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最後までなりすまします!④

「フィリップ殿!」


 大きな声にピクリと反応すると、身体の向きが勝手に変わった。ルルの身体を抱き抱え、舵を取っている男フィリップの視線の先をたどると、険しい顔をした男がアンジェラの手を引いていて、こちらに向かっている。


「サイラス・ラッセル……」


 振動となって伝わる低い声は先ほどまでのくすぐったさがひとつもない。相手の感情を意識して、壊れ物を扱うように触れあっていた部分が、細い糸も通せないほどに密着度が上がった。恥ずかしい気持ちや、照れることはなかった。それ以上に、近づいてくるふたりが気になって仕方がなかった。


「……あの人がサイラス様。どうしてアンジェラと一緒に?」


 そこで、ふと思い出す。サイラスとアンジェラが婚約したというウィリアムの話を。それから『今度はそっちに乗り替えようとしているらしい』という言葉も……。


(もしかして、修羅場ってやつじゃない……)


 サイラスはアンジェラを想っているし、アンジェラはフィリップにアタック中だ。サイラスとフィリップの関係性はわからないが、同年代で同じ地域に住んでいるのだから、顔と名前くらいは知っているのだろう。彼の名前を呟いたくらいなのだから。


「……さんかくかんけい」


 ポロっと不要な言葉が口からこぼれ落ちた。その瞬間、刺すような視線が頬にぶち当たる。懐かしいような、そうでもないような。誰からのモノなのか容易に想像出来たが、怖いもの見たさなのか、ギギギーっと首の骨を軋ませて、顔の向きを変えていた。やはりというべきか、整った顔の男が冷たい笑みを浮かべている。ルルへではなく、アビゲイル仕様なのだろう、半眼ではない。


「君は黙っていて」


 フィリップににっこり微笑まれて、ルルは「……はい」と閉口した。あの一瞬で、上下関係が出来上がってしまったようだ。幼なじみとして身についた習性は、例え、顔を変えたり、名前を偽っていたとしても、その人から漂う独特な雰囲気やなんとなく感じる力によって簡単に変えれるものではないようだ。


「サイラス殿でしたよね? ラッセル家の」

「ええ、はじめましてですね」


 サイラスはアンジェラを引く手を離し、その手をフィリップへ向ける。フィリップは、というと、アビゲイルをチラッと見つめて肩を竦めた。


「すまない。今は両手が塞がっているんだ」


 不本意ながら、握手を断る方便に使われてしまった。

 サイラスが盛大なため息を吐き、心底可哀相な人を見る目つきでアビゲイルを一瞥した。「やれやれ」と首を左右に振る。


「アビゲイル、元婚約者として言わせてもらうよ。君は我が儘をいい加減やめるべきだ。自分で歩きたまえ」


 わがまま……。

 声にならない声で反芻する。

 もしや、アビゲイルが我が儘を言って、フィリップに抱き抱えられているとお思いなんだろうか。いやいや違うから、と反論したいところではあったが、フィリップと触れあう部分の密着度がさらに上がり、黙っていろとの無言の圧力を感じて、開きかけた口を結ぶ。


「君は知らないのかな? 彼女は怪我をしていてね、部屋から華やかさも何もない庭を見下ろしていたから、反対側の過剰なほど彩り豊かな庭の方も見せてあげようと抱き上げて、無理矢理ここまで連れてきただけだよ」


 なるほど、とルルは納得した。こちらの庭はアンジェラの部屋がある方。アビゲイル側の庭は庭師として最低限に整えて、アンジェラ側の庭はいつでも花を楽しめるようにと気合いをいれて造ったのだろう。忖度アリの地味にイヤーな嫌がらせだ。


