帰路
「お疲れ様でした!」
バイト先の店長に、大きな声で挨拶をして、祥子は従業員用の出入口からファーストフード店を出た。
そのままいつものように、帰りに使うバス停まで走りだそうとした瞬間、背後から声をかけられた。
「待てよ」
祥子が振り返ると、そこには少々呆れ気味な顔をしながら、倉内相馬が立っていた。
「……もう来てたんだ、倉内」
「お前が待たないことなんて、予測済みなんだよ」
そう言われて、祥子は少しだけ気まずそうに笑った。
「だって、恥ずかしいじゃない?」
「――お前の大親友は、こんな夜中までパパラッチみたいなことをしてるのか?」
「さすがに、そこまではないと思うけど……」
相馬にそう言われ、祥子は昼休みのことを思い出して苦々しげな表情を浮かべた。
今日の昼休み、新聞部に所属している祥子の友人、篠崎優希が、今祥子の目の前にいる男、倉内相馬に尋問――本人曰く突撃取材――を敢行した。
あの時の相馬の不機嫌そうな顔は、しばらく忘れられそうもないだろう、と祥子は思っている。
その『突撃取材』の動機を篠崎に与えたのが、自分だということは相馬にもバレている。
祥子は反省しつつも、今頃自宅で嬉々として記事を書いている親友を、心のなかで少しだけ呪った。
「まぁ、そのことはとりあえずいい。帰るぞ、遅くなったら意味が無い」
そう言って、相馬は先に歩き出した。
その歩みの速さには全く遠慮がなく、祥子は駆け足で彼を追った。
「ちょっと、待ってよ倉内!」
どう考えても、矛盾している相馬の態度に、納得出来ないまま、祥子は彼と一緒に家路についた。
◆
「汐宮、そういえばお前は何でアルバイトしてるんだ? 生活費か?」
「生活費は足りてるよ? でも趣味なんかに回す分は自分で用意しろって、言われてるの」
「そういえば、親は?」
「私が高校入学した直後に、海外に転勤。夫婦水入らず仲良くやってるみたい」
相馬と祥子、二人は人通りがまばらになってきた夜の通りを、喋りながら並んで歩いている。
「――やけに楽しそうだな、汐宮」
「そう? そんなふうに見える?」
「ああ、かなりニヤけてる」
相馬に指摘されて、慌てて祥子は口元を隠した。
自分の手で触れると、言われたとおり口の端が緩んでいることが自覚できた。
「…………」
そんな祥子を、相馬は黙ってみている。祥子の言葉を待っているのだろう。
その視線を受けて、祥子は表情を矯正するのを諦めた。
「――うん、かなり嬉しいかも。倉内とこんな風に二人で話すの初めてだし」
その代わり、開き直って満面の笑みを浮かべた。
「初対面は最悪だったけど、この一週間ずっと、相馬と話してみたかったんだ」
「じゃあ、何で話さなかったんだ? 俺はお前を無視したりはしてないはずだが?」
「べ、別にいいじゃない。そこは……察しなさいよ」
真顔の相馬に問われて、祥子は顔を赤らめながら彼を睨みつけた。
「察しろ、と言われても俺にはさっぱりわからん」
「だったら、別に一生分からくていいわよ。そっちのほうが、恥ずかしくないし……」
そう言ってから、祥子は俯いた。
そして、心のなかでため息をついた。
祥子は自他共に認める人見知りだ。初対面の人間とまともに話せたことなど、一度もない。
まして、一度思い切り暴力を振るった相手と、長時間話す方法など知るわけがなかった。
今だって、相馬と話しながら、彼に変に思われていないかを考えて、情緒不安定になってしまっている。
考えれば考えるほど、頬が熱くなっていくのを感じる。
一度自覚してしまうと、もうダメだ。歯止めが完全に効かなくなる。
――大体、相馬が悪い。
初対面時の奇行を打ち消すほど、この一週間高校で見た相馬は、凄まじかった。
学業、スポーツ、その他諸々……。たった一週間で、貴藤高校のあらゆる記録を塗り替えた。
そんな彼を祥子は――祥子に限らず誰もが――かっこいいと思ったのだ。
ここで祥子の隣を歩いているその彼は、今もこんな何気ない時でも祥子には輝いて見えた。
自覚する話の流れにしたのが自分であることを忘れ、祥子は心の中でわめいた。
「しかし、都会はこんな夜中でも、車が大量に走っているんだな」
何の脈絡もなく、ふと思いついたかのように、相馬は道路の方を見ながらそう呟いた。
「俺の地元じゃ、この時間になると車なんて滅多に通らなかったからな」
その一言で祥子は、相馬に対する、ある二つのことを思い出した。
思い出した途端、緊張で激しくなっていた鼓動が、急激に冷めていった。
「――ねぇ倉内、聞いてもいい?」
「あ? 何をだよ」
「倉内の本当に好きな人って誰?」
