これぞ恋
目にとめていただき、どうもありがとうございます!
毎度のことながら、というか一層地味な話ですが、どうぞよろしくお願いいたします。
「これぞ恋…!」
アーロン・ヘイウッドがすぐ脇の植え込みのかげからニュッと顔を出し、また顔を上気させているのに気付いて、ジャックとマリーはギョッとした。
「っわっっ!…と、またあなたですか!アーロン様」
「あ…ああ、すまない」
王城の中庭で昼休みを過ごしていた庭師のジャックとメイドのマリーは、幾度も繰り返されてきたこのやり取りに慣れてしまったとは言え、やはり気分の良いものではない。しかも今日はこんな至近距離でタイミングも酷い。
「俺達の、短い、休憩を、邪魔しないでください、と、何度言えば」
「う…それはわかっているのだが…」
****
アーロン・ヘイウッドは17歳になる宰相の息子で次期伯爵家の当主となる。学園は15歳の時に飛び級して卒業してしまった。そのため、その頃から仕事を覚えて家のために働き始め、そろそろ家格の合う家の娘との婚約を考えなくてはならない時期だ。
しかしアーロンはその美しい銀の髪と緑の瞳、そしてスラリとした体型と整った目鼻立ち、つまり非の打ち所のない容姿によりこれまで学園に通っていた頃から多くの女性に言い寄られてきた結果、結婚というものに対して全く期待がもてなくなってしまっていた。
「アーロン様、一緒に観劇にまいりましょう!」
「アーロン様、話題のカフェに連れて行ってくださいませ!」
「アーロン様、私と一度で良いので…」
「アーロンさまぁ…」
アーロンが青年になるにしたがって徐々に女性たちに節操がなくなってきたことから、身の危険まで感じるようになってきたため、アーロンは屋敷から出ることが滅多になくなってしまった。
アーロンだって全ての女性がそんな風に失礼だとか、なりふり構わないだとか思っているわけではない。礼儀正しい人もいるし、才能あふれる人もいる。それは男女関係ない。
それでも、飛び級して、周りが年上ばかりだったことはなかなか大変だった。13、4歳の子どもにとって、1歳の差は大きいものだから。そんな『お姉さん』に見える人たちからのアプローチはからかいを含んだものも、あわよくばと半分本気のものも、真剣なものも、全て恐ろしく感じた。
自分というものではなく、伯爵家の嫡男という身分に魅力があることも十分理解していて、若いアーロンは、それもまた悔しかった。自分は努力しているのに、そこではなく、持って生まれたものにだけ価値があるような気がしたから。
「…結婚、しなくてはならないだろうか…弟のクレイグに家を継いでもらうのはどうだろうか…」
部屋で日記に心のうちを書き綴ってみたが、あっという間に父親にバレて、
「馬鹿げたことを言っている暇があったらもっと仕事と運動と社交に励め」
と部屋から叩き出された。アーロンは『誰だ、告げ口したのは』と忌々しく思ったが誰であってもおかしくないほど、アーロンの考えていることは無理な話だったので仕方がない。
言い寄られて辟易し始めたのは15歳の頃からだから、客観的には可哀想だと思えなくもない状況だ。だが、大人になりかかる頃に男女の色恋に悩み、何となく嫌悪感を抱くのはそう珍しいことでもないので、母親も使用人もアーロンを屋敷に入れることはせず、着替えや勉強に使えそうなあれこれを門の外でまとめて渡し、そのまま馬車に乗せてしまった。
仕方なくアーロンは父の働く王城に行き、父の傍で働きながら仕事を覚え始めた。部屋はなんだかんだで準備してもらえた。仕事は面白く、一時は婚約や結婚のことを考えずにいられた。しかし、城で働く先輩方から
「婚約者は決まったか」
「早くしないと、罠にハマりでもしたらそこまでだ。怖い相手に捕まってもいいのか?」
などとからかわれるので、またもや昼時は人のいない中庭の隅で隠れるように昼食をとり、そこで休むようになっていった。
「何だよ、みんなして結婚結婚って。魔法使いたちのように特に結婚もせずに働いている奴らだっているじゃないか」
とか、
「婚約者の基準って何なんだ。家格に合うとか、学歴とか、そんなに言うならリストを作って誰もがそのリスト内の条件で結婚する決まりを作ってしまえばいいのに」
とか、薄暗い雰囲気をまとってブツブツと呟く。公的なリストはないが、大体そういうものに則って結婚相手が決まるのが貴族なので、アーロンが言っていることは間違いではなく、アーロンが知らないだけ、見たくないだけである。
物知りで頭が良いのに恋愛に関してだけは残念なアーロンだった。
そんな風にすごしていたある日。アーロンは中庭で男女二人が木陰に座っているのを見かけた。二人は特に何を話すわけでもなく、サンドイッチを食べたり、空を見上げて鳥を眺めたりしていた。
アーロンは二人は何をしているのだろうと思った。アーロンの考える恋人同士には当てはまらない様子だったからだ。けれども、風に乗って飛んできた1枚の葉が女性の頭にのり、それを男性が笑って取った時に見せた女性のはにかんだ表情に、アーロンは胸を撃ち抜かれたような衝撃を受けたのだった。
