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其ノ四拾六 ~鬼狩ノ夜 其ノ拾~

 

 何かを、しなくちゃいけないと思った。

 具体的に何をすればいいのか、それは分からない。

 だけど……こうして瑠唯ちゃんの後ろ姿を見つめているだけでは、この子を救う事は出来ないから。 


「……っ」


 瑠唯ちゃんが体験した事を思い返す度、私は胸が張り裂けそうになる。

 お母さんと喧嘩をして、謝ることも出来ないまま……お母さんの名前を呼び続けながら、冷たい雨の中で一人……。

 私は、この子を助けてあげたい。

 この子との約束を破った私に、そんな資格があるのかは分からないけれど……。

 だけど、それでも。


「どうして来たの? お姉さん……」


 力無い瑠唯ちゃんの声に、私は応じる。


「言ったでしょう。私、瑠唯ちゃんを助けに来たんだよ」


「そう」


 瑠唯ちゃんが振り返る。

 その瞳は悲しげだった。

 瞳だけじゃない、その心までもが――悲しさに満ちていた。


「あの日、来てくれなかったのに」


「……!」


 呟くように発せられた瑠唯ちゃんの言葉が、私の胸に突き刺さる。

 彼女の言葉の意味が、私には直ぐに分かった。

 瑠唯ちゃんが口にした『あの日』――それは、私が瑠唯ちゃんと遊んだある日の、翌日の事。

 明日も一緒に遊ぼう、私と瑠唯ちゃんは約束したのだけれど、私はその約束を果たせなかった。


「……ごめんね、瑠唯ちゃん」


 理由を言う前に、私は瑠唯ちゃんに謝る。

 瑠唯ちゃんは何も返さずに、蔑むような瞳で私を見つめていた。


「私、楽しみにしてたんだよ。あの日、またお姉さんと会うの……」


「……!」


 私は、胸元で拳を握った。

 罪悪感が沸き上がるのを感じる。


「ずっと待ってた、一時間過ぎても、二時間過ぎても、三時間過ぎても……ずっと私、お姉さんが来てくれるのを……」


「っ……」


 瑠唯ちゃんの言葉を聞いて、私は気付く。

 私も――結局は、同じだったのかも知れない。

 助けたいだとか救いたいだとか……そんな事を言っていたって、私だって瑠唯ちゃんを悲しい目に遭わせたんだ。

 私も、同じだった。私も同罪だった。

 瑠唯ちゃんに酷い事を言った、瑠唯ちゃんのお母さんと――瑠唯ちゃんが亡くなる原因を作った、あの教師と。


「……行こうと思っていたの!」


 気が付けば、私は声を張り上げていた。

 声に、涙が混ざってる事に気付く。

 どうして私、泣いているんだろう。


「でもね……瑠唯ちゃんと約束した日、私の家で火事が起こったの。私の弟が……悠斗が亡くなって、私も背中に大きな火傷を負って……瑠唯ちゃんとの約束を果たす所じゃなくなっちゃったの……!」


