第百三十四話 魔王へ襲来
人々が【世界】と表現するとき、それは基本的に人間が生活する領域である王国を指す。だが、学術的な表現の場合はもう少し複雑になり、この場合は2つの事を表す言葉となるらしい。
すなわち【人間界】と【魔界】と言う2つの世界だ。
人間界は言わずもがな。俺たちが暮らしている王国のことを指している。人族の他にも獣人族とかエルフとかドワーフなんかも人間に含まれている表現だ。
一方の魔界だが、これは歴史の教科書と学術研究書に出てくるくらいで、一般の人々にとってはあまり聞き馴染みのない言葉である。
なにせ、人間界の未開拓領域でさえ未だに地図が埋まっていないのだ。そのさらに向う側にあると伝えられる魔界の情報など、皆無と言って差し支えない。
ではなぜ魔界の存在が判明しているのかと言うと、こちらは歴史の話になってくる。その昔、人間界に攻めてきた魔王軍との戦いがあったらしく、なんとか撃退したという伝説がある。
その時猛威を奮ったとされるのが、我がリール村おなじみの魔王軍四天王。メテオラとディーバもその時に参加していたのだろうか。
ちなみに、魔王軍を撃退した者たちの子孫が、現在の王家に当たるらしい。
「サトー、なんで急に歴史の授業を始めたんだ?」
「ぶつぶつ誰に話しかけてるんでちか、気持ち悪い」
「いやぁ、知らないやつがいるかも知れないから念の為──今気持ち悪いって言った?」
俺の善意は簡単に流された。
まあ誰に話しかけているのだと聞かれれば、自分自身に話していると答えよう。だって俺、今結構テンパってるんだよ。
家に居たはずなのにダンジョンに飛ばされ、更に飛ばされた先が魔界ってどういうことなの? 話のつながりが全然見えないんだけども。
「たまに入場料を支払わないでここに飛ばされるやつが居るんだよなぁ。お前らみたいな事故は珍しいんだけど」
「あのう、さっきからおっしゃってる【入場料】というのは一体……」
「あー、それも含めて説明しなきゃな。移動がてら少し話してやるよ」
どうやらタナカは説明してくれる気があるようだ。
言ったとおり俺たちは移動を開始する。
大工仕事に使うような道具が乱立する埃っぽい室内から脱すると、今度は石造りの床が延々と続く廊下へとたどり着いた。
「まず、さっきも言った通りここは人間界の王国じゃなくて魔界にある【魔の国】だ。魔族が統治する国で、王国よりもずっと大きい」
「さっきの風景見せられたらなぁ。最初日本に召喚されたのかと思ったぞ、近代的すぎて」
「あ、それ俺も思った。初めて来た時は思わず泣いちまったからな。で、俺は今この国にある会社で雇われてるってわけだ」
「サトーに絡んで結果飛ばされたんだったか? という事は人間界にもこの国について知っている者が居るということだろうか?」
「あー……これは言って良いのか? 人間界でもこっちと交流のある人間は少し居るんだよ。オリハルコン冒険者とか、各ギルドのお偉方。国の政治家の上層部とかな──ちなみに、俺をここに飛ばしてくれやがったのは、氷のような冷たい目で笑う銀髪の女だ」
多分リンシュのことだろうなぁ。
「くそっ! 何が「反省がてら知り合いに預けるからこき使われてきなさい」だ! 召喚者がなんで下働きしなきゃいけないんだよ!!」
「でもそれは自業自得なんでち? 話を聞く限りでちが」
「ぐぬっ……あ、あの時は若かったんだよ。やることなす事上手く行ってて有頂天になってたと言うか……」
「典型的な召喚者だよなぁ」
転生型の召喚者であるタナカ。生まれてから俺に絡むまで、苦労というものを経験してこなかったのだろう。
にしてもアレは暴力的にすぎるように思うが、召喚者の場合は補正がかかるのか大事にならないことも多いのだ。
だから実は、召喚者が左遷されるというのも結構珍しい事例だ。しかも魔の国とは流石に俺も予想打にしていなかった。リンシュと言う他の召喚者が絡んでいる場合は例外になるのだろうか。
「まあそうは言っても、仕事は大変だがやりがいはあるからな。週休3日で労働時間六時間っていう好条件だし」
「ティスカと言いタナカと言い、なんで他の奴らはこんな条件で働けるんだ?」
俺だって完全週休二日制で、これでも王国ではすごく条件良い仕事だ。でも労働時間はきっちり八時間あるし残業だって普通にある。俺の場合は休日でも何かしら仕事が持ち込まれるのだから、彼らとは雲泥の差だろう。
「うちの会社は魔の国でもかなりのホワイト企業だけど、週休3日は法律で決まってるからな。そこまで差は無いと思うぞ」
「なんで魔王が治める国がこんなに良い政治やってんだよ。魔王の定義って何だっけ?」
イメージとしては悪役の国というのが基本なんだが、どうやらこの世界の魔王はかなりホワイト思考の持ち主のようだ。
かつて王国に攻め入ったと聞くが、そのまま統治されていたほうがその後のためになったんじゃなかろうか。
「魔王……魔王ねぇ」
「あの、タナカさん。やっぱり居るんですか、魔王?」
「冒険者たちの最終目標でちからねぇ。とてつもない魔力と武力を兼ね備えたモンスターだと聞くでち」
「ミナス・ハルバンの大冒険でも名前は出てくるが、ある意味絶対勝てない代名詞みたいなものだからな」
歩き続け、俺たちはいつの間にかとある扉の前までやって来ていた。どうやらここが目的地であるらしい。
魔王の下りになってからというもの、タナカの口数は明らかに減っている。やはり魔王が統治するお膝元。その事に関する発言はタブー視されているのだろうか。
タナカは引きつった頬に冷や汗を流してドアノブへと手をかける。
「魔王について知りたいのなら良かったな。なにせ────今から会うのが件のお方だからだ」
「「「「っ!?」」」」
こいつは一体何を言っているのだろうか。いや待て、聞き間違いじゃなければ魔王と会うって言ったのか? 今から? 俺たちが?
「タナカです。ダンジョンへの不許可入場者を連れてきました」
「ああ、タナカか。ええで、入ってもらい」
ノックとともに声をかけたスズキに向かって返事が帰ってきた。何故か関西弁で話す声。声の質から、年若い女性のものだろうか。
急なことで心の準備がまだなのだが、そんな事はお構いなしにタナカは扉を開け放つ。
ウェーブのかかった腰まで伸びる黒髪と、ジャストサイズに採寸された黒スーツ。赤く四角い眼鏡でツリ目を隠し、腰の部分から伸びる細く先がハートマークなしっぽを生やす。
見た目こそ絶世の美女であるが感覚でわかる。この女性こそが、冒険者素人の俺でさえ分かるほどの圧力と魔力を放つ、この世で最も危険な魔族の一人、魔王なのである。
「はっ、よぉ来たな。まあゆっくりしてきぃな」
今度こそ本当に、ストレスで胃に穴が開くのではなかろうか。