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ダークスーツの男は戦場に立っていた。
遠くの視界では、弾ける音と虚しい音が交互に聞こえ出してくる。
「コマンダー、あまりでない方がいいと思いますが」
男の隣には犬や猫のような耳をしているものがいた。
戦場を指さしながら、危険だと注意深くいってくる。
男はいつものことだと、唇をすぼめた。
「敵は膠着している、今のところ打算を組んでいることだろう。だから安心しろ、とは言わないよ。安全な線引きは承知している、私だって死にたいわけではないからね」
「そ、それならいいのですが……この頃の様子から、すこし危険だと思いまして」
「リクルートが?」
「そのリクルートととやらは、いささか強引すぎませんか? なにも現地まで赴いて、見定めることはないはずです。コマンダーは我々の星なのですから」
「もしもの話をしようか」
コマンダーはゆっくりとした歩調になると、横並びの獣人はおのずと合わせた。
「元々私は敵の立場にいた。嫌気がさしたからこちらにいる、単純な理由だよ。だから、あちらの人間のことはよく知っている。どんな人間がいて、なにをするのか、不思議と死地を認めた人間ほど顔に表れやすい。反抗的か、降伏のものか、とわかりやすいわけだが、君たちにこれがわかるまい。
私は、あまり君たちの内面を知らない。なにを考えているか、いまは戦いというものがある、だから多少は理解できる。そうはいっても、なにが背景があってこそのものか、充分に推察するには知識が足りない」
「そうは言いましても……やはり危険です! コマンダー、帰りましょう」
サムエルは息を吐いた。
獣人は強引に踵を返そうとしていた、ぎゅっとサムエルの右手を握り、力強く、それが使命であるかのように彼は戻ろうとしていた。
「肝心なことを言っていなかった。仮に私が行かない場合のことを」
それで獣人の足は止まった。
「なんです?」
「奪還するまでの期間が延長され、初めのような泥沼戦線が続くだろうな」
頭の中で思い浮かべた獣人は、手を離した。
痛烈な記憶として、こちらの人間たちは記憶していた。
怒り、悲しみ、屈辱、侮蔑、様々な感情が雷鳴のようにこの大地を切り裂いていた。
彼らには、指導者がいなかった。決定的な手腕を持ち、敵を打ち砕く気力に溢れた人間がいなかった。
ほとんどは、無我夢中に子供遊びのようになりかけていた。戦士はそれに従い死んでいく。たわいないものだった、戦士を戦士たるものにしない戦場。尊重そのものが失われた戦場であり、その身を投げ捨てるようなものだった。
「わかりました、コマンダー」
「卑怯な手を使って悪かった」
「いいんですよ。貴方がいなければこれ以上悪くなっていたことでしょう、きっと地獄のような日々となっていた」
「いまはまだ地獄じゃない?」
「ええ、あれを見てしまえばなんだって気楽なものですよ。生易しく思えてくる、この地で血を流すことにやっと意味を持ててくる。貴方がいたことに、神を信じました」
サムエルは苦笑を浮かべた。
「神なんていないさ。最もらしい神のような存在はいるが、それは私ではないことは知っているだろう?」
「あの方々とは、種類が違いますよ!」
傷つけられたような。
神なんていない、サムエルの言葉は確かだった。そうはいえど、この世界では神のような力の持ち主がいた。
伝承を持つほど、彼らは慕われていた。不死者であり、この世界の均衡を保つものとして君臨している者たち。
体一つで彼らは戦火を切り裂き、真っ向から迫り来る。
銃弾など豆粒のように撥ね退け、自らの体を利用した戦い方をする。敢えて弾丸をもらおうと、不死者の彼らは赤土を踏み抜く。そして己の武器を振るう、変わらぬ攻撃法で彼らはひとり、時には数人を真っ二つにする。
『ブレイド』。不死者の調停者はこの戦場を駆け抜けていた。
***
コズミックブレイド、その老人は、過去と大差変わりなく、覚えやすいものだった。歳を重ねてもなお、尻上の腰に五十センチの尖った剣、全身は『ブレイド』に決められた民族衣装よろしく独特な紋章の象られた薄緑色のロングコートを羽織っていた。