ドレスで着飾りもせず、観劇にも行かず、おしゃれなカフェでもない中庭で、静かに時間を過ごす。それでも、二人の間には確かにお互いを思い合う気持ちがあることが感じられる。
「これが…これが恋か…」
不幸なことに、自分にとってあまり重要と思えないようなことにお金と時間をかけて恋愛をしたがる女性にばかり付きまとわれてきたアーロンにとって、それは衝撃的だった。
アーロンは思わず、木陰の二人の傍へフラフラと進んでしまった。
庭の隅から現れて自分らの方に進んできた男に驚いたのは、その時にアーロンに初めて出会ったジャックとマリーだった。思わずマリーを守るように彼女の前に出てアーロンに立ちふさがったジャックに、思わずアーロンはその涼やかな声で
「君たちは恋人同士なんだね!?」
と聞いた。それに慌てたのはジャックとマリーだ。別に隠さなくてはならないような関係ではないが、そんなに大声で言うのは違うだろう。
「ちょ、ちょっと!!」
ジャックはアーロンの腕を掴んで
「誰だか知らないけどやめてくれ、迷惑だ!」
と言ったが、アーロンは、これまでの女性たちは自分と話したり出かけたりといった関係をもち、それを他の者たちに言いふらしたがったので、これには驚いた。
「君たちの関係は秘密なのかい?」
アーロンが声を潜めて言うとジャックは「おや」と思った。自分の言葉に素直に従ったこの若者に僅かではあるが好感をもったのだ。よく見れば見目麗しく、着ているものも上等だ。ジャックは口調を改める。
「いえ、秘密ではありませんが…俺達は、相手のことをとても大切に思っているので」
もうその言葉にアーロンの瞳は輝いている。
「…他の人たちにあれこれ言われたくないんです。俺達は俺達のペースで…その…愛を育ていきたいんで」
ジャックはアーロンの姿になんとなく本音を伝えてしまった。そしてそれが運の尽きだった。
アーロンはジャックのマリーへの思い、つまり恋心にすっかり参ってしまい、しょっちゅう中庭へ来てはうっとりと二人を見つめるようになってしまったのだ。
3度目を数えた時、ジャックはアーロンが宰相の息子であり、文官の家系で大変優秀なことを知った。それなのに恋愛に関してはアンバランスなアーロンにこれまで何があったのか、と思った。
「ねえ、ジャックはマリーのどこが好きなんだい?」
「それはアーロン様ではなく、俺がマリーに伝えるべきことです」
「…そうだよね!」
「ねえ、ジャックはマリーとの出会いを覚えている?」
「もちろんです」
「…その時、どんな感じがした?すぐに好きになったのかい?」
「最初の出会いから、俺はマリーのことを好ましく感じました。どんな感じかは…そうですね、アーロン様もそういう方に出会えば、わかると思いますよ」
5度目の時には、ジャックはアーロンについてのあれこれを噂で聞き、彼のことを可愛いと感じるようになっていた。それはマリーも同様で、注意深く言葉を選びながらアーロンに答えるジャックを見て、ニコニコと幸せそうで、その姿を見てアーロンはますます二人の関係に憧れるようになった。
21歳のジャックは、アーロンが結婚を億劫に感じてはいても『恋』というものに年相応に憧れをもっていることに気付いていた。そして、青年になる前にいろいろと嫌な目に遭ったせいで臆病になっていることにも。
ジャックは素直で不器用なアーロンに優しくしてやりたいと思ったし、少しばかり年上の役割として、『大切な人がいることの幸せ』を何となくでもアーロンに感じてほしいと思った。
庭師のジャックと次期伯爵のアーロンのやり取りは普通ならば歓迎されるようなことではなかったが、家では引きこもり、王城では中庭で薄暗くなっていたアーロンがだいぶ明るくなったことでみんなが『まあいいか』という気持ちになっていた。
そんなわけでアーロンは徐々に元気を取り戻してきた。そうなるとこれまで見えていなかったものが見えてくるようになるものだ。
アーロンの『恋人同士の観察』の対象はジャックたちばかりではなく、他にも騎士のモーリスと伯爵家のレジーナや、魔法使いのオーギュストとイヴォンも含まれるようになった。彼らは身分や能力を持ち得ているせいか、特にアーロンを気にすることもなく、二人きりの時間を楽しんでいた。
彼・彼女達の恋愛は、正にアーロンが考えていた恋人同士のそれであり、最初の1週間で
「イヴォン、覚えているかい?今日で僕達が恋人同士になって丁度半年だよ。記念のネックレスだ」
「まぁステキ!防御の加護をかけてくれたのね!大好きよ、オーギュスト!」
とか、
「アルバ通りに美味しい海鮮料理の店が開店したそうだ。来週の休みにどうかな?」
「嬉しい!楽しみだわ!」
とかいった会話が交わされていた。
アーロンは最初は『ほぅら、すぐに贈り物だデートだって話だ。全く…』と考えていたが、ある日オーギュストとイヴォンのやり取りを見て、おやと思った。
「僕には才能なんてないんだ…どうしてもうまくいかない」
「そんなこと言わないで。オーギュストの加護は安全課の中でもトップクラスじゃない。私のネックレスだって、ほら…私をいつも守って安心させてくれている」
「イヴォン…」
