8・“進化の記憶”とハイエナバーガー
次の日クラブ活動は無く、僕は<進化の声>のバイトの日だ。僕は六時限が終わるとさっさとバイトに向かうために校門に向かって歩いていった。
校門の手前に龍崎さんが立っているのが見える。
僕は何か声を掛けようかと思ったが、気の利いた言葉が出てこない。言いかけても言葉が詰まってしまうのがもどかしい。やむなく僕は軽く会釈をしただけで龍崎さんの横を通り過ぎた。その時彼女はいつもの生気に溢れた目ではなく、想いがこもったような潤んだ瞳だった事が僕の心を痛ませた。
「おはようございます……」
小さくつぶやくように挨拶をして裏口をくぐる。昨日あんな事があったばかりなので、声に張りが無い。それよりもスタッフの皆さんとなんて話をすればいいのか解からない。
バックヤードを抜けて厨房に入ると、何かがまるでカーテンのようにぶら下がっていた。
「いいっ?!」
なんと厨房にぶら下がっているのは昨日転がっていたハイエナだった。体を開腹されてハラワタを抜き出した状態で皮を剥がれて厨房に吊るされている。その中でスタッフの皆さんが下ごしらえの準備をしている。肉は血抜きをされて薄く切られ、流水で綺麗に洗われている。
僕に気付いた竹内さんが顔を上げた。
「よう総司君、昨日は大変だったなぁ」
まるで運動会があったぐらいの陽気さで僕に声を掛ける。
「た、竹内さん、これは?」
ハイエナの皮のカーテンを前にして僕は竹内さんに尋ねた。
「見ての通り料理しているのさ」
「りょ、料理って……ハイエナの肉って何の料理に使うんですか?!」
「ああ、サウジアラビアとかじゃ、タルタルステーキ……ハンバーグだな。ハラルミートとしてアラブ諸国じゃ確立しているんだ」
「へ、へえええ……凄いですね……」
「色々聞きたいことがあるのはわかっている、シェフの部屋に行ってきなさい。シェフが待っているよ。ああそうそう、今日はシフトに入らなくていいそうだから、ゆっくり話しておいで」
「はい」
竹内さんの様子から、ここのスタッフがこういう事を今まで何度もしてきているというのはすぐに判った。みな落ち着いて自分の仕事をやっている。その厳格なまでのプロ根性に感心を通り越して驚愕してしまう。
僕はスタッフの皆さんに挨拶をしてレストランの二階にあるシェフの私室へ向かった。入り口の前で緊張しているのが判り、躊躇したが意を決して扉をノックする。
「はーい」
軟体動物バージョンの明るい声だ。
「失礼します……うわっ?!」
入った瞬間、僕はすぐに声を上げてしまった……レストランの二階は剥製博物館だった。
いや、剥製だけではなく、骨格標本も虫の展示標本もある。ありとあらゆる生き物の標本の一部がそこに有るかのようだった。
「あら、そんなに驚く事は無いんじゃない? 君の体はこの部屋と殆ど同じといえるんだから」
「…………」
「まあ掛けなさいよ、ゆっくり説明してあげるから」
用意のいい事にシェフのデスクの前にポツンと椅子が置いてあり、シェフは立派なマホガニー製のデスクの後ろに座ってやさしいまなざしで僕を見つめている。
僕が思わず息をのんでいると、シェフはゆっくり口を開いた。
「姉さんから『覚醒者』の事は聞いたと思うけど、理解できたかしら?」
「実際に目の前で龍崎さんが恐竜に変化するのを見たら、信じるしかないじゃないですか」
僕はシェフの机の前の椅子に腰かける。
「シェフは知っていたんですか? 僕の体のことを……」
「大体の事はね。君がレックスの足の爪の化石に魅かれてこの店に入ってきた時には、只の高校生じゃないと目星をつけたけど……まさか君が大地総司本人だったとは思わなかったわ」
「あれは化石だったんですか……」
