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エアロ!  作者: 迎ラミン
第二章 アイ・オー・アイ
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アイ・オー・アイ 3

 翌日。みくから引き受けた翔子の代行レッスンは、好評のうちに終了した。

 聞けば、前の週にみく自身が「来週は私の先輩で、すっっっごく可愛い先生にかわりをお願いしてますから、皆さん他の人も誘ってぜひ参加してくださいね」などと、勝手にハードルを上げての宣伝をしてくれたらしい。ともあれ、おかげでなんと二十四名もの参加者が集まり、広いAスタジオの鏡が熱気で曇るほどだった。


「代行、楽しいな」


 イントラによっては嫌がる者もいるが、翔子はレッスン代行が好きなタイプである。獅子神の代行を頼まれたりするときはさすがに緊張するが、それでも普段とは違う参加者たちに会えるのは新鮮で、何よりいい勉強になる。もちろん収入が増えるという現実的な利点も大きいし、ついでに言うと、みくのようにプライベートで大きな予定が入ることもあまりないので、むしろ積極的に引き受けているのだった。

 ただ、もし仮にボーイフレンドができたとしても、やはりフィットネス・インストラクターという仕事を理解して、応援してくれる男性がいいなとは思う。


「できれば自分もしっかり身体を動かしてて、トレーニングとかスポーツ観戦にもつき合ってくれて、イケメンで、優しくて、お姫様抱っことかしてくれて――」


 上機嫌のあまり、レッスン後、妄想を口にしたままジムカウンターの前を歩いていることにも気づかなかった。


「天野先生、そういうタイプが好みなんですか?」


 珍しく笑いを堪えているようなさゆりの声で、翔子は我に返った。


「え!? 私、何か変なこと言ってました?」

「ええ。トレーニンやスポーツ観戦につき合ってくれて、お姫様抱っこしてくれる優しいイケメンを、思いっきり募集してましたよ」

「や、やだ! あの、忘れてください! ていうか、誰にも内緒の秘密の隠し事のシークレットにしてください!」

「はいはい。ほんと、動揺するとわかりやすいですね、天野先生は」

「……すみません」


 レッスン直後という以外の理由でも、顔が火照っているのが自覚できる。頬に手を当てて冷静になろうとした翔子だったが、慌てたあまりか逆におかしな質問をしてしまった。


「坪根チーフは、どうなんですか?」

「え?」

「いえ、あの、チーフは美人だしお仕事もできるから、どんな人とおつき合いされてるのかなって。……って、すみません! 変なこと聞いちゃって!」


 何を言っているんだ、とむしろ一層うろたえる羽目になった。女同士という気安さがあったのかもしれないが、雇い先の、それもチーフ・トレーナーになんてことを、とますます頬が熱くなる。

 だがさゆりは、いたずらっぽくこちらの顔を見返してきた。


「ありがとう。そうね……じゃあ私もここだけの話、しちゃおうかしら」

「え?」


 綺麗なカーブを描く眉の下で、アーモンド型の目が細められている。その整った面立ちにあらためて見とれてしまっていると、「私のタイプはね」とさゆりが続けた。


「天野先生と似てるけど、自分も身体をしっかり鍛えてて、無骨だけどいつも私を見てくれて、何かあればすぐにフォローしてくれるような人かな。どこかの兵隊さんみたいな」

「それって……」


 翔子の頭に二人の男性が思い浮かんだが、すぐさま年上の方に絞られる。


「こら、勝手に誰か想像してるでしょ。いずれにせよ内緒ですよ。おたがいに、ね」


 笑って人差し指を口に当てるチーフ・トレーナーの表情は、これまで見たどんなものよりも柔らかくて素敵だった。


「は、はい! 頑張ってください!」

「何を頑張れっていうのよ」


 苦笑を向けられつつも、翔子は弾むような足取りでロッカールームへと戻っていった。




 そっか。坪根チーフ、神さんのことが好きなんだ。


「いいなあ。お似合いだなあ」


 にこにことつぶやきつつ、翔子はロッカールームの奥に位置する大浴場の扉を開けた。

 指導を終えて自分も汗をかいたイントラやトレーナーは、利用者の邪魔にならないようにという注意事項こそあるものの、シャワーや風呂の使用も許可されている。特にメイク・フィットの風呂は男女ともにジャグジーつきの大浴場で、さらには露天風呂もあるという素晴らしい環境なので、翔子も必ず使わせてもらっている。

 その露天風呂の方から声が聞こえてきたのは、シャワーを浴びながら、すんなりとお湯が流れ落ちてしまう胸元を恨めしく眺めていたときだった。


「あのアミノ酸、私も飲んだわよ」

「なんかドキドキしてこなかった?」

「それって、斉藤先生にじゃない?」

「あ、そっか。なら全然いいわ。旦那とは何年もご無沙汰だし」


 あけすけな会話に俯きかけた翔子だったが、すぐにハッと顔を上げた。アミノ酸。斉藤。ドキドキしてくる。話の対象は明らかだ。

 慌ててそちらへ向かおうとしたものの、ふと我に返って立ち止まる。


 でも、なんて説明すればいいの?


