談話
「――相馬くんは偉いね、たった一人で妹さんの面倒を見て、有名私立で成績は常に上位なんだって? うちの息子に爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいだよ」
相馬の家に訪ねてくる親戚が、口々にそんなことを言ってくるようになったのは、いつからだろうか。
「卒業したあとは、存分に東京の大学に進学するなりすればいい。妹さんは私達が面倒を見るから」
善意、三割。世間体、二割。欲望、五割。
程よくわかりやすい、憎み難い割合の感情で構成された、その優しい言葉の数々は聞いていて、相馬は少々感じていたが、それで親戚たちに嫌悪感を覚えたことは、不思議となかった。
相馬の家は、母親が事故で死に、たった一人で家庭を支え続けた父も過労の末、相馬が中学を卒業する前に死んだ。
そうして、相馬は妹とたった二人で生活することになった。
生活に困ることはなかった、文字通り死に物狂いで働いていた父親は、子供二人が生活するのに十分すぎるほどの財産と、保険金を残していた。妹の方も要領が良く、相馬に面倒がかかったことは、ほとんど無かった。
そして、彼が高校生になる頃、親戚たちが妹を預かると申し出始めてきた。もちろん、目当ては金だ。
相馬が高校に進学した後も、遺産はそれなりに残っていて、二人いる子供の内、一人は社会人になる一歩手前。その時まだ中学生だった妹一人なら、さほど手間もかかるまいと思ったのだろう。
至極まっとうな判断だ、相馬は思った。
金目当てでも、無責任なことをされるより、展望があるだけずっと良かった。
「嫌です、私は親戚の方々のお世話にはなりません。兄さんが上京するなら、私も行きます」
親戚の申し出のことを妹に話したら、このように言われた。
別に妹も親戚のことを嫌っているわけではないことはわかっていた。
遺産が目的の一つであることを、妹は知っていたから単に意地を張っているだけだと、相馬は、その時は思っていた。
それから何日間か話をしても、妹が納得することは無かった。相馬との生活を望み続けた。
だが相馬は、彼女の返事を待たず、独断で親戚と話を進めた。
もちろん、妹に知られて穏便に進むわけがなかった。
「兄さんは、何も分かっていません。 分かっているつもりでいるだけです、何もかも、自分勝手に……!」
その時、あいつは今まで見たことがないぐらいに怒っていたように思う。
俺は何も言い返せず、それに余計苛立ちを覚えたあいつの、言い争いとも言えない、しょうもない一方的なケンカ。
「……もう、いいです……」
そうやって口を聞かなくなって、すぐのことだった相馬が異世界に勇者として呼ばれたのは。
◆
「――悪いわね、相馬くん。食器洗いだなんて手伝わせて」
「いえ、大丈夫ですよ。弁当まで作ってもらってるんですから、お安いご用です」
相馬がそう言うと、管理人は「ありがとう、本当に助かるわ」と言って微笑んできた。
彼やミースティア、祥子が現在入居している「双葉荘」では、管理人が入居者全員の食事を担当している。
味はかなりのものだが、この管理人は後片付けが少々大雑把で、この三日ほどは相馬がその手伝いをしている。
「しかし、妙に量が多くありませんか? 管理人さんと、俺と、汐宮と、雫――このアパートって四人だけですよね?」
「あぁ、違うの。本当はあと二人居るんだけど、部屋にこもりっぱなしなの」
「なるほど、食事も多めに準備されてるから、おかしいと思ったんですよ」
そこで話を切って、作業を再開する。
茶碗、皿、フライパン、箸にスプーン。
今日の夕食は和食だったはず――そう思いながらも、相馬はスポンジで磨いた食器をテンポよく積み上げていき、あとは洗い流すだけだ。
食器洗浄機が無いのは面倒だが、相馬は家事はそんなに苦手な方ではない。むしろ暇つぶしに丁度いいくらいに感じている。
「ねぇ、相馬くん。少しだけ質問いいかしら?」
「いいですよ。質問されるのは慣れてるんで」
「雫ちゃんと何かあった?」
「……雫ですか? いえ、特に何も」
自然に相馬は嘘をついた。
ただ、本人は嘘として認識していないが。
「本当? 最初見たときは、とっても仲が良さそうだったのに、何だか急によそよそしい気がするし、雫ちゃんの方は元気もなさそうだし。何もなかった?」
見事なまでに的を射ていた。
