゃんは亀沢さんを責める。
それを聞いた王虎さんのホラーな視線がギロッとスズメちゃんに向いた。
スズメちゃんは王虎さんの視線を受けて一瞬たじろいだが、逆に睨みつけると馬鹿にしたようにアカンベエを返す。援護するように亀沢さんまで舌を出している。
王虎さんとスズメちゃん・亀沢さんはお互い視線が拮抗していたが、副部長が『ウホン!』と咳払いをするとパッと部屋の中に戻ってしまった。
「じゃあ、夕飯を作る時間になったら呼ぶから」
副部長は宿の方に戻って行き、途中で近場を散歩していた霧咲先生と龍崎さんとすれ違う。
「失礼します」
副部長は先生に会釈をして顔を上げると龍崎さんと視線を合わせる。一瞬の間はあったが、龍崎さんは礼儀正しく副部長に軽く会釈をし、副部長は満足そうに微笑んで宿に帰っていった。
◇
翌日、簡単にトーストと卵で作った朝食を早々に済ませた僕たちは、湖を見渡せる山頂に近い空き地を目指して山登りだ。
先生は二〇人を各五人ずつに班分けした。たぶん配慮だろうが、僕・龍崎さん・王虎さんのそれぞれは別の班に振り分けられた。この三人の誰が同じ班になってもトラブルは必至だし、まとめて一班にしても残った二人が脅える事は確実だろう。
スズメちゃんも別の班になったが、亀沢さんは同じ班になった。
まあ亀沢さんは口数も少ないし、おとなしいからトラブルになりそうにはない。班分けが決まったときに、悔しがるスズメちゃんや王虎さんに対してちょっと自慢げに見えたのは気のせいだろうか?
先生・部長・副部長・会計は各班のサポート並びに手伝いだ。各自が持てるだけの食材、あるいは調理器具を持って重い足取りで山を登る。
僕は男だからということで、他の部員よりやや/多少/かなり重い荷物を持って登っている。
同じ様に神味シェフもかなりの荷物を背負っている。その中にオリーブグリーンのセミハードケースも含まれている。あれは?軍隊が使用しているキャリングケースの様だ。
そして霧咲先生は、中からはがさごそ音がしている籐籠の大きな物を担いでいる。
龍崎さんと王虎さんはしっかりした足取りで先頭集団を歩いている。それなりに荷物を持っているのにもかかわらずにだ。しかし山歩きに慣れていない、他の1年生の女子部員たちはそれなりに苦労している。
家政部の野外活動用の服は体操着やジャージの類ではない。各々の好みに合わせたカラフルなカーゴパンツにTシャツ、その上にパンツに合わせたカラーのジャケットを着ている。
一年生の服には何の工夫も見られないが、二年生以上のジャケットやカーゴパンツにはそれぞれが自分の野外活動の役割に合わせた工夫を凝らしている。
ある部員は軍隊式にナイフをリュックのベルトに固定してあったり、専用のまな板をかつぐホルダーがリュックに縫い付けてあったりする。
由比副部長は米軍の榴弾用のベルトをたすき掛けにしている。榴弾の代わりにそこに香辛料のプラスティックボトルが差し込んである。
少し傾斜がきつくなると足元がふらつきよろける一年生もいるが、上級生は決して手を貸さない事を出発前のミィーティングで告げられている。
そのためふらついたり、よろけたりする一年生がいたら他の一年生が支えたり、手を貸す。そうすることで、自然にお互いに対する信頼のようなものが生まれてくる。
この光景だけを見ていると、とても高校生の家政部という活動とは思えない。これは自然という強大な力の中で、人間という動物が生きていこうとする姿勢そのものだ。
由比副部長がこの部を守りたいという気持ちになるのも解る。この部は単なる家庭の作業を教えることだけではなく、家政というものを通じて人間の生きる力を身につけさせようとしている。父が僕に教えてくれた事をこの部は広く生徒に伝えようとしているのだ。
