第三十五話 浮気と爆発
運動会も終わり近づき、恐らくすべての競技で最も盛り上がる”決闘トーナメント”が行われている。
どう考えても、運動会に組み込むべき競技ではないが、基本的に冒険者とは戦闘に従事する人間だ。そして、それは周知の事実であり、彼らの戦いを間近で見たいという観客は少なくない。
街中では戦闘クエストなんて殆ど無いし、町の外でも、街道に沿った低レベルのモンスターからの護衛任務くらいしか戦闘を見る機会はない。
よって、運動会に限らず、このような大規模イベントでは必ず冒険者同士の戦闘が行われるのである。
元の世界でも、ボクシングやレスリングなど、格闘技のイベントは大人気なわけだし、ことさらおかしな話でもないだろう。
ただし、こちらの世界では、文字通り命がけのイベントである。
「助けてぇー!!」
「待てやコラァ!!」
運動場に響く、命乞いと殺意の脅し。ちなみに非常に珍しく、この命乞いは俺のものではない。
ゴツい鎧に身を包み、その上から十字架が描かれたマントを羽織る。白髪ながら若く整った顔立ちに、青色の瞳が輝くイケメン。
”教会”と称される宗教組織に属する聖騎士。名をアックス・ル・モンドと言う。
宗教組織に所属していながら、冒険者の運動会に参加するのはおかしな話だが、彼は一応冒険者資格を持っていたらしい。
人間やめてる冒険者の序列二位。ミスリルランクの冒険者である。
そして、相対するは我らがチーム。人間やめてる冒険者序列一位。オリハルコンランクのゴルフリート・マクダウェル。脅しをかけている張本人である。
「てめぇ! 俺の嫁さんに色目使いやがったなぁ!」
「使ってませんってば!」
三角関係? ゴルフリートの怒りは、運動会にはまるでそぐわない動機で形成されていた。
振るう斧に一切の手加減は見えない。一発一発が、頭をかち割り、命を刈り取る勢いだ。蘇生班が入るとは言え、あそこまで本気やるとは大人げない。
どうしてこうなったのか。その理由は競技前に遡る。
* *
「どうも~、お届け物でーす」
チーム控えの天幕に、ゴルフリートを引きずりながらヒュリアンがやってきた。あの細腕に、どんなパワーが有るのだろうか。
引きずられるオッサンは、未だに気絶中。白目をむいて泡を吹いている。大丈夫なのか。
「お疲れ様ですヒュリアンさん」
「お疲れ、サトー君。夫の折檻……じゃなかった。説教が終わったから返しに来たわよ」
「えーっと、大丈夫なんですか?」
「大丈夫。忘却しておいたから、何も覚えてないはずよ」
それは果たして大丈夫と言えるのだろうか?
俺は泡を吹くオッサンの顔を叩いた。するとうめき声を上げ、薄っすらと意識が戻り始めた。
「うーん……? はっ!? ヒュリアン! 爪だけはやめっ……」
「忘却」
「あふん」
やっぱり大丈夫じゃないじゃないか。
もう一度顔を叩いてオッサンを起こす。再びうめき声を上げたオッサンだったが、今度は意識がはっきりしているようだ。
「おう、サトー。なんでそんな気の毒な人を見るような目をするんだ?」
「いえ、なんでも…………強く生きてくださいね」
「はぁ?」
正直、同情を禁じ得ない。気を緩めると、涙がこぼれ落ちてしまいそうだ。
「ゴルフリート、体に異常はない?」
「うぉっ!? ヒュリアン!?」
「何よ、妻の顔を見て叫ぶなんて、失礼しちゃうわ」
「す、すまん…………その、怒っては無いのか?」
「ああ、貴方が浮気したって話? 怒ってたわよ。だから聞いてるの。貴方、右腕はちゃんと動く?」
「寝てる間に俺の右腕に何をしたっ!?」
右腕をぐるぐる回して動作確認をするオッサン。恐らく折檻の内容は、右腕を中心に行われたのだろう。
キチンと動くことを確認すると、ホッと胸をなでおろした。
「うん、大丈夫みたいね。次が参加競技らしいし、壊したままじゃ悪いものね」
「壊すって何をだよ!」
「まあまあ、終わりよければ全て良しってね。浮気の件も、一応許してあげたんだから、それくらい我慢しなさいよ」
「ぐぬぬ……」と言葉を飲み込むオッサンに、先程の同情の気持ちが消え失せた。
こんなに美人な嫁さんをもらっておいて、何贅沢に浮気なんてしてんだよ。女の敵かつ、恋人のいないすべての男を敵に回すぞ。
「そう言えば、次の競技はトーナメントですけど、やっぱりヒュリアンさんも参加されてるんですか?」
