戸惑いは大変分かりますが、さらに旦那様が落とした爆弾発言
用意されていた馬車に乗り込んで出発した。
向かったのは王宮だ。そこはロジャーの屋敷から数十分という近い距離にあり、大きな門が開かれたところからずっと、フェリシアは隣国の王宮の豪華絢爛ともいえる華やかさに口をぽかんと開けて見入ってしまっていた。
(財力もある国だとは知っていたけど、すごいわ……)
この国では子爵家でも財産がかなりあるとは聞く。
ロジャーのような伯爵家、それでいて彼自身が王宮で部隊を任されていてエルベラント家を継ぐ前から得ている伯爵位も、財どころかかなりの権力まで有しているに違いない。
「ロジャー伯爵、ごきげんよう」
馬車を下り、イヴァンと共にロジャーの後ろに続いていくと、扇を持った貴婦人たちもわざわざ声をかけてくる。
もちろん男性たちだけでなく、騎士たちも「伯爵だ」と目を向けていく。
それは彼が持つ美貌、というよりは立場的な部分で尊敬されているのをフェリシアは感じた。
(王宮ではずいぶん顔が知られているみたい)
そんな印象と同時に、ロジャーが他者に対する姿勢が、屋敷内とはずいぶん違うことにも驚かされる。
「ああ、先日以来だな」
身分がありそうな騎士にも、ロジャーはそっけなく答えて視線も返さない。
毅然と前を向いて歩く姿は気軽に声なんてかけられない雰囲気だ。わざわざ歩み寄って引き留めようとする貴族もいない。
見慣れないロジャーの愛想のない横顔に、フェリシアは緊張する。
「あの、イヴァンさん、彼って……」
「人に頭を下げるようなお方ではありませんでしたから。今も、昔も」
こそっと尋ねたら、イヴァンが小さな声で教えてくれた。
つまるところそれは自分が感じたままの人物像であるらしいと、フェリシアは納得した。
ロジャーは肩で風を切るみたいに颯爽と歩いた。フェリシアが少し早足になってしまいほど、速い。
(メイドの姿勢でついていくのは大変っ)
そのような教育は受けたことがなかったから当然だ。
フェリシアの所作は、自分の屋敷でよく見ていたメイドたちの見様見真似だった。
とはいえ、王宮内を無駄なく進んでいくのは有難い。
「こちらから軍区になります」
イヴァンが囁いてきた時、通路にいた二人の警備がロジャーの顔を見て背筋を伸ばし、「どうぞ」と中央を開けた。
「ご苦労」
「はっ」
ロジャーが通り過ぎるまで彼らは動かなかった。
すれ違った際、フェリシアは二人の警備の表情からしても緊張しているのが分かった。視線を合わせないよう上のほうを見ている。
(何もなかったとしたら、私も話しかけられない人だったのかも――)
そう思ってロジャーの背を見た時、フェリシアはなぜだか胸が切ない感じになった。
第二部隊は軍区の西側に位置していた。
王宮の警備を任されているうちの一つだ。共同部屋まで来た際、フェリシアはそこから見える備え付けの訓練場まで設備の充実さと豪華に驚かされた。自国の王宮とは規模も違っているようだ。
「隊長、お疲れ様です」
ロジャーが来た広い部屋には、紺色の軍服を着た騎士たちがいた。
「何か問題は?」
「近衛騎士隊から舞踏会の警備についての件で話が届いています」
「分かった」
騎士たちの視線は、入室してきたフェリシアに集まっていた。みんな状況が掴めていない様子だ。
フェリシアも少し動揺があってうまく表情が作れない。
(隊長なのね。爵位を継ぐ前がそうだったのなら、納得かも)
ロジャーがメイドを連れるのは珍しいらしい。奥にいる騎士たちが言葉を交わしているのが聞こえてくる。
本来、ここは一介のメイドが入っていいような場ではないのだろうとは察せる。
(誰なのか紹介されるのを待っているみたいだわ)
すると、ロジャーが振り返る。目が合うなり彼が表情を温かなものに変え、それを目撃した騎士たちが目を剥く。
「ここへきたのは久しぶりだろう。遊んでいいぞ」
彼の背後の空気が若干ざわついた。
フェリシアは、ロジャーの向こうに見える部下たちの頭に、たくさん疑問符が浮かんでいるのが見えた。
その戸惑いは分かる。フェリシアも『遊んでいい』発言に困っているところだ。
「クッションを投げてもいいし、部下を追い駆け回しても構わない」
