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エアロ!  作者: 迎ラミン
第四章 サバイバル
14/20

サバイバル 2

「お待たせいたしました! ではこれより、第二十回『インストラクター・オブ・インストラクター』を開催いたします! まずは恒例の第一次審査サバイバル・エアロが、十分後にスタートです。出場インストラクターの皆様は、時間までにステージ前、ダンスフロアにお集まりください!」


 MCの声が会場に響いた。ついに『IOI』が始まる。


「今年の第一次審査ですが、リード役はなんと! 特別審査員の一人、ガブリエラ(やま)(なか)さんがみずから務めてくださいます! 皆さん、たまにはレッスンを受ける側になって盛り上がりましょう! 素晴らしいパフォーマンスで、目指せ二次進出!」


 すでにダンスフロアでスタンバイしていた翔子は、ステージ以外の三方向を囲む客席からの拍手を聞きながら、素早くウォームアップに取りかかった。

 出場者は全員イントラなので、振付についていけるのは当たり前だ。皆が同じ動きをするそのなかで、どれだけ軽やかでキレのある動きができるか、そしてどれだけ笑顔や爽やかさをアピールできるかが鍵になる。出し惜しみなどできる立場でもないし、最初から飛ばしていこう。

 と、頭上から聞き慣れた声がした。


「翔子先輩、変わったアップするんですね」


 みくだ。六十二人と正式発表された参加者だが、主催者側の配慮なのか単に所属クラブごとに分けていった結果なのか、みくと翔子はそれぞれ十六番、十七番と続きナンバーのゼッケンを配られていた。必然的に、一次審査も並んで踊ることとなる。


「そう? 私はこれが普通よ」


 二点支持の腕立て姿勢、健直伝のスタビライゼーション・エクササイズで体幹のウォームアップをしたまま、翔子は笑ってみせた。悲鳴とともに彼を「ドS」呼ばわりしていたこの動作も、今では正確なフォームを保ちつつ会話をすることさえできる。


 うん、大丈夫。


 足首もまったく痛みを感じない。目線だけを下げると、そこを彩るブルーのテーピングが視界の端に映って心強さが増す。衣装のフィットネスパンツとも見事にマッチしたカラーリングで、まるでセットアイテムのようにも見える。


「次は……っと」


 不思議そうな顔で普通のストレッチをするみくを尻目に、翔子は健に教わった様々な動作でのウォームアップを順調にこなしていった。

 心拍数や筋肉の温度がしっかりと上がっていく。関節がほぐれ、バランス感覚、ランディング・スキル、視野の広さといった身体感覚も鋭くなっていくのがわかる。


 よしっ!


 もう一度、左足が視界に入って自然な笑みがこぼれた。準備万端だ。こうなると、むしろ早く音楽をかけて欲しい。早くステージ上にガブリエラ山中が出てきて、「レディー・ゴー!」とリードを取って欲しい。

 気持ちが昂ぶった瞬間。

 ステージ上とフロアの四隅に設置された大型スピーカーから、大音量がとどろいた。低音のギターソロから、ピアノ混じりの高音メロディーへと一気に続く、どこかで聞いたことのあるイントロ。

 同時に、日焼けした小柄なおじさんがステージ上に駆け出してくる。


「ごめんね~、ちょっぴりシャイでっ! 眠りの世界なら、言える~!」


 意外にもなかなか見事な歌声を披露しつつ、元イントラのオネエタレント、ガブリエラ山中が満面の笑みとともに現れた。


「み・な・さ~ん! こんにちはー! ガブリエラで~っす!」


 会場全体に向かって振りまくる両手。人前に立つことが楽しくて仕方ないという仕草や表情。翔子もネットやテレビで見て知っているが、本当にあのままのキャラクターらしい。おそらくはもう五十歳近いだろうが、芸能人ならではの華やオーラのようなものも、はっきりと感じられる。

 しかも今日の彼(彼女?)は久々の現場復帰とあって、身に着けたタンクトップ、ショートパンツ、さらにはリストバンドやヘアバンドまで、なんと全身がショッキングピンクというコーディネイトである。イントラらしくヘッドマイクもつけているが、そのマイクカバーまでピンク色なのには恐れ入ってしまう。


