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6・『Une voix de l'évolution』〈進化の声〉と奇妙な夕食会

 さて、『Une voix de l'évolution』〈進化の声〉でのアルバイトも決まり、僕の一週間はさらに充実した物になった。月・水・金は家政部の朝練と部活動、火・木・土は〈進化の声〉のアルバイトが入っている。


 『Une voix de l'évolution』とフランス語で店名を言っても必ず意味を聞き返されるのがオチなので、バイト先を聞かれた時は日本語で〈進化の声〉というようにしている。


 しかし不思議な店名だ。バイト先を聞かれて店の名前を答えると『なんでそんな名前なのか?』とか『どういう意味があるのか?』と必ず聞かれる。


 確かにレストランの名前としては不思議な名前だ。いろいろ考えたが、やはり判らないので何度かシェフに尋ねたことがあるが『そのうち解るわよ。』とはぐらかされた。


 しかし本格的な料理の勉強も出来て、お金はファミレスの3倍も稼げると言う2度おいしいバイトだ。余計な事を考えて悩んでいてもしょうがないので、今は店の名前の事には触れずにいる。それよりも稼いだお金の1/3が父の変な食材に消えてしまう方がよっぽど頭の痛い問題だから。


 店には五時半には来て、とシェフに言われたが少しでも多くの事を教えてもらう為に五時には店に入った。早く行ける時にはもっと早く店に行く。まだ皿洗いや鍋・ズンドウの洗浄、調理場の清掃や衛生(消毒や道具の手入れ)が仕事の中心だが、早く行けば竹内さんに給仕の方法や料理の出し方を教えてもらえた。


 〈進化の声〉では食材は厳選している。こだわりのレストランなら当然だろうが、どちらかと言えば食材に関してはウチの食材に近い。有機野菜や天然野菜は当然、肉も魚も出来る限り天然もの、虫や爬虫類や深海魚も当たり前の様にメニューに入る。部位も内臓はもちろん脳や頬などはもちろん、……あの……その……いわゆる大事な部分も入っていたりする……。それはどんな部位も無駄にしないという、食材となった生物に対する礼儀であり同時に料理本来の姿なのだが……ちょっと恥ずかしい気がしてしまう……。


 鍋やズンドウは洗浄する前にソースの残りがあれば必ず味見してみる。〈進化の声〉では長く作り置きはしないのでおなかを壊す様な事はない。そうやって味を盗んでは家で同じ味を再現しようといろいろ調理方法を試している。


 取り越し苦労だったのは神味シェフの僕に対する態度で、営業中の店ではまさに一流と言われるシェフだけあって仕事に邁進しており、僕にクネクネと絡みつく様な事は無かった。逆に鋭い指示を受けてタジタジになってしまう。


 このお店の人たちは僕にすごく良くしてくれる。若いからと学生だからと侮らず、教える事は教え、鍛えるべきところは鍛える。それは自然の中で生きる事とおなじだ。

家政部で料理の基本的な事を学び、次の日に一流レストランでバイトをして料理について学ぶという僕にとって理想的なスケジュールが続き、僕は幸せを感じていた。


    ◇


 ある日、〈進化の声〉にバイトに行くとシェフと竹内さんが今まで見た事のない顔をして、相談事をしている光景に出くわした。思わず厨房に入るのをためらうほどで、二匹の龍が今にも戦い始めるのではないかという雰囲気だった。


 おそるおそる、ためらいがちに挨拶をする。


「お、お早うございます……」

「あら、大地くんお早う。今日も早いわね」


 僕の方を振り向いたシェフは、いつもと全く変わらない顔で挨拶を返してくれた。しかし先ほどまでのピリピリした雰囲気が、おでこの血管に張り付いている感じがする。


「どうしたんですか? 何か問題でも?」

「ううん、問題があるわけじゃないの。大地くんにも関係あるけど、来週の土曜日に〝特別な夕食会〟があるの」

「〝特別な夕食会〟?」

「そう。そこで出すメニューの相談をしていたのよ」


 それを聞いて僕の胸は少し躍った。特別な夕食会、しかもシェフが眉間にしわを寄せるほどメニューを悩ますような夕食会なのだ!


「でもそんな時に、僕でもお役に立てるんでしょうか?」

「それどころか、今まで教えた事をフルに使ってもらわなければいけない、それほどの夕食会だと思ってくれよ」


 あの気さくな竹内さんがピリピリしている……そ、そんな凄い夕食会なのか?


