大丈夫ですか? ~ずっと書けなかった「大丈夫ですか?」を、ここに置いておきます~
ある外国人女性の動画を見た。
ずっと昔、初めて日本へ来て、一人で京都を旅したときの話だった。道が分からなくなり、立ち止まっていると、通りかかったおじいさんが声をかけてくれたという。
「大丈夫ですか?」
その人は、そのときのことを今でも忘れられないそうだ。京都には美しい景色がいくらでもあっただろうに、旅の記憶に残ったのは、見知らぬおじいさんの短い一言だった。
「大丈夫ですか?」は、英語なら Are you okay? になるらしい。意味は通じる。ただ、あのおじいさんの言葉をそう置き換えたとき、少しだけこぼれてしまうものがある気がした。
おじいさんは、相手が道に迷っていると決めつけていない。「案内してあげよう」と、親切を押しつけてもいない。ただ、困っているように見えた人の前で足を止め、「大丈夫ですか?」と尋ねた。
困っていなければ、「大丈夫です」と答えればいい。困っているなら、何に困っているかを話せる。返事をするかどうかも、どこまで話すかも、相手に任せている。
考えてみれば、少し不思議な言葉だ。助けたいと思って声をかけているのに、何をしてほしいかは相手に聞いている。こちらにできることがあるのかどうかも、まだ分からないまま。
聞いてみたら、道に迷ったどころではない、大きな困りごとを抱えているかもしれない。自分にはどうにもできない話かもしれないし、力になろうとすれば、ひどく大変になるかもしれない。それでも、目の前に困っている人がいたから、「大丈夫ですか?」と声をかけた。そこには、先の損得を考える間さえなかったように思う。
もちろん、英語でも同じように人を気遣える。きっとこの話で心に残ったのは、日本語だけの特別な意味ではなく、あのおじいさんの言い方や、その時のおじいさんの目や、立ち止まってくれたことも含めた「大丈夫ですか?」だったのだと思う。
初めて来た国で、一人、知らない道に立っている。誰かに助けを求めたくても、どう声をかければいいか分からない。そんなとき、向こうからやって来た人が、こちらに選ぶ余地を残して尋ねてくれる。
「大丈夫ですか?」
あの人が何年も覚えていたのは、教わった道順よりも、この広い世界で困っている自分に気づいてくれた人がいた、ということなのかもしれない。
――◇――
私は、なろうとカクヨムに小説を投稿している。いつも読みに来てくれる人が、急に来なくなることがある。忙しいだけならいいけれど、体調が悪いのだろうか、疲れてしまったのだろうかと、つい考える。
その人の活動報告を開いて、「大丈夫ですか?」と書こうとして、手が止まる。京都のおじいさんとは違って、私には相手の顔も、その日の様子も見えない。
困りごとを聞いて自分が大変になるのが怖いから、ではない。もし本当に何かあったなら、できることはしたい。ただ、相手は今、誰にも事情を話したくないのかもしれない。公開された場所で私がそう尋ねれば、返事をしなければ、説明しなければと、思わせてしまうかもしれない。
心配していることを伝えたいのに、その心配が相手の負担になるのが怖い。だから結局、何も書けないまま、画面を閉じることがある。
おじいさんの「大丈夫ですか?」は、あの人にとって、うれしい言葉として残った。私が書く同じ一言も、そう届くのだろうか。
まだ分からない。
ただ、声をかけられずにいる間も、元気でいてほしいと思っている。
――大丈夫ですか?