職業柄、人を観察するのが得意なのだろう。
「本当です。問題ありませんよ」
相馬が作り笑顔でそう言うと、管理人は納得がいかなさそうな顔をしながらも「ならいいんだけど」と言った。
「ただいま戻りました!」
それから少し経って、玄関の方から帰宅を告げる大きな声が聞こえた。
祥子の声だ。
「今日も、お弁当ありがとうございました。管理人さん!」
そのまま台所までやってきた祥子は、弁当箱を管理人に差し出しながら頭を下げた。
「おかえりなさい、祥子ちゃん。今日もちゃんと食べてくれて何よりだわ、アルバイトお疲れ様」
「そうでもありませんよ。管理人さんの美味しいお弁当があれば、へっちゃらですよ」
そう言って汐宮は、笑いながら腕を曲げてアピールする。ちなみに力こぶは出ていない。
「おかえり、汐宮」
「……う、うん、ただいま、倉内」
相馬が話しかけると、祥子はぎこちなく返事をした。
今日で相馬が地球に戻って来て一週間が経つ。最初の頃のように、祥子は彼に不機嫌な顔はしなくなったが、気を許したわけではないらしく、今のようにぎこちない返事が多い。
「汐宮のバイト先ってどこだ?」
「学校近くの駅前のファーストフードチェーンだけど……? それがどうかした?」
相馬の突然の質問に、祥子は不思議がりながらも答える。
「明日もバイト? あるとしたら、今ぐらいの時間帯に終わるのか?」
「うん。時間も大体同じくらい」
「帰り道が同じの人間は居るのか?」
「いや、帰り道は私一人だけど? さっきから何? 急に何なのよ」
あまりに不自然な質問に汐宮の表情が、少し不機嫌そうになる。
「悪いな、急に聞いて」
「別にいいけど、何か用事でもあるの?」
「いや、用事というほどでもないんだ。ただ明日はバイトが終わっても、すぐには帰らないでくれ。いや、明日にかぎらず、これからもバイトの時はそうしてくれ、俺が迎えに行くから」
「な、なんで?」
「学校も一人で帰るな。一緒に帰ろう」
「え?」
途端に祥子が呆けた顔になる。
只々、意味がわからないという表情だ。
「じゃあ、そういうことで。――管理人さん、あらかた片付けたんで、あとお願いします」
「はい、ありがとう。ご苦労様、相馬くん」
「あ、ちょ、ちょっと、待っ――」
一方的に会話を打ち切り、祥子が動揺している間に相馬は台所から直ちに退散した。
「――随分と調子が良さそうだな」」
彼が部屋に戻る途中、すれ違ったミースティアと眼が一瞬あった。
何かを言い返す事もせず、相馬は視線で彼女を追うだけだった。
その直後、何事もなかったように談笑の声が台所から聞こえて来た。
◆
「どうも、初めましてこんにちは! 今学内を席巻する噂の転校生、倉内相馬くん! 今日のお昼休みは私達と一緒にお弁当を食べて、ウキウキワクワクしませんか!?」
昼休み、相馬が弁当を取り出して食事を始めようかというタイミングで、妙に騒がしい女子が彼に声をかけて来た。
「えっと、君は……?」
「おお、これは申し訳ありません! 私の名前は篠崎優希。可愛い可愛い汐ちゃんの、ちょっぴりお茶目な大親友です!」
そう言いながら横ピースを決めた篠崎は、背後に隠れていた祥子を相馬と自分の間に引っ張りだした。
「ちょっと、ユウ……」
「いやー倉内くんも汐ちゃんも、桐谷先生と同じアパートに住んでるだなんて、そんな面白そうなこと早く教えて下さいよ」
わざとらしく大声で言った篠崎の言葉に、クラスメイトがざわめく。
「教師と生徒の三角関係! 同じアパートで繰り広げられる、めくるめく愛憎劇! こんなのドラマでしかありえませんよ!」
更にざわめきが大きくなる。
「――ユウってば! いい加減なこと言わないで!」
そのざわめきを打ち消すためか、篠崎に対向するように祥子も大きな声を上げる。
「私達はそんな関係じゃ無いから!」
「えぇー? でも、まったくの嘘では無いでしょ? 桐谷先生は年の離れた幼馴染だし、汐ちゃんとは送り迎えを約束した仲なんでしょ?」
「それはそうだけど、でも倉内はそういう意味で言ったわけじゃないから! だって、倉内には好きな子が他に――」
そこで、祥子が言葉を切り、ざわめきが一瞬で静まった。視線が相馬に集中する。
そして、あからさまにしまった、という顔をしながら、祥子も相馬の方を向いた。
「……えっとね、倉内。ちょっと言い訳をさせて?」
「…………」
