サバイバル 3
「二次審査に進出された十二名の皆さん、おめでとうございます! また、今回は残念ながらここで終了となってしまった皆さんも、ありがとうございました! 三十分の休憩を取った後、いよいよ模擬レッスン形式の二次、そして最終の三次審査を行ないます。しっかり休んで、後半戦も盛り上がっていきましょう!」
MCのアナウンスが響き、六十分間に及ぶ一次審査が無事終了した。ステージ上ではインターバルすら挟まずに、この《サバイバル・エアロ》を一人でリードしきったガブリエラが、それでもまだまだ元気そうに「みんな~、どうもありがとう!」と飛び跳ねて挨拶している。元人気イントラ、そして現在は第一線で活躍する芸能人らしいエネルギーには、翔子たちも素直に感心するしかない。
「ガブは放っといたら、自分の好きな曲で何時間でも踊っちゃえる奴なのよ。やっぱりエアロが大好きだし、それが表にびんびん出るの。翔子ちゃんとおんなじタイプね」
「そ、そうですか」
ゼリー飲料を口に入れていた翔子は、思わず微妙な笑顔になってしまった。あれだけのパフォーマンスができる人と同じタイプというのは嬉しいが、まさか三十年後、自分も全身ピンク色になって、若者たちがまるで知らないような曲を歌いながら、ノリノリでリードを取っているのだろうか。
いや、私は龍子先生みたいな路線がいいんですけど……。
贅沢な妄想をしていると、獅子神はおかしそうに笑って続けた。
「なんにせよ、翔子ちゃんなら次も大丈夫。二次からが本当の勝負だし、また頑張ってね」
「はい!」
ガブリエラみたいなことはできないし、しようとも思わないが、獅子神ほどの人が「大丈夫」と言ってくれるのはやはり心強い。力強く頷いた翔子は、人がほとんどいなくなったダンスフロアに目を向けた。
「じゃあ私、そろそろアップしてきます」
そのまま、近くに座るみくにも呼びかける。
「みくちゃんも行く?」
「了解です! 二次も一緒に通過しましょうね、翔子先輩!」
同じくゼリーのパッケージをくわえていたみくが、彼女にしては珍しい好戦的な笑顔でガッツポーズを返してくる。ちなみに二次審査、三次審査はエントリー番号順に模擬レッスンを披露するので、みくは三番目、翔子も四番目と、比較的早い段階で出番が回ってくる予定になっていた。
「翔子さん」
椅子から立ち上がろうとしたところで、健が呼びかけてきた。声に反応して翔子もすぐ「あ、はい!」と振り向く。
やっぱりこの方が嬉しいな、と名前で呼ばれたことをひそかに喜んでいると、歩み寄ってきた健は意外な行動に出た。なんと翔子の眼前でいきなり跪いたのである。まるで、女王様にかしずく騎士のような体勢だ。
「た、健君!?」
「うわ! お二人って、そういうプレイもしてるんですか!? 翔子先輩、二人っきりのときは女王様キャラとか? ドS?」
「ち、違うってば! むしろドSなのは健君の方で、私を一杯いじめるんだから!」
「きゃー! なんか生々しいカミングアウト!」
「そういう意味じゃないわよっ!」
勝手に勘違いして勝手に顔を赤くしているみくを、「先に行ってなさい!」と追い払った翔子は、もう一度健に向き直った。
「あの、どうしたんですか?」
「すみません、アンカーテープがちょっとだけ剥がれてるみたいなので」
「え? あ、ほんとだ!」
言われてみればたしかに、くるぶしの上あたりに巻かれたテープの端が少しだけ浮いている。「アンカー=錨」という名の通り、このテープが関節を固定するための重要な役割を果たすというのを、翔子も他ならぬ健から教わったばかりだ。
そしてよく見ると、彼の手にはまったく同じブルーのテープがある。
「新しいのに変えておきますね」
「はい、ありがとうございます!」
返事を聞くやいなや一分とかからずに、健は翔子のテーピングを素早く巻き直してくれた。
「これでよし、と。きつくないですか?」
「はい!」
さっそく立ち上がり軽く跳んだりしてみたが、なんの問題もない。やはり健のテーピングは心強い。
「ショーコ、チョーうれしそうだね」
「やはり健全な社内恋愛は、業務にも好影響を与えそうですね、チーフ」
「え? ああ、そ、そうね」
「わあ! やっぱり翔子先生と赤星さんって、そうなんですか!?」