「大地くん、前日はちゃんとお風呂に入って、頭も洗ってちゃんとしてきてね。学校の女の子とイチャイチャした後なんかに来ちゃだめよ、出来れば滝で身を清めてきてくれるくらいがいいわね」

「そこまでさせますか!」


 シェフはいたずらっぽくニコッと笑った。


「その日は絶対休んじゃダメよ。本当に大事な日だからね」


 シェフは僕に人差指を突き付けて強調する。僕の様な下積みのアルバイトすら休む事も許されない〝特別な夕食会〟!


 一体全体どんな夕食会なのだろうか? 僕は期待と不安が入り交った気持ちでその日を待つ事になった。


   ◇

 

 さて今日は〝特別な夕食会〟の当日。


「総司くん、今日はホールを手伝ってもらうわ、覚悟はいい?」


 シェフに念を押される。


「はい、頑張ります」


 この〝特別な夕食会〟をこなすにはホールの人数が足りず、下積みの僕もサービス要員として駆り出されてそこにいた。お皿の上げ下げぐらいは今の僕にもなんとか出来る。竹内さんの指導の成果をみせる時だ。


 ホールに出てみると、店の雰囲気は全く別なモノになっていた。


 電気が消され、ろうそくの明かりのみで照らされた中で行われている異様な夕食会。


 ある団体が月に一度〈進化の声〉を借り切って行うその夕食会は、人生経験わずか十六年の僕から見てもとても普通には見えなかった。


 その夕食会の雰囲気は『荘厳』とも『異様』とも言えた。あえて言うなら夕食会ではなく、『儀式』と言う方がふさわしい。


 お客は老若男女を問わなかった。男性は身なりもちゃんとして高そうなスーツを着ている紳士から、TVでコマーシャルしている3着で幾らという感じのスーツの人、カジュアルな服を着て頭を金色に染めた人もいる。

 女性も同じように他種多彩な色を放っている。高価な宝石を身につけている年配の女性もいれば、ジーンズをはいた活発そうな女性、まだ幼い小学生前半と思われる女の子もいる。


 そんな色とりどりな世界を想像させる、五十名近い男女が黙々と薄暗いレストランで食事を進めるこの風景に、僕は強烈な違和感を感じた。


 みな一言もしゃべる事もなく、会話はない。ただ皿とフォーク・ナイフ・スプーン・箸が当たるカチャカチャという音が響くだけだ。


 時たまそこかしこで唸り声ともなんとも形容しがたい声が微かにするが、それもすぐにおさまる。


今日のメニューは

・オウムガイのマリネ

・ウミガメのスープ

・リュウグウノツカイのムニエル


 そしてメインディッシュは氷漬けだったマンモスのステーキ。


 このメニューの食材は僕と父の食事の上を行く!


 オウムガイやウミガメ、リュウグウノツカイですらどこで手に入れるか解らないのに、さらに氷漬けだったマンモスのステーキ!。


 一体だれがどこで見つけ、デリバリーしてくるというのだろう? 僕の頭に浮かぶそんな疑問すらそんなに大した事では無い、そういうメニューを食す事が当たり前だというの雰囲気がこの夕食会にはある。


 さて夕食会も佳境に入り、いよいよメインディッシュの登場だ、店内は不思議な期待に満ち溢れた雰囲気に包まれる。


 待ちきれないという期待が、レストラン内で破裂しそうなぐらいに膨らんでいるのがわかる。


「大地くん、このお皿を六番・七番テーブルに運んでちょうだい」

「ウィ!」


 僕は料理の載った皿を持ち上げる。左手に2枚、右手に1枚。熱したお皿を素手で運ぶので腕に乗る皿が熱い、それでも優雅に給仕しなければいけない。六番テーブルに料理を置いて厨房に戻り、また料理を持って七番テーブルに運ぶ。


