第四十話 挙動不審者
すがすがしい朝。
太陽が昇り、広大な街を照らして一日が始まる。
宿屋の窓を開くと、朝日とともに王都の生活が瞳に映る。
石畳を歩く人々の声が聞こえ始めて、パン屋から空腹を誘う香ばしい香りが漂っている。
閑散としたリールの村とは違い、街の人々は明るく楽しそうで、活気に満ち満ちた王都の営み。
これだよこれ。俺が求めている生活とは、こうやって始まるべきなのだ。
「あー! ねぇママー! ゲロ吐き支部の人だよー!」
「しっ! 見ちゃいけません!」
……こんな呼び名が定着していなければ、最高なんだがなぁ。
運動会が終わり、俺は王都でなけなしの有給休暇を消化していた。
もともと数年間過ごしたなじみの街。
運動会で大変不名誉な称号を大衆に認知されたことを除けば、俺はこの街が大好きだ。
何より、トラブルばかり引き起こす冒険者を相手にする必要がない。そんな厄介な奴らは上司に押し付ければ済むことだし、そもそも今は休暇中。
心置きなく羽を伸ばして、仕事にいそしむやつらをあざ笑ってくれよう。
「さて、ちょっと早く目が覚めちゃったな。今日一日何しようか」
体を伸ばして顔を洗い、朝食を済ませてもまだ早朝。
生活リズムとは恐ろしいもので、休日に惰眠をむさぼろうとしても、どうしてもいつも通りの時間に目が覚めてしまうのだ。
有給は数日分取っているが、実はやることが決まっていない。
日がな一日ゴロゴロしててもいいが、せっかくの王都での休日。何かしらの活動はしておきたい。
と言っても、賞金は入ったものの金に余裕はない。ショッピングを楽しもうにも、財布が空では意味がない。
そこで、自分の趣味について考えてみたが、俺にそんなものは無い。
休みの日と言えば、ゴロゴロするか酒を飲みに行く位のものである。そもそも、今までの勤務地では遊びに行く場所がほかにないのだから仕方がない。
王都に居た頃は、ミントやボンズと遊んでいたけれど、今は二人とも別々の職場で働いている。
ボンズは運動会が終わると同時に、西方の職場へと帰ってしまったし、ミントは普通に仕事中だ。
他に知人や友人がいないわけではないが、休日に遊ぼうと気軽に誘えるような人間は、今言った二人くらいのものだろう。
…………一応、選択肢としては他にもある。絶対に選ぶことはない選択肢。
リール村の冒険者がいまだ数人、王都に滞在しているのだ。
すなわち、パプカ・マグダウェル、ゴルフリート・マグダウェル。そして、ジュリアス・フロイラインの三人だ。
……もう完全にトラブルメーカーのトップ3じゃないか。恐ろしすぎる。絶対に滞在中は関わり合いにならないようにしよう。
「……とりあえず、街を散策してみるか。それはそれで楽しいかもしれないしな」
俺は寝巻から私服へと着替え、宿の自室の扉を開いた。
「……あ、さ、サトー! き、き……奇遇でしゅねっ!? いい天気ですし、い、一緒に散歩でもいかがでひゅか!?」
扉を開けると、そこにはやたらとめかしこみ、顔を真っ赤にしたパプカの姿があった。
額からは汗が流れ落ち、その目は血走って俺をにらみつけている。
「え、何? 怖っ……」
飲みの誘いならともかく、パプカから散歩に誘われるのなんて初めてだ。
強烈な違和感とともに、少なくない恐怖を俺は感じ取った。
* *
宿屋の一階にあるオープンテラス。
俺はコーヒーを、パプカはジュースを頼んで向かい合っていた。
いつもならケーキか何か、甘いものをジュースと一緒に頼むパプカだが、今日は食欲でもないのだろうか? 飲み物だけとは珍しい。
相変わらず顔を真っ赤にさせながら、ほとんどうつむいた状態のパプカは、なぜかもじもじと恥ずかしがっているように見えた。
「どうした? トイレなら店のを借りればいいだろ」
「別にトイレを我慢してるわけじゃありません! と言うか、乙女に対してデリカシーがありませんよサトー!」
気を利かせたつもりだったのに、怒られてしまった。
トイレでなければなんなのだろう。いいや、まったく興味はないが、用事があるのなら早く言ってほしい。せっかくの休日の時間を、無駄に過ごすのは嫌なのである。
パプカはもじもじしながら、目を全く合わそうとしないまま、口を開いた。
「……ほ、本日はお日柄もよく……絶好の散歩日和……ですね?」
「はぁ?」
「サトー……そういえば、あなたのご趣味はなんでしたっけ? わ、私は、暇な日は一日刺繍をしたり小説を読んだり……」
「待て待て。どうした急に、お見合いか? そもそも、お前は暇なときは酒場で一日中飲んだくれてるじゃねぇか」
急にお見合いのような定番のセリフを吐き出したパプカ。はっきり言って気持ちが悪い。しかもどう考えてもニセ情報。
真っ赤な顔とめかしこんだ服装。そして脈絡のない見合いのセリフ。違和感がさらに強まった。
「ひょっとして熱でもあるのか? ほれ、おでこ出してみろ」
「ほわっちゃぁっ!?」
「痛ぇっ!?」
違和感の原因として熱でもあるのかと思い、パプカのおでこを触ろうとすると、なぜか奇声とともに振り下ろされた手刀で俺の手は弾かれた。
息を荒くして俺をにらみつけるパプカは、どう見ても
「お、お……乙女の体に気安く触るなぁ!!」
「な、なんだよ急に! お前の体なんて、しょっちゅう触ってるだろ! やっぱ熱あるんだろ!? さあ、でこを出せ!」
「や、やめろぉ! 触るなぁ!」
「うぎゃぁっ!?」
再度手を出すと、今度は噛みつかれてしまった。
「う……す、すみません。ちょっと興奮してしまいました。でも、やっぱり女の子の体に気安く触るのは、いけないと思うのですよ」
「つっても、お前が酔いつぶれたときとか、部屋まで運んでるのは俺なんだぞ? 今更だろうが」
「…………すみません」
なぜノンアルコールで酔いつぶれるのかは謎だが。
手刀を落とされ、噛みつかれた手を、息を吹きかけて冷ます。朝っぱらからなんでこんなひどい目に合わなければならないのだろうか。
キレたかと思えば、パプカは俺の言葉で反省したように、再び席についてうなだれた。情緒不安定か。
「ホントなんなんだよ、怖いよ。もう行って良いか?」
「ま、待ってください! それは困ります!」
「だったら何の用事か早く言えよ。暇だって言っても、これから出かけるつもりなんだから」
俺の言葉に、あうあうと口ごもるパプカ。いったい何を恥ずかしがっているのだろうか。
正直知りたくもない情報であるが、わざわざ休暇中の俺の部屋にまで足を運び、俺の時間を消費しているのだから、何かしらの用事があるのは間違いない。
と言うか、用もなく来たのであれば拳骨をくらわせてくれよう。
とにもかくにも、その用事を聞かないことには話が始まらないし終りもしない。
さらっと用を聞いて、「断る」の一言を添えてお別れすることにしよう。
「き、今日はサトーに……つ、伝えたいことがあって来たんです」
パプカは胸に手を当てて大きく深呼吸をした。
そして表情をキリッと整えて、俺の顔をまっすぐに見つめ、口を開いた。
「わ、私と…………結婚を前提にお付き合いしてください!!」
………………は?