最後までなりすまします!③
ウィリアムからアビゲイルとして生きていくことを保証された翌日。昼食を終え、窓際の椅子に腰掛けていたルルは、窓から差し込む柔らかな日差しにうとうとしていた。
『ちょっと眠くなるかもしれません』
そんな注意事項を言われて処方された痛み止めは、滅多に薬を飲まないルルに覿面に効いた。痛みを和らげる方ではなく、副作用の方に。
眠くて眠くてかなわない。油断すると頭がカクンと落ちてしまう。こりゃダメだ。誰かの手を借りてベッドに移動しよう。すると、部屋の外で待機していた侍女から来客の報せが届いた。
(そういえば、今日も来るって言ってたっけ……)
眠い目を擦り、返事をすると、ドアの前で控えていたのか、花束を持ったペーターがすぐに現れた。
ほどよく日に焼けた肌に、ぴっちりまとめ上げた前髪。町にいた頃のペーターはいつもボサボサ頭のままで、顔を半分隠していた。邪魔そうに前髪を掻き上げたり、風で髪がなびいた時に見せる横顔に、綺麗な顔してるなぁと思ったことはある。この度、真正面からまじまじと見つめる機会を得て、改めてウィリアムが『色男』と言っただけあるなぁと感心した。
「こんにちは。お加減はいかがですか?」
当たり障りのない言葉にルルはにっこりと微笑む。
「お陰さまで、昨日よりだいぶマシになりました」
これまた当たり障りのない言葉で返す。
(私のことをルルだって思っていろいろ手を回してくれたみたいだけど、最後までルルってバレないようにしてやるんだから!)
『駄目だ』『無理だ』『やめておけ』と言われ続けてきたルルの、兄貴分へ、ちょっとした反抗である。それに、建具屋の息子と偽られていた怒りが少々加わっている。
その反抗対象であるペーターがゆっくりとした歩みで近づいてきた。ルルも立ち上がって迎えようとしたが、叶わず、ふらりとバランスを崩した。
さて、怪我をしている令嬢が、咄嗟に手をついて床からの衝撃を回避出来るかどうか問われたら、それは否である。ウソの怪我をでっち上げた罪として、数秒後に訪れる床への衝撃を甘んじて受けるべきである。
(また、ドジって言われる!)
ルルはぎゅっと目を瞑り、衝撃に備えた。
ついでに精神状態も身構えておく。
だが、やってきた衝撃は、痛烈な痛みでも、バカにされた悔しさでもなかった。布に擦れた頬へのチリっとした痛みと、ちょっと柔らかめのマットレスに飛び込んだような身体が沈む感覚。おや? と片目を開くと床までの距離は思っていたよりも遠く、ふわっとオーデコロンの香りが鼻腔をくすぐった。
「大丈夫ですか? 無理をなさらないで」
「あ、はい……」
視線を動かすと間近にペーターの顔がある。
視線がぶつかって、思わず目を逸らしてしまった。
えっ? えっ? えええっ!?
なぜか胸がドキドキする。呼吸も浅く、息を吸っても、吸っても、息苦しい。
これも痛み止めの副作用なんだろうか? 頭のなかが空回りする。
ぼんやりしている状態で椅子に座らされると、ペーターはルルの顔を覗き込むように片膝を床についた。すっと目の前に花束を差し出される。
「お見舞いの品です」
「あ、ありがとうございます」
受け取った花束はガーベラがメインで、赤やオレンジ、ピンクといった花たちで彩られていた。可愛らしくて、鮮やかで、戸惑い気味だった顔がほころぶ。初めてもらった花束が嬉しくてペーターの顔を見ると、きっと花束を誰かに届けることがはじめてなのだろう。耳まで真っ赤にしている。
(どうしよう!? ペーターがペーターじゃないっ!)
