其ノ拾八 ~現レシハ~
「認めさせる、想い……?」
炬白の言葉を、世莉樺は繰り返す。
その意味を自身なりに考え、彼女は返した。
世莉樺の視線の先には、炬白が持つ天照。
「何か、それが意思を持ってるみたいな言い方だけど……?」
「その通りだよ。この天照は、持ち手の心を見透かす力があるんだ」
天照の鞘を指でなぞりつつ、炬白は続ける。
「この刀を抜くには……。この刀を認めさせるだけの、『想い』が必要なんだよ。想いっていうのは、中途半端になりやすいんだ。姉ちゃんの場合は……そうだな、相手の事を理解して、それで一片の濁りも無い意思を姉ちゃんが抱かないと、天照は永遠に姉ちゃんに従わない」
少年の説明を聞いていた世莉樺は、彼の言葉を解釈していた。
立ち向かう相手は勿論、鬼と成った由浅木瑠唯。
ならば、瑠唯の事を理解しなければならないという事か。
(理解しなければならないって……瑠唯ちゃんに何が起こったのか、知らなければならないって事?)
相手の事を理解する、という事の境界がどのような点にあるのか、世莉樺には分からない。
一先ず世莉樺は、出来る範囲で炬白の言葉を整理する。
この状況では天照は抜けず、瑠唯に相対する事は出来ない。
解決策――天照を抜くには、瑠唯の事を理解し、そしてこの点も曖昧ながら、本心から『瑠唯を止めたい・救いたい』と思わなければならない。
が、一つだけ世莉樺には気になる事があった。
「……とりあえず分かった。だけど本当にそれ、錆びついて抜けないって訳じゃないの? 何か正直、信じられないっていうか……」
にわかにだが、世莉樺には刀が持ち手の心を見透かすなど信じ難かった。
炬白の言葉を疑っている訳ではないが、彼女は確認する。
「まあ、そう思う気持ちは分かるよ。刀が意思を持つなんて、正気の沙汰じゃない」
世莉樺がそう訊いてくることを見透かしていたように、炬白は冷静に答えた。
彼は、天照の柄を握った。
「これが、証拠だよ」
その言葉と共に――炬白は天照を鞘から少しだけ、抜いた。
力む様子も全く見せず、何の事も無いように。
銀色の刃が僅か、鞘から覗く。
「!?」
世莉樺は驚く。
自分が全力で抜こうとしても抜けなかった刀を、目の前の黒着物少年はいとも容易く抜いて見せたのだから。
精霊や、男の子だという事を考えても、力では剣道をやっている世莉樺も劣っていない筈だ。
炬白は僅かに覗いた刃を鞘に戻し、天照を世莉樺に手渡す。
そして、「抜いてみて。抜けないけど」と告げた。
言われるまま、世莉樺は天照の柄を握る。
「ふっ!」
幼い炬白が抜けるのならば、自分にも抜ける筈――世莉樺は全身の力を込め、抜こうとする。
しかし、結果は同様。
天照は僅かにも、その刃を覗かせることは無かった。
「本当だ、抜けない……!」
一分少々の、抜けない刀との格闘が終わる。
大きなため息と共に、世莉樺は落胆した。
もう、炬白の言葉を疑う余地は残されていなかった。
炬白が抜けたのに、世莉樺が抜けない。
天照は、持ち手の意思を見透かしているのだ。
「ほらね? 天照はまだ、姉ちゃんを認めていないんだ」
世莉樺は、
「……でも、ちょうど良かったかも」
抜けない霊刀――天照を見つめつつ、ぽつりと呟く。
炬白は怪訝に、「え?」と返した。
世莉樺は、視線を炬白に映す。
「私、ずっと知りたかった。瑠唯ちゃんがどうして亡くなったのか、何であんな姿で……あんな鬼に成って、人を殺しているのか……その理由を……!」
鬼と成った瑠唯は、世莉樺が知る由浅木瑠唯という少女とは余りにも乖離していた。
蝶の命を憐れむほど、心優しく豊かな感受性を持った瑠唯と、鬼と成った瑠唯――人の命をまるでゴミのように弄ぶ瑠唯。