「でも、なんで魔法少女!?」


 翔子がつぶやいた通り、先ほどの登場曲は有名な美少女アニメのテーマ曲なのだった。この人らしいと言えばらしいけれど……。

 もちろんこちらのつっこみなど聞こえないガブリエラは、のっけからエンジン全開で右へ左へと愛想を振り撒き続けている。

 数秒後。ようやくその身がセンターポジションに戻ったところで、ピンクのリストバンドもろとも右手が高らかに掲げられた。


「ではさっそくですがあ、一次審査の《サバイバル・エアロ》、始めちゃいますよ~! アー・ユー・レディー?」


 普段はエネルギーを発散してみせる側のイントラたちだが、いきなりのハイテンションには誰もすぐに合わせられなかったようだ。一瞬のタイムラグが生まれる。

 するとガブリエラは、「あらやだ」と笑ったまま人差し指を胸の前で振ってみせた。


「ちょっとちょっと、皆さんが元気を出さなくてどうするの~? このなかから今年のチャンピオンが生まれるんでしょ! もう一回いくわよ! 星のぉ瞬きにぃ、手ぇを引かれぇ~!」


 流れ続けるアニソンを気持ちよく歌いながらの、再度のあおり。


「みんな! アー・ユー・レディー?」

「イエーイ!!」


 さすがは六十二人のプロ集団、今度こそ元気よく反応が返ってくると、ガブリエラも「ありがと~!」とジャンプしながら両手を振って喜んだ。


「よーし、じゃあさっそくいきましょう! 今日は私のフェイバリット・ソングで、じゃんじゃんエアロしてもらうわよっ! まずはBPM一三五から、ヒア・ウィー・ゴー!」


 キューに合わせて、スピーカーからのBGMが切りかわる。昭和の香りが漂う、やたらとメロディアスなイントロ。


「あ! これ!」


 自身が生まれる前の曲だが、翔子はなぜか知っていた。いつだったか獅子神の代行を引き受けた際、使ってくれと言われたCDに入っていたのが、これら昔のポップスばかりだったのだ。


「オープニングは『抱きしめてSHA・LA・LA』、()(じま)のヨッちゃんよ! 最初はステップタッチから! はいっ、ファイブ、シックス、セブン、エイッ!」


 かくして翔子の『IOI』は、懐かしのアイドル歌謡とガブリエラのハイテンションリードの洪水を、文字通りサバイバルすることから始まった。




「はい、ちょっとセクシーに腰を回して~! あそれ、たぁめいき~より身体でぇ、伝えてぇ欲しい~! ハッ! ヒールタッチ四回っ!」


 エキセントリックなキャラクターとは裏腹に、ガブリエラ山中のリードは正確で、キューもタイミングがばっちりだった。コリオも上半身、下半身ともに基本のステップや動きが多く使われており、こちらの実力をしっかり審査できるように組み立てられているのがわかる。バブル時代にバリバリの人気イントラだったというのは、やはり伊達ではないようだ。


「ハッ!」


 曲の後半、翔子を含む何人かのイントラから笑顔でかけ声が上がった。中級以上のダンスエアロで使うことのある、グラン・バットマンという動きに合わせてだ。伸ばした脚を大きく振り上げるこの動作はダンスでもお馴染みで、カブリオールなどと同様、イントラが普段はなかなか「本気」を出すことのない技術でもある。


「グ~ッド! いいわよー! 声出せるところは元気よく出しちゃって! ワンモア、バットマン! ハアッ!!」


 その瞬間、目が合ったガブリエラがウインクしながら「OK! ポニーテールの子、ナイススマイル!」と言ってくれた。

 ステージ上でガブリエラは、常にこちら側を向いてレッスンをリードしている。つまり鏡の役も兼ねて、左右を逆に踊ってみせているということだ。参加者に対して「右!」と言いつつ、みずからは左に動かなければならないわけだが、慣れないうちはこれがなかなか難しい。翔子も専門学校に入ったばかりの頃は、かなり頭が混乱したものである。

 もちろんガブリエラは、そんな初歩的なミスは犯さない。「はい、右ターン!」というキューとともに自身はくるりと左へ身をひるがえし、「パ・ド・ブレ、ひ・だ・りっ!」と足下を指したあとには、しっかり右にステップを踏んでみせる。しかも必ずワンテンポ早めにキューを出してくれるため、じつにわかりやすい。


 この人、本当に売れっ子イントラさんだったんだ!


