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エアロ!  作者: 迎ラミン
第五章 エアロ
17/20

エアロ 1

 最終審査に残った六人のイントラは、あらためて壇上で紹介されるとともに、一人ひとことずつの抱負を求められた。


「十七番、メイク・フィット・スポーツクラブの天野翔子先生です!」


 MCの声とともにフロアと客席から、「翔子先生!」「素敵!」といった声が上がる。自分の前に行なわれた二名の様子から、ある程度予想はできていたものの、翔子は頬を染めながら無難なコメントを残すことしかできなかった。


「天野翔子です! あの、頑張ります!」


 純朴なリアクションが逆によかったのか、「可愛い!」「応援してるよ!」と、イントラだかアイドルだかわからないような声援がますます大きくなる。


「ど、どうもありがとうございます!」

「ふーん。そういう清純派路線でいくんだ、翔子ちゃん」


 頭を下げた隣で、こちらにだけ聞こえるように斉藤がつぶやいたが、翔子は完全な無視を決め込んだ。この人を相手にするんじゃない。自分のエアロをするんだ。お客さんと一緒に楽しむことだけを考えるんだ。


「ふん、つれないねえ」


 ステージ上ではMCの声が続く。


「ご承知の通り、最終審査は各先生に一人二十分の模擬レッスンをしていただきます。会場の皆さん、日本トップクラスの六人のリードを目に、いえ、身体全体に焼きつけましょう! なお、今年の最終審査にはサプライズゲストとして、海外からのスペシャル審査員もお呼びしています! サプライズに相応しく、客席もしくはフロアのどこかで六人のパフォーマンスを見守ってくれていますので、そちらも乞うご期待!」


 へえ、そうなんだ。


 翔子は少し驚いた。たしかに客席やフロアには、外国人の姿もちらほら見える。このなかにそのサプライズ審査員がいるのだろう。スポンサー企業の社長とか、向こうの有名なイントラとかかもしれない。ちょっとした覆面調査みたいで、これはこれで面白い。


「では十分後より、今年度のインストラクター・オブ・インストラクターを決める最終審査、いよいよスタートです! フロアの皆さん、準備はよろしいですか? 日本一豪華なリレーレッスン、盛り上がっていきましょう!」

「イエーイ!」


 フロアはすでに期待と熱気で満ちている。十分間のウォームアップ時間が待ちきれないという様子で、自分たちも入念にストレッチやステップの確認をする参加者の姿は、まるで一次審査の再現のようだ。

 抽選で選ばれる『IOI』一般参加枠だが、じつはかなり高い競争率なのだと、当選した佐々木&平沼コンビが語っていた。自分がそれに相応しいかどうかはさておき、MCが言う通り日本トップクラスのレッスンを立て続けに受けられるというのは、フィットネス・フリークにとってはたしかに魅力的だろう。

 翔子の演技は三番目である。二次審査のときと同じく待機エリアでスタンバイしつつ、二番手となる斉藤が、もう舞台袖へ行かされていることに少しホッとした。相手にしないつもりではあるが、やはり離れている方が安心する。