「でも自信がなくなることもあるのもわかるわ。私だって魔法使いだもの…でもあなたを元気付けたい。一緒にゆっくりしましょう?」
「…うん、ありがとうイヴォン。好きだよ」
「私もよ」
いつもは自信に満ち溢れているように見える魔法使いの彼らが見せるそんな姿に、アーロンはちょっとだけ、自分の考える恋愛の形を見た気がした。
またある日のモーリスとレジーナはこんな感じだった。
「モーリス、今度のお出かけなんだけど、できれば孤児院に行きたいの」
「いいよ。何か催し物ででもあるのかい?」
「再来週バザーがあるそうだから、そこで売れるような物を持って行くわ。ハンカチ用の布や端切れも準備して、子どもたちに刺繍を教えようと思うの」
「それはいいね。じゃあ俺はまた剣術を教えようかな」
「ステキ。きっと格好良さに礼儀正しくしようって思ってくれるわ」
「はは、まあ3日間くらいだろうけどね」
「定期的に行っていれば身に付くでしょう?もう4回…5回目かしら?」
「子どもたちが目標をもって何かに取り組もうと思ってくれるなら、何度でも。君と二人で行けるのも嬉しいしね」
モーリスは彼らのデートはお金を使って遊ぶだけではないのだなと思った。もちろんレジーナが持って行く布や端切れには元手が必要だろうが。
ジャックは何やら考えているアーロンをニコニコしながら見ていた。短い学園生活と家と仕事場だけの世界では見えなかったものに目を向けようとしているアーロンを応援していたのだ。それが『恋愛』中心であっても、その向こうには人々の思いや生活がある。賢いアーロンなら大丈夫、と思っている。
****
そんなある日の午後、アーロンがまたジャックとマリーの前、というか間に現れたのだ。
「これぞ恋…!」
すぐ脇の植え込みのかげからニュッと顔を出したアーロンが顔を上気させている理由はマリーの左手の薬指だ。
「っわっっ!…と、またあなたですか!アーロン様」
「あ…ああ、すまない…でも」
アーロンは先ほどの光景に目を奪われてしまった。昼食のサンドイッチを食べ終わったジャックが、中庭の一角に残っていたシロツメクサを一本摘み取り、器用に捻って指輪にするとマリーの左手の薬指にはめた。そしてマリーの華奢な手を、細い指を見つめながら、ポツリと言いかける。
「…いつか、こんなんじゃなくて…」
そこでニュッと登場のアーロンだった。さすがのジャックもびっくりすると同時にムッとした。
「俺達の、短い、休憩を、邪魔しないでください、と、何度言えば」
「う…それはわかっているのだが…」
「とにかく!今日はちょっと許せませんね。マリー、行こう」
ジャックがマリーの手を取って立ち上がると、アーロンは慌てて謝った。
「す、すまない!悪かった!本当に。で、でも、感動してしまって」
アーロンのシュンとした様子にジャックは絆されそうになったが、いや、と頭を振る。今日のこれは、マリーへの愛しさが溢れてしまって思わずとった行動ではあったが、立派なプロポーズではないかと思い当たったのだ。
そこに、この顔を輝かせた好青年のいきなりの登場だ。『酷い』とジャックが怒るのも無理はないだろう。
マリーはどう思っただろうか。あの続きを俺が話していたら、マリーはどう答えてくれただろうか。だめだ、やはり許せん…ジャックがそんなことを考えたところで、いつもは二人のやり取りをクスクス笑って見ているマリーが言った。
「ジャック、ありがとう。とっても嬉しい」
へ?と思わずジャックもアーロンもマリーを見た。マリーは頬を染めて続けた。
「私にとっては今のあなたの気持ちがこもったこの指輪が一番の宝物よ。これから先もずっと、私にこの指輪を作って、贈り続けてほしいの。歳をとって、おばあちゃんになってしまっても…どうかしら?」
ジャックはマリーの手を取ったまま、ポカンとしている。いち早く正気に戻ったアーロンが叫ぶ。
「や、やった!ジャック、お、おめでとう!すごいや、マリー!なんてステキなんだ!!」
その言葉にジャックもハッとして、少しばかり泣きそうな笑顔になり、そしてマリーを抱きしめた。
「マリー、ありがとう。俺、絶対に君を幸せにする。約束する」
アーロンは二人の姿を見てつられて涙ぐみ、この後『これからも君たちをずっと見守り、応援するよ!』と言って、ジャックに『全然嬉しくないし迷惑だから断る』と叱られた。
若干迷惑がられつつも、アーロンはジャックとマリーの結婚を式にまで参加して、見届けた。ジャックとマリーは身分の違いに恐縮したが、アーロンにとって二人はもう笑ったり言い合いをしたりできるもう大切な友人だったから、結婚式に参加したりお祝いを選んだりするのは当然だった。
「ねえ、アーロン様、その『何かしてあげたい』『一緒に何かしたい』という気持ちが恋人同士でも大切だと私は思うんです。それが贈り物だったり、観劇や食事だったり。お金を使いすぎるのはどうかと思うけれど、結果としてお金をかかることはあるのではないでしょうか」
何故か自分まで誇らしい気分でいたアーロンに、マリーが結婚式の最中にかけた言葉は、二人の結婚を祝福する気持ちでいっぱいだった彼の心に響くものがあった。
