其ノ弐拾五 ~決断スル世莉樺~
夜になっても、世莉樺と炬白は解決策を見いだせなかった。
状況は正真正銘に手詰まり、絶望的である。
「どうしたらいいの、このままじゃ真由が……!」
机の椅子に腰かけ、机に肘を付き――世莉樺は両側頭部に握り拳を当てていた。
悠太は既に寝かしつけていたものの、彼女はまだベッドに入ろうとはしない。
とても、就寝するような気にはなれなかった。
このままでは、真由の命が危ういのだから。
「炬白、真由を助ける方法って、他には無いの!?」
切羽詰まる気持ちに満ちた言葉を、世莉樺は発する。
しかし――炬白は間髪入れずに、首を横に振った。
「無いよ。由浅木瑠唯を止める以外に、鬼の呪いを解く手立ては無い」
世莉樺とは対照的に、炬白は冷静だった。
真由の命が危機に晒されている――にも関わらず、全く狼狽える様子を見せない。
「っ……! ちゃんと考えてるの!?」
思わず、世莉樺は声を荒げる。
すると炬白は視線を外し、
「考えてるさ、オレだって真由を助けたいんだよ……!」
「……!」
炬白の言葉には、間違いなく誠意が籠っている。
彼は両手の拳を握り、思いつめた表情を浮かべていた。
(炬白……)
本当の気持ちを、炬白は心の中に押し留めているのだ。
世莉樺は、自身の脳裏に浮かんだ考えを必死に打ち消した。
よもや、炬白は真由の命などどうでも良い、そう思っていると感じてしまったのだ。
「炬白……ごめん」
世莉樺は椅子から立ち上がり、炬白に小さく頭を下げる。
「謝らないで。こんな状況だし、イライラするのも分かるよ」
追い詰められた人間の心は、不安定になりがちだ。
家族思いの世莉樺にとっては、妹である真由の命は自分の命のようなもの。
その真由が、死んでしまうかもしれない――そう考えただけで、世莉樺には耐えがたい恐怖が湧いてくる。
そして同時に、何も出来ない自分に対する、激しい苛立ちが込み上がる、
世莉樺は再び椅子に腰かけ、肘を付いて頭を抱える。
その際、机の上に置かれていたスパイラルノートが、床に落ちた。
「もしこのまま真由を助けられなかったら、私は……私はまた……!」
炬白は、世莉樺の背中を見つめていた。
ふと、彼は床に落ちたスパイラルノートに視線を向ける。
直後――彼は、感じた。
「!」
炬白は視線をドアの方へ向ける。
そこには――居た。
「……姉ちゃん」
炬白は世莉樺を呼ぶ。
彼女は炬白を振り返り、そして気付いた。
ドアの側に立つ、少女に。
「! 瑠唯ちゃん……!」
黄色いパーカーに、横にボリュームを持つショートヘアが印象的な幼い少女が、立っていた。
由浅木瑠唯であると、世莉樺にはすぐに分かる。
同時に彼女が鬼の瑠唯では無く、前にも自身の下に現れた残留思念であることも、世莉樺には理解出来た。
《お姉さん……お母さんには、会えた?》
残留思念と化した瑠唯の声は、世莉樺には余りにも弱々しく聞こえた。
鬼に吸収されてしまった部分が多い所為なのだろうか。
「会って来たよ。瑠唯ちゃんのお母さん……瑠唯ちゃんの事、教えてくれた」
その時、世莉樺は気付く。
これは――チャンスとも言えるのではないだろうか。
瑠唯の母に、瑠唯の事を尋ねるのは今となっては困難に等しい事。
しかし、今ここに居る瑠唯の残留思念にならば。
「ねえ、瑠唯ちゃん! お願いがあるの!」
《!?》
世莉樺は、瑠唯の側にまで歩み寄る。
残留思念の瑠唯は驚いたのか、くりりとした目を見開いた。
「瑠唯ちゃんが亡くなった事件の事……私に教えて欲しいの!」
何も前置きを挟まずに、世莉樺は単刀直入に申し出た。
《でも、私のお母さんから聞いたんじゃ……!?》
「足りないの! 瑠唯ちゃんのお母さん、私に何かを隠しているみたいで……!」
世莉樺はすがるように、瑠唯の両肩に手を置く。