「お待たせしました」


 軽く会釈をして顔を上げた僕の目に入ったのは…


 ウチの学校の紫のブレザーの制服に、肩まで伸びた限りなく黒に近い濃紺の髪。


 その長く伸びた髪をまとめ上げる、校内どこにいても発見できるほどの巨大なリボン。


 生命の躍動感の中に美と力をギュッと凝縮し、なにか別の生物の生命力をも封じ込んだような輝きを持つ目と、他者を恐怖に陥れる事も出来る強力な力に裏打ちされたあの視線。


 すれ違う人間は思わず目を向けるに違いないほどの、削生をして『超絶世美女』と言わしめる一年生の中で間違いなくトップクラスの美女。


 龍崎由樹さんが今、目の前に座っている。


 僕は努めて冷静を装い、龍崎さんの前に料理を置く。龍崎さんは料理に目もくれず、あの強烈な視線で僕の事を見ている。


 その視線に打ち倒されそうになった時はっと気付いた、ホールにいる全てのお客さん全てがこっちを見ている。こっち、と言う曖昧な方向じゃない、僕を見ている。


 今まで儀式のように静かに厳かに食事をしていた、店内全てのお客さんが僕を見ている。


 その視線はすごく色々な感じがする。


 憧れ・友好・嫉妬・敵意……ありとあらゆる感情が視線に乗せられて飛んでくる。もっとも異質な感じは……


『食欲』


 そう、まるでそこに最上等の料理があるかのような視線、そしてその視線は龍崎さんと同じ様な、活力と生に溢れている。


 上座に座っている男性がわざとらしく咳払いをする。すると一つ一つ徐々に視線が外れていくのが判る。店はまた前の厳かな儀式の世界に戻った。気が付くと、龍崎さんも僕を見ないで料理に手を出している。


 思わずため息が出そうだがホールで自分を出すことは許されない、丁寧に歩を進め、バックヤードに戻ると長いため息をつく。


「ふはぁぁぁぁぁぁ~」


 なぜ龍崎さんがこの夕食会へ?そんな疑問が頭に浮かんだ時、


「ふふ、ごくろうさん」


 刀子シェフが横に立っていた。


「あ、シェフ」

「よく耐えたわね、緊張感を切らすことなくこの夕食会を過ごすのは至難の業よ」

「いえ、この会の雰囲気は僕は好きです。なんていうか、こう自分の生きるルーツを探るって言うか……そう、このお店の名前どおり〈進化の声〉を聞くような感じが好きなんです」

「そう、それは素晴らしいセンスよ、トレビア~ン」


 また軟体動物だ。


「総司君、きょうは良く働いてくれたから、また二人で『アレ』しましょ」

「え、…そ、そんな…いいですよ」

「いいのよ。終わったらバックヤードで待ってて」


 そう言うと、シェフは最後のデザートの準備をするためにキッチンに入っていった。


「総司くん、もう一踏ん張りだ」


 竹内さんが僕に喝を入れる。


「はい」


 龍崎さんの事は取り敢えず心の中に収め、僕はデザートを運ぶ為に再び厨房に向かった。


     ◇


 奇妙な夕食会が終わった後、ホールの片隅に僕とシェフは2人きりでいた。


「シェフ、そ、そんなに入れちゃ……」

「ふふふ、総司くんなら特別よ、もっと入れちゃおうかしら?」

「ア…そ、そんなに入れちゃ……」

「遠慮する事ないのよ。さあ、手をどけて……」


 シェフが例の石の黒い部分を削って、スープに入れている。


 僕はその粉の入ったスープを頂くのだが、かなり貴重な物だと解るのでもったいない気がして、シェフの行動を止めるのに一苦労だ。


 まあ本当にめったにない事だが、シェフは予約のキャンセルがあったりして食材や料理が余ると、そのうちの何品かを『料理のスタンダード=料理の正しい状態』を知るためと言って食べさせてくれるようになった。本当においしい料理です、とせっかく感動しているのにそういう時に限ってシェフはクネクネと僕に絡みついたりする。


 更に最近は僕が遅くまで働いた時や、今日のようにホールを手伝った時にはこの特製スープを奢ってくれる。


 竹内さんが言うにはこのスープは本当に特別で、シェフは一部の人にしかこのスープを出すことがないそうだ。そんな大事な原料のスープをタダで頂くのはなんとももったいない事だ。


 気持ちの上ではなく、何か心の奥底からもったいないと悲しく思えるのだ。なんだろう、石の黒い部分が削られる時に感じる何か罪深いようなこの気持ちは。


「さあ、どうぞ~」


 シェフが僕を促す。


 熱々のウミガメのコンソメスープに、例の黒い勾玉を削った粉を入れて煮込んだ皿が目の前に置かれている。


 ウミガメはシェフの友人が養殖している所から届けられていると聞いたが、父が聞いたら絶対『俺にもよこせ』と言って聞かないことだろう。


「いただきます」


 シェフに一声かけて、本物の銀製のスープスプーンでひとさじすくい、口に運ぶ。


 何とも言えない味が口の中に広がる。


 まただ…また何かが体の中から呼んでいる、自分の中に居る何かが「自分を起こせ」と叫んでいる。それも一つや二つではない、何十・何百・いや何万と言う声が体の中から響いてくる。