「そう、貴重なティラノサウルス=レックスの爪。君が龍崎さんとデートした日のスペシャルメニューね」
「デートじゃないです」
「まあいいじゃない、若いっていいわね~。お互いまっすぐで」
「教えて下さい。霧咲先生が遺伝子の蓄積によって『覚醒』した人たちの組織の一員である事は解りました。そして『覚醒者』を守りたい、という事も。それでいったいシェフは何者なんですか? やっぱり先生と同じで『覚醒者』を守るために……」
そこまで言って、さっきの厨房の内部がフラッシュバックされた。
吊るされ料理されるハイエナ、狩屋先輩の『食べられてしまうよ』の言葉……僕は無意識にじりっと一歩下がる。
「大丈夫よ、総司君。あたし達は君を食べようとなんて思ってないわ、食人鬼じゃないんだし。狩った獲物を食べる、それがハンターの基本でしょ」
ハンター……その言葉が妙に僕の心に響いた。そうだ、始めてこの店を覗いた時感じた印象、このレストランはフランスやイギリスにある一流のジビエの専門店そのものだった。
普通のレストランとは違い野趣にあふれた素材、そしてその素材を大事にする姿勢、それは、気高くプライドに満ちた大人の世界だった。
「前にも言ったでしょう、人には人それぞれの役割があると。あたしも姉さんと同じ『進化の環』のメンバーよ。姉さんの役割が『食育』という食事についての文化を守ることが役割だとしたら、あたしの役割はまず『覚醒者』に欠かせない、美味しい自然な食事を提供する事が一つなの。あの食事会を思い出して?。世の中には『覚醒者』になりたくてなる人もいれば、なりたくなくてもなってしまう人もいる。でも体は、食欲は今までの支配される為の食事を受けつけ難くなる。そんな人たちにあたしの食事を食べてもらえる事が、何よりの喜びね」
「喜び……」
「総司君、以前あたしにこの店の名前の由来を聞いたでしょう?。この店の名前〈進化の声〉は食事の中に含まれている遺伝子の声の事よ。〈進化の声〉を聞き〝進化の記憶〟を蘇らせる。それがあたしの表の役割」
「表?」
「そう、あたしには他にも役割がある。それが昨日と今日行われている事よ」
「え?」
「『覚醒者』と一般社会の間のバランスを乱す、アウトローや組織の連中を狩る事よ」
「狩る?」
「後始末の方が多いけどね。『覚醒者』の戦いは昨日見たでしょう? もしあれを放っておいたらどうなると思う? 学校の校庭に現われるティラノサウルス! 累々と積み上げられたハイエナの死体! 間違いなくマスコミ沙汰になるし、ヘタすれば『覚醒者』の正体がばれて『覚醒者』は異端視されて動物園行きね。『覚醒者』もバカじゃないからそんなあからさまな事はそうめったには無いけど、時にはやりすぎるバカもいるから」
「…………」
「それにいくら『覚醒者』といっても、所詮は人間とそのエクトプラズムをベースにした生身の生物だからね、銃や刃物には弱いから覚醒者同士のもめ事は武器厳禁なの。でもたまに武器を使ったり武器を使う人間に依頼したりする奴もいるから、そういう奴を見つけて排除するのも私の役目」
「排除って……それは……」
先生は右手を挙げて僕の言葉を制した。
「その先は想像に任せるわ。でも覚醒者の場合は〝進化の記憶〟の姿の方を倒せばいいから、あなたの思うような最悪の結果になることは少ないわ」
その時疑問が浮かんだ、校庭に転がるハイエナとその『覚醒者』……。
「そういえば昨日のあの光景はどういうことですか? 龍崎さんのティラノサウルスに食べられたり踏みつけられたりしたあと、人間とハイエナの体に別れて倒れていましたよね?」