野原についた瞬間、皆は息を切らせて座り込む。しかしその表情は下界でコンクリートの上をせかせか歩いている時とは比べ物にならない程、良い表情をしている。
みんながスポーツドリンクや水などを飲んでくつろいでいると、霧咲先生が自分の荷物を降ろして皆の中心に立った。
「はい、みんな注目! よくみんなこの場所まで登ってきたわね、御苦労さま。さあ、今日のお昼はローストチキンにしましょう」
二・三年生はわっと喜んだが、一年生はローストチキンと言われてもどんな料理か判らないようできょとんとしている。一年生の一人が尋ねる。
「先生、ローストチキンってどんな料理ですか?」
「トリ1匹丸ごと使って、お腹の中に野菜やお米を詰めてダッチオーブンの中で蒸し焼きにするのよ。大地君、ダッチオーブン出して」
ダッチオーブンとは野外活動、キャンプなどで使う鉄製の鍋だ。これ一つで蒸し物・煮物・焼き物・揚げ物等なんでもこなす便利物で、手入れに植物油を塗り込んでいくので、使えば使うほど油で黒光りが出て年季を語る。正に野外活動の経験を示す道具だ。2個を僕が家から持ってきて、1個を先生が1個をシェフが持ってきた。
先生とシェフのダッチオーブンは正に黒光りのする立派なモノで僕のモノなど及びもつかないが、父の物はそれよりも黒光りがして良く磨かれた更に立派な代物だった。さすがに年季が違う。その4個の内2個を僕が運んできた。重すぎますよ、先生。
「さてみんな、もうひと頑張りしてもらいましょうか」
そう言って先生は自分の荷物の籐籠を持ち上げ、地面に置いた。
「食事の前にもう少し運動よ」
そう言って籐籠を開けると、そこには生きた鶏が4匹。
「さあ、みんな……」
先生は籠を持ち上げて言った。嫌な予感がする。
「捕まえないと、お昼ヌキよ!」
そう言って先生が籠をひっくり返すと、驚いた鶏が籠から飛び出す。慌てて駆け出す子、驚いて身動きも出来ない子、反応は様々だ。
僕の班の部員は五人の内、僕を含む四人が鶏を追いかけている。亀沢さんは予想通り身動き一つせず、鶏が逃げていくのをボーッと眺めているだけだ。
足の速い子と僕が、もう一人の子の方に追い詰めていく。
鶏が待ち受ける子をかわそうとして飛び上がったのを、僕はすかさず飛び上がって捕まえた。暴れる鶏を力を込めて抱きしめる。感心したように亀沢さんの拍手が聞こえると、僕の班の部員達は拍手と歓声を上げた。
王虎さんの班は全員が追いかけていた、結構なチームワークと動きだ。
そんな中で王虎さんの動きだけは少し鈍く見える。いや、鈍いというよりも何か自分の動きを無理やり遅くしているように見える。
四人が見事なチームワークで挟み撃ちにしようとしたが、鶏はその動きを読んでいるかの如く、羽ばたいて飛び上がった。挟み撃ちにしようとした四人はお互いが衝突寸前でかわし、地面に転がり込んだ。四人が皆、悪態をつく。
「あぁ、もう!」
鶏が王虎さんの少し横を飛びすぎようとした時、王虎さんがまるで別人のような動きを見せた。鶏の着地点を見越して振り向きざまに飛び掛かり、両手で押さえつける。思わずそのまま噛みつくんじゃないかと思うほどの素早い動き。
ジタバタする鶏を押さえつけながら瞳に異様なギラギラした光を灯していた王虎さんを、同じ班の子たちが怪訝そうに、そして恐る恐る覗き込んで声を掛ける。
「王虎……さん?」
王虎さんは同じ班の女の子たちの視線に気付くと、慌てた様子でいつもの調子に戻った。その時鶏から手を放してしまい、逃げ出そうとした鶏を慌てて他の四人が押さえつける。