 バラエティ番組で「暑苦しい」とよくいじられる、けれどもとびきり楽しそうな表情につられて、翔子もますます笑顔になっていった。




 視線に気づいたのは、隣のみくがほんの一瞬だけカウントを間違えたからだった。

「ワン、トゥー、ステップ、ステップ、ファイブでターン、セブンで正面!」と、ガブリエラの声が響くなか、少し焦ったのか彼女はセブンの前、シックスの時点ですでに正面を向いてしまっていた。

「やっちゃった」とばかりに笑顔のままぺろりと舌を出す後輩の姿を見て、だが翔子はホッとした。まだまだ余裕はありそうだし、この程度のミスなら悪目立ちすることもないはずだ。みくのキャラクターなら、逆にドジっ子風の可愛らしさとして、アピールポイントになるくらいかもしれない。


 ていうか、人の心配する前に自分が頑張らなきゃ。


 動きながら胸の内で苦笑した、そのとき。

 絡みつくような別の視線が、数人を隔てた先から感じられた。


 あっ!


 斉藤だった。これ見よがしに身体のラインを強調したTシャツ姿で、またしても小馬鹿にするような表情を向けてくる。どうやら最初から、翔子たちの位置を把握していたようだ。


 あいつ……。


 思わず笑顔が消えそうになった瞬間、彼の右手がふと気になった。ちょうど両手を大きく広げる振付の部分である。なんだろうと思いつつ、自分もガブリエラに倣って同じ動きをもうワンフレーズくり返す。


「なっ!? あいつ!」


 今度は本当に声が出た。ほんの数カウントだが、笑顔も消えてしまっただろう。むしろ振りを間違えなかっただけでも、よしとするべきかもしれない。

 広げられた斉藤の右手は、こちらに向かってさり気なく中指が立っていたのである。

 どこの国でもやってはいけないとされる、最大の侮蔑サイン。しかし斉藤は、わざとらしく何度も同じジェスチャーをくり返してくる。


「スケコマシー斉藤め~! あいつ、ファッ○サイン出してますよ、翔子先輩!」


 みくも気づいたらしい。ダイレクトにその名を口にしながら目を見開いている。


「みくちゃん、思いっきり言わないの! ほら、笑顔笑顔!」


 素早くたしなめた翔子だったが、自身の顔も引き攣るのを自覚していた。いけない。せっかくガブリエラのリードが楽しくなってきたところなのに。


「あ~ら、まだ序盤戦よ~? なんだかもう顔が疲れてる人とか怖い人、いませんかあ? ほらほら、レッツ・スマイル!」


 自分たちのことだと確信した。さすがによく見ている。さっきのグラン・バットマンのときにはいいアピールができたと思ったけれど、これで一進一退というところか。

 そんななか、斉藤はさらに何度も中指を立ててきた。やはり意識してしまい、出だしのキレや元気のよさを、いま一つ出し切れなくなってくる。波に乗れないまま、気持ちに迷いが生じたまま二曲目に入ってしまう。


「ちょっとテンポを上げるわね! 続いてはBPM一四〇で、ピンキーシスターズ、行くわよお! キック&ボール・チェンジで、あそれ、私の胸の谷ぃ間ぁ~!」


 ガブリエラが歌詞に合わせて、「ゲッチュー! ウ~、ゲッチュー!」と、またしてもなかなかの歌声を響かせるなか、翔子は必死にステップを刻むことに専念した。本来ならこれくらいの基本ステップは何も考えずできるので、手足の角度や指先にまで神経を注ぎたいところだ。だがどうにも曲に、空気に、リズムに、乗り切れない。


 なんとか立て直さないと……!


 マニュアル操作のように無理やりつくった笑顔の裏側で、危機感がふくらんでいく。一次審査を通れるのは十二人だけなのに。斉藤にだけは、負けるわけにはいかないのに。

 と、唐突にガブリエラが大げさな声を出した。


「あら、もう十分以上経っちゃったのお!? そろそろ一抜けの人たちも出る頃ね! 審査員のみなさ~ん! インカム、いつでもオッケーよ~!」


 彼の耳元にあるインカムへ、一次通過と認められたゼッケン番号が無線連絡されるようになっているらしい。獅子神も言っていたが、ここは早めに抜けられるに越したことはない。


 けど、このままじゃ――。


 焦る翔子の視界に、またもや斉藤の姿が映る。意識の外に追い出そうとしているのに、その手が、下品な中指がどうしても気になってしまう。まさかこんな心理戦を仕掛けてくるなんて。正々堂々、エアロで勝負したいのに。エアロで打ち負かしたいのに。


 ――あれ?