「エクトプラズムで再現された〝進化の記憶〟の姿が、何らかの力で『殺された』場合、〝進化の記憶〟の姿の方が死に、その屍は実体化されたまま体から離れる。〝進化の記憶〟の姿は“憑依”に近い形で行われているから、本体である人間が死ぬ事は無いわ。ただし今まで積み上げた〝進化の記憶〟の力を失ってしまうから、また振り出しに戻る。つまり『覚醒者』になる前に戻ってしまうわね。あたし達はそれを『俗化』と呼んでいるわ」
「…………」
「『俗化』すると、覚醒者だった頃の記憶や経験はすっぽり落ちる……記憶喪失になってしまうの。『覚醒者』になったとき、記憶は〝進化の記憶〟に蓄積される。その〝進化の記憶〟が死んでしまったら、その時までの記憶は失われてしまうわけ」
「元の体は……『俗化』した人たちはあの後どうなったんですか」
「学校の道を挟んだ反対側に病院があるでしょう?。真命病院って」
「まさか? あれも?。」
「そう、組織の持ち物よ。あそこに連れて行かれて『一部の記憶は戻らない』って言われて真命高校から出て普通の高校に行くだけ。『覚醒者』としての記憶は無くとも、普通に人間としての知識は失ってないから1年もすれば一年落第ぐらいで普通の学校に行けるようにはなるわ」
「分離したエクトプラズムの方はどうなるんですか?」
「街中にハイエナの死体が山と積まれているなんてことはあり得ないでしょう? あり得ない生物の死体を隠すのに一番いい方法は?」
いたずらっぽくシェフが微笑む。
「まさか……食べてしまう?」
「大当たりー!! トレビア~ン!!」
「……(おいおい)」
「世の中には新鮮な〝進化の記憶〟本体を食べたい『覚醒者』はたくさんいるわ。混じりっ気無しの〝進化の記憶〟のDNAを含んだものよ? 栄養満点、DNA満点の自然食よ!」
シェフはあのマッド・サイエンティストのような満面の笑みを浮かべている。
なんて事だ! 今まで僕が出した料理の中にもそういうモノが含まれて居たに違いない。
全く、『覚醒者』なんて呼び名はまるで預言者か真理に目覚めた哲学者のように聞こえるが何のことは無い、死んでしまえば他の生き物のエサになってしまう。
僕がもっと驚いたのは『覚醒者』のそのサイクルが自然の摂理から外れる事の無い事だ。普通に食物として食べられ消化吸収され、誰かの覚醒の為に蓄積されていく……。
しかし僕にはもう一つ大事な質問があった、それを忘れるわけにはいかない。
「シェフ、でもなぜシェフ達は僕を守ってくれるんですか? 先生は僕の体にほぼ全ての生物の遺伝子が息づいている事が判っている、いつかいずれかの生物が覚醒し『覚醒者』になるはずだ、と言われました。でもまだ『覚醒者』になっていないのになぜ僕を?」
「君を放っておいて他の組織の好き勝手されたくない、というのも理由の一つだけどね」
と前置きをして、いきなりクネクネっとした動きをしたかと思うとこう言い放った。
「だってぇ~、誰だってどんな宝物が入っているか判らないビックリ箱は、手元に置いておいてその箱がハジけるところが見たいでしょ?」
「あ、ああああああああ!」
パンパカパーン!と派手なファンファーレと共にくす玉が割れて紙吹雪が舞う中を、ド派手な宝箱がパカーンと割れて、中から出現したのは僕だったと?
その時僕は確かに理解した! 他の人の思惑、ハイエナを遣わした連中や龍崎さんの意図はよく判らなくとも、この人が考えている事は!
「シェフ、僕を雇ったのはそのビックリ箱が開くところを見たいが為だったんですね!」
「だってぇ~こんな面白そうなコト、なかなか無いのよ~。じっくり観察したいじゃない~」
「いろいろ食べさせてくれたのも! 破格の時給で雇ったのも!」
「テヘ」
可愛く笑ってももう誤魔化されないぞ、僕は。先生に『女の子の本音が見抜けるようになるのはまだまだ先ね』などと言われたが、このマッド・サイエンティストならぬマッド・シェフの本音は見事に見抜いたぞ!
