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そこで待ってたって朝なんて来ない

作者: 若槻風亜

 この世界には表の世界と裏の世界がある。


 表の世界は普通の世界。色々な光や色に満ちた、人間や動物、植物などが暮らしている世界。


 裏の世界は影の世界。表の世界に生きるものたちの影が暮らしている、光はあるけど色はない、色々な「黒」で満ちた世界。


 そして裏の世界にはひとつ特徴がある。それは、「時間」という概念がないことだ。


 表の世界は時間が流れて日が昇り日が沈む。裏の世界でも日は昇り沈むが、時間は勝手には流れないし、全ての影が同一に生きるわけではない。


 裏の世界は大きな円。その垂直上に太陽が、垂直下に月が固定されている。だから、影が自分で動かなければいつまで経っても朝は来ないし夜も来ない。


 影が動くのは、表の自分の気分次第。表の自分が前を向いていれば前に進み、後ろを向いていたら後ろに進む。ご機嫌だったらスキップし、怒っていれば足音が大きくなる。そして落ち込んでいれば――こうして蹲って止まってしまうこともある。


「やぁ、どこかの誰か。進まないの?」


 僕は朝と夜の境目で蹲ってる影の隣を通り過ぎながら声をかける。僕の本体が前を向いているから僕もここでは止まれない。


 朝の下を通り過ぎ、夜の中を歩き続ける。あの影はまだそこにいた。同じく通りかかった影たちは不思議そうに、あるいは気にも留めずに先に進んでいく。


「やぁ、どこかの誰か。どこか痛いの?」


 ちょっとだけ足を止めて声をかけてみた。蹲る影は何も答えてくれないので僕はやっぱり前に進む。


「やぁ、どこかの誰か。気分でも悪いの?」


 前回よりも少し長く立ち止まって声をかける。やっぱり返事はなかった。


「やぁ、どこかの誰か。何か辛いことがあったの?」


 前回よりもさらに長く立ち止まって声をかける。返事はあったけど「放っておいて」だって。僕の本体に何かあったのかな。何だか凄く走りたくなったから走り出した。


「やぁ、どこかの誰か。僕は君のために何が出来るかな?」


 もっと長く立ち止まる。「何も出来ないからあっちに行って」とにべもない。僕は逃げ出したい気分になって走り出した。僕の本体はとても悲しい思いをしているらしい。僕の目には涙が溜まる。


「やぁ、どこかの誰か。僕は君と仲良くしたいんだ。ちゃんと僕と向き合って」


 もっともっと長く立ち止まって声をかける。また返事がなくなっちゃった。僕は本体の怒りのままに荒い足音でその場を去っていく。


 しばらくの間はどすどすと歩いていたけど、昼が来る頃には落ち着いて、夕方が近付くにつれて気分が落ち込み、夜に入ると足が重くなる。


 蹲る影の姿が見えた。その途端に僕の足は止まってしまった。あの影はもう目の前なのに、近付きたくないと思ってしまって仕方ない。


 何人もの影たちが、僕のことを追い抜かしていく。僕も早く歩き出したいのに、鎖にでもつながれたように僕の足は動かない。


「ねぇ、愛しい子。関わるのなら最後まで関わるつもりでいかなきゃ駄目よ? あなたもちゃんと向き合わないと駄目よ?」


 隣を通り過ぎていく影が僕に微笑みかけてそう言った。しゃきしゃき歩くその影は、もう蹲る影を通り過ぎて朝に向かって行ってしまう。追いかけるように一歩踏み出した僕の心はいつの間にやら軽くなっていた。自然と足は蹲る影に近付き、追い越し、その前で止まる。僕がいるのは朝の中。黒く輝く太陽の最初の地。


