2・オリエンテーションと鰆のあぶり焼き
そういえば自己紹介してなかったが、僕の名前は大地総司、今日から都下のマンモス私立校=真命高校に通う高校一年生だ。
僕は中学を卒業する寸前まで、父と二人で世界中を流れ者のように暮らしていた。
そんな僕が中学を卒業出来たのは奇跡に近く、私立真命高校に入れたのは理事長が母の知り合いで、その理事長に強く入学を勧められたからだ。
父と一緒にいろんな国を渡り歩いていた為に中学校の出席日数はギリギリ、当時の成績は良いとも悪いともいえないような成績ばかり。受験勉強など全くしていなかった僕に母がせめて高校は普通に出ていた方が良いと、この高校への入学を勧めた。
真命高校はレベルの高い私立で、そこそこの学力が無ければ入学出来ない。しかし学力だけではなく、一芸入学というものも奨励している。人と違う事・何か誇れる事が一つでもあれば入学できると言うヤツだ。
僕が中学時代に父とあちらこちらに旅していろいろな食材を食べてきた事を話したら、しばらくして入学許可が出た。世の中で言われている受験のイメージとずいぶん違うことに受かったこっちが驚いてしまう。
そうして晴れて真命高校に通学する事になった僕だが、初日から今まで体験したことのない突然の出来事に茫然としつつ、ようやく到着したバス停で火照った体を冷やしていた。
「はあ……あの強烈なハグは一体何だったんだ? でも……柔らかいんだなぁ……女の人って……」
シェフの残り香に悩まされながら、僕は来たバスに乗り込み学校に向かう。
桜が舞い散る石垣に囲まれた登下校路の先に真命高校はあった。
昨日は入学式だったのだが、今年この桜並木を拝めたのはラッキーだそうだ。昨年・一昨年と4月は季節外れの寒波に襲われ、昨年などは雪がちらつく中の入学式だったらしい。
「今年桜の中での入学式とはツイているぞ、君たち」
などと入学式の受付の先生が言っている。それはいくらなんでもおかしいんじゃないですか? 春に桜が咲く方がラッキーだなんて。
でも確かに最近の地球はおかしい。常夏のアフリカでジャケットが必要なぐらい寒かったり、3月のツンドラに若葉が芽を出したりと地球自体が何かに悩んでいるような様子を見せているのは旅をしていて気になった。
同じように最近僕の体の調子もおかしいように感じる。やけに寒かったり暑かったり、身体の節々がちくちくと痛んだりする。そんな時に限って地球の様子がおかしいなんてニュースが耳に入る。昨日もやけに暖かいなぁなんて思っていたら山形でもう桜が咲いた、なんてニュースがやっていた。
人間の感覚と地球の現象も一致するもんだ、なんて言うと父は
「そうかぁ? そんなに暑くはないぞ? もう年か?」
などと笑われてしまった。十六歳に言うコトか?
僕は最近どちらかといえば年中暑い感じだ。真冬の暖房のついていない部屋の中をTシャツでうろうろしていると、父に『ぶるっ! 寒い! お前よく平気だなあ』と言われるぐらいだ。
だから今日も制服をぴっちり着込んでいると暑くてたまらない、早く上着を脱ぎたい気分だ。
真命高校は系列の小学校・中学校を併せ持ち、都心から約四十km離れた山に近い居伝市にある。古いお城跡の上に建てられた校舎は古ぼけた石造りの建物で、第2次世界大戦時には海軍の指令室として使用されていた建物だという。軍事施設だっただけあって扉は鋼鉄製、窓には鉄格子のような枠がはまっている。『刑務所みたいだ』と誰かが呟いていた。
校舎が本丸に位置し、その下には体育会系クラブの部室の入った第一部室棟とトレーニングセンターにはさまれた大きなトラックを持つ陸上競技場・運動場があり、校舎の横には大きな庭園、その庭園を囲むように荘厳な講堂と文化系クラブの入る第二部室棟、さらにその横に三階建ての食堂などが配置されている。当然お堀もあるのでセキュリティは万全だ。
学力が高くなくても一芸入学ができるので、勉学においては世間でいうほどハードルを高く設定していないと言えるかもしれないが、健康に対するチェックは妙に念入りだ。
通常の健康診断プラス血液検査・DNA検査と伝染病に対する検疫まで厳しく行われた。
今日は学校生活に対するオリエンテーションの日。
クラス分けや授業選択の説明、それにクラブ活動の勧誘等がある。特にクラブ活動は必修活動として、全員が必ず一人一つはクラブ活動を行わなければならない決まりになっている。
僕はどこのクラブに入るかもうほぼ決めているので、今日は実際にその活動内容を見て確かめようと意気込んでいた。
慣れない匂いが微かに香る、制服にさっきの女シェフの香りが残っているようだ。
「はあ、困ったなぁ……これじゃ一日中匂っているぞ……」
体に残った微かな匂いのせいで、ぼんやりとあの女シェフの事を考えていたら、
「総くん!」
? 後ろから誰かに呼ばれている? しかも懐かしい呼ばれ方だ。
「総くん!」
振り返ると見た事のある小柄な女の子が走ってきた。えーと、誰だっけ?