 そこで翔子は、なぜか違和感を覚えた。

 両脚はしっかりとステップを刻んでいるものの、頭のなかでもう一人の自分が、何か違うと言っている。

 なんだろう、この「これじゃない」感じ。()()()()()()()()()()()


「翔子先生!」


 疑問を感じたまま、またしても笑顔すら怪しくなってきたタイミングで、名前を呼ばれたような気がした。


「翔子先生、頑張って!」


 やっぱり自分だ。スタート直後から他の出場者に送られる声援は聞こえていたが、すっかり他人事としてスルーしていた。


「翔子先生!」

「天野先生!」

「ショーコ!」


 女子大生っぽい若い声。綺麗に重なる、きりっとした女性の声と執事のような落ち着いた声。片言だけど明るい声。そして――。


「翔子さん!」


 聞き間違えようのない男性の声を聞いた瞬間、左の足首が温かくなった。


「みんな!」


 ステップターンを踏みながら背後を振り返ると、客席の中段あたりでメイク・フィットの人々が笑顔で手を振っていた。フロントの綾乃、さゆり、神、ジャイナバ、そして健。いつも自分のクラスに参加してくれる、佐々木や平沼といった常連もいる。一列になった彼らの両手は、似顔絵つきの横断幕をぴんと広げていた。


《笑顔のポニーテール! 天野翔子先生!》

《妹系レッサーガール! 佐野みく先生!》


 ……私、あんなに可愛くないんですけど。


 アニメキャラのような、いわゆる「萌え絵」になった自分の姿に、翔子は思わず笑ってしまった。誰が描いたのだろうか。けれども大きな目と長いポニーテールは、たしかに特徴を捉えてはいる。隣に並ぶみくのイラストも、ツインテールとレッサーパンダ柄のシャツから一目で彼女とわかるものだ。


「そうそう、その笑顔!」

「私たち、先生の笑顔が見たくていつも通ってるんだから!」


 佐々木と平沼の声。


「翔子さん! 自分の、翔子さんのエアロで大丈夫!」


 あっ!


 続いた健のひとことで、もやもやしていた頭が一気にクリアになった。

 そうだ。自分自身も楽しくて、お客さんと一緒に笑顔になってしまうエアロ。それが私のエアロだ。誰かと競うとか、誰かを倒すとか、龍子先生が教えてくれたレッスンはそんなものじゃない。見ている人まで楽しくなるようなステップを、心と身体が元気になるようなコリオを、自然な笑顔で届けよう。審査員の人たちに見てもらおう。


「いいわよ、いいわよ~! みんなノッてきたわねえ! それじゃハイ・インパクト、BPM一五〇に、チェンジ・ザ・ミュージック!」


 ガブリエラのキューで、さらに曲のテンポが上がる。BPMというのはビート・パー・ミニッツ、すなわち一分間に何ビート刻むかを表す数字で、エアロの場合は一三〇前後がロー・インパクトなどと呼ばれる初心者向け、一四〇程度のミドルテンポが中級者向けのクラスでよく使われる。それより上のBPM一五〇ともなると、速めのユーロビートなみのテンポなので、完全に上級者やフィットネス・フリークを向けのハイ・インパクトクラス用だ。

 ここまで十分以上、誰一人大きなミスをすることなく踊り続けている六十二人のイントラたちの空気も、さすがに少し引き締まった。そして。


「ドンストッ、ドンストッ、ユア・ミュージック、ハニ~!」


 ガブリエラの歌声とともに流れたのは、名前こそ知らないが、やはり聞いたことのあるポップスだった。BPM一五〇だけあってかなりテンポが速い。


「私の十八番、ダダダ・ダイナマイツの『We never stop the music』にちなんで、このあたりでまずは三人、一抜けしてもらうわ! ネバーストップ・ザ・ミュ~ジ~ック!」


 どうやら三人グループのアイドルソングらしい。しかもガブリエラのリードは細かく足を入れ替えるパ・ド・ブレや、軸足一本で回るピルエット、さらにはスピーディーな手振りなど、どちらかというとジャズダンスに近い技術が増えていった。『We never stop the music』とかいうこの曲にやたらとマッチしているので、ひょっとしたら本物の振付をエアロ用にアレンジしているのかもしれない。