 まだ早いかな。


 四十数分後の出番を考えて、マットの敷かれた場所で、ゆっくりとストレッチしていたときだった。

 参加者が一人、遅れてフロアに駆け込んできた。


「よし、間に合った! あ、天野先生! やっぱり最終審査、残ったんだ? 足も大丈夫そうね。よかったよかった!」


 みくによく似たツインテールと、彼女よりもさらに小さな身体。女子高生のような童顔と大きな眼鏡。


「如月先生!」


 日本を代表するスポーツドクターであり、健の師でもある如月真が、上下、シューズともに同じメーカーでばっちりキメたウェア姿で笑っている。


「オリンピック協会に参加枠の招待券が届いてたのよ。誰も使わないっていうから、私がもらっちゃった」


 その着こなしや適度に使い込まれたシューズは、明らかにフィットネス・フリークの出で立ちだ。


「天野さん、何番目? 三番目? オッケー、私も盛り上げるから頑張って!」


 走ってきたからだろう、早くも上気している顔で元気にまくしたてた如月は、最前列の空きスペースに遠慮無く陣取った。本当にレッスン慣れしていることがわかる。

 そして。 

 彼女を待っていたかのようなタイミングで、ついに最終審査のスタートが宣言された。


「それでは第二十回『IOI』最終審査、二十分間の模擬レッスンを開始します! まずはエントリーナンバー四番、志村かおる先生! どうぞ!」

「よろしくお願いしまーす!」


 元気のいい声とともに、翔子と同年代のインストラクターがステージに躍り出る。フロアから、客席から、そしてライバルであるはずの他のイントラからも大きな声援が上がる。


「頑張って!」


 翔子もエールを送りながら立ち上がった。

 四十分後、自分もあそこで笑おう。楽しもう。

 最後の審査が、始まった。




「続いてはエントリーナンバー十番、斉藤京四郎先生です! どうぞ!」


 緊張するトップバッターにもかかわらず、見事に会場を盛り上げてくれた志村というイントラに続いて、斉藤が登場した。


「よろしくお願いします! 皆さん、まだまだ盛り上がっていきましょう!」 


 いつもの歯磨きCMスマイルによく通る声。悔しいが、やはりイントラとしての実力はたしかだ。ステップタッチ、Aステップ、Vステップ、レッグカールといった基本のステップから、複雑な動作や手振りを少しずつ増やしていく流れもスムーズである。BPMは一五〇くらいだろうか。かなり速いテンポだが、「次でステップチェンジ! はい、タ・タ・タン、タ・タ・タン!」と前倒しでキューを出すので、参加者も問題なくついてこれている。さらには、合間合間のトークも絶妙だった。


「グ~ッド! 後ろの赤いシャツのお姉さん、ナイスステップ!」

「OKOK! 左端のタンクトップのあなた! そう、あなたも素敵ですよ!」


 一人一人に自分のことだとわかるように声をかけるので、本人も周囲も自然と笑顔になっている。


 本当に上手い……。


 さすがにエールを送る気にはなれないが、舞台袖で入念なウォームアップをくり返していた翔子は、二次審査のときと同様に感心してしまった。

 けど、人は人。自分は自分。私もお客さんと一緒に楽しもう。二十分間、笑顔の絶えないレッスンをしよう。

 あらためて自身に言い聞かせながら、斉藤のグレープバインを見ていたときだった。


 あれ?


 少しだけ違和感があった。


 ミスった?


 斉藤らしからぬ小さめのステップで、動く幅、特に左への動きが少なかったように見えた。そういえば演技が後半に入ったあたりから、右側寄りのポジションでリードを出す姿が多いような気がする。

 当たり前だが、イントラはリード中も左右に動いて、端の方にいる人ともコミュニケーションを図るのが常識とされている。あまりうろうろしすぎるのはもちろんよくないが、こうした広い会場ならば、積極的に動き回らなければむしろ自分自身がやりづらいだろう。それに男性イントラは歩幅も広いし、エネルギッシュにステージ上を移動する姿は格好のアピールにもなるはずだ。


 気のせいかな。


 それほど露骨なわけでもないし、たしかに動くときは左にも動いているので、翔子は疑問を頭から追いやった。斉藤などのことより、すぐに待っている自分の演技に集中しなければ。


「さあ、最後は一緒に決めポーズ! いきますよー! ワン、ツー、スリー・エン・フォー! ファイブ、シックス……アイ・オー・アイ!」


 大会名とともにラストポーズもばっちり決めて、斉藤の模擬レッスンが終了した。割れんばかりの歓声と拍手。「京四郎先生!」「京ちゃ~ん!」などというのは、追っかけまがいの常連の声だろう。

 床に飛んだ汗を係員が素早くモップがけするなか、意気揚々と彼は袖に帰ってきた。


「お先、翔子ちゃん」


 無言でその顔を一瞥しただけで、翔子はすぐに目を閉じた。斉藤はもう、どうでもいい。それよりもフロアを満たし続ける熱気と声援、客全体の素晴らしいエネルギー。これを吹き飛ばそうとか、塗り替えようとかじゃなく――。


