聖女のお世話係になります!②
ルルは孤児院へ戻ると、真っ先に院長室へ向かった。部屋の前で小さく息を整え、ドアをノックする。
「どうぞ」
院長の声がして、ルルはドアを開いた。唾を飲み込み、部屋に入ると、後ろ手でドアを閉める。
院長は机に向かって書類仕事の真っ最中だった。院長が手を止め、顔をあげると、掛けている老眼鏡が窓からの日射しでキラリと光る。
「あら、ルル。どうしたの?」
老眼鏡を外し、目頭を揉む。
「院長あのですね!」
ルルは広場で見た聖女の奇跡を思う存分に話して聞かせた。
「そう。それは良いものを観れましたね」
「はい! それでですね。私、聖女様のお世話係になろうと思うんです!」
「本気なの?」
「はい!」
院長はポカーンと口を開いた。そのまま視線を天井に向けた。
「応援はしてあげたいわ。けれど……」
院長はルルに向かって困ったように首を傾かせた。
敢えて言われなくとも、言いたいことは分かっていた。ペーターにも向いていないと言われたばかりだ。けれど憧れてしまったのだ。あの感動的な場面を作り出した聖女に。
「余計なことはしません! 約束します。与えられた仕事を言われた通りにしかしません! 院長にも孤児院にも迷惑はかけませんから、どうか聖堂に行くことを許してくれませんか?」
ルルは院長にお願いをした。両手を組み、その両手を額に押し付ける。食事前に捧げる祈りよりも、必死さが見受けられた。
「わたくしは、あなたにここを手伝ってもらおうと思っていました」
淡々とした院長の言葉にルルは顔をあげた。
久しぶりによく見た院長は、目尻にシワが増えていた。ほうれい線も少し濃くなったような気がする。以前は老眼鏡など掛けていなかったし、ペンを持つ手にシワなどなかった。いつの間にこんなに年をとったのだろう。
(これ以上、迷惑なんてかけれないよ)
孤児院にいればいつまでも院長に甘えてしまう。新たな子の受け入れや、自分の思い切りの良すぎる行動のせいで、院長はいつも頭を悩ませていた。受け入れ問題はどうしようもないこととして、行動の方は自制すればいいと理解している。だが、これがなかなか出来ない。きっと何とかしてくれると思っているからだ。そんな甘い考えをいつまでも持つ自分から卒業をしたかった。早く孤児院から巣立って、院長を悩みから解放してあげたい。
「聖堂は規則が厳しいと聞きます。軽はずみな行動は許されないのですよ?」
「はい。誓って、勝手な行動は慎みます」
「本当に?」
「はい」
「二言はないのですね?」
「はい」
院長はしばらく考えていたが、「良いでしょう」と賛成してくれた。
「頑張るのですよ」
「はい! ありがとうございます」
ルルは嬉しさのあまり跳び跳ねそうになるのを我慢した。今度は聖堂に行き、聖女の世話係になることをお願いしなければならない。自分のことを知らない人たちと会って、面接をするのだ。受け答えをし、人柄や何が出来るのかを言葉のやり取りだけで判断されてしまう。どんな質問が待ち受けているのか、ルルの胸はすでにドキドキしている。受け入れられて当然ではない。拒否されてしまうこともあるのだから、喜ぶのは聖堂側から了承を得てからだ。
「もし駄目だったとしても、何度でも挑戦しますね!」
フン、と意気込んだルルに、院長は目を細めた。ため息をつくのと同時に肩の力が抜けていくのがわかる。
「わたくしは、あなたのそういうところをとても好ましく思っています。けれども心配なところでもあります。駄目だと感じたら引き返すこと。忘れてはなりませんよ?」
「はい」
ルルは院長の言葉を胸に秘めた。部屋に戻ると、もう二度と孤児院には戻ってこない覚悟でかばんに荷物を詰め込む。次、戻ってくるとしたら、それは自分の姿を自慢出来るようになってからだ。
翌日、ルルは先生たちや孤児院の仲間に見送られ聖堂へと向かった。
聖堂は町の中心部から徒歩で二時間ほどかけた先にある。聖堂行きの乗り合い馬車が出ていたが、ルルは敢えて歩いて向かうことにした。先立つものがあまりないのもあるが、ルルには毎日走り回って手に入れた脚力と体力がある。聖堂へ向かう人たちのほとんどが馬車を利用するのだから、歩いて聖堂まで来ました、と言えば絶好の売り込み要素になるのではないかと考えたのだ。二時間を半分、とまではいかなくても、三十分近く時間を縮めればきっと驚いてくれるはず。