 だが翔子は、すっかり自然な笑顔を取り戻していた。もう斉藤のことは気にしない。いや、気にならない。

 楽しい。パ・ド・ブレもシャッセもバットマンも自然に身体が動く。ダンサーとして身につけた技術だけど、でもやっぱりこれはエアロだ。リズムに合わせてステップを刻み、手足を自在に動かしながら心拍数が上がっていく。身体中が笑いながら酸素を求めている感じ。まさにエアロビクス=有酸素運動。


「はい、ここでケンスケみたくピルエット! もう一丁!」

「やっ!」


 リードに答えるように、翔子がピルエットをトリプル、三回転も決めてにっこり笑った瞬間、ステージ上のガブリエラとふたたび目が合った。


「グ~ッド! ポニ子ちゃん、とってもチャーミングよ!」


 そのままソロパートらしい穏やかなメロディーに曲が転調したところで、ガブリエラの指が三本掲げられる。


「では、一抜けの三人を発表しまーす! もちろん踊りながらよ! ほらほら、サバイバル、サバイバル!」


 ステップタッチを左右に刻みながら、エントリーナンバーが告げられていく。


「まずはナンバーセブン! 七番のショートカットのお姉さん、お・め・で・と~! キレキレでよかったわよ~!」


 さらに二人目。


「続いてナンバーテン! 十番のホスト風お兄さん! アダルティなエロい動きで決定~!」


 斉藤だ。だがエアロの楽しさに没頭している今の翔子には、その名前も知らない人のもののようにしか聞こえない。


「一抜け、最後の三人目は――」


 言いながらガブリエラがステップタッチをヒールタッチに切りかえた瞬間も、夢中の笑顔で動きをトレースしていた。


「そうそう、その笑顔! ナンバーセブンティーン! 十七番のポニ子ちゃん! と~ってもチャーミングなスマイルで、一次通過おめでとう!」


 けれども翔子本人は、まだ気づかない。ガブリエラが褒めたチャーミングな笑顔のまま、BPM一五〇の高速ヒールタッチを楽しそうにくり返し続ける。


「翔子先輩! 翔子先輩!」

「え? 何?」


 みくの嬉しそうな声にも、踊りは止まらない。


「おめでとうございます! 一次通過ですよ!」

「誰が?」

「翔子先輩ですよ! 今、最初の三人で、十七番のポニ子ちゃんって呼ばれてましたよ!」

「え? 十七番? ……って、ええっ!?」


 大きな瞳がようやく見開かれる。


「あらやだ、ポニ子ちゃんもこの曲好きなの? 踊ってたいのはわかるけど、まずは一休みしてちょうだいな。また二次で会いましょう! 他のみんなも、カモ~ン!」


 歌詞と完全にシンクロしている最後の「カモ~ン!」に送られて、翔子は「やったあ!」というガッツポーズとともにフロアから外れていった。




 更衣室でTシャツを着がえた翔子は、急いで客席へと向かった。よく見ると健たちが座る列の前後にも、メイク・フィットの会員たちの顔が見える。臨時休館日ということで、本当に沢山の人が応援に駆けつけてくれたようだ。


「皆さん! ありがとうございました!」


 元気よく頭を下げると、自分と色違いのメイク・フィットロゴ入りTシャツを着ている佐々木と平沼が、先を争うように答えてくれる。


「翔子先生!」

「おめでとう! さっすが私の先生だわ!」

「ちょっと、違うでしょ! 私たちの先生よ」

「あ、そっか。独り占めできるのは、彼氏の赤星君だけだもんね」

「そうよ。二人が結婚するときの鯛と伊勢海老は、うちから出すって決めてるんだから」

「あら、だったら私はタキシードとドレスのクリーニング、タダでしてあげる。あ、でも和服のお式かしら? 赤星君、そのへんどうなの?」

「か、彼氏じゃないです!」

「そうです! 俺と翔子さんは別に……」


 なぜかこの人たちまで勝手なことを言い出しているが、すぐに話が脱線するいつもの雰囲気が今日は本当に頼もしい。

 気を取り直した翔子は、もう一度ぺこりと頭を下げた。


「本当にありがとうございました。あのときちょっと集中力が切れかかってたんですけど、皆さんの声のおかげで立ち直れたんです」

「翔子さん、足は大丈夫ですか?」


 健もいつもの表情に戻って、すぐにコンディションを気遣ってくれる。


「はい! ありがとうございます」

「念のためテーピング、巻き直しましょうか?」

「ううん、ありがとう。大丈夫です」


 もはや自然に「翔子さん」と呼んでくれることが、凄く嬉しい。しかし翔子は、あらためてトレーナーと出場者としての会話を心がけた。このあとの二次、三次こそが勝負だ。気を抜くわけにはいかない。