「斉藤先生、ありがとうございました! さあ、三番手はエントリーナンバー十七番、天野翔子先生です! どうぞ!」


 ――一緒になろう。


 深呼吸とともに大きな瞳を開いて、翔子は駆け出した。

 盛り上がっているフロアの空気をしっかり受けとめて、自分からも返して、元気のキャッチボールをしよう。会場中の皆と笑ってともに楽しもう。

 それが、私のエアロだ。


「よろしくお願いしまーす! 皆さん盛り上がってますねー! この雰囲気のまま、私のレッスンも思う存分楽しんでいってくださいね!」


 すぐに佐々木と平沼、そして如月先生の声が応えてくれる。


「もちろんよ、翔子先生!」

「いつもの楽しいレッスン、よろしくね!」

「天野さーん! 可愛いわよー!」

「ありがとうございまーす!」


 彼女たち以外にも手を振った翔子は、ヘッドマイクに向かって元気に呼びかけた。


「ミュージック、お願いします! 最初は前後のマーチ四つずつから! さあ、いきましょう!」


 ノリのいいイントロが大音量で流れ出す。するとリードにしたがって前後のステップを始めた参加者たちが、何かに気づいたような笑顔になった。


「〝ラブラブ・ダンス〟だ!」

「先生、ユッキーみたい!」


 一曲目からBPM一三五の『ラブ』にしたのは、やはり正解だった。ドラマの主題歌だったこの曲は、出演者たちが楽しそうに踊る映像も話題となり、動画サイトにダンスをコピーしたものが競うように投稿されて大ヒットしたナンバーだ。自分自身いつかレッスンで使おうと思って温めていた、好きな曲の一つでもある。

 つかみは、ばっちりOK。いいスタートに翔子の顔もますますほころんでいく。


「心をぉ?」

「つなげて、きっと!」

「あなたをぉ?」

「もとめて、もっと!」


 ガブリエラではないが、曲に合わせて歌いながらチャーミングに人差し指を振ってみせると、同じ動きをしていたフロアから大きなリアクションが返ってきた。


「翔子先生ー!」

「超可愛い!」


 覚えやすいからか、知らない人たちまで名前を呼んでくれている。「ありがとう!」と手を振り返した翔子は、客席に対しても声をかけて元気にリードを取り続けた。


「皆さんも、どうぞ! 世界のぉ?」


 気がつけばフロアや客席、さらには他のイントラからも、「果てから、きっと!」「二人で、ずっと!」と答える歌声が聞こえてくる。開始五分もたたないうちから、翔子はすっかり自分のレッスン、自分のエアロに会場全体を巻き込んでいた。


「サビはヒールタッチとピボットターンです! みんなで! ハイッ!」


 ダンスフロアの周囲、フィットネス展示会場側の人たちまで何が起こったのかと立ち見に駆けつけるほどの声で、「その胸の、なかの想い~、あの頃の、君の願い~!」の合唱が響く中、翔子のリードはますますノッていった。Vステップからパ・ド・ブレ、ステップタッチからシャッセ、ニーアップからキック・バットマンと振付のレベルを少しずつ上げていくが、参加者たちは自分と同じ心からの笑顔でついてきてくれるので、むしろ素晴らしい一体感が生まれている。客席で見守る獅子神が「やるわね、翔子ちゃん! こんなにできる子になってたなんて」と感嘆の声を上げたほどだ。


 その口から、「きゃっ!」という声がもれたのは二曲目の『マリー・ミー・サンバ』で、文字通りサンバステップを踏みつつ右に移動したときだった。

 さすがに振付こそ乱さず、そのままぺろりと舌を出して続けたが、足が滑ったのは明らかだった。ただ、客の目にはそれもまたチャーミングに映ったらしい。


「可愛いー!」

「もう一回滑って!」


 などと、無責任な声まで上がって笑いが起きている。


「そんなサービス、しませ~ん!」


 笑って返した翔子だったが、頭のなかにはクエスチョンマークが浮かんでいた。


 サンバステップで滑った? しかも後ろ足?


 前足に体重をかけ、後ろ足は大きく開いてつま先でタッチするだけというサンバステップは、なんら難しいことはない基本中の基本ステップだ。しかも体重のかかっていない後ろ足が滑るなんて、通常ではありえない。ダンス部だった高校時代を通じても生まれて初めての経験だった。翔子はもう一度、「ガール・イズ・ミステリー」の歌詞とともに右手の参加者をあおりながら、グレープバインでさり気なくそのあたりの床を確認した。


 あっ!


 やっぱりだった。明らかに滑る。これでは、このエリアでジャンプやグラン・バットマンなどの大技は使えない。


 でも、なんで? 前の演技が終わったあと、しっかりモップをかけてくれてたのに――。


 こんな「ミステリー」まで歌詞とシンクロしないでいいのに、と笑顔の裏でうらめしく思ったとき。

 二つの言葉が脳内で結びついた。グレープバイン。前の演技。 


 斉藤!?


 たしか斉藤のグレープバインは、右側にだけなぜか大きかった。というか、演技全体が右側中心に動き回ってばかりいた気がする。


 まさか……。


 そう思って視線を待機エリアに走らせると、当の斉藤がすっと右手を身体の前に持ってくるのが見えた。


 あいつ!