 エフェドリンというドーピング成分が入っているから止めた方がいい? 媚薬としての作用もあるから? けれど、いきなりそんなことを言って信じてもらえるだろうか。それに、聞こえてくるのは知らない声ばかりである。おそらく翔子とは馴染みのない会員たちだろう。


 獅子神さんとかなら、説得力もあるんだろうけど……。


 聞けば獅子神も、クラブのプログラム・アドバイザーとして、件のサプリメントについて報告を受けたそうだ。結果、「斉藤の野郎! 薬に頼って興奮させるなんて、女心を踏みにじる行為だわ! 極刑よ! 拷問よ! 股間蹴っ飛ばしてやる!」などと物騒なことを口走って、健以上にわかりやすく憤っていた。

 しかしながら、いかに獅子神でもさすがに女風呂には入れない。

 どうしたものか、と必死に考え始めたところで会話の続きが聞こえてきた。


「でもやっぱり、ちょっと高いわよね」

「うん。いくら斉藤先生のファンだって言っても、十本八千円からっていうのはねえ」


 よかった。少なくともこの人たちに関しては、購入するつもりはないらしい。サンプルを一本だけ飲んでしまった感じではあるが、今のところ大きな身体の不調もなさそうだ。

 同時に翔子は、


 あれ、一本八百円もするんだ!?


 と、びっくりさせられた。だが斉藤はもうかなりの会員に、あの『スキップ』なるサプリメントの営業をかけている様子である。そのうち、本当に購入してしまう人だって出るかもしれない。


 坪根チーフや神さんに、急いで報告しなきゃ!


 お気に入りの露天風呂を楽しむひまもなく、翔子は急いで浴室を出た。




 タイミングよく、二人は揃って事務所にいてくれた。


「――なるほど。昨日、赤星から聞いたばかりですが、やはりすでに広まってしまっていましたか」

「初期対応が、ちょっと遅れちゃったわね。最初からもっと厳密にいけばよかった」

「仕方ありませんよ。少なくとも表向きは、お客様に人気があるインストラクターですし」

「ありがとう。でも、ここからは厳しく対応しないと」

「はい。念のため彼との契約内容を確認してから、すぐに呼び出します」

「私は会員さんへのインフォメーション方法を手配するわ。掲示板とウェブサイト、公式SNS、あとは郵送での連絡もした方がいいでしょうね」

「そうですね。ご年配の方も多いですから」


 翔子の報告に礼を述べたあと、神とさゆりはさっそく額をつき合わせて、善後策を協議し始めた。てきぱきとしたやり取りもそうだが、同時に翔子が感心させられたのは、二人の息の合った姿である。お似合いだなどと思っていたが、男女としてどころか有能な大将と副官、もしくは社長と秘書といった感じで、浮ついた感想を抱くことなど、逆に失礼じゃないかと思えるほどだ。


「天野先生、貴重な情報をありがとうございました。斉藤先生にはあらためて、クラブとして毅然とした対応を取らせていただきます」


 まさに秘書か執事かといった感じで、神がうやうやしく頭を下げてくる。


「いえ、たまたまお風呂で聞いただけですから。むしろ会員さんたちに、何もお伝えできなくてすみません」

「とんでもありません。天野先生のご判断は正解だったと思います。会員さんたちも人間ですから、お気に入りのインストラクターに関してネガティブなことを言われたら、逆に態度を硬化させてしまうかもしれませんし」

「ありがとうございます」


 さゆりも横からフォローしてくれる。


「天野先生なら、嫌う人はいないから話ぐらいは聞いてくれると思うけど、こんなくだらないことに首を突っ込んで、会員さんとぎくしゃくしたくないでしょう?」

「はあ」


 自分を嫌う人はいない、という台詞にどう答えていいかわからず、翔子は苦笑を返すしかなかった。一方で、何より心強い気持ちも湧いてくる。こんな事態が起きているのに「くだらない」とばっさり言ってのける、さゆりの姿勢が本当に頼もしい。さすがは皆のチーフ・トレーナーだ。


「イントラさん同士で人間関係がこじれる等の支障はないでしょうが、何かあったら獅子神さんや私に、ご遠慮なく相談してください」


 ふたたび神が執事めいた態度で言うと、「神さんのお堅いキャラが相談しづらかったら、もちろん私でもOKよ」と、そのさゆりが冗談めかしてまたつけ加える。本当にいいコンビネーションだし、入浴前に交わした会話のおかげか、実際にさゆり自身の雰囲気もいつもより取っつきやすい印象を受ける。


「はい、ありがとうございます!」


 ますます心強くなった翔子は、元気に頭を下げてクラブをあとにした。

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