「アーロン様は私達の恋は素朴だと思っていらっしゃるかもしれませんが、私はジャックが指輪を買ってくれたら、それはそれで嬉しいですよ?私のために時間をかけて選んでくれたんだって思ったら幸せです。シロツメクサの指輪も、お店で買った指輪も、ジャックが私に贈ってくれたものにはきっと愛がこもっていますから」
アーロンは、いつもは口数が少ないマリーが、ぽつりぽつりとではあるけれど、一所懸命話してくれる言葉をある種の驚きをもって受け止めた。
「アーロン様がこれまでたくさん嫌な思いをしてきたことは知っています。でも、恋をすることをこわがらないでくださいね。だって、好きな人と一緒に過ごせるのは本当に幸せなことですから。私、アーロン様が私達を祝福してくださって、とても嬉しい。だから、いつか私達にもアーロン様をお祝いさせてください」
そう言って微笑んだマリーは神々しいほど綺麗で、思わず見惚れたらジャックがグイッと間に割り込んで、『はい、そこまで』と言ったので、ごめんごめんと謝ったのだった。
ジャックとマリーの結婚はアーロンにとって恋愛とか結婚とか恋人とか夫婦とか、いろいろなことを考えるきっかけになった。追いかけられたり迫られたりしたことは嫌だったけれど、だからと言って恋愛全てを遠ざけていたことはあまりに子どもっぽかったと感じたのだ。
そもそも、仕事で出会う女性の中には尊敬できる人がたくさんいたのだから。恋愛だけに過敏で意固地になっていたことは事実で、その自分の姿はそれこそ恋愛に振り回されて滑稽だったろうと客観的にもなった。
遅ればせながらの気付きに、アーロンは以前よりもずっと落ち着いた生活を送るようになった。相変わらず先輩方の恋愛絡みのからかいには辟易させられたが、『皆様はいろいろとご存知ですごいですね、でも自分のことは自分で考えますので』と躱せるようになった。
そうなると、なんとなくまたアーロンに言い寄ってくる女性が増えたが、露骨に避けたり逃げ回ったりせず、はっきりと、でも決して悪い感じはしないように『今はその気はない』と断れるようになった。
ジャックはそんなアーロンを見て、ホッとしたし、嬉しくもあった。
そんなアーロンにとって大きな出来事だったのは、魔法使い同士のオーギュストとイヴォンがお互いのキャリアのために別れる決断をしたことだ。
二人はお互いに愛し合っているように見えたし、尊重もしあっているように見えた。その二人がこれから先の人生を考え、仕事を取って離れ離れになることを選んだのはアーロンにとっては驚くことだった。
「これでいいの、今の私達にとっては、自分の魔法を磨いてキャリアを積むことが何より大事なんだもの。もし縁があるなら、この先、私達の道が交わることもある…でも…正直…ツラいわ…だって私、まだオーギュストが好きなんだもの…」
中庭で同僚の魔法使いに話しながら泣くイヴォンの姿をアーロンは静かに見つめた。
3年後。
「今度は男の子だ!マリー、本当にありがとう、お疲れ様!」
ジャックは2人目の子どもをそっと抱きながら、ベッドのマリーの頬にキスをした。
数日後、アーロンもお祝いとして産着と肌触りの良いタオルを沢山、そしてマリーにもサラリと着心地の良い、脱ぎ着がしやすい服を何枚か持ってやってきた。
「アーロン、随分と実用的でしかもセンスのいいものを選んでくれたなぁ」
アーロンのことなので、また第一子であるアンヌの時のように巨大なぬいぐるみでも持ってくるのではと想像していたジャックは驚いた。なのにさらに、
「もし良ければ、洗濯と乾燥ができる魔道具も贈らせてほしいんだけど」
なんてことを言うアーロンに、『そんな高価なものは受け取れない』ジャックとマリーは断ったが、アーロンが
「…実は、気になる人がいて…そのプレゼントも彼女がアドバイスしてくれたんだ。だから…それでその…よければ二人に相談にのってほしくて…」
と赤くなりながらモゴモゴ言ったので、生まれたばかりの子どもを抱くジャックはニヤニヤして聞いた。
「ははぁ…そういうことなら仕方がないなぁ。お祝いと、相談料として、ありがたく受け取るとしよう。で、相手はどんな子なんだ?」
「ええと…王城の経理で働いている子で、コーデリアっていうんだ」
「へえ、優秀なんだな」
「優秀…そう、そうだね。18歳で学園を出てすぐに経理に配属されて、これまで2年も頑張ってきたんだから、優秀だ」
「…うちへのお祝いの相談をするくらいには話せるってことだよな?」
「ああ、うん…あー…どうかな…『出産のお祝いで喜ばれるのはどんな物か』『経理でよく見かけるものは何か』って聞いたら教えてくれたんだ。魔道具も、予算が合うなら絶対にそれがいいって」
ジャックとマリーは心の中で『それはアドバイスというよりは仕事では』と思ったが、アーロンの様子が楽しそうなので、そこは突っ込まずに聞いた。
「そうか、何にしても、アーロンが好きになった子だ、きっと真面目でいい子だな」
「す、好き?いや…その、ちょっと気になるってだけで…」
アーロンがモジモジしている。ジャックは吹き出しそうになるのを堪えながら聞いた。
「なあ、アーロン、その子…コーデリアがいるかもって思うと、経理に行くのが楽しみなんじゃないか?」