記憶の重箱の隅のご飯粒を一粒一粒ひっくり返して思い出しそうとしていたら、その女の子は僕の首めがけてぶら下がるように飛びついて来た。
「久しぶりだ! まさか一緒の高校だなんて嬉しいだろ、なのだ!」
今日は女難の相でも出ているのか?そんな心配をしていたら、ようやくご飯粒の後ろの名前が判明した。このハイテンションが思いだすカギだ。
「あ……えっと……スズメ……ちゃん?」
「スズメちゃん言うな! 雀美だ! 日良雀美! 相変わらず物覚えの悪い奴なのだ!」
彼女は後ろから僕の首を締め付けたまま、ブンブンと振り回す。
「まさか……今思い出したか? ダメなのだ! こんなかわいい子を忘れるとは打ち首獄門なのだ!」
僕の首にぶら下がった彼女は、睨みつけるような目線で僕をガン見している。
「ぐ、苦しい……いやごめん、まさか知っている人がいるなんて思っていなかったから……」
「あたしが知っている人なのだ! 小学校の頃から知ってるだろ! 許されるものか! なのだ!」
「あはははは……」
あ、目の前が暗くなってきた……ギ、ギブアップ……。
日良雀美さん=通称スズメちゃんは僕と同じ小学校・中学校で、何度か一緒のクラスだった。
背は小柄で、小鳥の様に思わず両手で包みこみたくなるカワイイ系。羽毛のようにふわふわしたセミロングのクルクル天然パーマの髪の毛を二つお団子にして頭の上でまとめている。普段から教室の中をあっちこっちへと飛び回り、気を配りながら吸収できる事は吸収しようとする、ぱっちりした眼もとが前向きな印象的な明るく朗らかな笑顔がトレードマークのクラスのムードメーカーだった。
僕の意識が三途の川のほとりにたどり着く前にスズメちゃんがやめてくれたおかげで、僕は無事校門にたどり着く事が出来た。二人で一緒に校舎に続く坂道を歩く。
「総くん、クラス分け見に行くぞ! 案内してやるからあたしと一緒に行くのだ!」
中学の時からスズメちゃんは面倒見が良かったな、変わってない。まるで子供が親を引っ張り回す様に僕の腕を体ごと掴んで引っ張っていく。
掴まれた腕から中学の頃からは少し成長した彼女の体の感触が伝わって来てしまう。
「あ、あああ、有難う」
「? 何をそんなに動揺しているのだ?」
掴まれた腕がビクッと反応してしまい、それに気付いた彼女の顔がみるまに真っ赤になっていく。
「そそそ、総くん! 何を考えているのだー!」
ローリングソバットによる首刈りから、返す足でネリチャギが僕の顔を襲ってくる……。
おじいさんは高名な拳法家、直伝で学んでいたので彼女は腕には自信がある。その力を彼女は決して強さを誇る為ではなく、弱い者を守るために使っていた。曲がったことが大嫌いで、その真っ直ぐな性格は上級生のいじめっ子にさえ立ち向かっていくほどだ。
スズメちゃんのネリチャギを食らったおでこを擦りながら、僕は彼女の暖炉の炎のような優しく暖かいその性格を僕は結構気に入っていたことを思い出していた。スズメちゃんは、自分の凶行を恥じる様に、さっきとは別人のようにうつむいたまま僕のそばを歩いている。昔と違って少しは恥じらい、なんてものをおぼえたか。しかし中学の頃から何かと僕には攻撃が来ていたような気がするのだが……気のせいか?
気のせいといえば、二人で歩いていると周りから注目されている気もする。そこかしこから見つめられているように感じるのは自意識過剰か? スズメちゃんのような元気な娘を連れて歩いているからか?