 体が熱くなり、意識が飛びそうだ…。


「どう? おいしい?」


 シェフの声で我に戻る。


「ええ、とても美味しいです。……でも……」

「でも?」

「このスープを飲んでいると、何かが…体の中にいる何かが僕を呼んでいる、そんな気がするんです」

「ふふふふ、そう。それはとっても素敵なことよ」


 シェフが僕を後ろから抱きしめる。いつもの軟体動物的なふざけたハグではなく、心の籠った優しいハグ。


「シェ、シェフ?!?」


 驚きのあまり声が上ずってしまう。


 普段の男勝りの行動からは考えられないような柔らかな雰囲気、ふわっとした感触。そして香水ではない、なにか本能的な香りがシェフの体から匂う。


「総司君、もし何か変わったことがあればあたしに教えて。その時は力になってあげられると思うから」


 ……どういう意味だろう? 家庭内のこと?それとも学校の事かな?


 僕はシェフの言葉の意味を解読しようとしたが、結局僕程度の洞察力では読み取ることが出来なかった。


 特製スープを頂いた後バックヤードに戻ると、裏口が開いて食材が入っているスチロールボックスを持った作業服姿の男の人が入ってきた。


 年上のようだが僕とそれほど年の離れていない感じで、まくりあげられた袖口から見える腕からは、そぎ落とされたシャープな体つきが想像できる。表情は穏やかだが額の横に2本の傷跡が残っている、何かの獣につけられた痕の様だ。


 どことなく父に通じるような雰囲気があるが、もっと殺伐とした感じがする。思い出した、この人はあの強烈なにおいのする食材をここに運んで来た人だ。


「毎度~解手物屋(げてものや)です」

「あ! 狩屋くん、ご苦労様」


 シェフは今までの柔らかい雰囲気とは別人の、シェフの顔に戻っている。


「ここでいいですか?」


 作業台の上にスチロールボックスを置く。


「あら、ありがとう。今日の物はなに?」

「ウミヘビ……いや、シーサーペントと言った方がいいですね、その胴の一部です。まだご入用でしたらウチに冷凍してありますので、いつでも言って下さい」

「ありがとう、助かるわぁ」


 『狩屋さん』と呼ばれた人は発泡スチロールを開く。そこには電柱ほどの太さの、何かの胴体の切り身が入っていた。あ……これからもいい匂いがする、くんくん。


 ふと見るとシェフは始めて会った時と同じ、異様な情熱がこもった表情になった。まるでフランケンシュタイン博士が新しい材料を前にしたかのような、MADな雰囲気を漂わせている。


 怪訝そうな僕の雰囲気を感じたのか、シェフは僕に視線を戻す。


「狩屋くん、こちらは大地総司くん。あなたの2年後輩よ」

「へえ、同じ高校ですか、奇遇ですね」


 僕をまじまじ……いやじろじろかな? ちょっと観察されたような感じのあとで


「大地くんか、狩屋だ。よろしく」


 握手を求めて右手が差し出される。


「あ、こちらこそ……」


 差し出された手を握った僕の右手が、強い力で握り返される。思わず見つめた狩屋さんの右手は自然の中で鍛えられた、切り傷や擦り傷が深く残った武骨な手だった。父の手に限りなく近く、僕の手も普通の高校生に比べればかなり鍛えられていると思うが、狩屋さんの手に比べればまだまだだと感じる。


「刀子シェフ、ここで働いていると云う事は?。」

「うん、多分そうなんだけどまだ判んないのよね~。そのうちハッキリすると思うけど……」


 ? 何の会話だ? 意味が解からない。


 狩屋先輩は僕の方に向き直った。


「大地君、シェフは素晴らしく優秀な人だからきっと君の為になると思うよ。ただ、油断していると……」

「?」

「……食べられてしまうかもよ」

「!? !? はいっ?」

「はははははははっ!」

「狩屋くん、それは冗談になっていないわよ!」


 慌てるシェフと僕をおいて狩屋先輩は出て行った。


 ……食べられる?


 それはどんな意味なんだろう? エッチな意味か? それとも?