 またしても立てられる中指。もはや明白である。

 詳しくはわからないが、斉藤はシューズの踵部分にワックスか何かを仕込んでおいて、通常は少しつま先だってパフォーマンスしつつ、右手に移動したときだけ、さり気なくそれをこすりつけるなどしていたのだろう。それが演技終了後のモップがけによって、さらに広がったというわけだ。


 曲はまだ続いている。サビのラスト、「マリー・ミー・サンバ! ウィズ・ユー・サンバ!」は中央での大きなサンバステップでなんとかやり過ごしたが、終わってからの三曲目、『モーニングコール・フォー・ミー』に入ったときには、翔子の笑顔は軽く引きつり始めていた。

 一般の客にはわからないが、見る人が見れば明らかに心のこもっていない、マニュアル化された笑顔だとばれてしまうかもしれない。しかも『モーニングコール・フォー・ミー』は二十分間の全四曲中、唯一の洋楽である。あまり歌えないぶん、ますます参加者や客席と積極的にコミュニケーションを取らなければならない。というか、そのためにチョイスした曲なのだ。


「さあ後半戦ですよー! 三曲目、いきましょう!」


 ステップの指示も何もない、いたって普通のリードになってしまった。踊り慣れた参加者たちは自分の動きを見ただけでついてきてくれるが、これが初心者クラスだったらと思うとゾッとする。


 どうしよう。右側は使えない。けど、左側だけじゃ不自然だし……。


 必死に笑顔を保ちながらリードを続けるが、打開策が見えてこない。しかもこのあと、ラストの四曲目にはステージの左右で大技も予定している。


 ……ああ、どうしよう!


 ガブリエラなら、歌いながらさらりと切り抜けるのだろう。獅子神なら、たとえ氷の上でも微動だにせずステップを刻んでみせるのだろう。

 焦りとともに、先輩イントラたちの顔が頭に次々と浮かぶ。自分にあの人のあんな技術が、あんなメンタルが、あんなキャラクターがあれば。

 最後に、誰よりも尊敬する顔と姿がイメージされたとき。


「翔子!」


 本人の声が、聞こえた気がした。


「はい!?」


 ヘッドマイクがついているのも忘れて、翔子は思わず返事をしていた。幸いフロアには、自分たちをあおる「ハイッ!」という声に聞こえたらしく、皆が笑顔で踊り続けてくれている。


「翔子!」


 どこからか、耳じゃなく心に直接響くような声。さゆりみたいにきりっとしていて、神みたいに落ち着いていて、獅子神みたいに頼りがいがあって、綾乃やジャイナバみたいに明るくて。それでいて、健みたいに優しい声。

 ずっと憧れて、目標にしている声。

 必死に視線を走らせるものの、どこにも顔は見えない。でもその人が、その声で、いつか教えてくれた言葉が脳裏によみがえった。


『心と身体の健康を伝える真摯な気持ちと、それを表現するシンプルでも素敵なレッスンがあれば絶対に大丈夫』


 龍子先生!!


 敬愛する恩師、草薙龍子が脳裏でにっこりと笑う。


 そっか! そうですよね!


 瞬く間に翔子の笑顔は、自然さを取り戻した。


「翔子!」


 憧れの声がもう一度、今度は歌詞の「グッドモーニング!」と重なる。

「おはよう!」ではなく「起きなさい!」と言われたようで、翔子は笑いながら大きく頷いた。


「はいっ!」


 もう迷いはなかった。

 基本のステップタッチと手拍子だけで、堂々と中央に戻る。


「グッモーニン! 一緒に! 手拍子も!」


 本来ならここは、ステップチェンジやパ・ド・ブレ・ターン、オフバランスのポーズなど多彩な振付を予定していたところだ。でも。

 そんなものなくたって楽しめる。エアロが大好きで、楽しくて、心と身体の健康を伝える真摯な気持ちとシンプルでも素敵なレッスンならば、絶対に。

 みんなと一緒に、笑顔で踊り続けられる。


「そうです! イエス! グッド! 客席のっ、皆さんもっ、一緒にっ、手拍子っ! 決して、休んでる、わけじゃ、ありませんよ!」


 大きな笑い声がこぼれるなか、『モーニングコール・フォー・ミー』の後半を翔子は舞台中央でやり通して見せた。

 ステップはまるで初心者クラスのようなものばかりだったが、会場の手拍子はむしろ大きくなるばかりで、最後まで途切れることがなかった。

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