僕は長いこと父と一緒に海外、それも未開地ばかりを旅していたせいで他の生徒と見た目が違いすぎるので、いい意味でも悪い意味でも目立ってしまう。
まず、なにしろ線が細く見えるため弱々しく見える。自分では痩せすぎかな?とも思ったが、父に言わせるとそれは痩せているのではなく、絞られた体だから問題ないという。
そして野外生活が多かったため色が黒い。裸で過ごすような場所も多かったため、全身褐色だ。日焼けサロンのような黒さではなく、自然に積み重ねられた褐色なのだが、他の生徒の前では浮いて見える。
最後に髪の毛が白い。いろいろなところの水や太陽にさらされた髪が、なぜか色が薄くなってきた。ワカメや海苔など髪の毛を黒くする、という食事をとってもそれは変わらなかった。
これだけ他の生徒と印象が違えば、いじめぐらい起こってもおかしくない。中学時代は同級生から色々な称賛か嫌味か判らない言葉を散々かけられたが、実害がないので放っておいた。
クラス分けの即席の掲示板の前で自分の名前を探す……あった、1年1組。
「ちぇ、総くんと一緒のクラスじゃない! つまんないのだ!」
スズメちゃんは1年3組だった。
「総くんはまだ必修クラブは決めてないのか?!」
「うん……まだちょっとね……」
「そうか! 決まったら教えてくれ、なのだ! じゃあな、総くん! 後で邪魔しに行くのだ!」
そう言ってスズメちゃんは、嬉しそうにスキップして行った。
◇
スズメちゃんと別れた後、僕は自分の一年一組に向かった。
クラスは一クラスが男女合わせて四〇人、それぞれ交互に並んでいる。始めはあいうえお順に並んでいるので四列目の後ろの方だ。
今まで何人もの人が使っただろう古びた机を見つめながら、カバンから教科書などを出して机にしまっていると突然後ろから声を掛けられた。
「なあ、ホビー同好会に入らないか?」
? なんだ? いきなり?
振り返ると人懐っこそうな男子生徒が自分を見下ろしている。ガタイのいい奴で、アメリカの兵士が学生になった様な感じだ。
「悪い、突然。君、高校から入ってきただろ? 昨日から気になって見ていたんだ。ほら、他の男子とちょっと違うしさ。運動部系、って感じもしないし、どんなものに興味があるか判らないから試しにちょっと聞いてみたんだ」
そう言ってまだ空いている僕の机の前の席に座ると、自己紹介を始める。
「削生兵太、っていう。君は確か大地……」
「大地……大地総司だよ」
「そうか、よろしく大地くん。1年間宜しく」
「こちらこそ。ところで、さっきのは……」
「ああ、ホビー同好会か」
「違う違う、なんで僕が高校から入って来たって判ったんだ?」
「ああ、僕は中学からこの学校に入ってたんで、エスカレーターでそのまま高校に上がってきたんだ。友達が各クラスにわたっているから、各クラスのほとんどの事はわかる。逆に言えば、僕にわからない生徒は高校から入ってきた生徒ってことになるのさ」
「なるほど、それでホビー同好会の方は?」
「ホビー同好会っていうのはプラモデルやエアガンとかの趣味を活動にしている同好会で、お……僕はそういうのに興味があるんだ。まあ同好会なんていうのは、大体どこも人がいなくてクラブになれないから人の確保が重要なんでね。俺は先輩に誘われて、そのまま課外クラブ活動として参加する予定だ。君に声を掛けたのは、『体育会系のクラブに入りそうにない生徒には、誰彼構わず声を掛けろ』と言われているんでね。他に特別な理由はないよ」
見た目通り人懐っこい、もう〝僕〟から〝俺〟になっている。〝君〟が〝お前〟になるのも時間の問題だ。
「興味がないわけじゃないけれど、まだ必修のクラブ活動も決めてないからそっちが決まってから考えさせてもらうよ。エアガンっていうのは空気銃の事かい? 日本は空気銃で鳥とか獲っていいのかい?」
「? ダメだよ! 銃は生き物に向けたら危ないだろ?!」
「? じゃあ空気銃は何の為に使うんだ?」
「的を撃ったり、『サバイバルゲーム』って言って疑似戦闘をする為に使うんだよ」
「疑似戦闘って……人を撃つのかい?その方が危ないよ!」
「大丈夫だよ、服を撃ち抜く力はないし、顔はプラスティックのゴーグルやマスクでカバーするし…」