「よーしっ!」
ルルは気合いを入れて歩き始めた。途中で馬車に何度か追い抜かれ、心配そうな声を掛けられた。その度にルルは、大丈夫ですと元気に手を振ってみせた。時間を縮めようと早歩きや小走りを続けたことが仇となった。聖堂にたどり着くや否や、木陰で休むことを余儀なくされたのだ。息はあがっているし、汗もひかない。かばんから鏡を出して顔を見たら、髪の毛はボサボサになっているし、顔は真っ赤で苦しそうな表情をしている。この様相では、受かるものも受からない。
少しでも顔の火照りを冷まそうと休んでいる間、ルルは聖堂に祈りに来る人たちの姿を眺めていた。杖をついている老人、沈痛な面持ちで聖堂に入っていく人。完治したのだろう、にこやかな表情を浮かべた人もいる。きっとお礼を伝えに来たに違いない。みんな聖女に頼っているのだ。
「聖女様の力って、すごいなぁ……」
ルルは木の幹に背中を預けたまま、聖堂を見上げた。
砂岩で造られたという聖堂は乳白色の色をしていて、壁には蔦の模様と聖女が浮き彫りされている。聖堂の奥には尖塔が建っており、ここからは屋根だけが見えている。
(あの尖塔には何があるんだろう? 物置とかかしら? 使用人の部屋とかだったら嫌だな。毎日階段を上り下りするとかなったら最悪)
ルルはそうでないことを願いながら立ち上がった。お尻についた埃を払い、辺りを見渡す。
「さて、誰に話をしたら雇ってくれそうかしら?」
聖女の世話係を募集する告知は出ていない。ルルお得意の行き当たりばったりで院長に話をつけ、ここまでやって来たのだ。『駄目だと感じたら引き返すこと』と院長に言われたが、『軽はずみな行動は許されない』とも言われたばかりなので、失敗しても孤児院に戻ることがはばかれる。
「あれ、あの人……」
スカプラリオを着用した小太りの男が、お供を連れて聖堂に入って行こうとしている。肌が誰よりもつやつやで、健康そうな人だ。
「昨日の司祭様じゃない!」
ルルは荷物を手に取ると、司祭の元へ駆け寄った。
「し、しさいさま!」
ん、と司祭は足を止めた。ルルに視線を向け、「どうなさいました?」と対応してくれる。
「昨日の広場での奇跡、感動しました」
「ありがとうございます」
司祭はにこやかにお礼を伝える。
「それと同時にですね、私、司祭様の考えにすごーく共感しまして」
司祭は満足気に、うんうんと頷く。
「聖女様のお世話係として、聖堂に尽くしたいのです!」
ん!? と司祭は目を丸くした。あー、と言いながら目をキョロキョロと泳がせ、辺りの様子を伺っている。
(これは駄目なパターン)
今までの面接もそうだった。面接相手が孤児院のルルと分かると否や、断りの文句を探すのと同時に、周囲の目が気になってキョロキョロしてしまうのだ。
(ここは駄目押しするしかないわ)
ルルは大きく息を吸った。
「お願いします! 私に聖女様を完璧にするお手伝いをさせてください! 寝る場所と食事を提供していただければお給金はいりません。もし頂けるのでしたら、そのお給金は聖女様のために使っていただいて構いません! どうか、どうか……」
慌てふためく司祭を前に、もういっちょとルルは土下座をしてみせる。
「お願いします!」
大声で叫べば、いつの間にか辺りに人だかりが出来ていた。
――どうしたの?
――女の子が無賃でいいから、聖女様のために働かせてくれってさ。
――素敵な志ね。
――司祭様は何故了承しないんだ?
――聖女様のためにって言っているのだからいいじゃないの。
「顔をあげなさい」
司祭の声が裏返っている。
「いえ、お手伝いさせていただけるまで顔をあげることは出来ません!」
――手伝わせてあげればいいじゃない。
――本当だよ。この申し出を断ったら、あの司祭は聖職者の皮を被ったバケモノに違いない。
ルルは周囲を味方につけた。それはそれは完璧に。
司祭はもう折れるしかない。
「わ、わかりました。あなたのご意志を尊重いたしましょう」
「ありがとうございます!」
顔をあげると司祭の頬がひきつっていたが、ルルはその事を気にすることなく、司祭に何度も頭をさげた。