「……!」


 瑠唯ちゃんの表情が、微かに変わった気がした。


「でも……それで約束を破っていい事になんて、ならないよね。瑠唯ちゃんを悲しませていい理由になんて、なる筈が無いよね……!」


 涙が頬を伝うのが、自分でも分かった。

 この涙は……何の涙なんだろう。

 瑠唯ちゃんとの約束を破った罪悪感? それとも、他の……。


「……お姉さん?」


 俯く私に、瑠唯ちゃんが発した。

 その声色から――私の心中を察してくれているのだと予想出来た。

 さっきまでは私を糾弾するようだったのに、この子は本当に……どこまで優しいのだろう。

 謝罪や贖罪では無く、ただ助け出してあげたい。

 こんな優しい子が鬼にされる理由なんて、ある筈が無いのだから。


「瑠唯ちゃん……あなたがこんな所に居る理由なんて、ある訳無いよ……!」


 悲痛な声で、私は瑠唯ちゃんに語りかける。


「瑠唯ちゃん、私と一緒にここから出よう……帰ろう?」


「……私に帰る所なんて、無いよ」


 瑠唯ちゃんの悲しげな瞳が、私を映す。

 私は彼女の言葉を、全力で否定した。


「違う、そんな事無い!」


「え……?」


 彼女と視線を合わせる事を恐れずに、私は瑠唯ちゃんへ伝える。

 瑠唯ちゃんを待っている人が居るという事を。


「瑠唯ちゃんのお母さん、瑠唯ちゃんに会いたがってるよ。瑠唯ちゃんに酷い事言った事、謝りたいって……泣いてたよ」


「……!」


 私は見逃さなかった。

 悲しみしか浮かんでいなかった瑠唯ちゃんの表情が、微かに光を見た事を。

 ここで止めたら駄目だ。何か、この子を救う糸口を……その時、私は思い出す。

 私の肩で羽を休めていた、一頭の蝶。

 瑠唯ちゃんが大好きな、カササギユキシズクに。


「瑠唯ちゃん……この蝶、覚えているでしょう?」


 私は肩に手を伸ばす。

 するとカササギユキシズクは私の肩から離れ、私の手の平へと舞う。

 手の平に乗った蝶を、私は瑠唯ちゃんへ差し出す。


「あ、ああ……!」


 瑠唯ちゃんの声は感激したように、また恍惚としたようにも思えた。

 亡くなってもなお、忘れていなかったのだ。

 大好きだった月光蝶――カササギユキシズクの事を。


「お母さんね、瑠唯ちゃんの為に浴衣を縫ってたんだよ。瑠唯ちゃんが大好きな蝶をあしらった浴衣……瑠唯ちゃんが笑う顔を見たくて」


 カササギユキシズクが、雪が舞うようにひらひらと舞う。

 瑠唯ちゃんが両手を水を掬ぶように合わせると、蝶はその手に舞い降りた。

 淡い光を放つ蝶を見つめる瑠唯ちゃんの瞳から、一筋の涙が零れ落ちる。

 ただ、悲しいだけの涙とは違う。


「……私も、会いたい」


 瑠唯ちゃんは蝶を手の平に乗せながら、震えるような声を発した。


「私も、もう一度お母さんに会いたい……! 謝って、許してもらいたい……」


 言葉だけじゃ無く、瑠唯ちゃんの気持ちがひしひしと伝わって来た。

 私は頷いて、


「うん、うん……」


 相槌を打つと、瑠唯ちゃんはさらに続けた。


「ちゃんと謝って、嘘を吐いていた事を許してもらいたい!」


 私は確かに聞き届けた。

 涙を流して、大切な人との再会を望む女の子の声を。

 悲痛に満ちた、瑠唯ちゃんの想いを――。


「一緒に行こう瑠唯ちゃん……鬼の負念なんかに、捕まらないで!」


 その瞬間――瑠唯ちゃんの手の平に乗っていたカササギユキシズクが、一際大きく光を放つ。

 視界が一瞬で真っ白に満たされて、私は何も見えなくなった。



  ◎  ◎  ◎



「うっ!」


 視界を取り戻した瞬間――私の体は地面に打ち付けられる。

 ざらざらとした、埃っぽい床……間違いなく、体育館の床だった。

 視線を泳がせると、側に一人の女の子が倒れ込んでいる。


「瑠唯ちゃん!」


 私はその子に駆け寄り、助け起こした。

 彼女――瑠唯ちゃんは苦しげな声を漏らしつつ、両目を開ける。


「……お姉、さん……?」


 紛れも無く、瑠唯ちゃんだった。

 雰囲気といい、容姿といい――悍ましい鬼なんかじゃ無く、正真正銘の私が知っている瑠唯ちゃんだ。