「えっ?ああ、それは、うん」
「コーデリアが同僚と話していると『何の話をしているんだろう』って思う?」
「それは…うん、思う」
「僕も話せればいいのに、とか、楽しそうだとちょっと悔しい、とか?」
「うん…そうだ、そう。そういうことも考える…こともある」
それを聞いたマリーが笑って言った。
「ねぇ、アーロン、それが恋よ」
「これが…恋?」
「ああ、これぞ恋、だよ」
真っ赤になったアーロンの背中をジャックがパシパシと叩き、マリーもニコニコした。
「そ、そうか、これが恋か…いや、そうかなと思ったりはしたんだ…」
アーロンは口元を手で覆い、俯いた首筋までも赤くしている。そんな彼をジャックは目を細めて見つめ、『そうか、アーロンが恋か、良かったなぁ』と何度も呟く。
「ところで、アーロン、コーデリアさんはあなたの気持ちを知っているの?」
「えっ?いや、知らないと思うよ。伝えていないから」
「まぁ。それじゃあ、まだ片思いなのね…片思いもステキな時間だけれど、いつかは伝えられるといいわね」
「片思い…」
ジャックはマリーから愛娘アンヌを受け取って抱き直すと、その可愛い額にキスをしながら
「そうだよ、片思い。その子のことを考えるだけで胸がドキドキして、顔を見たくなる。見えなくなるとまたすぐに会いに行きたくなる。どこが気になるのか、説明しようとしても、全部だからなんて言っていいのかわからない。幸せで、でもちょっと切ない時間だ」
いやいやをするアンヌを笑いながらあやすジャックが続けた。
「でも、気持ちが伝わって両思いになれたら、もっともっと幸せだ。もちろん、相手のあることだから、うまくいく、とは限らないけど」
それを聞いてアーロンの顔はサッと白くなった。うまくいくとは限らない、当然のことだが、これまで女性から言い寄られてばかりだったせいで、そのことに思い当たらなかったのだ。
「…アーロン、それでも、気持ちは伝えたほうが良いと思うわ。そうでなければあなたの恋心がかわいそうよ」
「かわいそう…」
「それに、あなたはこれまで、あなたに言い寄って来た令嬢たちから逃げ回っていたけれど、その中には本当にあなたのことが好きだった子もいるかもしれないでしょう?彼女たちがどんな思いで告白したのか…わかるのもいいかもしれないと、私は思うの」
「…」
俯くアーロンの肩に手を置いて、ジャックは『まぁ、すぐにってわけじゃあなくて、もっと話したりして相手のことを知ってからでいいと思うぞ。焦るな、初恋なんだし』と言った。アーロンは頷くと、弱々しい笑顔を浮かべて帰った。
ジャックは、アンヌがママの抱っこをせがむのでマリーに渡した。マリーはアンヌをコチョコチョとくすぐり、キャッキャと笑わせる。じきに2歳になるアンヌはママが大好きだ。
「マリー、君は、何と言うか…強いなぁ」
マリーはアンヌを抱っこし、小さなベッドで眠る息子の柔らかな茶色い髪をそっと撫でながら、
「アーロンも、大人になるべきだわ。それを望まれている人だし、それだけの力もある人だと思うし。そのためには傷つくことや自分を顧みる経験も必要でしょう?」
と優しい声で言った。
****
アーロンは既に戻って久しい伯爵邸の自室で、マリーの言ったことを考えていた。夕食の時に何やら悩んでいる風のアーロンを見て、母親も父親も『おや』とは思ったが特に何を訊くでもなく、普段通りに食事を終えた。
次の日から、アーロンは家の領地の管理の仕事も、宰相である父親の仕事の補佐もこれまで以上に励んだ。文官としての地位は既に確立されているが、自分から様々な部署に出向き、調整をする姿は、同僚や部下に『おっ』と思わせるものがあった。
そんなある日。アーロンが経理を訪れた。
「コーデリアさん、この書類ですけれど、明日決裁を求めたいと考えています。急ですが、可能ですか?」
「まあ、それは急ですね。ちょっと拝見…フムフム…ええと、この部分の調整は済んでいますか?庶務のドイルさんが担当ですが、先日これと関係する水道の工事のことででキンバリーさんとちょっと揉めていましたよ?」
「えっ、そうなの?じゃあ先に確認して来るよ。ありがとう」
アーロンは書類を受け取って庶務に向かおうとしたが、立ち止まって振り向くと、
「あの、この前は友人への贈り物について相談にのってくれてありがとう」
と言った。コーデリアは『ああ』という顔になり
「どうでした?喜ばれましたか?」
と訊いた。アーロンは
「ああ、とても。以前贈ったものは、その…あまり実用的でなくて…だから今回はびっくりされたし、とても喜んでもらえた。本当にありがとう」
と言った。コーデリアは『それは良かった』と言いかけたが途中でアーロンの
「それで、良ければ、お礼に今度食事に誘ってもいいかな」
という言葉に遮られて『それは』までしか言えず、その後もアーロンの誘いに驚いて口の形が『あ』のままになってしまった。
ザワザワと活気のある職場内でのことなので、他の誰が気付くこともなかったが、二人の間には無音の時が流れた。
コーデリアは、ハッと気が付き、口を閉じると
「んー…っと、その…」
と口ごもった。
「あー…いや、すまない、今のは忘れてくれ…じゃあ、僕は庶務に」
