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其ノ参拾四 ~事ノ後~


 鵲村第一高校での火事の後、一部の生徒はそのまま病院へと搬送された。

 僅かでも火傷を負ったり煙を吸った生徒達が、その身に別状が無いのかを検査されている。

 幸いにも、出火元が学校最上階の、それも立ち入り禁止の場所だった為か火災によって被害を受けた生徒はごく少数だったようだ。

 ただ、その『ごく少数』の中には世莉樺と一月も含まれている。


「あなた、この火傷の跡は……?」


 診察室の中。

 銀淵の眼鏡を掛けた歳若い看護婦が、驚きを隠そうともせずに発した。

 彼女の視線の先は、上半身のみ下着姿になった世莉樺の背中がある。

 世莉樺が僅かでも火傷を負っていないかを調べていた看護婦は、目を疑う物を見つけた。

 右肩から右背部まで及び、まるで刻印された刺青のような――大きくて痛々しげな、世莉樺の火傷の跡を。

 見ているだけでも、痛みが伝わってきそうな程だ。


「……これは、今日の火事で負った火傷じゃありませんから。あまり見ないで下さい」


 看護婦に背を向けたまま、世莉樺は零すように言う。

 彼女の気持ちを慮ったのだろうか、看護婦はそれ以上、世莉樺に質問を重ねようとはしなかった。

 検査が終了した後、世莉樺は制服を着て検査室を後にする。

 すると、その直後に隣の検査室のドアが開き、一人の少年が出てきた。

 一月である。


「! 一月先輩」


 偶然にも、一月と世莉樺は殆ど同時に検査が終了したらしい。



  ◎  ◎  ◎



 怪異を体験している者同士、世莉樺と一月は共に歩を進めている。

 時は既に夕刻に差し掛かり、陽が堕ちつつあった。


「そうか、やっぱりあの子が」


「……瑠唯ちゃんです」


 世莉樺は小さく頷き、自身の隣を歩く一月に応じた。

 一月は、世莉樺から視線を外す。


「少し見ただけで分かったよ、あの子の雰囲気といい、黒い霧といい……鬼に成った琴音と同じだった」


 一月は、鬼と成った瑠唯を見るのは初めてだった。

 しかし説明など無くとも、一度鬼を見た事がある彼には直ぐに理解出来た。

 幼い少女には余りに不似合な禍々しい雰囲気に、生気の無い瞳、そして黒霧。

 その全てが、彼が以前に遭遇した鬼――秋崎琴音の物と同一だった。


「私が初めて見た時は……あれが瑠唯ちゃんだなんて、信じられませんでした」


 廃校となった笹羅木小学校の体育館で、瑠唯と遭遇した時の事を世莉樺は覚えている。

 と言うよりも、忘れられる筈が無かった。


「僕も信じられなかったよ、鬼に成った琴音を初めて見た時は」


「え?」


 世莉樺は、一文字で応じた。

 琴音とは一月が想っていた――しかし、既にこの世には居ない少女の名だと、思い出す。


「亡くなった筈の琴音が、廃屋に居た事には驚いたけど……それ以上にあの雰囲気」


「……」


 何も返さず、世莉樺は一月の言葉へ耳を貸す。

 一月は続けた。

 自身が遭遇した鬼の事を、世莉樺に詳しく明かし始めた。


「邪悪で、悍ましくて……生きてる人間じゃ無いって、すぐに分かったから」


 世莉樺は思う。

 想い人であった少女が鬼へと姿を変え、目の前に現れたその時、一月はどんな気持ちになったのだろうか。

 恐らくは、自身が瑠唯と遭遇した時と同じような気持ちを味わったに違いない、と世莉樺は思う。


「苦しいですよね、親しくて大切だった筈の人が鬼に成って、目の前に現れるのって……」


 一月から返事は返って来なかったが、世莉樺は彼が微かに頷いたように見えた。

 彼ら二人のような体験をすれば、恐らくは誰もが同じ気持ちになるだろう。

 想い人や親しい友人――大切な人間が、その身を負の感情に埋めた鬼へと変わり――目の前に現れれば、誰も平気を保てる筈など無い。

 きっと、心臓が凍り付くような気持ちになる筈だ。

 一月や世莉樺が、そうだったように。


「すごく苦しくて……辛いよ」


 世莉樺と視線を合わせないまま、まるで呟くように一月は発した。

 彼の横顔を見ただけでも、世莉樺は一月の気持ちを察することが出来る。

 親しかった瑠唯が、鬼へと姿を変えて自身の前に現れただけでも耐え難いのだ。

 小学校からの友達で、共に剣道の稽古に励み、一緒に神社の祭りに行ったりもした琴音が、鬼と成った姿を目にした時の一月の気持ちは――世莉樺には想像も付かなかった。

 想像など、出来る筈が無かった。


(それに、一月先輩は……)