 くるりと向き直り、僕は朝と夜の境を挟んで、蹲る影の前でしゃがみこんだ。


 ありがとう、大事な人。そういえば僕は、このどこかの誰かと向き合っていなかったね。


「やぁ、気になる人。この間は酷いことを言ってごめんね。でも、僕は本当に君と仲良くなりたいんだ。君に何があったのかも、今の僕には分からない。朝が怖いのか、進むのが怖いのか、夜から離れるのが怖いのか、僕には何も分からない。だから知りたいんだ。でも、君もきっと、知らない相手に色々喋るのは怖いよね」


 だったらこうすればいいんだね。


「僕のことをたくさん喋るよ。好きなもの、楽しいと思うこと、大事なもの、苦手なこと、怖いこと。全部喋るから、僕に教えてもいいよって思ったら僕に君の事を教えて」


 それから僕は色々なことを話し出した。前には進まず、朝と夜の境で蹲る影に向かって。通り過ぎる影たちはやっぱり不思議そうに、あるいは気にも留めずに去っていく。時々僕の背中を押してくれた影が通りかかるけど、その影も微笑むだけだった。


 50回ほどあの影が過ぎ去ったある時、蹲る影はぽつりと「私もそれ好き」と口にする。僕が好きな映画の話をした時だった。


 100回ほどあの影が過ぎ去ったある時、蹲る影は伏しがちに顔を上げる。僕が逆上がりが苦手でよく友達にからかわれていたことを話した時だった。


 200回ほどあの影が過ぎ去ったある時、蹲る影は立ち上がる。僕が家で飼っている猫が子供を産んでとても可愛いと話した時だった。


 立ち上がってから別の影が20人くらい過ぎ去るくらいから、立ち上がった影は少しずつ自分の話を聞かせてくれるようになる。


 本当に好きで好きで、とても信じていた人に裏切られたらしい。それから、前を向くのも怖くなり、進んでいっても怖いことしかないと思ってしまうようになったんだって。頑張って夜の境に来たけれど、朝の光が怖くて、結局ここで立ち止まって動けなくなってしまったと言う。その内に朝の光を行く人たちがみんな自分を馬鹿にしているような気になって、顔を上げるのも嫌になってしまったらしい。


 寂しい目で僕を見つめる立ち上がった影に、僕は笑顔を向けて手を伸ばす。


「だったら僕と一緒に行こう。君が飽きるまででいいよ。手をつないで行けば怖くないよね?」


 立ち上がった影は困ったような顔をした。でもね、今の僕は最初に会った頃の、君を知らない僕じゃない。その顔は、僕を迷惑がっているんじゃないって分かってる。


「僕らの世界は優しくない。そこで待ってたって朝なんか来ないよ。君の足で、あと一歩だけ踏み出して。そうしたら、そこから先には僕がいる」


 勇気を促す一言に、君は一度目をぎゅっと閉じた。再び開いたその目には、はじめて見せてくれる光が宿っている。


「あのね、気になる人。本当に私のそばにいてくれる?」


 その問いかけの答えは、僕はひとつしか持っていない。


「もちろんだよ、好きな人。君のそばにちゃんといる」


 もう一度微笑めば、立ち上がった影も微笑み手を伸ばしてきた。朝の光の中、僕は〝彼女〟と抱き合って喜び合う。




 僕らは歩いた。何度も何度も朝と夜を越えて。時々喧嘩もする。時々立ち止まりもする。けれどそのほとんどを、僕たちは愛しい気持ちと共に過ごして来た。


 その内に僕らのそばには影が増える。いつの間にかひとりでさっさと歩き出すようになってしまった小さい影に、嬉しかったり寂しかったり。


 だけど僕は幸せさ。「愛しい人」と呼べる人と、「愛しい子」と呼べる子を見守っているんだから。




 ここは影の世界。自分で歩かなくては朝も来ないし夜も来ない。さぁ、あと一歩踏み出せば、次の朝が始まるよ。


最初は精神的に落ち込んでいる人を現実世界で書こうかと思ったのですが、女性側に声をかけた時から「あ、影の世界にしよう。ファンタジーファンタジー」と唐突に思いいたり、その前部分も書き換えました。


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