……女の子じゃないけど。
「なに?」
僕も読まれたか? しかし僕はもうカバンを掴んで部屋を出ようとしていた処だった。
「いろいろお世話になりました。ここでビックリ箱を開けて、そのままシェフの鍋に投げ込まれるのは御免です。失礼します」
後ろ手にドアを閉めようとした僕にシェフが声を架ける。
「大地君!」
「なんですか!」
「〝進化の記憶〟が現れた時は呼んでね、お湯を沸かして待っているから」
僕は思いっきりドアを閉めた。バタバタと二階から降りて行くと、竹内さんが居た。
「失礼します」
挨拶をして裏口から出て行こうとする僕の肩に、竹内さんが手を掛けた。
「大地君、まあ待てよ。シェフにどう言われたか知らないけど、シェフを始め僕たちは本当に君の事を気に掛けているんだ」
「……僕を食べる為ですか」
「あははははは! まあ、そういう心配をする気にもなるかもしれないが、ここでの第一の仕事は美味しい料理を作って出すこと。そのためには料理のバランスを崩さないようにする事が一番大事なんだ。何でもかんでも珍しいからと言って、すぐに食べるわけにはいかないだろう? もしかすると毒が入っているかもしれない、あるいは食べられないモノかもしれない。まだ君はどちらとも判らないんだ。そんな段階で変な心配をしない方がいい。まあ落ち着いたらまたおいで」
僕は竹内さんをじっと見た。少なくとも竹内さんは生真面目な人なので、この言葉にウソは無いだろう。でも今は自分の身のことに対する考えをまとめたい。
「有難う御座います。……でも今日は失礼します」
「うん、わかった」
そう言ってくれた竹内さんに会釈をして僕は裏口を出た。僕は自分がビックリ箱なのだと云う事を、自分の中でどう整理をつけたものかと考えながら歩き始めた。そんな僕の目に凛とした視線を向ける人物が飛び込んできた。
龍崎さんだ。
しかし今の僕には、彼女をまともに見る元気が無かった。視線をそらし、軽く会釈をして彼女の横を通り過ぎて家へと歩く。彼女がついて来ている気配がする。ちらっと後ろを見ると視線をそらしたまま僕のあとをついて来ている。
僕が立ち止まって振り返ると、彼女も立ち止まり変な方を見ている。何度か立ち止まり振り返ることを繰り返すたびに、彼女はありえない方向を向いて誤魔化す。何かその子供っぽい仕草が可愛い気がした…おっとっと、これも彼女の作戦かもしれない。気をつけなければ……。
とうとう僕は彼女の前に歩いて行った。
「何でついて来るんですか?」
「いいじゃない、ここは一般道でしょ? 誰が歩いてたって問題ないわ」
「龍崎さんも、僕のビックリ箱が弾けるのが見たいのか?」
「関係ないわ。『覚醒者』に違いない、なんて言われたって何も出てこないんじゃ誰だってガッカリでしょうね」
僕はふてくされて歩き出す。
「悪かったね、ガッカリさせて。君達みたいに顕現させる力は僕には無いんだ。だから僕に構わないでくれ」
そう言って歩き続ける。
龍崎さんも本当にガッカリしたようだったが、それでも僕についてくる。僕はまた立ち止まって振り返ると尋ねた。
「いつまで僕について来るんだ?」
人通りが少ない住宅街とは言え、人通りが無いわけじゃない。こんな痴話喧嘩にしか見えない事を夕方の街中でしている僕はどう見られているだろうか?。
居たたまれなくなって僕は自然に彼女の手を取って、近くの公園に駆け込んだ。立ち止まって彼女を見つめる。
「僕の〝進化の記憶〟を食うのが望みか? ならここで僕を食ってしまえばいいじゃないか!」
彼女は僕の手を振り払い、凛とした目で僕を見返す。
「……違う」
声に憂いを帯びていてもあくまで口調は凛としている。
「……解かってもらえないかもしれないけれど、あたしはそんなことの為にここにいるんじゃない。あたしがあなたに期待していることは違うわ。」
「じゃあなんだっていうんだ?」
「確かに、初めはあなたがどんな姿を覚醒させるのかに興味があったわ。話を聞くだけでも私よりはるかに多くの食材に接している君だもの、どんな姿が出てくるか想像もつかなかったから。それがもしあたしの〝進化の記憶〟の姿よりも前の〝原初の存在〟に近い姿だったら、その姿をちょっとでもいいから『かじらせて』もらいたかったの。〝原初の存在〟により近いものを『食べて』『育む』ことによってあたしたち『覚醒者』は覚醒した存在を真の姿に近付ける事が出来るらしいから」
えええええ、かじる? それに?