効果は覿面だった。
少し前を歩いていた相馬は足を止め、振り返った。
祥子も足を止める。
歩道の真ん中で、向かい合う
「――お前が知らない奴だ。言ったって、分からないだろ」
その倉内の声を聞いた瞬間、祥子は体が縮み上がりそうになった。
普段の彼と変わらない、淡々とした口調だ。しかし、その中に形容しがたい冷たさを祥子は感じた。
「――否定しないんだ?」
「……どうして、そんなことを聞こうと思ったんだ? 昼休みにだって話題にしないようにしてたのに、どうして今になって?」
「ユウが居たら、ちゃんと答えてくれないと思ったから」
「いつから、疑問に思っていたんだ」
「相馬が転校してきた日。私あの時聞いてたの、倉内と雫さんが二人で話してるところ。それと、雫さんが、あなたにキス、してるところも見たの」
「そう、か」
諦めたようにため息をついた相馬の声色から、冷たさが無くなる。
「それで? 俺とアイツ――ミースティアとの話を聞いていたんだろう? そしたら、聞きたいことがまだあるんじゃないのか?」
そう、祥子の疑問のもう一つ――相馬が今、雫のことを『ミースティア』と呼んだことに関連したことだ。
雫が言っていた『彼女』の存在も気になるが、そちらはいま聞くことではない。
「倉内――アンタ、嘘ついてるんでしょう? 雫さんとの関係も、この町に来た理由もきっかけも」
あの日断片的に聞こえて来た、『勇者』、『ヴォイド』、その他諸々――そのどれもが何を意味するのか、祥子には分からなかった。
「教えてよ、『ヴォイド』って何? 何で倉内は『勇者』なんて呼ばれてるの?」
「……何でそんなに知りたがる? お前が知る意味が、知る権利があると思ってるのか?」
声に冷たさは無い。代わりに祥子を試すかのような威圧感があった。
「――あるよ」
祥子はひるまず続けた。
内心では逃げ出したいくらいだ。先程から悪寒のような感覚もする。
――でも、今逃げたらきっと倉内は教えてくれない。
そう考えて、声が震えそうに鳴るのをこらえるために、胸に手を当てて、祥子は言った。
「だって、私は『姫巫女』、何でしょう? 倉内や雫さん二人の、目的のために、私が必要――だったら、私は、最低限の事を知る、権利があるはずよ」
言ってから、祥子は泣きそうになった。
何故なら、今の自分の発言は、自らがあることを認めている証拠だから。
――倉内は私を利用するためだけに近づいた。
どんな目的にしろ、相馬の目当ては『姫巫女 汐宮祥子』なのだ、そう、もしも祥子が、ただの『汐宮祥子』だったら、きっと相馬は見向きもしない――そもそも祥子が彼を知ることすら無かっただろう。
訳の分からない『姫巫女』という単語、それだけが祥子と相馬を繋ぐ、たった一本のか細い糸――それが分かった途端、ほんの数分前までの距離感が、錯覚だということを祥子は思い知った。
短い時間で、祥子の心はかき乱されて、メチャクチャになっていた。
それでも、今だけは――そう自分を鼓舞し、涙をこらえ、相馬の返答を待つために彼を見据えた。
「――気づいてるか、汐宮」
相馬が天を仰ぐ。
まるで、何かを待っているかのように。
「何を?」
「車、もう通ってないだろ?」
「え――」
祥子は周りを見渡した。
確かに相馬の言うとおり、先程まで走っていた車がもう一つも見当たらなくなっている。
相馬が車の事を口にしたのは、ほんの一、二分前の事だ、こんな急激に数が減るなどありえない。
「どう、いう……こと、なの」
よく見れば、車だけでは無い。通行人もだ。
自分と相馬以外、誰も歩いていない。歩道の真ん中で向かい合っているというのに、誰かとぶつかったり、すれ違ったりもしないなど、ありえないのに話に夢中になって、全く気づくことが出来なかった。
さっきから感じていた悪寒が、更に強くなる。
相馬に対してのものだと勘違いしていた。違う、今祥子は、この何でもないはずの道路に怯えていた。
――早く、ここから立ち去らなくては。
相馬は平気なのだろうか、一瞬そう考えた思考も、急激な悪寒に打ち消される。
「待て」
「――――!?」
祥子が走りだそうとした瞬間、彼女の腕を相馬が掴んだ。
その眼は未だに夜空を見据えている。
「もう、遅い。俺から離れるな、そっちのほうが、安全で、手っ取り早い。――アレを見てみろ」
「一体――」
どういうこと? 祥子が聞く前に、答えは相馬の視線を追った先に、ソレは表れた。
――夜空に、穴が開いた。
◆
「なに、あれ――」
空に穴が開く――本来ならあり得るはずのない事だが、祥子は目の前で起きたその現象を、そうとしか表現することが出来なかった。