 後ろから、誰かが近寄る気配を感じる。


「姉ちゃん、よくやったね」


 振り返るまでも無く、炬白だと分かる。

 その言葉の意味は、考えるまでも無かった。


「……助け出せた、私……!」


 私は、瑠唯ちゃんを鬼から救い出す事に成功したのだ。


「世莉樺、大丈夫?」


 今度は、一月先輩の声だった。

 先輩は直ぐ近くに居て、私を心配そうな眼差しで見つめている。


「大丈夫です、それよりも……」


 私は、瑠唯ちゃんに視線を向ける。

 瑠唯ちゃんは言葉を発する様子も無く、喘ぐように呼吸していた。

 ずっと鬼の負念に囚われていた影響でも、残っているのかも知れない。


「長い事、鬼に取り込まれないように自分の魂を守り続けていたんだ。弱っていても無理は無いよ」


 炬白が説明する。

 鬼に飲み込まれそうになりながらも、それでも瑠唯ちゃんは自分の存在を守り続けていたんだ。


「のんで、鬼の穢れをとり払えるから」


 千芹ちゃんが、瑠唯ちゃんの口元へ竹筒をあてがう。

 瑠唯ちゃんは特に拒もうともせずに、従う。

 竹筒の中に入った水かなにか、だろうか? それを飲むとみるみる、瑠唯ちゃんの顔色が良くなっていく。


「るいは、これでもうだいじょうぶ。だけど……」


 千芹ちゃんが振り返る、私や炬白や、先輩がその視線を追った。

 その先には――目を疑うような光景が、広がっていた。


「あれは……!?」


 一月先輩の声から、戦慄の感情が溢れていた。

 私達の視線の先には――巨大な黒いアメーバが居た。

 いや、違う。

 どろどろした感じの黒い粘液に、人の顔が無数に付いていて――それはとても大きく、体育館の天井付近までの大きさがある。

 とても気持ち悪くて、大きくて――人の顔が無数にくっ付いた、不定型な流動体。

 その中心部分に、見覚えのある男の顔があった。


《殺すつもりなんて無かった……殺すつもりなんて無かった……殺すつもりなんて……》


 男の口が動き、まるでうわ言のように発せられる。

 その目は焦点など結んでおらず、虚空を見つめていた。

 だらりと開かれた口からは、ボタボタと唾液が落ちている。

 でも、どれだけ面影が失せていても――私には分かる。


「椰臣……瑠唯ちゃんを殺したあの男だ……!」


 理解した瞬間、私の心からは恐怖も畏怖も消え去った。

 込み上げる怒りに、全身の血液が沸き上がるような感覚を覚える。


「まさか、餓鬼霊……?」


 炬白が発した。

 全く聞いたことの無い言葉に、私は問い返す。


「餓鬼霊って……?」


 炬白は私に視線を向けずに、眼前のそいつ――椰臣の顔を中心にくっつけた化け物を見やり、鎖を張った。


「生前に人を殺したり、悪事を働いた人間が、死後もあの世に行けず、欲望や飢えに突き動かされている状態の鬼だよ。瑠唯という核を失った所為で、今度はあの男が鬼の核に成った、それで餓鬼霊に変わったんだ」


 難しい事は分からなかったから、私は自分なりに炬白の言葉を解釈する。

 私が瑠唯ちゃんを助け出したから、鬼は瑠唯ちゃんの形を失った。

 それで次に核に成ったのが、あの変態教師の魂だった、つまり……そういうことだろうか。

 鬼が瑠唯ちゃんを取り込んでから、一番最初に殺したのがあの男だった筈。

 だとするなら、瑠唯ちゃんはあの男の魂も取り込んでいたに違いなかった。


「だったら……!」


 私は、何時の間にかその手に戻っていた天照を固く握った。

 そして目の前に居る化け物――椰臣を核にした餓鬼霊を睨みつける。


「あの世に行けないなら……ここでちゃんと地獄に送ってやらなくちゃ。そうだよね、炬白……!」


 これ程怒りに満ちた声を出したのは、生まれて初めてかも知れない。

 どんな理由があろうとも、私は赦せなかった。

 淫らな性癖を剥き出しにして、瑠唯ちゃんを死に追いやったあの男――椰臣義嗣を。






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