「〝原初の存在〟?」
「あたしも詳しくは知らないけど、生物のルーツに近付くことらしいの。まだそんなに多くの人が見たわけでは無いらしいけど、それは生物が存在する根源に行き着く事に他ならない……。〝原初の存在〟に近い人の〝進化の記憶〟を『食べて』、その人の遺伝子情報を自分の中で『育めば』更に過去の姿に遡れるらしいの」
「…………」
「始めてあなたの事を知った頃は、あたしは自分の原初の姿が見てみたかった、ただそれだけだった。でもあなたに実際に会ってから……今はちょっと違うの」
「何が違うんだい?」
「……解かって欲しいの。あたし自身の事、あたしの〝進化の記憶〟の事。両方併せたあたしの事を」
「……何を言っているのかよく解からない。君は僕と同じ高校に通う、ティラノサウルスを〝進化の記憶〟に持つ『覚醒者』だって事は解かっているよ。それ以上君の事の何を解かれって言うんだ?!」
「…………」
彼女はそれでも凛とした目で僕を見つめている。しかしその目から一筋の涙が流れた。
「そういう事じゃ……そういう事じゃないの」
その涙に僕は意表を衝かれた。これだけの力を持つ彼女、家が裕福な実業家で、頭がよく、その上『覚醒者』で、『覚醒者』の中でも滅多に覚醒しないティラノサウルスの『顕現者』、その彼女が理解して欲しいことは何だろう?
不覚にも僕は彼女の事をもっと知りたい衝動に駆られた。しかしその時の僕は自分がビックリ箱として皆の興味の対象であることに不満がたまっていた。自分で自分の考えがまとめられない。
「ごめん……」
僕は龍崎さんに背を向けて歩き出していた、その後ろを彼女がついてくる。
傍から見たら僕は彼女を泣かせている嫌なヤツに見えるに違いない。特盛りの自己嫌悪を感じる。結局彼女は僕の家までついて来て、僕が家に入って10秒ほど家の前に立っていたが、やがて踵を返して帰っていった。
夕飯時に鹿肉のたたきを食べながら、父は龍崎さんの事を僕に説く。
「あの涙はいただけないな、総司」
「…………」
「何があったか知らんが、無視するっていうのは最低だ」
「…………」
「無視するって事は相手を自分と別な世界に無理に切り離す行為だ。だがどうやっても相手も自分も結局は同じ世界の中で生きている」
「……じゃあどうすればいいんだよ」
「猟と同じだ。相手の生きる存在を感じる事だ。相手の生きる存在を感じることが出来なければ、獲物を得ることは出来ない。彼女が理解して欲しい、っていうならまず理解して欲しい彼女自体の存在を感じる事だ。見た目に誤魔化されるなよ、目で見えることだけが全てじゃない。それがどんなに大きな事でもな」
父の言う事ももっともだ。無視するなんていうのは子供っぽいやり方だとつくづく感じていた。しかしそう言われても僕は自分のビックリ箱的存在と、父に言われた龍崎さんに感じるべき存在の両方を掴みあぐねている。
◇
翌日学校に行ってからもその事を考え続けていた僕は、『溺れる者は藁をも掴む』のことわざ通り無駄かと思っても削生に聞いてみようとさえも思った。あくまで遠回しにだが。
そんな心配は無用で、削生の方から話をふって来た。
削生と僕は食堂に居た。僕は弁当だが、削生は持ってきていないからだ。食堂で福神漬けを山盛り盛ったカツカレーを食いながら、削生が言った。
「お前、今度は龍崎さんを泣かしたんだって?」
「誰から聞いた?」
少したじろぎながら僕。
「誰だっていいんだよ、問題はお前があの龍崎さんを泣かした、って言う事実だ。おまえ、よく殺気とか感じないな。オレはこうしてお前と飯を食っているだけだが、お前に向けられた色んな感情をまるで集中砲火のように感じるぞ」
「ああ、そうだろうな」