「ああ、私は参加しないわよ。うちからはアックス君が出場予定なの」
「アックス? アックス・ル・モンドの事ですか? でも彼は確か、冒険者では無かったはずでは?」
「あら、知り合い?」
アックス・ル・モンドとは、研修時代からの知人である。協会関係者との仕事のやり取りもあるため、その際に知り合った飲み仲間だ。
と言っても、彼は下戸であるため、飲むと言ってもノンアルコールだが。
かなり波長が合う存在で、ズバリ彼もかなり気苦労を負っている。昔の職場の同僚が、未だにパワハラをしてくるなどと、毎回シラフなのに愚痴をこぼしまくっていた。
そんな彼がなぜ冒険者に? その理由は、ヒュリアンが答えてくれた。
「昔、ゴルフリートや私と一緒にパーティを組んでいたことがあるの。今回運動会に参加するために、一時的に冒険者として復帰したのよ」
元職場の同僚が目の前にいたらしい。
確かに、この二人を同僚に持てば、愚痴の一つも言いたくなるだろう。
「今でも一緒にお茶する仲だしね。誘ってみたら、泣いて承諾してくれたわ」
「う、む…………あいつも苦労してんなぁ」
「貴方と違って、アックス君美形だから。目の保養になるのよねぇ。それに、最近は毎晩すごく激しいのよ? 熱々のをすぐにぶちまけて、まぁそこが可愛いんだけど」
ヒュリアンの口からとんでもない台詞がこぼれ落ちた。
染まる頬を両手で抑えるその表情は、とても艶かしく見える。おいおい、良いのか、これ?
「…………ほう?」
どうやら良くなかったようだ。
オッサンはヒュリアンの台詞を聞くと、頬を痙攣させて、口角を釣り上げた。しかし目は全然笑っていない。
殺気に満ち満ちたその表情は、目線だけで人を殺すことができそうだ。実際、彼ほどの実力者になると、その気合に圧倒されて、気絶する人間くらいは居るかもしれない。俺も気絶してしまいそうだ。
「お、落ち着いてくださいゴルフリートさん。殺しは……殺しは駄目ですよ!」
「はっはっは、何言ってんだサトー。殺すなんて冗談じゃない」
「そ、そうですよね。はっはっは……」
「死ぬよりひどい目に会わせてから殺すに決まってんだろうが」
め、目がガチだ……
オッサンはその巨体をゆっくりと動かして、天幕を出ていった。
俺はその動きを止めなかった。俺ごときが静止できるとは到底思えないし、何よりまだ死にたくない。
アックスよ、骨は拾ってやるから。成仏してくれよ。
「で、さっきの話は本当のことなんですか、ヒュリアンさん?」
「ホントのことよ? 最近無理やり飲みに引っ張り出してるんだけど、あの子お酒弱いのよね。すぐ酔っ払って暴れるし、あちこちにすぐ吐いちゃうの」
「…………言葉って難しい!」
* *
という訳で、アックスはヒュリアンの言葉不足から、オッサンに命を狙われているのであった。いい迷惑である。
競技も残すは二種目。決闘トーナメントに加え、団体リレーを残すだけとなっている。
その為、ほとんどのチームは、それぞれが属するサブマスター陣営のポイント調整に入っている。
総合優勝は、ほぼ間違いなく中央チームが持っていくことになるだろう。他のサブマス陣営は、ポイントを収束させて、少しでも上位に所属チームを食い込ませようと必死の様子だ。
結果、決闘トーナメントには、それぞれの陣営の、最強の冒険者はほとんど参加していない。中央チームも、ヒュリアンでなく二番手のアックスを参加させているのはそのためだ。
最後の競技のために、力を温存させているのだろう。
そして舞台は決勝戦。二番手、三番手の冒険者など、ゴルフリートの相手になるはずもない。
『人間の部』である低ランクトーナメントは言わずもがな、『人間やめてる部』高ランクトーナメントの殆どの試合は、描写を省略しても問題ないだろう。
「殺す殺す殺す殺す……」
「怖い怖い! ヒュリアンさん、ゴルフリートさんに何言ったんですか!」
アックスの嘆きの叫びが響き渡る。
ランクが一つ低いながらも、必死に食い下がるアックスに会場は盛り上がりを見せている。しかし、オッサンの動機を観客が知ったらドン引きだろうな。
「俺が中央にいないからって、人の奥さんと何イチャコラやってくれてんだ、この生臭坊主が!」
「イチャコラって、そんな恐ろしいことやるわけ無いでしょう!」