ジャイナバと神、さゆり、ついでに驚いたような綾乃の声まで聞こえるが、もはやいつものことなので、翔子は苦笑とともに流しておいた。それよりも早くウォームアップに向かいたい。この足、健が支えてくれる好調な足でもう一度、いや、もう二度、楽しくエアロを踊りたくてたまらない。
だが。そんな気持ちに水を差すように、わざとらしく近づいてきた影があった。
「へえ、なかなか調子よさそうだね。ま、精々頑張って」
「斉藤!」
自分より先に、健がきっと顔を上げる。他の仲間たちもすかさず厳しい顔を向けている。
「やだなあ、メイク・フィットの皆さん。そんなに怖い顔しないでくださいよ。ついこの間まで、クラブにお邪魔してた身じゃないですか。翔子さんの姿が見えたからエールを送りにきただけですよ」
「やっぱり、ウサンクサイね」
「ほんと。どうしてこんなの雇ってたのかしら。私も人を見る目がまだまだだわ」
「それを言うなら私もよ。ごめんね、さゆり。こんなハズレくじ引かせて」
「貴様からのエールなど、天野先生には不要だ。とっとと失せろ」
一斉に冷たい言葉を浴びせられた斉藤だが、へらりとした表情を一向に崩さない。
「つれないなあ。じゃあ翔子さん、おたがい怪我に気をつけて正々堂々と二次も戦いましょう」
のっけから中指を立てるような真似をしておきながら、「正々堂々」も何もあったものではない。
どの口が言うのよ、と思いながら翔子は大きな声で宣言していた。
「私は戦いません」
「何?」
「私のエアロは、競技エアロじゃありません。フィットネス・インストラクターのエアロです。グループレッスンで楽しく踊って、笑顔でステップを踏んで、心と身体の健康をお手伝いするためのエアロです。あなたと……あなたなんかと同じ土俵で戦ったり、競ったりするためのものじゃありませんから」
「翔子さん」
健が隣で微笑んでいる。目を合わせ、力強く頷き返してから翔子は続ける。
「もちろんコンテストだから、採点は審査員の方々にお任せします。でも私は、あなたなんかはもう相手にしない。ここにいる佐々木さんや平沼さんや、一般参加で私の模擬レッスンに出てくれる人たち、そしてこうして見てくれている人たちのために演技するだけです。だから邪魔だけはしないで。みんなの笑顔を曇らせないで」
「おやおや、まるで正義の味方だ。オーケーオーケー、そういうことならこっちも好きにやらせてもらうよ。けど約束は忘れないでくれよな、赤紙君」
肩をすくめた斉藤は、最後に健を見ながらそう言い捨てると、どこか拍子抜けしたような表情で去っていった。
「翔子先生!」
「翔子先生、素敵!」
佐々木や平沼、さらには沢山の会員から声をかけられて、翔子はようやく我に返った。
「や、やだ! 私、なんて偉そうなことを……」
神ではないが、「つい」口が勝手に動いてしまった
「そんなことないわよ。私スカッとしちゃった! 高そうなスーツのドライクリーニングがビシッと決まったときみたい!」
「私もよ! イカの頭がスルッと抜けたときぐらい、気持ちよかったわよ!」
おかみさんコンビの珍妙なたとえに、翔子も含めたメイク・フィットの関係者全員から笑いがこぼれる。聞けば彼女たちのコンビも二次審査からの一般参加枠に当選しており、翔子の模擬レッスンを楽しみにしてくれているという。
このクラブで働けてよかった。この人たちの代表で出場できて、本当に幸せだと思う。
胸が温かくなった翔子の耳に、最後に優しい声が届いた。
「いい対応でした。メンタルも安定してるみたいだし、きっといけますよ。引き続き自分のエアロ、翔子さんのエアロでいきましょう。頑張って!」
「はい! 行ってきます!」
大好きな人たちにもう一度頭を下げてから、翔子はフロアへ駆け下りていった。
二次審査が始まって約十分後。
一次同様、健から教わったウォームアップをしつつフロア脇の待機エリアでスタンバイしていた翔子は、二番目に登場した斉藤の演技に複雑な心境を抱かされていた。
あんなに上手いのに……。
悔しい、というよりも残念な気持ちの方が強い。それほど斉藤の模擬レッスンは見事なものだった。ガブリエラが喜びそうな昭和アイドル風のルックスと、爽やかでポジティブなリード。男性イントラらしく、力強くてスピード感のあるターンやジャンプ。
彼の本性を知らなければ、純粋に応援したくなるかもしれないとすら思う。事実、佐々木と平沼以外の一般参加者は、「右手のお姉さん、ベリーグッド!」「いいですよ! 貴重な男性メンバーも、キレキレじゃないですか!」などの声がけに、にこにこと笑いながら彼のレッスンを楽しんでいる。