「服を撃ち抜けない? じゃあエアガンって……おもちゃなのか?」
「じゃあお前が話していたのは本物の空気銃の事か!」
「じゃあ日本には、本物の空気銃とおもちゃの空気銃があるのか?!」
二人で大声で笑い始めてしまった、お互いまったく違った感覚で銃の話をしていたのだ。
「僕は海外で猟をするのに銃を使っていたから、狩猟用の銃の性能や機能にはそれなりに興味があるんだけど、海外にはそんな凄いおもちゃはないからね。そっちの方は全く疎いんだ」
「お前、海外生活が長かったのか? どおりで雰囲気が違うはずだ。日本では実銃は基本的に十八歳以上じゃないと持てないし、狩猟も出来ない」
「ええーっ、じゃあ僕や君は鹿や猪を取ったり出来ないのか?」
「……お前、なんかさらりと凄い事を言うな。だけど日本でも二十歳になって試験を受ければ、散弾銃か競技用ライフルなら持つ事も出来る。米軍の狙撃用ライフルM24だって元は狩猟用のレミントンM700の性能向上型だから、銃を所持し続けて十年たてばほぼ同じものを持つ事だって出来る。俺はいつかそれを持って射撃をするのが夢なんだ」
「ふーん……」
削生の熱弁を聞きながら、僕は自分が銃を使い始めたころの事を思い出した。
人間は大自然の中で最弱だ。そんな人間が大自然の中で獲物を獲るには何かしら道具に頼るほかない。まして中学生の華奢な僕が獲物を獲るには銃がもっとも手っ取り早かった。
父が始めて僕に渡してくれたのは、銃身が水平に二本並んだ古い散弾銃。父から銃を手渡された時は軽い驚きがあった。父は何となく銃を使うことを嫌っているように見えたし、銃を使ったところを見たことも無かったからだ。
最初は鳥や小動物を近距離で撃っていた。そのうちもっと大きな獲物が居るところに行くようになると、散弾銃がライフルになった。始めは6ミリ程度の口径の小さいライフルだったが、だんだん距離をとって大型の獣を仕留められるようになると口径は.30口径に、さらに使用弾薬は.300ウィンチェスターマグナムへと上がっていった。ちなみに0.30口径は0.30インチ、メートル法に直すと7.62ミリになる。口径の差にしたらわずか1.62ミリだが、威力はケタが違う。.300ウィンチェスターマグナムなら上手な射手、とりわけ軍のスナイパーなら1キロ以上先のターゲットでも狙える。僕は最高で600mがいい処だったが。
しかし腕が上がってくるにつれて、僕は銃というあまりにも人間に有利な道具に興味を失ってきた。動物の知覚範囲を大きく離れたところから撃って獲物を獲る事に自然からの乖離を感じるようになった。獲物は僕を感じていないのに僕は獲物を捉えているという対等でない感覚は、獲物を捕らえてその恩恵を授かるという行為には感じられなかった。
その話を告げると、父は満足そうに頷いた。多分父も同じ経験をしたことだろう。
僕はまたライフルから散弾銃に戻り、獲物の足取りを見つけて何キロもの距離を追いかけるトラッキングと言う技術を磨き、同時に獲物に気付かれないように手の届きそうな距離にまで接近するストーキングと言う技術も磨いて、その上で獲物を撃つようになった。
その後散弾銃から単発の黒色火薬を使う先込め銃に変わり、とうとう槍や弓矢といった昔の狩りのスタイルになった。これでもまだ対等ではないが、少なくとも獲物にも抵抗して逃げるチャンスがあるので、自然の中での対等な関係に近づいたと思っている。いつかはナイフ1本で取ることが夢だが、体の出来ていない今はまだ無理だろう。
そんな自分の銃に対する否定的な気持ちを話すわけにもいかないが、削生の趣味の世界に共感できるところもある。なかなか面白い奴が居てくれたと思って喜んでいると、
「そういえばお前、今朝1年3組の日良雀美さんと一緒に登校してきたな。カノジョか? 違うな、その後『あたしを忘れていると何事だ! 総くんのバカ!』って言ってたらしいからな」
と変なツッコミが入る。
「な、なんでそんな事を知ってるんだ?!」
削生は腰からちょっと大きな携帯電話(高機能携帯=スマートフォンと言うそうだ)を出して、ピッピッと操作すると、