アーロンは眉をハの字にして、慌ててその場を離れようとしたが、コーデリアがその背に声をかける。
「いえ、違うんです。その、びっくりしただけで。はい、ええ」
「行って…え?本当に?」
コーデリアはハーフアップにした赤みの強い柔らかな巻き毛を揺らして頷くと
「はい、私、魚介類が好きです。ヘイウッドさんは?」
「僕は…僕も、魚介類は好きだ。いや、好き嫌いはないんだ。ええと、その、良かったら僕のことはアーロンと」
いつもと違ってちょっと慌てているように見えるアーロンに、コーデリアはクスッと笑って、
「まずはドイルさんのところへどうぞ。もうすぐお昼にですから、逃すと午後になってしまいますよ」
アーロンは『うわっ、いけない!』と走って行った。見送るコーデリアは笑顔だったが、アーロンの姿が見えなくなると、赤くなった頬を両手で抑えて
「ど、どういうことかしら…」
とドキドキする心臓をなだめるため深呼吸した。
アーロン・ヘイウッドはよく仕事のできる人物で女性から人気がある。けれど、女性嫌いの噂も根強く、これまで浮いた話は流れたことも聞いたこともない。
だから先日、友人の出産祝いに何がいいかと訊かれた時は少し驚いたものだ。これまで経理で仕事のやり取りはしていたけれど、そんな個人的なことを相談されたことはない。それでもこの仕事をしていると、公的なお祝いの予算が回って来ることもあるので、そういう意味で詳しいと思われたのだろうと考えていたのだ。
その後も何度か仕事の話はしてきたが、その度にきちんとお礼を言う姿勢や感じの良い話し方に『いい人だな』とは思っていた。それが急にこんなことになるとは。
『いいえ、あの時のお礼、ただそれだけよ。前回の贈り物が酷かったようだから、きっとものすごく喜ばれたから、名誉挽回で嬉しいのだわ。だから、そのお礼』
そう思って、心を落ち着けようとしていたのに。
結局、ドイルから許可をもらったアーロンはすぐに経理に戻り、無事にコーデリアに書類を渡すと、そのまま『良かったら』とお昼を一緒に食べる約束を取り付けた。
コーデリアはようやく落ち着いた心臓をまたドキドキさせる羽目になってしまった。そんな彼女の気持ちを知らずに、アーロンはお弁当を持ってきたという彼女に、自分も何か買ってくるから中庭で待っていてほしいと言って姿を消した。
アーロンは食堂でサンドイッチを買って中庭へ向かった。コーデリアはベンチに座っていたがいつもより表情が硬かったのでアーロンは『もしかしたら、迷惑だったか?』と不安になった。
「待たせてしまって申し訳ない。僕から誘ったのに…ええと、迷惑じゃなかった?」
「いえっ、そんな…ちょっと驚きましたけど、迷惑だなんてことはありません…はい…驚きましたけど…」
コーデリアはかなり驚いている、が、アーロンもまさか同意してもらえるとは思っていなかったのと『迷惑ではない』という言葉が嬉しくて、何度も繰り出される『驚いている』という言葉に気付かず、ウキウキして彼女の隣に座った。
「良かった。じゃあ食べようか。食堂のサンドイッチはいろいろな種類があるから毎日楽しみなんだ」
気安い口調のアーロンに少しホッとしたコーデリアも答える。
「そうですか、私は自分で作ることが多くて」
「自分で作るのかい?」
アーロンが驚くと、コーデリアは苦笑して
「うちは男爵家で兄がいますから、いつか家を出て自立しなくてはならないのです。だから家事は一通りできますよ。お弁当は、何と言うか、適当に作っていると言いますか…」
そう言われてアーロンが彼女のランチボックスを見ると
「わわっ!恥ずかしいのであまり見ないでください!」
と手で隠そうとした。
「恥ずかしい?どうして?家事をすることも、毎日のお昼を作ることも、すごいと思うけど?だって僕にはできないよ?」
コーデリアは素直にそう言うアーロンを見て、またもや自分の顔が熱くなるのを感じた。だってこの銀髪に緑の瞳の文官は美しすぎるのだ。そんなコーデリアの気持ちをよそにアーロンは続ける。
「そのサンドイッチを自分で作ったんだろう?そのキッシュも」
二つのサンドイッチのうち一つはロールパンにサーモンや葉物野菜や人参のラペを挟んだだけだ。もう一つはハムとチーズ。何の変哲もない。そして指摘された、ボックスに入っているカットされたキッシュは昨日帰ってからシェフに習って初めて作ったもので、夕食に出したら家族に好評だった。それをお昼用に少し取り分けておいたものだ。
「…はい。でも、シェフに教えてもらいながら作ったので、自分で作ったと言えるか…」
「最初からできる人はいないんだから、習いながらでも作ったのなら十分すごいことだと、僕は思うよ」
そう言うアーロンの視線はキッシュに釘付けで、コーデリアは思わず
「よ、良ければどうぞ?」
と言ってしまった。
「えっ、ホントに?いいの?じゃあ遠慮なく!」
差し出されたボックスからキッシュを取り上げると口に入れ、『あ、ホウレン草とベーコンだ。胡椒が効いていておいしいなぁ』ともぐもぐしながら嬉しそうだ。
「…」
コーデリアが何となく見惚れていると、視線に気付いたアーロンはハッとして、ゆっくりとキッシュを飲み込み、口元を指で拭って咳払いをした。
