最後までなりすまします!⑥
馬車から降ろされ、すぐさま抱き抱えられたルルは気が遠くなりそうだった。
キャンベル家も大きかったが、アレン家も大きくて立派なのだ。エントランスに並ぶ使用人たちの数もキャンベル家の比ではなく、出迎える使用人たちの一糸乱れぬ動きは、緊張感に満ちていて、フィリップがこの家で主要人物の位置にいるのだと手に取るように理解できた。
重厚なドアが使用人たちの手で開けられ、フィリップが堂々と屋敷のなかに入っていく。もちろん抱き抱えられたままのルルもだ。
屋敷の中はたくさんの人たちが働いているはずなのに、まるで誰もいないような静けさに包まれていた。孤児院はもちろん、聖堂でもキャンベル家でも味わったことのない空気に思わず息を飲む。
「君の部屋は客間になった。本当はわたしの部屋の近くにしたかったんだが」
思い通りに事が運ばなかったせいなのか、一瞬だけフィリップの表情が抜け落ちた。ルルはゆっくりと瞬きをし「そうですか……」とだけ答えて、屋敷内を見渡した。
天井からぶら下がる大きなシャンデリア。窓から差し込む陽射しでキラキラ輝いている。壁や床、柱に至るまで白で統一され、階段脇に絢爛たる花が生けてある。
「こっちなんだ」
一階でも日当たりの良い部屋を用意してくれたのだろう、窓は庭に面していて、庭を一望できた。庭の中央には真っ白な噴水が。それを中心に左右対称に植えられた低木は形良く刈り取られ、まるで噴水を屋敷に見立てて囲う塀のようだ。花壇のようなものは見当たらず、庭の奥に太陽の光を反射する透明な建物、温室と思われる物が建っている。階段脇の花はそこで育てられたものだろう。
部屋の家具はアンティーク調で、長期間滞在しても飽きがこないような落ち着いた色合いでまとめられている。アビゲイルの部屋と同じような雰囲気なのは、気を利かせて揃えてくれたのかもしれない。
「気に入った?」
「ええ、まあ……」
アビゲイルの部屋と同じようにあつらえてくれたことに対し、アビゲイルの偽者として大袈裟に感謝の言葉を伝えなくてはならないはずなのだが、平坦な口調でしか答えられない。ちょこちょことポカみたいなことはするが、演技をしている最中、こんなに感情が抜け落ちた話し方をすることは今までなかった。自身でもそのことに気がついていたが、なぜか取り繕う気にもなれない。
「気分が優れませんか?」
心配そうなフィリップの表情はペーターとしてルルに接してきた頃と変わらない。
「そうかもしれません」
ふいと視線を逸らしたルルを部屋のソファに降ろしたフィリップは、床に片膝をついたままルルの顔を覗き込んだ。顔色はそんなに悪くはないが、そっとルルの額に手を当てる。
「熱はないみたいですが、無理をさせてしまったかもしれませんね」
崩れてしまった前髪を戻してくれている間も、ルルは下を向いたまま答えることはしなかった。
馬車でのやり取りがウソのように部屋が静まり返る。その内、執事らしき男がやってきて、急ぎの用件ができたとフィリップを連れて行ってしまった。
ゆっくり休んでくださいと言われたが、客間に残されたルルは、ひとりではどうしようもない焦燥感に襲われていた。
アレン家に着くまでのフィリップは、ルルの知っているペーターが見え隠れしていた。ふたりだけしか知らない話を本人確認のために利用したり、証言させようと言葉巧みに誘導したりしてきた。だが、アレン家に着いてからのフィリップは、ルルの知らないフィリップだった。フィリップの力ではなく親の力だと理解していても、たくさんの使用人を背後に連れて歩くような人物なのかと思うと気後れしてしまった。ここにいるフィリップは、ルルに「バカだなぁ」と呆れながら隣を歩いてくれた、慣れ親しんだ人ではない。夕食を一緒にと誘ってくれたが、どんなに豪華な食事でも、大好物がたくさん並んでも食欲が湧くことはないだろう。
「……帰ろ」
帰る場所なんてどこにもない。それでもここに居たくはなかった。
ルルは「怪我する前に」と唱えて、ここに着いてから怪我の状態を診るためにほどき巻き直した包帯を外した。侍女たちがクローゼットに入れてくれたワンピースの中から一番地味なものに着替え、ほかの着替えも持ってきたトランクに入れる。
夕闇が迫る薄暮の時間帯。ルルは庭に面する窓を開けた。緑色に黒を混ぜた庭の芝が、窓の形に切り取られ、その部分だけが元と近い色となる。それがひとつ、ふたつと増えていくのは、侍女たちがそれぞれの部屋に明かりを灯して歩いているからだろう。直、ここにも侍女がやってきて明かりをつけていく。それまでに。
ルルは窓の外にそっとトランクを置くと、自身も身を乗り出した。外側から窓をそっと閉め、光が当たらない場所に身を隠しながら敷地内を出る。そして、
「まぶたと唇をルルへ」
アビゲイルと元のルルの顔との合わせ技を披露する。
「さて」
手鏡をみて確認したルルは、どこかすっきりした表情で指を折り始めた。
「キャンベルの家からとフィリップが用意してくれたドレスを古着屋さんで売って、トランクも少し大きめの布袋に買い替えるでしょ。それから、髪の毛もなんとかした方がいいかも。あとは……」
くぅ、とお腹が鳴った。
「うーん……。何か食べよっかな?」
さっきまでお腹が空いていなかったのに現金だ。ルルは軽い足取りで暗闇の中に消え去った。