「日良雀美さん、居伝中学の出身か……。お前、彼女と同じ中学だったな? 俺の情報網的には日良雀美さんの人気はかなり高いぞ。恋人になった場合の学校内の生活リスクは〝要注意〟=B+(プラス)ぐらいだ。まあ、闇夜の人気のない道は気をつけろよ」
「だから、なんでそんな事を知ってるんだよ!」
動揺してやや蒼白になった僕は、少し上ずった声で問い質す。
「俺たちみたいに中学から来ていると人間関係が固まっているからな、情報網が確立しているんだ。大抵の事はすぐ広まるぞ。俺は更に分析を掛けて、より有効な情報にして欲しい相手に渡しているんだ。普通は有料なんだが、お前はなかなか面白いし、有効な情報もくれそうだからタダでいいぞ」
「…………」
「そんなに驚くなよ、近代戦は情報戦だ。情報をいち早く掴まないと、命取りだぞ」
呆れてものも言えない。これがクラス最初の友人だからな……。
◇
クラスのオリエンテーションが終了したあと、僕は削生との挨拶もそこそこに教室を出て、講堂前の庭園に向かう。
階段を下りて2階と1階の踊り場付近に達した時、僕はまた視線を感じた。今度は朝感じたモノとは比較にならないくらい強く、思わず立ち止まって辺りを見回す。
すぐ教室を飛び出した僕の周囲には、ほとんど他の学生はいない。視線を感じた1階の方向を凝視すると、限りなく黒に近い紺色の髪が角を曲がって行くのを発見した。
「おい、き……」
〝君〟と言いながら動き出そうとした瞬間、今度は誰かが僕を追跡けているのを感じた。飛び出しそうになった僕に、慌ててついて行こうとする気配がしたのだ。
僕はトラッキングという追跡の技術を自然の中で磨いたが、追跡というのは〝する〟だけではなく〝される〟可能性だってある。灰色グマを追っていたら、相手が迂回して僕らを追っていた、なんてコトはざらにある。そんな経験から僕は追跡される方にも敏感だ。
初めはスズメちゃんかと思ったが、彼女なら遠慮なく僕にタックルしてくるはず。監視に追跡? いったいなんだ? この状況は?
僕は何食わぬ顔で踊り場から1階に下りると、校舎の正面から飛び出す。そして入口の立派な門柱の陰に隠れて、様子を伺う。
誰かがスタスタと駆け降りてきた。僕を見失って門柱の所で止まるのが判る。僕は門柱をぐるりと一回りしてその人物の後ろに立つ。
「あの、何か僕に用事が……」
その人物がこちらを振り返ると、何か柔らかいもので僕の顔が左から右へ叩かれる。いきなり手を出すなんて、なんて失礼な奴だ! ……と思ったら、目の前になにかふっくらしたモノが二つ。なんですか?これ。
一瞬遅れてそれが女性の一部だと気付き茫然と見上げると、そこには身長170cm以上ある背の高い、髪の毛をショートカットにした陽に焼けた褐色の肌がよく似合うスポーツ少女がこの学校の女子の濃い紫色の制服を着て立っていた。とても同じ高校生徒は思えないほど発育した=ありていに言えばナイスバディの持ち主で、思わず顔より先にムネに目が引きつけられそうになる……いや引き付けられてしまった。
ナイスバディに刺激されてドギマギしたまま相手の顔を見るが、肝心の顔の表情はまるで溶鉱炉の中の様に真っ赤で、何かを言おうとしているようだがあまりに態度がふにゃふにゃで全く判らない。
「あにゃ、そにゃ、ふにゃ……」
「えっと、僕に何か……」
「失礼しました!」
彼女はそう言ってペコンと僕にお辞儀をすると、一目散に背を向けて走り出した。早い! 既にもうその背中は星の如く小さくなっていた。一体なんだ、あれ……。
◇
講堂前の広場から校門までの通り道は、お祭りの神社の境内の様に賑わっている。今日真命高校の全てのクラブが出店を構え、新入部員を獲得しようと張り切っているのだ。
パンフレット片手に歩いていると、野球やテニス・サッカーといった運動部から演劇部や映画部・写真部といった文化部までもが次々に声をかけてくる。
丁寧に断るのだが、先輩の女子部員が甘い顔をして迫ってくるので断るのにエネルギーが必要る。早く目的の部を探さないと、疲れて倒れそうだ。いやだよ『新入生、クラブ勧誘の庭園で遭難』なんていうのは。
ん? ズボンが引っ張られる?