なんであんなことするんだろう。なんであんなこと言うんだろう。
もう一度そんな思いがよぎったが、すぐに「いけない、集中!」と声に出して首を振った。二次審査の模擬レッスンは一人十分間しか与えられない。このあとのみくが終わったら、すぐに自分の出番だ。
私は私のエアロをしよう。笑顔になれる元気なエアロを、お客さんと一緒に楽しもう。
「どうもありがとうございました! エントリーナンバー十番、フリーランスの斉藤京四郎先生のレッスンでした!」
「皆さん、どうもありがとうございました! 僕も楽しかったでーす!」
MCの声とともに、あの歯磨きCMスマイルで手を振って斉藤の二次審査が終了した。フロアや客席から大きな拍手が湧き起こっている。やはり見ている人も、彼のイントラとしての力を実感したようだ。
そして。
「続いてはエントリーナンバー十六番、メイク・フィット・スポーツクラブから、佐野みく先生です! どうぞー!」
「よろしくお願いしまーす!」
現れたみくは、みずから「勝負服」と呼ぶ変わった衣装を身に着けていた。形こそ普通のフィットネスウェアだが、そのデザインというかカラーリングに不思議な既視感を覚える。背中側が茶色で、腹側が黒いTシャツ。腕にも黒いスリーブ。同じく黒のロングスパッツの上からはいているのは、褐色の縞模様のショートパンツ。そして頭には動物の耳のように両側がとがったカチューシャ……。
「みく先生!」
「可愛いわよ! ほんとにレッサーパンダみたい!」
佐々木と平沼の声援で、翔子も気がついた。みくのカラーリングは、まさにレッサーパンダそのものだった。自身は危うく忘れそうになった「自分のエアロ」というものを、ここまで無邪気に、すんなりと貫けるのもある意味凄い。
「みくちゃん、ファイト!」
思わず笑ってしまいながら、翔子は大きな声援を送った。
レッサーパンダと化したみくの模擬レッスンは、最後まで彼女らしいものだった。初心者エアロが普段のメイン担当だし、もともと彼女自身、ピルエットやジャンプなどの難しいテクニックは苦手な方だ。それでも基本的なステップをバランスよく組み合わせ、コミカルな手振りを効果的に使う明るいレッスンは、フロアの参加者たちから何度も笑い声を生んでいた。
「上手くなったなあ」
翔子が感心する通り、学生時代のみくは先生たちから「レッサーパンダ好きはわかるけど、このままだと単なる色物イントラになっちゃいそう」と心配される生徒だったし、正直、自分も同様の印象を抱いていた。だからメイク・フィットのレッスンオーディションに合格したと聞いたときは、ちょっぴり驚いたほどだ。
そんなみくが『IOI』の二次審査にまで残って、こうして沢山の客を湧かせている。
よしっ! 私も頑張ろう!
無事に演技を終え、ぴょこんと頭を下げる後輩に心からの拍手を送った翔子は、自身も舞台袖へとスタンバイした。
「翔子先輩! 頑張ってください!」
「ありがとう! 行ってくるね!」
すれ違う彼女とハイタッチを交わし、MCの声と同時に元気よくステージ上へ飛び出す。
「次の方も、メイク・フィット・スポーツクラブからのエントリーです! ナンバー十七番、天野翔子先生! どうぞ!」
「こんにちはー! 天野翔子です! よろしくお願いします!」
「翔子先生! 待ってました!」
「みく先生に負けてらんないわよ!」
自身と色違いのTシャツを着ている佐々木と平沼に笑顔で手を振り返しながら、翔子は目線を客席へと走らせた。他の会員たちも、さゆりも、神も、獅子神も、ジャイナバも、綾乃も、そして健の顔もはっきりと見える。
うん、大丈夫。いける。
「あ! あのポニーテールの先生ね!」
「そうそう! ピルエットとか凄く綺麗だった子!」
どうやらメイク・フィット以外の人たちにも、一次審査の時点で翔子の姿は印象に残っていたようだ。
「ありがとうございまーす! ピルエットもグラン・バットマンも、また振付に入ってますから、皆さんもトライしてみてくださいね! じゃあ、さっそくいきましょう!」
楽しい。お客さんと心と身体でコミュニケーションすること。やっぱりこれだ。これが私のエアロだ。
「ミュージック、お願いします!」
トレードマークのチャーミングな笑顔を全開にして、翔子の二次審査がスタートした。