龍崎さんの班の鶏が一番かわいそうだ。
龍崎さんの班は彼女を除く四人が鶏を追いかけていたが、龍崎さんはジャージ姿のまま、その辺の石の上に足を組んで立肘をついて座っていた。いわゆる女王様の詰問スタイルだ。
鶏は必死に逃げていたが、たまたま龍崎さんの方へ走って逃げて行ってしまった為に龍崎さんと視線が合ってしまった。蛇に睨まれたカエル、なんてモノじゃない。鶏はぴくりとも動かない。いや動けない。
龍崎さんの班の他の四人も龍崎さんの視線を感じて、ピクリとも動けない。
鶏はだんだん瞳孔が開いてゆき、最後にはとうとう倒れてしまった。
ああ、本能で感じる恐怖に打ちひしがれてしまった鶏に神の御慈悲がありますように。
最後の一匹はスズメちゃんが自分たちのジャケットを脱いで2組に分けて持たせ、一人が追いかけジャケットを持った残りの四人が捕らえるという頭脳プレーだ。さすが知恵者だけの事はある。
捕まえたのはいいが、大事な儀式が待っている。
「先生、本当にやるんですか?」
一年生部員の一人が聞いた。
「ええ、もちろん。生きたままじゃ調理はできないでしょう?」
先生はさらりと言った。そう、これから僕たちは捕らえた鶏を絞めなければならない。
野外活動に参加するにあたり、先生はその事について事前に本人の意思を確認してあった。
日常僕たちは、他の生物を殺して日々の糧を得ていることに対する現実感に乏しい。それは誰かにその行為を任せてしまっているからだ。
鶏を絞めて羽を剝き各部位に切り分ける作業を肉屋さんが労働としてやってくれて、その対価を支払って鳥を買っている事を認識しない限り、自分が殺された肉を食べている事を実感することは難しいだろう。
今回の野外学習は一年生に、自分たちが生きていくためには他の生物を殺して食べている自分達の業を実感してもらうため自分たちで鶏を絞める、あるいはそれを直視することがテーマの一つだった。
とカッコイイことを言っても、今までやったこともない・やるはずもない『自分の手で鶏を絞める』なんて事はおいそれと出来るわけではない。
結局僕の班は僕が、龍崎さんの班は龍崎さんが、スズメちゃんの班は副部長が手本を見せるという事で副部長がやることになり、班員は見ているだけということになった。
王虎さんの班はみんなで押付けあった挙句、ジャンケンで二年生の部員になったのだが『どうしても出来ないの、王虎さんお願い?』と拝まれ結局王虎さんになった。
副部長・僕・龍崎さんの三人は厳かに手を合わせた、しばらく黙祷。王虎さんはまだおろおろと、料理する前に必ず必要な行為を自分がしなければいけない事に戸惑っているように見える。
まず副部長が籠の中の鶏を掴み出し、首と頭を右手と左手で握る。
スズメちゃんの班の部員が見守る中、副部長は何のためらいもなく鶏の首をひねった。
それほど大きくもないが確かに『ゴキッ』という首の骨が折れた音がし『ケウッ』という声と共に鶏は絶命した。
スズメちゃんの班の部員は一様に胸をなでおろしている。これが普通の反応だ。
自分が命を奪うという行為から逃れた時の安堵の表情。しかしそのうちの2人には確かに食べるためには命が奪われるという現実が焼きついたようで、2人は涙を浮かべて鶏を見ていた。
ただしスズメちゃんだけは少し違っていて、なぜかもっとひどく悲しそうな顔をしている。その表情はこれから自分たちが今失われた命を食すという事を深く理解している表情だった。
スズメちゃんの表情を見ていたら、僕は自分が獲物を半矢にした時のことを思い出した。
アフリカで距離二百メートル先のアンテロープを撃った時、急所を外してしまったのだ。