怪訝に思って後ろを振り返ると、髪の毛をセミロングに伸ばした小柄な女子生徒が僕の横に居る。不思議に思って見つめていると、相手も一言も返さずに見つめている。
清楚でおとなしい印象の顔だが、その瞳はまるでどこまでも底が無い海の如く碧く、僕のズボンを掴んでいる腕は海中のサンゴがそのまま皮膚になったかと思うほど透き通った白さで、まるでどこかの美しい海そのものが、そのまま女子生徒の姿に変わったかのような感じすらする。
僕が彼女の透き通るような存在感に感慨を受けていると、突然その女子生徒が『ついてこい』と言わんばかりに、ぐいとズボンを引っ張って歩き始める。
「えっ?!」
一瞬不意を突かれた。とてもその小柄な体からは想像もつかない力で僕の体が引きずられていく!
「わかった、わかったよ! 行くから、ちょっと待ってよ」
そう言うとやっと手を離してくれて、てくてくと僕の前を歩いて行く。僕は怪訝な思いを抱きながら彼女の後をついて行くと、2ブロックほど歩いて止まる。
僕も足を止めて見ると、そこでは白衣を着た背の高い眼鏡をかけた先生を真ん中に、髪の毛がボサボサの女子生徒がまるで露天商の呼び込みの様に声を張り上げている。
「え~寄ってらっしゃい、見てらっしゃい! 家政部顧問、霧咲順子先生による実演だよ!ほれ、そこの男子新入生、寄った寄った!」
呼び込みをしている女子生徒のその横に、ちょっと小柄でふくよかな、目が線の様に細くおかっぱ頭のお地蔵さんの様な女子生徒が腕組みをして座っている。
同じような透き通るような白い肌を持っているが、その印象は僕を引っ張ってきた女子生徒以上で、まるでその小柄な体以上に巨大な存在がそこに『ズン!』と存在る様だった。
お地蔵さんが緩~やかにこちらを向く、僕を連れてきた女子生徒を見ているようだ。女子生徒もその先輩らしき人を見つめている。二人とも一言も発しなかったが、突然お地蔵さんがVサインを出すと、僕を連れてきた女子生徒もVサインを返す。言葉も発しないで、どうやって会話してるんだ? この二人。
そんな事に構っている間に、ボサボサ頭の女子生徒の口上は道行く生徒の心を巧みに掴んでいる様で、段々と人が集まってきた。
「さあ皆さん、家政部顧問・霧咲順子先生のみごとな包丁さばきをご覧あれ! 先生、どうぞ!」
先生と呼ばれた背の高い女性はまずリンゴを手に取る。まな板のそばには消毒液、衛生に気を配っている証拠だ。
先生は出刃包丁をリンゴにあてるとまるでコマを回すように回転させた。まるでリボンがロールから剥かれていくように、リンゴの皮がリンゴから剥かれていく。新体操のリボンが舞うように、剥かれた皮は一本に繋がったまま風に舞って机の上に落ちる。
更にまな板の上に置かれたリンゴに先生が包丁を当てる。力を入れているようには見えないが、先生が包丁を上下するだけでリンゴはまるで紙の様な薄さにスライスされていく。
助手を務める生徒がわずか0.5ミリに薄くスライスされたリンゴに器用に楊枝を刺して勧める。僕にも1つ配られたが、信じられない!包丁を使った作業でこんなにも差があるなんて!
一口食べて更に感動する! 新鮮なリンゴの細胞が押しつぶされることなく、ペラペラに切り刻まれながらも、口の中一杯にリンゴの甘みが広がる! か、完璧な包丁ワークだ!
僕が先生の包丁ワークに感動している間に、机の上のまな板が交換され今度はその上に鰆が置かれる。鰆は春にけっこう脂が乗って美味しい魚だ、見事に旬の魚をついている。
先生は傍の手桶で手を洗った後、消毒液を手に磨り込み別の包丁を取り出す。
胸びれのところに切れ目を入れた後、すっと正眼の構えから鰆の首元に包丁を当てる。そこに何もないかのように包丁はまな板に到達、ごろんと首が落ちる。
さすがに何人かの1年生は、その瞬間ギョッとしていた。
無理もない。今の社会ではそういう本能的に残酷に思える処をお金を払ってやってもらっているのだが、実際に目にする機会が少ない為、いざ目の前でそういう行為が行われたら思わず目をそむけてしまう人もいる。
先生はそんな周囲の反応も気にせず、今度は柳刃包丁で身を三枚に下ろす。切り落とされた頭と骨は血を水洗いして落とすと、後ろの鍋に放り込まれた。
下ろされた鰆の身に対し包丁を再び当てると再び目に見えないスピードで包丁を動かずと、まるでミートスライサーに掛けられた肉の様に素晴らしい薄さに鰆が切り刻まれていく。
切り刻まれた鰆は後ろで火をおこされた七輪の上で軽くあぶられて、見学している生徒に配られている。新鮮な食材、正確な包丁さばき、適切な調理技術……完璧だ……。
「はい皆さ~ん、お料理は堪能頂けましたかぁ~。入部希望者はこの後家庭科教室にて受け付けまぁ~す。入部を希望しなくても構いませんがぁ~、今のお料理に感激した方は我が部を助けると思って、少しばかりのお気持ちを頂ければと思いますぅ~」
な、まさに大道芸!お金を取るのか!