「本当かな? 彼女はよくウソをつくんだ。包帯を巻いている頭や手首だって仮病かもしれないよ」

「どうして、そんな真似をしなくてはならないんだい?」

「それは、君を騙すためだよ」


 そうなの? とフィリップはアビゲイルを見つめる。

 黙っていろの圧を未だに感じ取っているルルは、ふるふると首を振るだけにとどめる。


「アビゲイル!」


 突然の大声に身体がビクッと跳ねた。すかさずフィリップが大丈夫か訊ねてくれる。


「君、急に大声を出すんじゃないよ」

「彼女を正すのはわたしの役目なんだ! 止めないでくれ」

「いいや、君にはもう関係ないことだろ?」

「彼女はアンジェラの姉なんだ! アンジェラの婚約者として、アンジェラを危険から守る当然の行為だ! アビィ、もういい加減にしろ!」

「……アビィ?」


 どうしてだろう、フィリップの声が一段と低くなった。

 さらなる圧がルルの身体に重く重くのしかかる。


「ねぇ? アビィって呼ばれてたの?」


 ああ、愛称にひっかかったんだ……。

 ルルはぎゅっと固く目を閉じた。愛称呼びがなぜ、彼の逆鱗に触れることになったのかわからない。よく考えてみて欲しい。サイラスとは長い間、婚約者同士の関係だった。それを前提に、さらによく考えて欲しい。昨日今日、ちょっと話をしただけの人物に、愛称で呼んでなどと言えるわけない。そもそもアビゲイルは記憶喪失。自分の名前すら覚えていない状態で、愛称云々知るわけない。まして、ここにいるアビゲイルは偽者である。ルルにとって理不尽きわまりない。


「……フィリップ殿」


 サイラスの戸惑う声に薄目を開けた。間近にフィリップの顔があり「ひぃっ」と情けない声を出してしまう。助けを求めるように視線を動かせば、サイラスはオドオドしており、その奥にいるアンジェラは目を見開き、首筋を立てながら歯を食い縛っている。アビゲイルへの怒りをふたりを前に抑えているに違いない。これでは、どちらからも助けてもらえそうにない。


「アビィ、アビィって言うの。ふうん。わたしは君の婚約者なのにまだ知らないことがたくさんあるようだ」


 そりゃあ、そうでしょう……。昨日今日始まった関係なのだから。


「フィリップ様」


 この場にはそぐわない落ち着いた声に頭をもぞりと動かすと、ウィリアムの執事がかしこまっていた。


「ウィリアム様からお許しがでました」

「わかりました。では、連れていきますね」


 暗雲漂う雰囲気が一転、晴れ晴れしい顔つきになったフィリップは「では」とふたりに目礼する。振り返った先には大きめのトランクを持ったオードリーがいて……。待て待て、


「待って!」


 荷物イコール屋敷を出るという方程式が自動的に組み上がってしまったルルは、とうとう口を開いてしまった。怒られようたって構いやしない。サファイア色の目を大きく見開き、フィリップを見つめる。


「どうしたの?」

「どうしたのって、それは私の台詞であって……」


 フィリップは空を見上げ「あー」と閃いたような声を出した。それからまた視線をルルに戻し、愛おしそうに目を細める。


「君に会う前に、ウィリアム殿と約束をしたのだよ。君の妹が接触してきたら、わたしの屋敷に連れていくってね。だって危険じゃないか! 君の評判を落としたり、君の名義でドレスを買い漁ったり、使用人を使って虐めたり、階段から突き落としたり。どんどん酷くなっていってるだろ? 今度は記憶を失うだけじゃなく、命も奪われちゃう可能性だってあるからね。ほら、上を見て」


 言われた通りに顔をあげると、二階の一室から手を振るウィリアムが見える。


「それから、サイラス殿」


 身体の向きはそのままに、首を後ろにまわしたフィリップが「ウソつきには気をつけて」と楽しそうに忠告した。


「さあ、いこうか」

「行くってどこへ!?」

「わたしの屋敷だよ! さっきも言ったばかりじゃないか。誰にも邪魔されることなく、よーーーーっく、お互いの話をしようじゃないか」


(つんだ……。きっと私がルルってバレたんだ。いったいどこで……)


 ルルは力なくフィリップに身体を預けた。

 

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