11. 魚崎の場合
「ねえ、要らないのならちょうだい?」
声に驚いて振り向けば、そこには金髪の少女がいた。
どうしてこんな所にいるのかも不思議だったが、その言葉もまた不思議だった。
---"要らないのなら。"---
何を、と、尋ねる前に思い当たる事があった。
後ろで波が暴れている音が聞こえる。
「ねえ、要らないのなら、私たちにちょうだい?」
少女は笑顔のままゆっくりと繰り返す。
少女の目は蒼く、澄んだ色をしていて、
顔は笑っているのに
何故かそこに何の感情の色も伺えなかった。
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魚崎は普通のサラリーマンだった。
決して大きくはない印刷会社で働いていた。
学生時代から付き合って結婚した妻と、2歳になる幼い娘がいた。
そう、いたのだ。
家ごと燃えてしまった。
近所の工場が火事になり、運悪く風も強く、風下にあった魚崎の家のアパートへ飛び火したのだった。妻と娘は昼寝をしていたようで、気付くのが遅くなった。魚崎は会社にいる時間だった。
魚崎の実家は既になかったので友人の家に転がせて貰ったが、すぐに1人で部屋を借りる事になった。しかし眠れぬ夜を1人で過ごすために酒浸りになったのだった。元々あまり飲まなかったのだが、飲んだ時は全てを忘れることが出来るような気がして飲まずにはいられなくなった。
そのうちに仕事や、社内での態度にも影響が出る。景気の悪さのタイミングが重なり、社長から辞めるようにと直に言われたのだった。
家族も家も仕事もなくなり、生きる気力もなかった。
魚崎にとって、妻が生きる理由であり、娘が生きる希望であった。
はじめのうちは社長をはじめ、同僚たちにも気を使われたり同情されたりもしたが、何ヶ月か経つと皆魚崎を見る目は厳しくなっていった。
会社に愛想をつかされ仕事もなくなり、とうとう本当の1人になったのだった。
----もう、潮時か。
部屋を引き払い、クレジットカードや携帯電話も停止し、その身1つで遠出をした。---死に場所を求めて。
妻と娘と同じ場所で死に、そして同じ墓に入りたかった。だがそれよりもなるべく目立たず、迷惑をかけずに消える方法を探すことにした。今まで散々迷惑をかけてしまったのだ、死んでまで迷惑をかけるわけにはいかない。
死体が見つかれば、身内がいない魚崎の身元確認はきっと以前勤めていた会社の元へ行くだろう。
クビを言い渡したといっても、社長がそうしたくてしたわけではないことを知っていた。
本当は妻と娘を喪った時にこうするべきだったのだ。そうしなかったのは、本当に2人が死んだのだと認めたくなかったから。
そうして魚崎は遠く離れた土地まで来た。
観光名所となっているその町は、以前、妻と2人で出かけた想い出の町だ。
当時を振り返りながら町を練り歩いたのだった。
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「……ここだよ!」
少女に案内された場所は、住宅地の中にある公園だった。元いた海岸から電車で1時間、駅から15分ほど歩いた場所だった。
少女は公園に入っていき、青々しい葉っぱを付けている大きな桜の木の元へ行く。
「ねえ、もう、2度とこっちには戻ってこれないよ。………それでも、いい?」
尋ねる少女の表情は、その幼い顔に似合わない真剣そのものだった。不安そうな色も少し見える。
「…ああ、未練は...ないよ。」
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桜の木に手を当てて、目を閉じた。
少女に言われたように心に描く。
自身の望む世界を。
そう、幸せだった日々を。
瞬間に、何か身体が捩れるような錯覚がした。雑巾絞りのようにぎゅっと身体の上下で反対方向へ力を入れたような。身体が千切れそうだ。
驚いて目を開けると暗闇だった。
太陽は雲に隠れていて薄暗くはあったが、それでも明るい昼間だったはず。それなのに暗闇だ。自身の手元さえ見えない。
先程まで公園にいた筈だ。こんなに何も見えないほどの暗闇になるわけがない。
そう思っているあいだも、身体を捻る力はしだいに強くなっていく。捻られている感覚はあるのに不思議とそこまで痛さは感じない。しかし気持ちが悪く、苦しい。貧血と船酔いが合わさったような気分だ。このまま死んでしまうのではないだろうか?
「要らないならちょうだい」
そう言った少女の顔を思い浮かべる。
側にいた筈の少女もこの暗闇ではその姿を確認出来ない。近くに居るのだろうか。声を出すほどの余裕はない。自分は今どうなっているのだろうか。すでに自身が自分の足で立っているのかも分からない。宙に浮いてるのではないかとさえ思う。…もはや既に死後の世界に来ているのではないか?
---どうせ捨てる命、どこでどう死んでも同じか。
なら、少しでも彼女たちの夢のためになればいい。
そう思いながら、魚崎は静かに意識を手放した。
魚崎の脳内では少女の言葉が再生される。
---もし失敗しても、私が責任持って眠りたいところに眠らせてあげるから、安心してねーーー
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