第百六十八話 夜の街の叫び声
「結局神様って何なんだろうな。言葉だけ聞くと事務職の兄ちゃんみたいな方だったけど」
「まあね……でも、神としての力は本物だったし、自称で無いことは確かだよ……たぶん」
確かでたぶんってどういうことなのだろう。
俺とアックスはグダグダの末に交信が途切れた神様を放っておき、野菜市場の休憩室にてコーヒーを片手に雑談にふけっていた。
「そもそもなんで女神さまの代わりに豊穣の神様(?)が出張ってきたんだ? 少なくとも、蘇生魔法は管理外のはずだろう?」
「神様本人の言を借りれば『急に押し付けられた。理由は聞いてない』だそうだ」
「なんだそりゃ。結構ゆるゆるだな天界も」
「天界の仕組みは知らないけど、こっちでもひと悶着あったからなぁ。教会は財政難で副業を始める始末だし」
「でも、アックスの屋台にせよ農家にせよ様にはなってたぞ?」
「やめてって」
心底疲れた表情で否定の意思を示すアックスであった。
「なんにせよ、ほとんど視察にならなかったしなぁ。そろそろ帰る──っと、帰ると言えば、アックスっていつ頃国に帰る予定か決まってるのか?」
「いや、当分先になると思うけど……なんでだい?」
「俺やルーン達は今すぐにでも帰りたいんだけど、もう何日か待たないといけないらしいんだ。アックスの伝手でなんとかならないか?」
「どうだろう……マオー社長が手配してくれてるらしいから、たぶん……」
「ダメそうだな……」
俺達とアックスの帰還方法はどうやら同じらしい。
だとすれば、やはり大人しく予定日を待つしかないようだ。
「仕方ないか……んじゃ、とりあえず今日は帰るとするよ──農作業、頑張ってくれ」
「──しばらくネタにされそうだな」
* * *
野菜市場から出てみると、雨は降りやみ、すでに陽も落ちて真っ暗になっていた。
とはいえ、魔界の文明レベルは現代並み。真っ暗と言ってもネオンに輝き足元もはっきりと見えるような眠らない街である。
大通りに出てみれば呼び込みの声がかかり、道端には眠りこけるサラリーマンや嘔吐に勤しむキャリアウーマンの姿もちらほら見えた。
「どう見ても日本の繁華街なんだよなぁ。召喚者のOKな基準ってどうなってんだろ……」
俺が住む人間界は、あまりハイテクな文明は持ち合わせていない。
何百年も前から召喚者が召喚されているのだから、魔界並みに発展していても何らおかしくないのだが、どうにも人間界に居る召喚者は軒並み「世界観が崩れるだろ!」と言う信念があるらしく、あまり現代的な装備は作りたがらないのである。
一方の魔界はそのような制限はかかっていない様子。
もしかしたら、召喚者など関係なしに自力で発展をしたのかもしれない。
「いらっしゃーい! いい娘たちそろってるよぉ! お触りOKで値段も安い! サキュバス喫茶に寄ってかないかーい!?」
重なる呼び込みの中から、俺の耳はとある一声を拾い上げた。
呼び込みの声とは全く関係ないが、俺はすぐさま自分の財布の中を確認し、マオー社長から貰った生活費用の残高を数え上げた。
目を離せば散財しまくるジュリアスやパプカの分も管理を任されているため、現在の俺は中々の裕福な懐事情となっている。
これまた関係無いが、最近運動不足気味な俺は呼び込みが行われている店員の前でシャトルランを始めた。
「────あ、あの……お兄さん? うちの店、寄って行きますかい?」
「ええ!? 困るなぁ、呼び込みですかぁ!? 僕にはそういうのまだ早いと思うんですよぉ! すみませんけど心の準備が出来上がるまでもうちょっと待ってもらえますぅ!?」
「は、はぁ……」
何と言うことだろう。全くこれっぽっちも興味がないにもかかわらず、いかがわしい店の呼び込みにあってしまった。
思えば学生時代は年齢制限で入る事は叶わず、次の職場では忙しすぎてそんな暇もなく。そしてリール村にはそもそもそんな施設はない。
俺の下半身はいまだ清いまま。今まで出来た恋人は片手のみと言う状況で、いかがわしい店に入るだと?
そんな不健全なことを許していいわけがない。俺は本物の恋人が出来るまで、そんないかがわしい行為をしないと心に誓っているのである。
「すみません、興味はないんですがお値段表見せてもらっても良いですか?」
値段表を呼び込みのお兄さんから受け取って精査する。
違うんだ。これはあくまで市場調査。冒険者ギルドの未来のために、プライベートな時間を犠牲にしてまで勤しむ俺は褒められても良いはずだ。
────ふむ、どうやらジュリアスとパプカの生活費も合わせれば、最高クラスの3時間コースまで楽しめるようであった。
「じゃあとりあえず3時間コースで──」
プルルルルルルッ!!