撃った後、着弾点に近づいた僕が見たのは苦しんでいるアンテロープだった。いくら食べる為とはいえ苦しめてはいけない。仕損じた者が責任を持ってとどめを刺さなければならない……僕はライフルを持ち上げる。
アンテロープまでの距離は2メートルもないが、僕は思わず眼を閉じて撃ってしまった。死を目の当たりにする事をためらってしまったのだ。
恐る恐る目を開くと、衝撃波で円く後の付いた枯草……その横でアンテロープはまだもがいて居る。
僕はその時涙を流した。食べる為とはいえ苦痛を与えている事に。
父が僕の背中を叩くとアンテロープに近づいて首に腕をまわし、力をこめてひねる。『ゴキッ』という音と共にアンテロープが力なく倒れる。
涙を流し続けている僕の傍に来て、父は言った。
「お前は彼の苦痛を受け入れなければならない。命の一かけらさえ無駄には出来ないぞ」
僕は涙でグシャグシャになりながら、父の言葉を受け止めた。
先生の説に従えば、そのアンテロープを僕が食べることで僕はアンテロープの苦痛の記憶を受け継ぎ、理解することが食というものの隠れた本質だ。スズメちゃんの涙はその本質を今更ながら理解させられる光景だった。
スズメちゃんは僕の潤んだ視線に気がつくと、顔を拭っていつもの表情を取り戻した。龍崎さんも本気で心配しているような顔で僕の顔を覗き込んでいる。
「ごめん」
龍崎さんに声をかけると、あまりに素直な反応にびっくりした顔で僕を見たが、すぐにいつもの調子でツンと別な方を向く。
僕は鶏を手にとって、首と頭を握り『ごめん』と心で謝りながら首をひねる。
カクッと鶏の首が落ちる。僕の班の部員もやはり興味半分・恐れ半分の様子で見ていたが、鶏が絶命するとやはり安どの表情を見せた。
しかし亀沢さんもまたスズメちゃんと同じように本当に悲しそうな顔を見せている。
この二人は生命を食すという事に対して他の部員以上に敏感なのか?。
その時ふと疑念も湧いた。この二人も『覚醒者』なのでは無いかという疑念が。しかし二人とも見た目は龍崎さんや王虎さんと違って、ごく普通の女の子だ。
今はとりあえず余計な事を考えないようにしておこう。
次は龍崎さんだ。龍崎さんの表情は変わらない、いつもの上品な顔立ちにやや陰りを見せながら鶏を掴む。彼女の鶏はさっき彼女に睨まれて気絶したままで、少しは楽だろう。
しかし彼女は右手で首をつかみ、左手で頭を掴むとそのまま何の躊躇いも無く、への字に『バキッ』と折ってしまった。龍崎さんの班の全員が顔を青ざめさせて龍崎さんを見ている、まるで部下を処刑した秘密組織の首領を見るかのような視線で。
龍崎さんは班の他の部員の視線をものともせず、鶏をまな板の上に置いた。
さて、次は問題の王虎さんの番だ。
僕が視線を移すと、王虎さんは僕の方をうるうるした目で見つめている。いや、僕が代わってあげられる訳じゃなし、そんな視線攻撃をされても……。
龍崎さんがその視線に気がついて『今さらジタバタしないでよ・断るなら断りなさいよ・なに可愛いふりしちゃって』等々の非難の言葉のフレーバーミックスが大さじ五〇杯はこもったきつい一瞥を叩きつけた。
そこまで言わなくても、というけなげな抵抗の表情を見せて王虎さんは意を決して籠から鶏を取った。右手で頭を持ち、左手で首を持つ。
ちゃんと握っているか確かめるように高く挙げてから目線の高さに戻し力を入れた。
しかしなんと云う事だろう、王虎さんが力を入れて首をひねると、頭が首から引きちぎられてしまった! 頸動脈が切れた鶏の首から血が吹き出し、噴水のように広がったその血は王虎さんに降りかかる。