「ほら、早くザルを持って歩け! 皆さんも私たちと同じ学生の身、贅沢は申しません~幾ばくかのお気持ちで結構ですぅ~」
しかし料理を食べた生徒達はお財布から100円玉らしい銀貨を何枚も、ボサボサ頭の先輩に命令された女子生徒の持つザルにためらいも無く入れていく。おいしい料理は人の心を溶かす魔法であると言うが、今それが僕の目の前で実証されている!
僕ももちろん幾らか入れようかと思ったが、小銭は500円玉と10円玉しかない。仕方なく10円入れようとすると、いつの間にかボサボサ先輩が目の前に居た。
「ボク、あんなに感動していたのに、10円玉で済まそうなんて思わないよねぇ~」
そういうと僕の財布から500円玉をつまみあげ、ザルの中に〝ちょん〟とおいた。
や、やられた……。
唖然としていると、お地蔵さんの様な先輩が僕にお椀を勧めている。さっきの鰆の首を放り込んだアラ汁だ。
「こ、これは!」
ひとくち口をつけただけで、あまりのおいしさにクラクラしてしまう。
大量の野菜と鰆のアラ、しょうがを効かせて魚の生臭さを消した素晴らしいアラ汁だ。500円なんて高くないと感じるこの料理! こんなおいしい料理を僕も作りたい……。
◇
僕が入りたいクラブ、それが実はこの家政部なのだ。
男二人の生活で死活問題は、洗濯でも掃除でもなくただひとつ……料理だ。どんなに新鮮な材料でも貴重な食材でも調理の仕方が悪ければ台無しだし、ましてジビエと呼ばれる野性動物はその時その時の貴重な食材だ。無駄にしたりすれば犠牲になってくれた動物に失礼になる。
父と二人で旅をしていた時も料理は交代制だった。それは日本に戻ってきても変わらない。父には長い料理歴があるが僕にはまだそれ程の経験がない。変な食材を次々と持ってくる父とまともな食事をする為に、僕は料理がうまくなりたかった。
学校からもらったパンフレットの部活一覧から料理に関係する部を探し、この家政部を発見した。パンフレットによると、家政部は一般部員が各学年10人ずつ、部長・副部長・会計併せて現在総部員数二十三名の大きくも小さくも無いごく普通の所帯、主な活動は『家事全般に対する理解を深め、その技術の向上を図る』というもので、特に料理に力を入れているというのがこのクラブ活動の注目ポイントだった。
食材の鮮度にこだわるあまり校内に菜園まで作って、そこで有機野菜の栽培もおこなっているほどで、この部の料理に対する入れ込みようが感じられる。
僕は本当にそんなクラブがあるのか自分の目で確かめようと思っていたのだが、逆に強烈なカウンターパンチをいきなりくらってしまった。こんなおいしい料理を作れるならぜひ入部したい。僕は早速入部届けを出す為に家庭科教室へ向かった。
◇
家庭科教室をのぞいた僕の目に入ったのは、ひとり真剣に包丁を研いでいる先生の姿だ。
先生は神聖な雰囲気の中、さっきハードな取り扱いをした包丁を丁寧に洗ったあと、まるで刀を研ぐように真剣に研ぎ直している。
僕が教室の入り口に立っていると、先生は静かにこちらを向き怪訝な顔をして言う。
「あなたは……何?」
『何?』普通そこは『誰?』と聞くところだと思うんですが?