「ええと…その、あの…今日は急に誘ってしまって…すまない」
「っいいえっ、そんな…」
その後、ちょっと気まずく、気恥ずかしい雰囲気の中で、二人はもぐもぐとお互いのサンドイッチを食べた。いつもは何時くらいまで仕事をして帰るのか、とか、休みの日には何をして過ごすことが多いのか、とか、そんな話をポツリポツリとしながら。
もうじき食べ終わる、という時になって、アーロンは『食事に行く日を決めたいがどうだろう』と言った。二人とも次の休みは予定がなかったので、ではその日に、となった。
ランチボックスを片付けていると、風が吹き、飛んで来た木の葉が彼女の髪に絡まった。
「あ、葉っぱが…」
「え…?」
ふと手を伸ばして木の葉を取り、彼女の顔を見ると、彼女は少し顔を赤くしてはにかみながら
「ありがとうございます…」
と微笑んだ。
アーロンはジャックとマリーを初めて見た日のことを思い出した。そして自分の内に沸き起こった気持ちに、『ああ、これが…』と思った。
「あの、アーロン、様?」
「あ、ああ、何でもない…いや…何でもなくはないんだけど…うん、いいんだ。今度の休みの日を楽しみにしているよ」
「え?ええ、はい、私も楽しみです。午後もお仕事、頑張ってください」
コーデリアとわかれて執務室へ向かいながら、アーロンは昔の自分を思い出した。幼くて、自分本位だったあの頃の自分を。そしてマリーの言った『その中には本当にあなたのことが好きだった子もいるかもしれないでしょう?』という言葉も。
もしも、自分が『女性』と一括りに見ていた人々の中に、努力する自分を見てくれていた人が、そしてそんな自分に思いを寄せてくれていた人がいたら。そう思うと、アーロンはこれまでの自分の想像力のなさと情けなさにがっかりした。
そして同時に、先程湧き上がったコーデリアへの思いの強さと、その思いに彼女が応えてくれるだろうかという不安を感じた。それは自分が決めるのではない、彼女が決めるのだ。
アーロンはその日が来てほしいような、ほしくないような、複雑な気持ちでその週を過ごした。もちろん仕事を疎かにはしなかったつもりだが、もしかしたらどこか気もそぞろだったかもしれない。
約束の日の前夜、アーロンはジャックの家を訪ねた。
「ジャック、僕、コーデリアを食事に誘ったんだ」
「へえ、それはいいな。デートだ」
「うん…でも、正直、怖い」
「怖い?彼女が?」
「僕との時間を楽しんでくれるだろうか、自分を狙っている恐ろしい存在だと思われないだろうか、そんなことを考えてしまう」
「…昔の自分のように?」
「ああ、その通りだよ。僕は…何もわかっていなかった。それに…」
「仕方ないさ、子どもだったんだ」
「それでも、もっと、僕はもっと考えるべきだった」
「振られるかもって思ったら、振り返って反省した?」
「振られるかもしれないのは仕方がない。それは彼女の気持ちの問題であって、決めるのは彼女だから。怖いのは…僕がそんな風に自分勝手で、人を傷つけてきた人間だと、幻滅されるんじゃないかってことなんだ」
「うーん…それは…自分がしてきたことだからなぁ…そう言われたら受け止めるしかないだろう。気の毒だけどね」
「…うん」
「でも、人間なんて、そうやって反省ばかりだぞ。恥ずかしいこともたくさんある。それを乗り越えて、もっと頑張ろうって努力していくしかないと俺は思う」
「ジャックって、大人だよね」
「なんだよ、今更。でも、まあな。もう親だし、しっかりしたいとはいつも思っているさ」
「僕も、そうなりたいって思うよ…うん、そうだ、頑張るよ。振られても、幻滅されても、認めてもらえるように、これまで以上に仕事もするし、彼女へのアプローチも続ける…迷惑にならなければ…だけど」
マリーがアンヌを抱っこしながらクスッと笑った。
「アーロンったら、まるで振られることが決定みたいね」
「えっ、そんなことないよ!もちろん彼女に受け入れてほしいって思ってる。でも」
「でも?」
「…いや、うん、僕のことをわかってもらえるように努力する。だって」
アーロンはあの中庭で彼女が見せたはにかんだ表情を思い出した。それだけで、アーロンの心は喜びに溢れる。
「僕は彼女が好きなんだ。後から振り返ったら、今のこの気持ちだって、子どもの我儘みたいなものかもしれない。でも、僕はこの気持ちを大切にしたい」
「言うねぇ…これぞ恋、ってやつだ」
マリーはアーロンを見てニコニコしている。ジャックは彼女がアーロンの成長を喜んでいるのだなと感じた。
「まあ、ここで俺達にごちゃごちゃ言ってたって、明日の結果は変わらないだろう?帰って明日に備えるんだな」
ジャックがそう言うと、アーロンは
「そんなことはないよ。君たちに相談して聞いてもらうことで僕は、自分一人では無理なことに気付かせてもらえる。いつだって感謝しているんだ。うん、でも、もう帰るよ明日のために。今日もありがとう」
そう言って帰ったアーロンの思いが叶うことをジャックとマリーは願った。