王虎さんがまた泣く! そう心配した僕が近づこうとした時、背中にぞくりと寒気が走った。同じ様に王虎さんの班の部員は勿論、その場にいたみんなも、あの龍崎さんですら唖然として王虎さんを見ていた。
王虎さんは笑っていた……血のシャワーを浴びて血まみれになったその顔は、食事にありつく前の獣の表情そのものだ。
時間が数秒凍りついてしばらくのち、最初に我を取り戻したのは、だれあろう王虎さんその人だった。
彼女は自分が血に汚れたことに今気がついたような顔をして、自分の服を見た。それから僕らを見まわし、言い様も無い驚きと恐怖が張り付いたみんなの表情に気がつくと、ジワッと涙がこみ上げて来て、くしゃくしゃの顔になった。そして突然わっと泣き出すと山道を駈け出した。
部員たちが唖然としている中、先生が僕に言った。
「大地君、王虎さんを追いかけて!」
一瞬戸惑ったが「はい!」と返事をして僕は王虎さんの後を追った。僕は気がつかなかったが、その時龍崎さんも同時に飛び出していた。
こんな山の中に飛び出した王虎さんを探すのに、僕を指名した霧咲先生の指示は的確だ。訳もわからず探したところで自分も迷子になりかねない。
野生の動物を狩るのに使うトラッキングの手法=足跡や動物が通過した痕跡を追っていく事を知っていなければ、王虎さんの通った後を追う事は不可能だ。僕も父に比べれば駆け出しのひよっこだが、人の足跡を追っていくことぐらいは出来る。まして感情にまかせて走って行った王虎さんは動きが直線的で、追うことは簡単だ。
十分も歩いただろうか? 山道から少し離れた川のほとり、滝になって落ちる所に王虎さんは居た。両膝を抱えてうずくまるように座っている。
川で鶏の血を洗い流していたのだろう、頭からずぶ濡れになった彼女のショートヘアーの髪先からしずくが滴り落ちている。
僕は彼女を刺激しないように静かに近付いていく。しかしそんな僕の努力も無駄なようで、先に口を開いたのは彼女の方だった。
「驚いたでしょ? 大地君。あれがあたしのもう一つの顔」
いつもとは違う、凛としたはっきりとした口調。僕は2mくらい後ろで立ち止まった。それ以上は近づいて欲しくないと彼女の背中が言っていたからだ。
「どんなに抑えようとしても、あたしはあの自分を完全に抑えることが出来ない。普段の自分がどんなに普通の女の子で居ようとしても、もう一人の自分が顔を出す。それが嫌で家政部に入って女の子らしい事を身につけようとしたのに、やっぱり駄目だったみたい」
王虎さんが立ち上がった。スラッとした姿が目を引く。
「『覚醒』なんてしなければよかったのに……たまたま手に入った肉をつまみ食いしちゃったらこんな事になっちゃうなんて、本当に運命ってヒドイよね。神様ってヒドイよ……」
王虎さんの声は、だんだんいつものかわいい系の口調に戻っていった。
「そうやって弱いフリをしていれば、本当の自分と向き合わずに済むと思ってるんだ。」
僕の後ろから声がした。いつの間にか龍崎さんが僕の後ろに立っている。
「だって、そうでもしなかったら、あたしが! あたしがあたしらしいって思う自分がわからなくなっちゃいますぅ! あたしは凄い力も、能力もいらない、普通の女の子で居たかったんですぅ」
王虎さんは後ろを向いたまま、また泣き始めた。
「大地君が、どんなにいろいろな物を食べても何も変化が起こらない貴重な人だって聞きました。だからあたしは大地君の体が、力が欲しかったんですぅ。大地君の事を吸収できればもう一人の自分が出て来なくなるんじゃないかと思って……」
「聞いた? 王虎さん、誰から僕が貴重な人間だったなんて聞いたんだ?」
「我々からですよ、大地総司くん」
王虎さんの後、川の対岸から声が掛かった。