穴の中は真っ黒だ――それならば夜空と同化して見えない――色ではない、そこに何も無いから、知覚する事ができないから黒い。
ブラックホール――荒唐無稽だが、そう例えるのが一番わかり易いだろう。
「アレが、お前の知りたがった答えの一つだ」
祥子が震える体を抱くのに精一杯なのに対して、相馬は慣れたような雰囲気で冷静に――懐かしそうともとれる表情で、穴を見ていた。
「今回は始まりに過ぎない、これから毎日のようにアレは現れる、数も大きさも比べられないほどのモノがな」
「……わからないよ……」
「汐宮、それがこれからの、お前の日常になる。覚悟はあるか? 自分の命と常識と日常をかけて、世界を守る覚悟はあるか?」
「……そんなこと、いきなり言われたって私には分からないよ……!」
こらえていた涙が、遂に零れた。
あの穴が何を引き起こすのかは、祥子は知らない。
しかし、相馬の言うように、きっとアレは世界を壊す――祥子の本能がそう直感した。
そして、何となく予想が付いた。『姫巫女』は、それをどうにかするために存在しているのだ。
――それでも、覚悟なんて私には出来ない。
何を知ろうが、『姫巫女』と呼ばれようが、祥子にとって、己は一介の女子高校生に過ぎないのだ。
覚悟なんて、出来るわけがない。
涙を流しながら祥子は、自分にそんな理不尽を迫った相馬を睨みつけた。
「あぁ、それが普通だ」
そんな祥子に対して、おかしなことに相馬は、見たことのない優しげな表情を浮かべていた。
「でも、そんなこと関係ないんだ。よく見ておけ汐宮――これからが、本番だ」
そう言って、もう一度相馬は空を見据えた。
同時に、穴からあるものが姿を表した。
トカゲ、もしくはヘビを思わせる巨体、するどいツメと牙、翼を備えた存在。
――ドラゴンだ。
ドラゴンはそのまま穴から地上へと降り立つ。同時に穴は一瞬で閉じた。
「キィイイイィィイイィ――――!」
現れたドラゴンが上げた咆哮は、生物とは思えないような、金属を削ったような無機質な音だった。
赤黒い体に機械的な白いラインが走り、その瞳は水晶のように透き通っており、有機的要素が感じられない、作り物を思わせる体だ。
空想上の生き物、それも自らが想像していたものより異質な怪物は、本来なら祥子の恐怖を増長させるはずだった。
だが怪物に対して、祥子は微塵も恐怖を感じていなかった。
それはきっと、彼女が怪物よりも、目の前に立つ相馬の背中に目を奪われていたからだろう。
「――我は誓う」
相馬が空間に響くような声音で、文言を紡ぎ始める。
呼応するように、彼の右手の甲に、幾何学的な模様が淡い光と共に浮かび上がった。
「――剣を携える限り、戦場に吹く風であり続けることを」
段々と、模様の光は強くなっていく。
そして、一歩ずつ相馬は前に歩き出した。
「キィイイイイィ――!」
同時、ドラゴンが爪を振り上げながら、突進してくる。
相馬もそれを迎え撃つように、走り始めた。
「――来い、『霞』」
最期の文言を紡ぐと同時、模様の光は最高潮まで達し――光が止んだ次の瞬間、相馬の手に一振りの剣が握られていた。
◆
勝負は、あっという間に終わった。
祥子は相馬の動きを、ほとんど捉えることが出来なかった。
まず彼は走りながら、突進してくるドラゴンが突き出す右爪を、その手に握る剣で切り落とした。
かと思うと、その次の瞬間には、ドラゴンの頭上に舞い上がっていた。
そのまま突進姿勢で四つん這いになったドラゴンの、額からしっぽまでを縦に切り裂いた。
相馬のもつ剣は、剣道で使う竹刀ほどの長さで、相手の巨体を縦に割るには、どう考えても足りない。
しかし、現実にドラゴンは真っ二つになり、しかも突進の勢いそのままに、左右にわかれた体は祥子を挟むように滑り込んできた。
「…………」
力が全身から一気に抜け落ちたように、祥子はその場に崩れ落ちた。
祥子の理解可能な範囲を完全に超えていた。
そもそも、『常識を捨てる』覚悟も祥子はまだ出来ていないのだ。
だから――
「汐宮! 逃げろ、後ろだ!」
自分の方に振り返った相馬が、突然叫んだ。
――体を真っ二つに裂かれた生き物が、まだ動くなど到底予想できるわけがない。
相馬の叫びから一拍遅れて、悠長に祥子が後ろを向くと、既にドラゴンの爪が眼前に迫っていた。
「――――!」
聞こえたのが、自分の悲鳴か、ドラゴンの咆哮か、誰かの叫びなのかもわからないほど一瞬だった。
体が突き飛ばされ、そして、視界を埋め尽くした鮮血の赤を認識したのを最後に、祥子の意識は途切れた。