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次の日、緊張した面持ちで約束の場所にだいぶ早い時間に着いたアーロンは、コーデリアが約束の時間の少し前に現れたことを嬉しく思った。気が進まないなら早くに来ることはないのではないかと考えたし、そうでなくても時間を守る姿勢にますます惹かれた。
「コーデリアさん!おはようございます」
「おはようございます、アーロン様。お待たせしましたか?」
「いいや、僕がちょっと早く来すぎただけだ。その、楽しみすぎて」
『まぁ』と笑うコーデリアを見て、アーロンは『ああ、なんてステキな笑顔なんだ』とポーっとする。それに気付かないコーデリアは
「昼食には少し早いので、先日開園した植物園に行ってみませんか?」
と言う。アーロンはブンブン頷いて、二人で馬車には乗らず、街を見ながら歩いていくことにした。
「コーデリアさんは植物が好きなの?」
「ええ、花も、花が咲かないものも、好きです。ホッとすると言うか…なんでしょう、息がしやすいというか」
「もしかして、毎日、仕事が大変だったりする?」
「ええ、まぁ、それは。働き始めて2年も経つのに、まだまだです。失敗もしますし」
「でも、書類を丁寧に見てくれているよね」
「え?そ…そうでしょうか。そう思っていただけているなら嬉しいです」
「この前も、庶務のドイルさんのことを教えてもらえて助かった。おかげで上手く進んでいるし」
「それは良かったです。あの街の排水に関する計画は良いと思います。衛生的な向上は病気の予防にもなりますし…って、すみません、知ったようなことを」
「いいや、嬉しいよ。それに、そういうところが丁寧だなって思ってるんだ」
「そ、それは、どうも…」
「…僕は、コーデリアさんの、そういう仕事熱心なところが好ましいと感じている」
「えっ、こっ…好まし?えっ?」
コーデリアが驚いて立ち止まると、アーロンもハッとしたように足を止め、顔を赤くした。
「あ、その…ああ、もう」
少し口ごもったが、アーロンは意を決したようにコーデリアに向き合うと言った。
「そのままの意味だ。僕はコーデリアさんのことが気になってた。仕事熱心で、丁寧で、誰にでも親切で…だからこの前もお昼に誘って、そこで、君が料理をする話を聞いて…楽しくて」
コーデリアが驚いた顔でアーロンを見上げている。アーロンは困った顔で続けた。
「その…本当はもっといろいろと話してお互いに人となりをわかり合ってからって思っていたんだ…だけど、ごめん、思わず。だからこんな急にで、驚かせていることはわかっている。僕の噂だって、きっと聞いたことがあると思う。僕も君に会って仕事で話すようになるまで、こんな風に誰かに心を奪われることになるなんて、想像もしていなかった。でも」
コーデリアの顔は真っ赤だ。アーロンは彼女を見つめて大きく息を吸うと、
「君のことを考えると苦しくて、顔を見たくなる。そして会うと嬉しくて、たくさん話したくなって、離れるのが嫌だって思うんだ。この気持ちは、好きだってことなんだって、気づいて…君を困らせることになるかもしれないとわかっているけれど…伝えずにはいられなくて」
アーロンは息継ぎをした。
「良ければ、僕とこれからも一緒にどこかに出かけたり、食事をしたりしてほしい。今すぐにじゃなくていいけど、両思いになれたら嬉しい」
コーデリアはまだ顔を赤くしたまま、アーロンを見つめている。
「その…返事は今じゃなくていいから…でも、今日は約束通り、食事に行ってくれる?」
アーロンは俯いてそう聞いた。そして、今まで自分に言い寄ってきた女性の中には、今の自分と同じ気持ちの人もいたのだろうかと思って胸がギュッとなった。
長い時間が経ったような気がしたが、本当のところはわからない。が、コーデリアの声がした。
「あの…その、顔をあげてください、アーロン様。その、私…」
アーロンがコーデリアを見ると、彼女は恥ずかしそうな笑顔で続けた。
「まだ、アーロン様のことが好きかどうかはわからないのですが、一緒にいるのは楽しいです。食事に行く今日の約束も楽しみでしたし、今、言ってくださった気持ちも…その…嬉しいです」
その後の『だから、もう少し、アーロン様の言うように一緒に出かけたり食事に行ったりしながらお互いのことを知っていくのはどうでしょう』という彼女の言葉に、アーロンはもうそれだけで天にも昇る心地だったし、嬉しくて何度も何度も頷いた。
二人はその後植物園に行って南の国の植物の大きさに驚き、そして彼女の好きな魚介類を使った美味しい食事を楽しんだ。
帰り際にアーロンが、お礼を伝えると、コーデリアもまた楽しかったと、そして次の機会も楽しみにしていると言った。
アーロンはその足でジャックの家へ行き、話を聞く前にその笑顔を見たジャックとマリーはその日のデートが上手くいったことがわかった。
アーロンがコーデリアのことを『ディリィ』と、そしてコーデリアが『アーロン』と様を付けずに呼び合うようになるのは5度目のデートの後。そして婚約は半年後だった。ジャックとマリーが大喜びしたのは言うまでもない。
お読みくださりどうもありがとうございました。
アーロンとジャックの関係みたいなのが好きです。