当の本人である相馬はというと、クラスメイトと祥子の視線を気にしていないかのように、ただ篠崎の方を見定めるように見ていた。
篠崎もその視線を受けて、楽しそうな表情を浮かべて相馬を見ていた。
「――篠崎」
「何ですか?」
その表情を見て、相馬は篠崎について、確信を持った。彼女はミースティアと同じタイプだ、と。
場を引っ掻き回して、当事者が困っているのを見ることに楽しみを見出す人間。
「今日の昼食は一緒に食べようか。俺に聞きたいことがあるんだろう?」
「えぇ、場所はどうします? ――人が少ない場所がいいですか? 私は多いほうがいいですけど」
――相馬が彼女に下した評価は『ドS』だ。
◆
「――いやぁ、それは大変でしたね。新聞部の篠崎さんと言えば、ゴシップ好きで教師陣にも有名ですよ」
「そうらしいですね、とんでもなく面倒でしたよ」
「…………」
「何ですか?」
放課後、相馬は高藤に理事長室へと呼び出されていた。
二人は今、椅子に座りながら話をしている。
昼休みの篠崎との騒動を聞いて、失笑する彼に相馬が同意を示すと、何故か彼は更に苦笑いを濃くした。
「いえ、倉内くんのその口調、ものすごい違和感がありましてね。気を使わなくてもいいですよ、雫を相手にする時みたいな感じでいいです」
「はぁ……。――で? 今日は何の話だ?」
その瞬間を境に、相馬の口調と態度が急変した。
敬語を止めて、背もたれに思い切り寄りかかり、足まで組んだ。
「自分から言っておいてなんですが、切り替え早いですね……」
呆れたような口調だが、別段、不愉快にも思っているわけではないのだろうか、むしろそんな相馬の態度を物珍しそうに見ている。
「――まぁ、今日呼び出したのは、別に大した用事ではありませんよ。倉内くん、いや、ここはあえて『クラマ』くんがいいですかね?」
「構わない、その変なアダ名も、ある程度慣れた」
「本名も変ですけどね?」
少しだけ相馬が不機嫌そうに舌打ちする。
――『クラマ』と言うのは、『トラウム』での相馬の呼称だ。『倉内相馬』が――彼自身も思っていたが――おかしな名前という理由で、ミースティアが命名したのだ。
由来は単純、クラウチソウマの、最初と最期をくっつけただけだ。
最初の頃、彼はこのあだ名で呼ばれるたびに、今と同じような舌打ちを繰り返していた。
「まあいい、で、その大したことのない用事と言うのは、何なんだ?」
「いやそんな、裏を含ませていたり、騙して言質をとろうとしているわけじゃありませんよ?」
「それは昼休みに散々された」
篠崎のことを思い出しても、相馬は内心で苛立った。
どうでも良い質問の中に、答えづらい嫌な質問を織り込んで来て、相馬が嘘をついても、肝心のもう一人――祥子の態度からバレバレだった。
相馬は久しぶりに敗北感を感じていた。
「ちょっとした質問です、これからの参考にするためにね」
私の身近には、あなたぐらいしか聞ける相手がいないので、と高藤は続けた。
「俺にしか、聞けないこと?」
高藤は、えぇ、と前置きをしてから言った。
「クラマくん、あなたは異世界――『トラウム・アウスドラック』という世界について、どう思いますか?」
「――どう、と言われてもな、困るんだが」
「どんなことでも構いませんよ、勇者であるあなたの意見を、聞きたいんです。この世界に帰化した異世界人の子孫として」
面倒くさそうにする相馬に対して、倉内は食い下がる。
焦っているようなその態度から、彼は――いや、彼にかぎらず、高藤家の人間は『トラウム』を、実際に訪れたことがないのだろう。
ただ何を焦っているのか、違和感を覚えつつも、相馬は答えることにした。
「ミースティアあたりから聞いている通り、こちらの世界とは何もかも違う。建造物は最も発達したものでも、石造りだし、それを建造する技術も手作業レベルだ。機械文明は一切ない、代わりに魔法がある。――俺が知ってるのはこれぐらいだ」
「……それだけですか、もっと醜い権益争いとか無いんですか?」
「期待に沿えなくて悪いが、ここ半年、俺はあっちの政治関連には、首を突っ込まないようにしていたからな、ミースティアに聞けよ」
「彼女の職業を忘れましたか」
言われて、相馬は気づく。
ミースティアは情報士官だ、情報の重要性を正しく理解している。ただ、それは相馬相手でも変わらない。
つまり、高藤の希望は、相馬には答えられないのだ。
