7.まほうつかい
暗闇と廃墟の街・封天街。その中心部。
生気のない暗澹たる街の中では、人口密度の高さから、まだ活気を感じる場所。
そこに、一人の罪人が立っていた。
「……あれ、媚び売り使い魔の……
「“まほうつかい”に狙われてるんじゃ……
「1日足らずで戻ってくるバカ……
瓦礫の隙間から聞こえてくる囁き声が、風も生活音も無いこの街によく響く。
娯楽の少ないこの場所では、下世話なゴシップも貴重な娯楽だ。
囁きはいつしか重なって、雑踏の喧騒のようになっていく。
「今日は随分と忙しい日だね」
「どうも“まほうつかい”さん。
来るとは思ってたが、こんなに早く来るとは思わなかったよ」
シアンが中心街に足を踏み入れた途端、いつからいたのか“まほうつかい”が背後に立っていた。
ロボットの少女の姿は近くには無く、中心街から少し距離を取った場所で二人の邂逅を静観している。
「自首であれば殊勝な心がけではあるのだが……」
「そんな訳が無いって、アンタなら分かるだろ」
「残念だ」
その言葉が放たれたと同時に、“まほうつかい”の目の前の景色が、胴より上の位置から横薙ぎに両断される。
廃墟街の街並みが、一枚の紙を裁断するように呆気なくズレ落ちていくそれは、閉塞された天蓋の中では天変地異と言って差し支えないものだ。
「マスター……マスターは、あの方相手に一人で大丈夫なのでしょうか……」
シアンに言われた通り、離れた位置にティーアは隠れている。
主人を思った独白が中心街まで届く事はない。
事実、“魔法使い”はそちらを振り返ることもしなかった。
「ふむ」
やがて完全にズレ落ち、倒壊し、土埃と砕けた瓦礫を撒き散らす建物たちの破砕音と人々の悲鳴が、普段であれば静寂に包まれた封天街に音を与える。
斬撃の威力を二人は既に目撃していた。
そして、それを受け止める事も出来ないと理解していた。
威力は目撃していても、その魔法の姿は視認する事が出来無い、まさに不可視に不可避の必殺。
「すごいね君は」
「褒めてくれてありがとう……って言った方がいいのかな」
しかしシアンは、その体を大きく屈ませ、必殺の斬撃を寸前の所で避けていた。
彼の目に恐怖は無く、ただ興味だけを宿した目で“まほうつかい”だけを注視し続ける。
「私の処刑を2度も避けたのは君が初めてだ」
「ッ!……今で3回目になりましたね」
再び街が、真横に、一直線に、様々な高さを持ってだるま落としのように斬り裂かれた。
まともに当たれば、人間は背骨に沿って綺麗に真っ二つになる斬撃。
しかしシアンは、大きく跳ぶことで、またもや致死へと誘う斬撃を回避してのける。
「君、私の魔法が見えているのかな?」
「いや、“まほうつかい”さんの魔法が見えた事なんて一度もありませんよ。
……というより、そもそも“見える”という表現が間違っていると思いましてね」
「成程。君は……探偵にでも向いてるのかもしれないな」
それでも変わらず、“まほうつかい”は仮面の下の表情を感じ取れるほど感情を出す事はない。
無機質な手刀による薙ぎ払いが続き、その度に同じ高さで何度も何度も廃墟街が斬り裂かれる。
斬撃の余波に巻き込まれて徐々に砕けていく街灯が封天街の唯一の灯りを少しずつ削っていき、段々と最も明るい筈の中心街に影が伸び始める。
「“まほうつかい”さん。貴方のその魔法、確かに凄い。まともにやり合ってたら俺なんかすぐに死んでる」
「お世辞はいいよ」
軽い手払い。
特に攻撃が飛んできた様子も無く、シアンはほんの少しだけ息を吐く。
「……疑問に思ったのは、廃墟の切断面です。
目にも止まらない速度と当初は思ってましたが、あまりにも切断跡が直線的で均一に付いていた気がする」
初めて、“まほうつかい”は興味を示したかのように僅かに顔を傾ける。
その白面の下に隠された真意こそ読み取れないが、肌を切り裂くような緊張感がより一層強くなった事から、シアンは迫り上がってくる胃液と自分への強くなった感情を飲み込んだ。
「風切り音もしなかったので。
ということは、貴方の魔法は、斬撃のようなものを飛ばすものでは無い」
「であれば? 」
「一定の位置……多分、高さを手の位置で設定してその位置を纏めて分割してしまう魔法だ」
すると、“まほうつかい”は自分の胸辺りで横に傾けた手刀を解く。
もう片方の手を使った乾いた拍手の音が、静寂に包まれた封天街に響いた。
厚手の手袋で行われた器用な柏手が、張り詰められた緊張の糸を悪戯に揺らしていく。
「そこまで気付けたのか。
いや、やはり君は凄い。こんな閉塞された世界で、たった一人でその結論に辿り着く人間が出るなんて思いもしなかった」
「……どうも」
白面の向こうの声がほんの少し跳ねたような僅かな抑揚は、過去の記憶を辿ってもそれが一番“嬉しそう”に感じて、“まほうつかい”が初めて見せた感情の機微にシアンは戸惑う。
「で、別にこんな無駄話をしに来た訳じゃないだろう?
人間には体力の問題がある。これが続けばきっと君は死ぬだろう。
わざわざ私の前に出てきた理由はなんだい?」
「それはすぐに分かりますよ。
ここまでお喋り出来れば……時間稼ぎとしては十分なので」
シアンは左手を無造作に放る。
手持ち無沙汰からの行動にも見えるそれは、しかし中心街の外部から脱兎の如く走ってくる影に意味を与える。
「マスター!手!お手を!」
「もう出してるよ」
土埃を上げながら、地面に足を擦らせて火花を散らしながら急ブレーキ。
放り出された手を握りつぶさないように減速しながら掴み、やがてティーアはシアンの体を自身の傍に寄せた。
「どこから来たかは分かったか?」
「勿論観測しました、観測した結果……天蓋上部に外部へと繋がる扉があるようです!」
「なら即離脱だ。脇腹を掴んで運んでくれ。
そこならダメージを受けても一番支障が無い」
ティーアは、前に“まほうつかい”から逃げ仰せた際と同じクラウチングスタートのような体制を取る。
彼女の操る炎の魔法と、体内の水を一気に蒸発させる事によって発生する爆発的な運動エネルギーは、さしもの“まほうつかい”も即座には追いつけないだろう。
事実、前回は2人を追ってくる事は無かったのだから。
しかしそれでも、“まほうつかい”は、まるで芯が通っていないような不気味な立ち姿を崩さずに二人をジッと見ている。
「シアンくん。1つ、助言を送ろう」
「今更なにを言われたって
「前方注意だ」
その他愛も無い言葉に、シアンは纏わりつくように気持ち悪い悪寒を感じ取った。
「……?…………。ッ!?横に飛べ! 」
「えっ、はっ、えっ!?」
それは、突然の命令変更。
シアンが“まほうつかい”の意図に気づくのは、知識無き暗澹たる街に住む人間としては早すぎるほどだった。
しかし、やはり突然の命令というのは致命的で。
その対応に一瞬遅れたティーアに降りかかったのは、やけに暖かく、僅かな粘性のある液体だった。
ティーアは、自分に寄りかかった体重がずり落ちて離れていくのを感じていた。
「マス……ます、たぁ? 」
横に目をやれば、左腕を無くした男が、ゆっくりと地面に倒れていくのが見えた。