 一月の口から琴音の話を聞いた時の事を、世莉樺は思い返す。

 彼は、琴音を殺したのは――彼女を鬼に変えたのは、自分だと言っていた。

 琴音にとって何よりも残酷な言葉を投げつけ、彼女を絶望させ、鬼に付け入られる切っ掛けを作ってしまったのは、他の誰でも無く一月だと。

 彼の後輩である世莉樺は、一月が何の理由も無く他者を傷つける事を言うような、冷酷で浅はかな人間ではない事は分かっているし、彼を責める気も無い。

 しかし、一月自身は違う。

 彼は、琴音に残酷な事を言い、死に追いやった自分自身を赦していないのだ。

 一月が時に見せる悲しげな面持ちが、その証拠であるように世莉樺には感じられる。


(きっと一月先輩、琴音さんの事を思うと辛くて、苦しいんだろうな……)


 一月に感情移入すると、何時しか世莉樺も悲しげな面持ちを浮かべていた。

 それからは、二人とも言葉を一切発しなかった。

 世莉樺も一月も、発する言葉など見つけられなかったのだ。

 沈黙を保ったまま、互いに剣道部に属する二人は歩を進め続ける。

 夏の匂いを纏った風が――世莉樺と一月の制服を、緩やかに靡かせていた。


「!? きゃっ!」


 沈黙を破ったのは、世莉樺が無意識に発したその言葉。

 後方から彼女のすぐ横を、二人の少年が乗った自転車が通過したのだ。

 二人乗りをしているのは、鵲村第一高校の制服では無い他の高校の生徒である。


「ちゃんと周り見て歩けよ姉ちゃん! あーっははははは!」


 世莉樺と一月を振り返り、自転車の荷物置き部分に座っている少年が捨て台詞を吐いた。

 故意に世莉樺の側を高スピードで通過した事は、明白である。


「っ!」


 世莉樺は憤り、拳を握る――しかし、彼女は気付いた。

 二人乗りで不安定な自転車が走っている先に、一人の女性が居る。


「危ない!」


 警告の意を込め、女性の後ろ姿に向かって叫んだのは一月だった。

 しかし、彼の言葉は意味を成さない。

 不安定な二人乗りの自転車に乗った少年の一人が、女性の肩に接触した。


「あっ!」


 後方からの不意の衝撃に、女性はその声を発しつつ倒れ込む。

 彼女が握っていた買い物袋が落ち、中に入れられていた数個の林檎が転がり出る。

 二人乗りをした少年達は女性を意にも介さず、走り去っていく。

 世莉樺と一月は一瞬、視線を合わせる――直後、二人はほぼ同時に女性に向かって駆け出した。


「大丈夫ですか!?」


 女性に声を掛ける世莉樺。

 一月は女性が持っていた買い物袋を拾い上げ、袋から転がり出た林檎を拾い集めていく。


「う、うう……!」


 女性は苦しげに発する。

 その顔を見た時、世莉樺は驚いた。


「! 瑠唯ちゃんのお母さん……!?」


 何と、瑠唯の母だった。

 後ろ姿だけでは気付かなかったが、二人乗りの自転車に当て逃げされた女性は、間違いなく瑠唯の母である。


「世莉樺ちゃん……!?」


 驚いたのは、瑠唯の母も同様だった。

 林檎を拾い集めた一月は、買い物袋を片手に二人へと歩み寄る。

 そして彼は、世莉樺に問う。


「お知り合い?」


 世莉樺は一月を見て、頷いた。


「瑠唯ちゃんのお母さんです」


「!」


 一月は声を発しなかったが、その表情には驚きが鮮明に現れていた。

 世莉樺は、瑠唯の母の衣服に付着した砂埃を払いつつ、問う。


「怪我はありませんか?」


「ごめん世莉樺ちゃん、大丈夫だから……痛っ!」


 立ち上がろうとした瑠唯の母が、痛みに表情を強張らせた。

 世莉樺と一月は、気付く。

 瑠唯の母の膝が擦り剝け、血が滲んでいる事に。


「擦り剝けてる、手当てしないと……!」


 世莉樺が提案すると、一月は頷いて同意を表明する。

 彼はある方向を指差し、


「すぐ近くに公園がある。そこなら傷も洗えるし、座る事も出来る」


 一月の言葉に、瑠唯の母は力無く頷いた。


「……っ、迷惑かけてごめんなさい、そこまで連れて行ってもらえるかしら?」


 辺りには、傷を洗えそうな場所も腰を降ろすベンチも見当たらない。

 公園で手当てするという一月の提案に、瑠唯の母は反論しなかった。


「勿論です」


 世莉樺は小さく頷き、力強く応じた。






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