彼はアルヌスの大地を駆け抜けていた。
バンと数十発の弾丸が発射された、正確な練度のある射撃だった。
コズミックは剣を器用に使い、ひとつの軌道を丁寧に切り開く。ズンと体が弾丸によって仰け反る。彼は必要な弾丸しか防がなかった。足に命中。しかし動く、筋肉繊維がめくられていようと驚異の再生力でコズミックは目を開いた兵士の懐に入った。
一撃離脱。ズレのない軌道のまま、兵士の喉元を切り裂き、飛び上がった。周囲の兵士は視線が釘付けになっていく。コズミックは右手に剣を持ちながら、柔軟とは思えない体で空中遊泳のように弾丸のつぶてを回避する。
着地。狙ったように、兵士のアサルトライフルがむく。だが、兵士は撃てなかった。引き金をなんどなく引く姿は滑稽だ。糸を手繰り寄せるように、ぐいと左手をひくと、兵士のアサルトライフルは綺麗にぶつ切りされ、落下していった。
バンとフォローするように、近くの兵士がコズミックの不意をついた。
安定した精度であり、側頭部をとらえていた。目線もむけず、五十センチの刃は現れ、なかったことにする。
コズミックは追わなかった。味方の前線が上がってくる。
これでいい。
深追いは禁物だった。いくら不死であり、驚異ともよべる再生能力があろうとそれは日を改めなければダメージを受けるたびに、効率は落ちていく。
弾丸を撃った兵士、紛れもなく弾丸はコズミックを貫こうとしていた
彼は煌く魔法のつぶてを、視界上方に認めた。
瞬間、見えない壁に弾丸は弾け去った。それを認めた兵士は一様の抵抗として、アサルトライフルを向け、火を発しながら退いていく。
戦車の砲弾、迫撃砲による正確な攻撃。
見えない壁の全貌が爆炎により、あらわになる。それは味方の前線を保つようにひかれ、コズミックの後方に待機していた数十人体制の魔術師によるものだった。彼らの杖先の結晶が光り輝いていた。
「コズミック様!」
顔を向けると、クロサルが汚れた顔で待っていた。
「どうだった、クロサル。よくやったか?」
「はい、もちろんですとも! それよりお体は」
「いつもどおりさ。怪我をしようと、我々にとってみれば勲章なのだ。痛みなど超越した、気にしないことだと言ってるだろ。
今日はこれ以上ないだろう」
二人は切り開いてきた大地を見据えた。
仲間の死体と敵の死体が交互に並ぶように倒れている。血と赤土の区別がつかない。降参して、連行されていく米軍兵士。いまなお万が一に備え、壁を補強している魔術師たち。
以前はいまより、悲惨なものだった。
10:1――分析者はそう口にした。戦場は一定の死ではなく、大多数の傾きがあった。
望んで死ぬものはいない。
「これからどうなるんでしょうか」
「アルヌスはもうじきだ。ウォルストリア、アレストランと、徐々に支配の手を種を取り除いていったときと、同じだ。アルヌスにも、緑が帰ってくる。我々は笑って、この大地をもう一度踏める日々がまもなくやってくる」
「コマンダーは、あと三度の進行とのことです」
「サムエルは確実にやる男だ。我々はそれに従えは、勝利が約束されている」
鷹が飛んでいる。二人の直上で旋回していた。
コズミックは鷹に気づくと、踵を返しはじめた。クロサルも遅れて後を追う。
「なにかあったんでしょうか」
「きっと、なにか、だ。サムエルの考えていることはわからん。見抜いたと思えば、戦場に立とうとするやつだ」
クロサルはかすかに笑い声をあげた。
「まったく。今回も、前のように降伏した戦力を見定めるのでは?」
「さあな。可能性はあるだろうが、我はそうは思えない」
「では……視察? 敵の戦力に動きがあった」
そうだろうか。
コズミックはサムエルのことを思慮し、思い描く。経験の成す技、なにをやっているのかわからぬ人間。
しかし、仲間たちは次第に信頼という胴紐を明け渡していった。
銃という強力な武器の前に手が出るのは、サムエルしかいなかった。彼には勝利へと導く知恵があった。
敵の戦力は、こちらの偵察が随時送ってくる。それは敵も然り、時よりこちらの配置を見抜いたような動き方だったりする。
特別な要件がない限り、コズミックらに鷹は飛んでこない。
緊急な要件、途中から二人は走っていた。戦いの疲れなど吹き飛ばし、足をあげた。