照れるペーターを見ているだけでむず痒い。自分も自分じゃなくなっていく。
「きっ、きれいですね。フィリップ様が選んでくださったんですか?」
「ええ、庭師に訊ねながらですが……」
丸投げして作らせたわけではないんだ。意外な一面を垣間見たような気がした。
アレン家の庭で、ぶっきらぼうなペーターが、あーでもないこーでもないと言いながら花を選んでいる姿を想像するだけで、妙にくすぐったくなる。
「ふふふ、ありがとうございます」
「喜んでいただけたら何よりです」
萎れてしまわないように、ジェシカに花を生けておくよう頼むと、ペーターは「今日は」と口火を切った。
「アビゲイル嬢に、いろいろ知ってもらおうと考えてきました」
「いろいろ? 何を教えてくれるのかしら?」
町にいた頃は、生活に役立つからと『足し算と引き算』のやり方を覚えるまで計算させられた。指を使うのを許されず、解く度に「違う」「ハズレ」とバツをつけられ、正直腹が立った。目の前で頬杖ついて問題用紙を眺めている姿に、その腕バーンと叩いてやりたいと思ったことは数知れず。
まさかまた、生活に役立つからと『地図のみかた』など教えてくるのではないかと、どぎまぎする。あんなの勘でいいのだ、勘で。
「わたしが案外力持ちっていうところとか?」
(いや、建具運んでるとこ見たことあるし……)
そんなルルの突っ込みなど露知らず、眉をひそめた彼女に気を良くしたペーターは、「失礼」と彼女の腕を取り、自身の肩に掛けた。背中から回した手で胸の下辺りを掴み、膝下にも腕を滑り込ませる。
「ほっ!」
「ひゃあっ!」
突然持ち上げられた身体に、ルルは塔の上から落とされた感覚に陥った。心臓をどこかに置き忘れてきたような、胸に大きな風穴があいた感覚。だが、それはやはり感覚でしかなく、バックバックと心臓が自身の存在を主張する。
「しっかり掴まって。このまま庭に行って、散歩をしましょう」
(いや、まって……。さんぽ? さんぽっていった!?)
「ムリムリムリムリムリムリーっ!」
思わぬ方向に身体が揺れるし、視線が高い位置にあって怖い。何より。
(侍女さんたちのニヤニヤ顔がいやーっ!)
羞恥に堪えられない。
ルルはぎゅっとペーターの首にしがみついた。誰の顔も見なくてすむように力強く目を瞑り、火照る顔を隠そうとペーターの首筋に顔を押し付ける。
「アビゲイル嬢?」
ペーターの少し低い声が振動となって、頭のてっぺんから足の爪先まで響く。
「しゃ、しゃべらないでくださいっ!」
頬の下にあるペーターの肩が一瞬、震えた。
「で、できればアビゲイル嬢も……」
「……はい」
ルルは小さな声で返事をするだけにとどめる。
人はどうして見ることを止めてしまうと、耳が良くなってしまうのだろう。「きゃっ」とか「あらぁ」とか興奮気味な侍女たちの声が聞こえてくる。絶対小さな声のはずなのに、これは耳に異常事態が起きていると言ってもいい。
「……あの、やめません?」
「ちょっと待って、階段をおりてる途中だから」
それでなのか。荷物がひとつずつ載せられていくような感覚があるのは。
「やめようと言われたけれど、もう目の前だから」
ですよね……。ならば、庭の風景を楽しんだ方が有意義だろう。恥ずかしい思いもしたことだし。ルルは顔の位置を少しだけずらし、しっかりと瞑っていた目をそっと開けた。
「うわぁーっ」
ルルはこの上なく素晴らしい庭に目を輝かせた。部屋の窓から見下ろす庭は、大木こそルルの部屋の近くにあるものの、形良く刈り取られた低木が目立つ庭で、花は花壇に植えられているものだけだった。だが、今、目の前に広がる庭は、木々に花が咲き乱れ、ずーーっと吸い込んでいたいような香りが漂っている。
「綺麗だし、いい香り。なんの花の匂いだろう?」
「気になりますか? では、ひとつずつ検証していきましょう」
ポンと身体が跳ね上がり、抱き抱え直された。
「重いでしょうから、もう降ろしてもらえませんか?」
「いえいえ、怪我をされている令嬢を引っ張り出して、自分で歩けなど言いませんよ」
「そうですか?」
「そうですよ」
転んだルルに、「ドジだ」「バカだ」と口では言っていても、背負って孤児院まで連れて行ってくれたペーターを思い出す。悔しくて、孤児院に着くと、無言で一目散に部屋へ駆け込んでいた。
「えっと……、ありがとうございます……」
耳を澄まさないと聞こえないような小さな声だったが、あの時のことも含めてお礼を伝える。ルルのままでは出来ない、アビゲイルの今だからこそ、出来ることだ。
「どういたしまして」
聞こえていたらしい。
期待せずにいた言葉に、胸の奥がきゅっと締め付けられた。