その不思議な質問の意味を考えながら、
「あの……家政部に入部したいんですが……」
と恐る恐る切りだす。
「……君が?」
先生は研いでいた包丁を丁寧に傍に置いてあったまめしぼりで拭き上げると、その包丁を持ったまま僕に近付いてきた。
目の前に立った背の高い、包丁を持った先生に見降ろされて、僕は少し緊張する。包丁の側面には銘が打ってあり、『正宗』と入っている……本当ですか、それ。
「君が家政部に入りたいの? なぜ?」
「料理が上手になりたいんです、それで……」
「ふーん、そう。名前は?」
「大地……総司です。」
その名前を聞いた瞬間、先生の顔つきがガラッと変わった。今までの軍事警戒モード・DEFCON2から急に今朝のシェフの軟体生物モードに近いような歓待ぶりに変わった。
「君が大地君! ようこそいらっしゃい、家政部へ!」
そう言うと先生は僕の首根っこを掴んでそのまま家政科教室後方の準備室へ案内……いや連行していく。先生の持った包丁がぴたぴたと顔に当たる……怖い。
先生は準備室へ連れてきた僕の前に、すぐさま入部届けを包丁で突きつける。
「さあ、さっさと書いて! よかったわね、大地くん! これで君の高校生活はバラ色よ!」
有無を言わさない勢いに面食らいながらも僕は入部届けを書いた……いや書かされた。
僕が入部届けを書いていると、廊下が少し騒がしくなった。勧誘活動が終わり、出店にいた先輩たちが帰って来たのだ。教室の扉が開き続々と入ってくる。
「カネカネ、ちょっとあからさまだったんじゃない? 先生の包丁テクにみんなが魅了されていたとは言え、あの場であそこまでする?」
「だって副部長、先生が『良い材料を』とか言ってリンゴも鰆も結構値の張るモノを買ってくるから、部費のやり繰りが大変なんだ! まだ今年度は始まったばっかりなんだからな、これからの活動を円滑に行う為には金銭面の工面は必要だ!」
すると先頭を歩いていた例の目の細い先輩が副部長、と呼ばれた生徒を数秒見る。
その視線にこくりと頷いた副部長は
「『部費の事は金子会計に任せておこう』? ……了解しました、部長」
ええ? あの目の細い無口な人が部長ぉぉぉ?!
そして部長は僕の方を向いた。副部長が怪訝な声で続ける。
「『今は貴重な新入部員の入部を喜ぶべきだろう』…って?」
開けっぱなしの準備室のドアを通して部長・副部長、そして『カネカネ』と呼ばれた会計の人を含む部員全員が僕の方を見た。
「君が……?」
副部長は唖然とした顔で僕を見つめる。
「新入部員?」
カネカネ会計は茫然としている。
驚き唖然としている部員達を前に、霧咲先生が僕を紹介する。
「今年の入部希望第一号、1年1組の……」
「大地……大地総司です! よろしくお願いします!」
すると想像以上の反応があった。いや、思いもしない不思議な反応が広がったのだ。
新入部員が入って喜ぶなら解るが、歓迎と戸惑い、期待と不安、相反する気持ちが込められた反応が準備室に広がった。その微妙な空気に僕は面食らった。
「あの……えっと……え?」
副部長がズイと僕の前に立った。
「君、なんで家政部に入りたいの?」
結構な迫力だが負けてはいられない、僕は真剣な思いをストレートにぶつけた。
「料理がうまくなりたいんです! 先生の包丁の技術にも、素材の吟味にも、料理の腕にも感動しました! ぜひこの部で料理を学ばせてください!」
副部長は僕の顔をジィーッと見つめている。
「由比さん、彼は真剣よ」
先生が助け船を出してくれた。
副部長が部長の方を振り向くと、あの目の細い部長が腕組みしたままでコクリと頷く。
「……いいんですね? 部長?」
副部長はしばらく僕を睨んでいたが決意は変わらないと見て、ハァ……と短い溜息をついた。
「嘘じゃなさそうね……中途半端な気持ちでもなさそう……ようこそ家政部へ、大地くん。あなたはこの部が始まって以来、初めての男子部員よ」
「え?」
部長を思わず見る。部長は鷹揚にコクリと頷く。
「ええ?」
副部長を見る。副部長はやれやれといった顔。
「えええ?」
カネカネ会計と他の部員を見る。皆、期待一割/不安九割の表情だ。
「えええええ~~」
僕の絶叫が家庭科教室に響いた。な、なんてことだ……今日だけじゃなく少なくとも今年一年、女難の相が出ている気がしてきた。はあ……どうなるんだろ、この先……。