「てめぇ、前に俺が紹介した女はどうした! そっちの尻でも追っかけてろや!」
「あの女性なら丁重にお断りしましたよ! と言うか、聖職者に娼婦を紹介しないでください! 教会をクビにされちゃうでしょうが!」
何やってんだよあのオッサン。
「んなこと言っても、俺が紹介できる女と言えばそれぐらいなんだよ! 満足しとけよ、童貞が!」
「ど、どど……童貞で何が悪い! 聖職者だって言ってるでしょう!」
「はーん! このままじゃジョブが”聖騎士”じゃなくて、”魔法使い”になっちゃうなー! プークスクス!」
「ガキかアンタは!」
なんというハイレベルで低俗な戦いだろう。
最強の冒険者たちの戦いは、物理的に見れば世紀の一戦と言っていいだろう。しかし内容は最低である。
いい歳した大人たちが、口汚く罵り合う場と化していた。まあ、ほぼ一方的ではあるが。
「そもそも、ヒュリアンさんに愛想を尽かされてるのは、アンタの浮気グセのせいでしょうが! もうちょっと下半身を自重させてくださいよ!」
「人聞きの悪い事を言うんじゃねぇよ! 俺の一物はヒュリアンの為だけにある! 俺はただ、恋多き男であるだけだ!」
それを浮気であると言うのでは無いだろうか。
「そんなこと言って、酒場のルイーズさんとちょくちょく飲みに行ってるでしょ! 説得力の欠片もない!」
「ば、馬鹿! しーっ! しーっ!」
俺の横でヒュリアンの殺気が満ちるのを感じた。顔はにこやかなのに、全然笑ってる感じがしない。
なんという恐ろしいカミングアウトをしてくれたのだ。巻き込まれたらどうする気だよ。
「おのれ、クタバレ!」
「危なっ!? 核心突かれたからって、逆ギレしないでください!」
「逆ギレじゃねーし! てめぇ、そんな事言うならこっちだって言うぞ! サブマスん所の嬢ちゃんに送るポエムを書いてたこととか!」
「わー!? なんで知ってるんだアンタ! やめろぉ!!」
剣と斧が火花を散らし、衝撃波が会場全体を飲み込んだ。
鍔迫り合いに持ち込んだアックスは、体格で劣るにも関わらず、オッサン相手に一歩も譲らない。
斧を弾き、一撃。
オッサンが、防御スキルや回避スキルが苦手な狂戦士であることを差し引いても、一撃を食らわせたのは奇跡とすら言えるかもしれない。会場も大盛り上がりだ。
『なんとなんと! これはミスリルがオリハルコンに勝利するという、大番狂わせが見れるのか!?』
という実況は現実には起きなかった。
「痛ぇだろうがこの野郎!!」
「ぎゃぁ!?」
ゴルフリートのアッパーカットが炸裂。先程までの硬直状態は何だったのかと思うほど、綺麗に決まったそれは、アックスを空高く吹き飛ばした。
狂戦士と言うのは、攻撃を受けるたび、ステータスが跳ね上がる能力を備えているドMジョブである。
すなわち、普段一発の攻撃も浴びること無く、困難なクエストをこなしているゴルフリートであるが、アレは全くもって全力ではない。
アックスから一撃をもらっただけでこの有様。彼の全力の底が見えない。
異常に長い滞空時間を経て、アックスは無事に地面へと落下。モザイク処理が必要な程度の怪我を負った。
『勝者~、辺境チーム、ゴルフリートさん~』
『大番狂わせなんて無かった! 順当に、ゴルフリート・マクダウェルの勝利です! アックス選手生きてるか!?』
蘇生班による回復作業によって、なんとかアックスは死なずに済んだようだ。これから担架で運ばれ、最終競技までに全回復させられるだろう。改造人間かな?
雄叫びを上げて勝利の美酒に酔うゴルフリート。そしてその大男のもとに、可憐な女性が一人近づいた。ヒュリアンである。
「おめでとう、ゴルフリート。で、ルイーズって誰?」
ゴルフリートの表情が固まった。
「確か、浮気してた女ってマリアとか言ったわよね? で、ルイーズって誰?」
「…………えっと」
「極大爆裂魔法」
弁論の一言を許すこと無く、ヒュリアンの魔法が炸裂した。
そして俺は思い出す。
「皆殺しのヒュリアン」
ヒュリアン・マクダウェルの通名である。
なぜそう呼ばれるのか。あまりに強力で、広範囲の大魔法をいくつも習得しており、それらを何の苦もなくバンバン放って、味方もろとも吹き飛ばす。
結果としてついた名前が「皆殺し」
全然笑えない話である。