ロジャーの背景にいる騎士たちが、隠しきれない困惑を浮かべる。
「隊長が鬼畜発言をしているぞ……俺たちは今日メイドにボコられろという命令を受けるのか?」
「どういうこと? クッション?」
騎士たちがざわつく場を、イヴァンが半眼で眺めている。
ロジャーはまるで気にしなかった。
「どうした? さあ、おいで」
にこっと笑いかけてフェリシアに近付く。
「隊長が笑顔、だと……!?」
「しかも『おいで』と言ったぞっ、なんだあの声吐きそう……」
「ただのメイドじゃないのは分かる、絶対に違うだろ」
「だが、まさかここを隊長が逢引の場にされるなんてさすがにないだろ、そうだろう!?」
ロジャーが「ん?」と優しい声で、どうかしたのかというふうに問いかけてくる。
だがフェリシアは、そんな彼の背景が気になって仕方がない。
(イヴァンさん、さすがに止めたほうがいいと思うのです)
王宮を歩いていた時のイメージが本来のケジャー、なのだろう。
だとしたら彼の人間性、というか堅実さが疑われているみたいなので、誤解をといたほうがいいような気がする。
「あの、旦那様――」
「遠慮しなくていい。ああ、それとも久しぶりで落ち着かないのか。大丈夫だ、お前の席はいつだって僕の隣だ」
騎士たちが「ひぇっ、隣!?」と声を揃える。
イヴァンがますます面倒臭そうな顔をした。
(そう感じているのなら、なんとかしてくださいっ)
フェリシアはそんな意思を込めて目を向けたのだか、イヴァンがあからさまに顔をそむけた。それは軽くショックだ。
ロジャーが部下たちに指示する。
「そこのソファを執務席の横まで移動してくれ」
「は、はい、隊長っ、今すぐっ」
「一番大きめのクッションを。それからメイドを呼んで水も用意させてくれ」
騎士たちが「メイドを」と繰り返す。
みんなの視線が『え、え?』という感じでフェリシアに集まった。
(ああぁ、戸惑っているのが伝わってくるわ)
でも、そうだった、思い出した。ロジャーはフェリシアを犬だと思っていて、彼女の言葉なんて必要としていないのだ。
いや、諦めるものか。
フェリシアはスカートの前であわせている手に、ぐっと力を入れる。どうにか誤解されないようやり過ごそう。ロジャーの予定は執務処理が少しで訓練などは入っていないとは、イヴァンに聞いている。
(私はソファに座っていればいいだけ。仕事をしている時はそっとしておいてくれるし、大人しくやり過ごして、そして速やかにここを出るのよ)
帰りの『庭園の散歩』も不安だが、令嬢としてエスコートすることはないので、いける。大丈夫だ。
「イヴァン」
「はい。いつも通り、確認してまいります」
ロジャーに目を向けられたイヴァンが、右手に見える扉へと向かう。
「さあ、ついておいで」
「は、はい」
ロジャーの顔が向き、にこやかに誘われ、フェリシアは緊張しつつ歩きだす。彼の顔がいいのが悪いのだろう。
(犬相手に発言していると分かっていても、ついどきどきしてしまうわね)
執務机が近付く。するとクッションを両手に抱いた騎士が、おそるおそるといった様子で歩み寄ってきた。
「えぇと、こちらのクッションでよろしいでしょうか?」
「うわ、大きいですね」
いったいどころから、と四角の白いクッションをまじまじと見てしまう。
「休憩用の仮眠室からです」
「わざわざありがとうございます」
ひとまず受け取って両手で抱く。かなりもふもふとした抱き心地だ。
「素材などはお気に召しますでしょうか。他にもクッションはありますが」
そもそもクッションをどうして必要としているのか騎士たちは分からないようで、大丈夫かなと彼の向こうからもうかがってくる。
「あの、いえ、大丈夫です。素材にこだわりはありませんから」
「抱き心地がいいものがお気に入りだ」
ほぼ同時に、隣からロジャーの声が降ってきた。
フェリシアがびっくりして顔を上げると、そこには彼が立っていた。素材を確かめたいのか、彼女の両腕の上に飛び出しているクッションの角を何度か握る。
「ベッドでも隣にまで置きたがる」
「ベッド……!」
騎士たちが言葉を繰り返した。
なんて最悪のタイミングでその発言をしたんだと、フェリシアはロジャーを『嘘でしょ』という思いで見上げていた。