「どっはぁっ!?」
口から心臓が飛び出た。
ポーチにしまっていた連絡道具。どう見てもスマホなそれから放たれた呼び出し音に、俺はおかしな声を上げながら飛び上がった。
画面上には文字が刻まれており、見間違いでなければリンシュと書かれている。
「はいもしもし」
いつもの癖で反射的に出てしまった。
『こんばんは。ワンコールで出ると言うのは良い心がけね。今、少し時間良いかしら?』
「え、あ……いやぁ、今はちょっとその用事があってだな──」
『まさかとは思うけど、私に病院の被害補償の請求書を押し付けた挙句、自分は夜の街で一発やろうって用事ではないわよね? あらごめんなさい。そんな恥知らずなことをサトーがするわけがないものね?』
「そうですね。こっちの用事は気のせいでした。どのようなご用件でしょうか」
『別に? 何となく元気してるかなって思っただけで用件なんてないわ』
もしかして俺ってどこかで監視でもされているのか?
『まあもうすぐ帰ってこれるだろうし、そこまで心配もしてないけど──ああそうそう。来月以降の給与査定は覚悟しておいてね。じゃ』
最後に恐ろしい言葉だけを残して電話は不通となった。どうやら本当に用事はなかったようである。
「…………まあ、明日の事は明日の俺に任せるとして──店員さん! ひとまずこの3時間コースで大人の階段を登り──」
「サトー! 探しまちたよ!!」
「ぼっほぉっ!?」
背後やや斜め下から聞き覚えのある声がした。
甲高い幼女のような声に振り返って見れば、そこには甲高い声を放つ幼女の姿があった。
ついでに顔を真っ赤にして焦点が定まらない瞳を潤ませる赤い髪の女も見て取れる。
言うまでもないが、それはパプカとジュリアスであった。
「ぱぽあぱおじゅぱじゅじゅりあ……っ!」
「なんの呪文でちかそれは? いやそれよりもサトー! 酷いでちよ! わたち達のお金を持って丸一日も居なくなるなんて!」
「そーらそら! ひろいぞサトー!!」
パプカはともかくとして、ジュリアスはすっかりアルコールで出来上がっているようである。
「お、お前らなんでここに……」
「やることが無いので飲み歩いていたんでち。お金が無いからルーンも連れておごってもらっていたんでちが、ルーンが早々に潰れて帰ってしまったので、財布が無いんでちよ」
「ああ、だから俺を探してたのか……ルーンとジュリアスはともかく、パプカは飲み歩いている割には平気そうだな?」
「ふふん。二人と違って大人でちから。何杯飲んでも一向に酔えないのでち」
たぶん店員が気を利かせてノンアルコールを飲ませていたんだろうなぁ。
「という訳で面を貸すでち! 朝まで返しませんよ!」
「いやぁ、あの……金なら渡すから今日はお前らだけで飲んで来いよ。俺は今から用事が……」
「ほぉーん? 大人の階段を登るって話でちか?」
聞かれてたぁーーーー!?
「大人の階段と言うのは聞いたことがないでちねぇ? そういうものが夜の街にあるのでちか? どういうものか説明してもらいたいものでち」
そう言うパプカの表情は二やついていた。
こ、こいつ……答えにくいことが分かったうえでからかってやがる……! 幼女の癖に! 幼女の癖に!!
「ほれほれ。お姉さんに聞かせてみるが良いでち。大人の階段ってなーに?」
「こ、このガキ……っ」
「────ヒック……大人の階段ってなんら?」
「「……えっ?」」
酔っぱらったジュリアスが、ろれつの回らない口でそう聞いた。
その目は酔いからか潤んでいるが、どうやら冗談で言っているわけではなさそうだ。
「大人の階段というのがあるろか? 私登ったことらいらぁ……ヒック。あぁ! じゃあこの際みんらでのぼってみれば良いんらぁ!」
「じゅ、ジュリアス? 言ってる意味わかってるのか? 一応、この中では最年長だぞお前?」
「落ち着いてください! 今とんでもないことを口走っているんでちよ、ジュリアス!?」
「うへへ……お姉さんでもわかららい事はあるろらぁ。サトーが教えてくれるなら嬉しいろぉ? 一緒に大人の階段を登ろうらぁ」
上目遣い+涙目+美人=一夜の過ち。
「こらぁ!! させません! させませんよ! どう考えても倫理的にアウトでち! 同意の無い行為は法律的にもアウトでち!!」
「私は別にいいろぉ? パプカも一緒にどうらぁ?」
「きゃぁ! やめてください! 初めてがサトーは生理的に嫌でち!!」
「おいちょっとそれはどういう意味だ!!」
「つーかお前ら冷やかしなら帰れ!!」
呼び込みの店員さんの悲痛な叫びが夜の街に響いた。