「彼はね、ハンターなのよ」

「ええっ? ハンター? あの若さで?」

「日本では猟をすることは不可能だけれど、4月生まれだからもう十八歳だし、彼はもっと若い頃から親御さんと一緒に世界中で猟をしていたの」


 ええええ?まるで僕と同じ境遇じゃないですか?。


「でも3年前お父さんが亡くなられて、いまじゃ彼は世界で猟をしながら自分で生計を立てているの」


 そうか、狩屋先輩のあの殺伐とした雰囲気は一人ですべてを背負って生きているからこそ出てくる雰囲気なのかもしれない。僕は自分がもし父がいなくても狩屋先輩の様な生き方が出来るのか考えると、ふと漠然とした不安に駆られた。


「大地君、そんな寂しい顔をしないでよ」


 シェフが声を掛けてくれる。


「人にはそれぞれ役割があるの。決して他人の役割と同じことはないわ。あなたはあなたの生き方があるの、気にしちゃ駄目」

「あ…有難う御座います」


 シェフの言葉は嬉しかった。


    ◇


「お疲れ様でした」


 スタッフの皆さんに挨拶をして、シェフの『人にはそれぞれ役割がある』と言う言葉を胸に家に帰ろうと裏口から出た僕はそこに立っている人物に意表を突かれる。


 龍崎由樹さん……思いもよらず、彼女は僕に声をかけてきた。


「大地君、よかったら一緒に帰らない?」

「えっ? いいけど……ウチの近所だったの?」

「ううん。そうじゃないけど、ちょっと話したかったの」


 話したい事? その為に彼女は僕が出てくるまで待っていたのか?


 彼女と僕の間で話題になる事といえば、甘い期待をしなければ王虎さんへのデコピンの件ぐらいしか考えられない。


「そう、じゃあ一緒に」


 二人で春も終わりの夜の街を歩く。もうはなみづきも散り、街路樹は緑の葉を付けている。生命の連結が終わり、成長に向かって新しい力をつけ始める時期。


 彼女が切り出してくる。


「ねえ、家政部って楽しい?」

「うん、男子が僕一人だからいろいろと気を遣う所はあるけど、先輩たちも気を遣ってくれるし、楽しく学ばせてもらっているよ」

「ふうん。……王虎さんって、大地くんの彼女なの?」


 そら来た、やっぱり……って云うか、いきなり何を?!


「べ、別に告白されたこともないし! そういうことじゃないと思うよ」

「でもいつも王虎さんは一緒に居るわ?」

「部活が一緒だからだよ。一緒に居るって言ったらスズメちゃん……いや、日良さんや亀沢さんだって同じ一年生だからいつも一緒に居るよ」

「ふーん……それじゃ王虎さん、マーキングのつもりかしら?」

「えっ? それは動物がすることじゃ?」

「なるべく一緒に居る事で、自分のものだって主張しているとか」

「それじゃまるで猫だよ」

「ふふふふふ、まさにね」

「言っている意味がよくわからないんだけど……」

「そう、じゃあ……例えばあたしが大地くんの彼女になりたい、っていったら大地くんにはよく解る?」

「じょ、冗談はやめてよ! 僕は龍崎さんと話したのは、たった二回なんだよ」

「大地君は結構有名人よ。お父さんと二人で自然の色々な物を食べて暮らす、食の開拓者」

「変人だって評判だろ」

「まあ、評判なんてどうでもいいじゃない? わたしはそういう事は大事だと思っているの。自然の中で生きていた野生の肉や野菜を食べる、って事が。わたしは、あなたの作った料理を一度食べてみたいな」

「龍崎さんも家政部に入ったら? 一緒に料理を作ろうよ。そうすれば一緒に作ったものを食べられるし」

「いっ! ……うん……」


 ギクッとした反応のあと、なぜか躊躇する龍崎さんだが、いつもと違ってその姿はいじらしく愛らしい雰囲気を漂わせていた。


「でも……あたしはもっと大地くん個人の事が知りたいの……」

「ふーん……えっ?」


 一体どういう意味だ?


 唐突な言葉に僕が翻弄されている間に、僕らは僕の家に着いてしまった。


「じゃあね大地君、また明日」


 僕の聞きたいことを放置したまま、龍崎さんはくるっときびすを返し来た道を戻っていく。後ろから見ると彼女の巨大なリボンは天使の羽根に見えた。

 

 僕は家で龍崎さんの言ったことの意味をゆっくり考えてみようとしたが、出来なかった。父がシャコ貝の貝柱を焼きながら龍崎さんのことを根掘り葉掘り聞こうとしたからだ。


 イイ歳して覗き見してたのか! 僕も高校生になったんだから、プライバシーぐらいあるぞ。


「すごい美人だ! お前にはもったいない! かあさんがいなけりゃ、オレが声を掛けている!」


 と、父は龍崎さんの事をベタ褒めだった。


 美人な事はもう十分認めているけど、今日の彼女の雰囲気はなにか少し違っていた。彼女の今日のいじらしくも愛らしい雰囲気と言葉。


『もっと大地くん個人の事が知りたいの……』


 彼女の少しくだけた微妙な表情を思い出し、その言葉の意味を考えていたらとてもその日は眠れなかった。

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