取り乱す様子を隠そうともせずに、彼女は瑠唯へ懇願した。
「瑠唯ちゃん……お願い! このままだと真由が……真由が……!」
世莉樺の両目に涙が溢れ、頬を伝って流れ落ちる。
最悪の結果を考えれば、世莉樺には怖くて堪らなかった。
もしも真由が亡くなってしまったら――そう考えると、心臓が凍り付くような気持ちになり、身が凍るような感覚を覚える。
怖くて恐ろしくて、心が壊れてしまいそうになるのだ。
《……》
瑠唯は無言で、世莉樺の両瞳を見つめていた。
戸惑うような面持ちが、次第に真剣さを湛えていく。
真由を救いたい気持ちは、炬白も同じなのだ。
彼の幼い外見に反した、真剣で濁りの無い眼差しが、それを証明していた。
「オレからも頼むよ。真由を助けたい、君の協力が必要なんだ」
世莉樺に続き、炬白も瑠唯へ申し出る。
少しの沈黙、瑠唯は世莉樺に、
《……もう、言葉で伝えてる時間は無さそうだから……方法は一つしかない》
世莉樺は涙を含む両目で、瑠唯を見る。
瑠唯は胸元で拳を握り、押し出すように発した。
《私が生前に体験したことをそのまま……お姉さんに体験させる事。それなら私がどうして命を落とす事になったのか、お姉さんにも全部分かると思う》
炬白が食い付くように、瑠唯と世莉樺の会話に割って入った。
心なしか、狼狽えるような声色である。
「けど、それだと姉ちゃんが……!」
《そう》
反論されるのを予期していたように、瑠唯は返す。
彼女は視線を降ろし、悲痛な面持ちを浮かべた。
理解出来ない世莉樺は、問う。
「どうしたの……? 何か問題でも……」
瑠唯は視線を上げ、世莉樺の両目を見た。
《この方法だと……私が味わった痛みも、苦しみも、恐怖も全部……お姉さんにそのまま、味わわせる事になる》
「……!」
世莉樺は驚く。
瑠唯の提案に、炬白が割り入った理由が分かった。
炬白は、世莉樺の身を案ずる故に、瑠唯の提案に異議を発したのだ。
「その方法なら……瑠唯ちゃんが命を落とした理由は全部、私に分かるの?」
《……》
瑠唯は無言で、頷いた。
「ダメだ! それをやったら姉ちゃん……」
世莉樺は、炬白に向く。
黒着物の少年は、心配そうな眼差しで世莉樺を見つめていた。
「……その子も言ってたでしょ? 姉ちゃんがそのまま、瑠唯の味わった痛みや恐怖を味わう事になるんだよ?」
「……」
世莉樺は衣服の袖で、涙を拭う。
そして――決意に満ちた瞳を、炬白に向けた。
発せられた世莉樺の言葉には、僅かな迷いも無い。
「他に方法は無いの、それに私……もう大切な人が亡くなるのをただ見てるのは、嫌だから……!」
「姉ちゃん……」
本心では、世莉樺の心には恐れが浮かんでいた。
瑠唯が味わった苦しみをそのまま味わう事になる――これまで探って来た事からも、それが生半可な物では無い事は、容易に想像が付く。
しかし、世莉樺は引き下がるつもりは無かった。
ここで前に進まなければ、真由を救う道は閉ざされるのだから。
「瑠唯ちゃん、お願い」
世莉樺が促すと、瑠唯は応じる。
《……本当なら私、こんな事をお姉さんにはしたくないの。でも、他に方法は無いから……》
呟くように発しつつ、瑠唯は右手の人差し指を立てる。
最後の確認を発した。
《お姉さん、本当に……いいの?》
世莉樺は毅然とした面持ちを浮かべつつ、応じた。
「大丈夫」
瑠唯は、右手を伸ばし、人差し指を世莉樺の額へと近づけていく。
ゆっくりと、しかし確実に世莉樺の額との距離は狭まって行く。
三人の声が止んだ部屋の中を、雨音だけが支配していた。
やがて、瑠唯の人差し指が世莉樺の額に触れた、その瞬間――。
「!?」
世莉樺の視界が、暗転した。
刈り取られるように意識が遠のき、世莉樺は周囲の景色が黒く染まって行くのを感じる。