「大体、何で知る必要があるんだ。戦争でもするつもりか?」
相馬は冗談のつもりで、そう聞いた。しかし、高藤はそれに対して、緊迫感を漂わせる表情を見せた。
「――その保証がないと言えますか?」
高藤が相馬の方に身を乗り出す。
「クラマくん、君は『予言の書』を呼んだことはありますか?」
「いや、ないな。ミースティアが言うには、相当俺のいろんなことが載っているらしいが、読もうと思ったことは無いな」
「そうですか……、それがいいことなのか、悪いことなのか、少々判断がつきかねますがね」
「さっきから、お前は何を言っているんだ? 戦争と、予言の書に何の関係がある? 大昔の人間が、よく分からない魔法だか占いだかを使って、書いたものだろう。
アンタみたいなのが、そんな必死そうに考えることでもないと思うが?」
「――正確すぎるんですよ」
そんなことを高藤はとても恐ろしい事実のように言った。
それはむしろ喜ぶべきことではないのか、と相馬が思うと、高藤は即座に訂正を付け加えた。
「細かすぎるといったほうがいいでしょうか、あまりにも微に入り細を穿ちすぎなんですよ」
「だから、それは深刻に考えるようなことかよ?」
自分の言葉の意味を気づかない相馬に、高藤は苛立ったのか、眉間にしわを寄せる。
「クラマくん、予言の書には、君という人間の、これまでの人生がほぼ正確に記されているんです。――君だけじゃない、雫、異世界の他の姫巫女、そして、汐宮さんについても」
そのセリフに相馬も、先ほどのふざけたような態度から一転して、高藤と同じ表情になる。
相馬の表情を確認して、高藤は続けた。
「まるで、本人か近しい人間が書いた日記のようにね。所々曖昧な部分も、確かにありましたが、個人を十分に特定できるほどの情報量でしたよ。現代だったら、訴えられてもおかしくないレベルのね」
「もしかして、アンタは一部しか見ていないのか? だから、そんなに焦っているのか」
「えぇ、だから怖いんです。あの本は私達の知らない、この地球の未来まで予言しているのではないかと」
高藤が自らの不安を表すかのように、深い溜息を付いた。
「少し、よろしいでしょうか」
彼は懐からタバコを取り出し、相馬に了解を取ってから、火をつけた。
深く吸って、大きく煙を吐き出しながら、気分を落ち着けるように高藤は目を細める。
そんな高藤を見て、相馬は言った。
「――だから、どうした?」
相馬は、小さく笑っていた。
高藤を嘲笑しているわけではない、ただ意味がわからないと言うように、高藤の話を他人事のように笑った。
「高藤、アンタの懸念は最もだ。確かに、トラウムはこの地球に対して、かなりのアドバンテージを握っている。もし戦争になったら、こちらの世界は、簡単に制圧されるだろうな」
だが、と相馬は続ける。
「それでも俺のやることは変わらない。ヴォイドを全滅させる――アンタは俺を味方に付けようとしてるんだろうが、俺は誰の味方でもない。トラウムのためにも、地球のためにも戦ってるつもりは無いんだよ」
「じゃあ、何のためですか?」
「――自分のためさ」
相馬が笑みを一層濃くする、その笑みは確かに嘲笑だった。
他人ではなく自分に向けた、自嘲の笑み。
高藤もそんな彼を見て、怒りはしていなかった。かわりに、彼へ哀れみの眼差しを向けていた。
「がっかりしたか、高藤? 今のアンタみたいな表情してる奴を、何度も見てきたよ」
ミースティアも、彼の妹も、そして誰も彼も。
倉内相馬がどういう人間か理解した時、等しく同じ表情を浮かべた。
――それが、ひどく悲しいことだと知っていても、相馬はどうすることも出来ない。
「でも、悪いな。俺はずっと、こうなんだよ。変わることは無い」
背もたれにだらしなくもたれながら、相馬は天井を仰ぐ。
理事長室の明かりに、彼は眼を細めた。
「――俺には、何も分からないんだよ。他人も、世界も、自分のことも、ただ、生きているだけ、流されているだけなんだよ」
最近、知ったことだ――そう付け加えてから、相馬はまた笑みを濃くした。
◆
勇気ある者、困難に対して勇敢な意志をもって立ち向かった者――『勇者』と言う言葉はそれらを表す。
だが、倉内相馬には、困難に対する意志も、勇気もなかった。
そんな自分を、なぜ予言の書は『勇者』として、記したのか。
そう思いながら、相馬は遠い過去の予言者を、何度も嘲笑った