小学校で聞いた残酷で醜悪で悍ましい瑠唯の笑い声や、彼女の生気の無い瞳や、返り血を浴びながら彼女が臓物を抉る光景が、今も世莉樺の頭から離れなかった。
どうして瑠唯は、ああも変わり果ててしまったのか。
何が、瑠唯を鬼に変えたのか。
「そっか……何にしても、調べる必要があるね。瑠唯の真相を」
瑠唯の事を調べなければ、瑠唯の事は分からない。
瑠唯の事が分からなければ、天照は抜けない。
天照が抜けなければ瑠唯を止められず、真由を救えない上に、これからも多くの犠牲者が出ることになるだろう。
世莉樺には、迷う余地は無かった。
「うん。だけど、どうやって調べれば……?」
しかし、世莉樺には肝心の方法が思いつかない。
分かっているのは、由浅木瑠唯という名前だけだ。
名前だけで瑠唯の身に何が起こったのかを調べるのは、難しいことではないだろうか。
「姉ちゃん、誰か知らない? 生前の瑠唯を知ってそうで、今でも接触出来そうな人」
「ん、えっと……」
世莉樺は考える。
しかし、そういった人物は頭に浮かんで来なかった。
「……ううん。瑠唯ちゃんが通ってた小学校も、もう廃校になっちゃってるし……」
瑠唯が通っていた小学校の教員ならば、瑠唯に関して何か知っていると思った。
しかし世莉樺は、断念せざるを得ない。
彼女の言う通り、笹羅木小学校はもう存在しないのだから。
瑠唯の同級生だった少年少女達も、もう行方は分からないだろう。
「そっか……何か、他の手を考えないと」
◎ ◎ ◎
深夜、三時――相変わらず、鵲村には雨が降り注いでいた。
世莉樺は眠りにつき、そして炬白は雪臺家から出て、何処かの民家の屋根の上に座っていた。
夜闇と共に、降りしきる雨音が彼を包み込んでいる。
精霊は、眠る必要はないのだ。
さらに言えば、食事を摂る必要も無い。しかしながら味覚はあり、炬白のようにプリンの甘さを感じ取る事も可能である。
人智を超えた存在、精霊――炬白は、夜空を見上げている。
「……」
彼の髪も、黒い着物も、雨水に濡れる様子は無い。
炬白は右手の拳を握り、眉間に押し当てる。
「今はとにかく、姉ちゃんと真由の事だけを……」
思いつめるような表情と共に発せられた言葉は、雨音に吸い込まれていく。
炬白は立ち上がる。
彼の腰に下げられた鎖が、金属音を立てる。
「そうだよな。……こんな事考えてる状況じゃない」
炬白は深呼吸した。
その時――。
「……?」
炬白は、背中で何かを感じ取った。
何か、尋常ならざるものの気配。
とても冷たい――それでいて、何かもの悲しい雰囲気を感じさせる、何かが。
「まさか……!?」
危機感に煽られるような声を発し、炬白は駆け出す。
彼はそのまま民家の屋根から飛び降り、世莉樺の家へと向かっていく。
◎ ◎ ◎
黄色いパジャマに身を包み、白いシーツに茶髪のロングヘアを泳がせ――世莉樺は、眠りに堕ちていた。
彼女の寝息と連動するように、その胸が上下している。
その世莉樺の脇に――幼い少女が立っていた。
歳の頃十代前半と思しき、女の子。
横にボリュームを持ったショートヘアに、レモンのような黄色いパーカーが印象的だった。
一体、何時から世莉樺の部屋に居たのか。どうやって、鍵のかかった世莉樺の家に入ったのか。
紛れも無く、彼女は――由浅木瑠唯だ。
世莉樺が笹羅木小学校で遭遇した、鬼と成った少女である。
多くの人をてるてる坊主のように首を吊り下げて殺し、世莉樺も殺そうとし、そして真由を昏睡させた、戦慄すべき存在だ。
《……》
雨音が響き続ける世莉樺の部屋の中、彼女は眠りに堕ちる世莉樺の顔を見つめている。
やがて瑠唯は、世莉樺へと歩み寄り――唯一布団に覆われていない部位、世莉樺の顔へと、その右手を伸ばしていく。
眠りに堕ちる世莉樺は――自身に向けて手を伸ばす瑠唯に、気付く様子は無い。