「斉藤が、揺さぶりをかけてきたようですね」

「そうね。手振りで何かやってたみたいだけど」


 神とさゆりは、さすがによく見ていた。だが翔子は中指を立てられたことまでは明かさず、とりあえず「はい。私たちのゼッケンと立ち位置も、最初からチェックしてたみたいです」とだけ報告しておいた。会員たちもいるのに、わざわざ下品な話題を出すこともないだろう。

 ふたたび笑顔を浮かべて、先ほどの横断幕に視線を移す。


「でも皆さんの声が聞こえて、素敵な横断幕も見えて本当に助けられました。このイラスト、誰が描いてくれたんですか?」


 ジャイナバかな、と翔子は思った。仕事柄手先が器用だし、鮮やかな色使いもアフリカ出身の彼女っぽい。


「ノンノン。私じゃないよ」


 けれども目が合ったジャイナバは、笑って両手を振っている。そのままダンスフロアに顔を戻し、「ミク~!」と彼女のことも忘れずにまた大きな声援を送り始めた。


「じゃあ、綾乃ちゃん?」

「だといいんですけど、私、こんなに上手な絵は描けないです」


 否定しつつも、綾乃はなぜかいたずらっぽく笑っている。


「恥ずかしながら、私が」


 手を挙げたのは、なんと執事のようなサブチーフ・トレーナーだった。


「神さんが!?」

「はい。拙いイラストで申し訳ありません。一応、高校時代はアニ研に所属していたものですから、つい」

「全っ然、拙くないです!」


 翔子はすかさずつっこむ羽目になった。しかも「つい」って。「つい」でこんなイラストをさらりと描けるトレーナーなんて聞いたことがない。

 念のため、重ねて聞いてみた。


「アニ研って、アニメ研究会ですよね?」

「はい」

「高校時代って……元ヤンの頃ですよね?」

「はい」

「そ、そうですか。あは、あはは」


 乾いた笑いを漏らすしかない。元ヤンでアニ研出身の日本代表レベルのトレーナー。むしろこの人の半生自体が、アニメ化できるんじゃないだろうか。見ると彼の隣に座るさゆりも、「私も知らなかったのよ」という顔で苦笑している。

 そこへ、もう一つの心強い声も合流してきた。


「ああ、やっぱこっちの方が落ち着くわあ」

「獅子神さん!」

「招待席だと澄ました顔で座ってなきゃいけないから、かったるくて。ガブの踊りなんて嫌になるほど見たことあるし。あ、そこ空いてる?」 


言いながら獅子神は、さゆりの反対隣にさっさと腰をおろした。聞けば過去の入賞者は、スポンサー企業などと一緒に、最前列の席が用意されているのだという。


「獅子神さん、ガブリエラさんともお知り合いなんですか?」


 さゆりの問いに、彼は笑って頷いた。


「そりゃそうよ。オネエのイントラで昭和のアイドル歌謡好きなんて、キャラが思いっきりかぶってるんだもの。バブルの頃から知り合いよ。あいつの事務所から私も声かけられて、ガブ&シッシーっていう名前のコンビで売りだそうか、って話もあったくらいなんだから」

「はあ」


 獅子神の方はそれを断って、タレントにはならなかったということのようだ。この人の半生もまた、彩りに満ちている。


「そんなことよりほら、うちのもう一人、妹系レッサーガールもなかなか頑張ってるじゃない。この調子ならひょっとして――」


 獅子神が皆の視線を会場に戻した直後、ガブリエラの声が翔子たちの耳にも届いた。


「今年はレベルが高いわね~! もう九人目? というわけで、九人目の通過はキャラ勝負のあ・な・た! レッサーパンダのツインテール、十六番のロリっ()ちゃんに決定~!」

「マジですか!? やった!」 


 またしてもタイミングよく、「僕がぁ、君を~呼ぶ~」とガブリエラが歌う声に送られ、両手を胸の前で握ったみくが嬉しそうにフロアを抜けていく。


「『切ないティーンエイジャー』、いいわね。私もレッスンで使おうかしら」


 感心しながらつぶやく獅子神とともに、翔子も笑顔で後輩に手を振り返した。

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