救いは何があったか誰も本当の事を知らない事だ。なぜ龍崎さんが僕の前で泣いたのか、その理由が判らないうちは誰も僕に何も言ってこないだろう
僕は削生に思っている事を聞こうと思ったが、その前に確認しておく事があった。
「削生、お前自分の〝進化の記憶〟って知っているか?」
何はともあれ、僕に近付いてくる人間は皆〝進化の記憶〟絡みだ。このクラスで最初に声を掛けてきた削生が関係ないとは言い切れないし、いちいち調べるわけにも行かない。一介の高校生には荷が重過ぎだ。しかし真正面から突然聞かれたらどう答えるのか、試してみた。
「……なんだそりゃ?」
「お前の遠い、人間になる前のご先祖様が何か知ってるか?って事だよ」
そう問われて削生は微妙な顔を見せた。その表情は『なに言ってんだ』と『どこまで気が付いているんだ。』の中間。しかし出てきた言葉はある意味当たり障りが無く、ふざけた返事。
「突き詰めていけば、ミトコンドリアに行き着くだろうな。それがどうかしたか?」
「……いや、いい。変なこと聞いて悪かった」
疑いが晴れたわけではないが疑うべき理由も無い。取り敢えずその件は置いといて本題だ。
「削生」
「なんだよ」
「相手を感じるって難しいな」
「? はあ? なんだそりゃ? 猟の話か?サバイバルゲームの話か?」
ああ、まさにサバイバルゲームの様相になってきた、僕の遺伝子と〝進化の記憶〟を賭けた。
少し考えた雰囲気のあと、削生はスプーンを自分の右目にスコープのように構えて、
「例えばだ、4倍のスコープが付いた銃でターゲットを狙うとする。銃を撃った事の無い奴は、4倍に大きくなったターゲットを見て当てられるような気がする。でも4倍になったのはスコープの中の見てくれだけで、実際に4倍に大きくなったわけじゃない。ターゲットが一〇センチなら一〇センチのままだ。ましてや4倍に大きくなるのは像だけじゃなくて、自分がミスすればそのミスも大きくなる。4倍になったスコープの中で照準が一センチずれれば100メートル先で約四センチずれる、そうだろ」
「そうだな」
「命中させるコツはターゲットがスコープの中で4倍になった像に惑わされず、実際の的の存在をちゃんと感じる事だ。実際に弾が飛んで行くのは、見た目『だけ』が4倍になっている的じゃあなく、照準の先に存在する現実の大きさが一〇センチの的だ。それが解っていなけりゃ当てる事なんか出来っこない、違うか?」
僕は思わず頷いていた……面白いことをいう奴だ、『的の存在を感じる』という射撃の話で僕の質問に対する答を出すなんて。
「削生」
「なんだよ、俺の熱弁に感じ入ったか?」
「まさにそうだよ、僕はお前の説明に一筋の光を見たよ」
「そうか! それはそれは!」
本当にうれしそうに削生はにやける。
「じゃあお前、こんどここの一番高いステーキライスをおごれよ」
「そのぐらいで済むなら安いものだよ」
削生の説明は間違っていない。いくらエクトプラズムをティラノサウルスに出来るとはいえ、龍崎さん本人が変わるわけじゃない。僕はティラノサウルスにショックを受けて、一人の女の子としての龍崎さんを理解しようと考えなかった。
しかしそこでまたハタと考えが停まった。しかし一人の女の子としての龍崎さんは、僕に何を理解してもらいたいのか? それは彼女から感じるしかないことだ。でも僕は彼女を無視することで、傷つけてしまった。
あああ! 弁当が自己嫌悪の苦い味を大さじ50杯は振りかけたようなとんでもない味に感じる。もう少し、もう少しでも優しく接していれば、彼女の理解して欲しいことが解かったのかも知れないのに!
しかし事態は僕が考えている以上に前向きに進んでいた。




