6.作戦会議
「作戦会議を始めようか」
まず二人が考えたのは、街を覆う天蓋の破壊である。
当然、天蓋の外を目指しているシアンがそれを試みていない訳は無かったが、人間一人の力では解決出来ないというのが結論だった。
それほどに天蓋の壁は分厚く聳え立っている。
「俺を連れて逃げる時、物凄い炎と煙を噴き上げながら走り抜けたろ?
あれ、例えばパンチとかキックに応用できるか? 」
「出来ます。出来ますが、問題があります」
「というと」
「私の体内の水ですね。水の量に気を配らなければいけません」
ティーアは唐突に自分の上着を脱ぎ始めた。
燕尾服とドレスが合わさったような、装飾こそ少ないが布の量が多い服を、はだける程度とはいえ脱ぐのには1分ほどの時間を要する。
「あまり異性の前でそういう事をしない方がいいんじゃないのか」
「私はロボットですし……それに、唐突に胸を揉んできたマスターには言われたくありません。言われたくありませんね」
「あれは知的好奇心だから仕方が無い」
悪びれる様子もないシアンの前で、その細く白い躰が露わになった。
暗闇の中、僅かな光に照らされる肌は、街灯によってほんの少しだけ朱色を帯びる。
完全には脱ぎ捨てられていない服は、整った顔立ちと相まって、全てを露わにするよりも扇情感を煽っていた。
「で、その管みたいなのを見せる為に脱いだのか? 」
「本っ当、そこまでつまらない反応だと揶揄い甲斐もありませんね。ありませんよね」
ティーアの肌は一見美しい乙女の肢体だが、よく見れば不自然に同一色の肌色で占められており、ある程度成熟した女性の外見であるのに体の凹凸も少ない。
特筆すべきは、体の……特に腕や首など関節部がある場所に巻き付くように伸びた透明で細い管だろう。
分厚い服に隠されていた機械の部分が、不自然な程の美しい少女の造形と相まって、リアルな人間らしさには一歩及ばない。
「私の脇腹の辺りを見てください。ご覧ください」
「ふむ。目盛り、であっていたかなこれは」
シアンはティーアの脇腹の一部を指差す。
そこは腰に沿って一部透明になっており、10個の目盛りが縦に並んでいた。
透明な部分から液体が僅かに波を立てているのが見える。
「水の量ってこれの事か」
「はい。そして、今は目盛りの……下から数えて7番目辺りの位置まで水が溜まっている筈です。筈ですよね? 」
「そうだな。つまり、これの残量が魔法の使用に関わってくるわけだな」
「正確に言うと、先程のような高速移動だったり、悪漢たちを追い払ったような膂力が出せなくなります。
炎の魔法は水が無くても問題無く使えます。使えますね」
そう言うと、ティーアはしばらく手のひらの上で炎を出し続ける。
暗闇を煌々と照らす炎は、やはり熱を感じない。
しばらく炎を出し続けるが、脇腹から見える水は目盛りの位置から上下したりはしなかった。
「水を使うのはこちらです。
こちらは熱いので、あまり体を近づけないでください。近づけないでくださいね? 」
「…………」
「絶対に!絶対に近づけないでくださいね! 」
「分かってるって。触らなければいいんだろう? 」
「……分かってない。分かってないですよね絶対」
痛みこそ生を実感する糧と曰う馬鹿に戦々恐々としつつも、ティーアは炎を消した。
一見、何もせずに手のひらを天へ掲げているだけのように見えるが、明らかな変化がある。
ティーアの左腕に伸びた管の中に、水が流れ始めた。
瞬きすれば見逃してしまうほどの速度で水が流れ終わると、左手から白い煙が上がり始める。
ティーアはおもむろに左手を落ちていた瓦礫に当てると、自分の背丈よりも高い瓦礫の中心部を握り潰した。
元から歪に砕けていた瓦礫は中心部に拳の大きさの穴を開ける。
引き抜かれた左手が握り拳を開くと、そこからは黒く細かな欠片たちが地面に落ちた。
「ではもう一度脇腹の辺りを見てください。ご覧ください」
「ふむ。ほんの少しだけ水が減っているな」
「私は、体内に貯蓄された水を炎魔法を使って蒸発させ、水蒸気を作れます。
その圧力で一時的に膂力を得られる体な訳です。訳ですね」
「すい……じょうき……? 」
「あー、えっと、腕から出てる白い煙ですね。煙の事です」
左手から上がる熱を帯びた水蒸気はやがて収まり、同時に赤熱していた左腕もまた、元の少女の肌色に戻っていく。
「つまり限度があるという事です。という事でした」
「なら……天蓋から脱出する際に破壊を試すのは最終手段にした方がいいな。
思い切り殴れつければ……かなり大きな音が出るだろ? 」
ティーアは首肯を返す。
実際、現在の小規模な膂力の放出でも、決して小さくない噴出音と破砕音が鳴っていた。
封天街の端の端……人があまり住んでない地区でさえ、聞きなれない音に人の目が集まり始めている。
「天蓋を破壊するほど力いっぱい殴りつけたら……まぁ来るだろうな。流石に」
二人が思い浮かべたのは同じ顔。
顔と言っても真っ白い面だが。
ティーアははだけた服を今度は手早く着直し、しばらく考えた後に口を開く。
「そういえば、魔法使いとやらは何処からやってくるのですか?でしょうか? 」
「分からん。毎回突然現れては消えるからな。
だけど、現れるのも消えるのも封天街の中心部だ」
シアンは先ほどティーアが砕いた瓦礫片のうち、握るのに丁度良いサイズを拾い上げ、地面に大きな丸を描く。
その後、その中心にバツ印を描き、左上の辺りに二重丸を描いた。
「封天街の外周を前に一周したが、食料や出口が隠されている様子は無かった」
「では何故宝探しなんて事を?事をしてるんですか? 」
「中心に近いほど廃墟が多い上に人も集まりやすいからな、漁る量が多い上に時間が限られてるんだ」
「だからまだ漁りきれてない。漁りきれてないと」
シアンはそれに肯定の意を返すと、瓦礫をバツ印の所に叩きつける。
「つまり、食料が隠されている……或いは、“まほうつかい”さんの天蓋の外への出入り口があるとすれば、中心街の可能性が高い。
燃料にしろ、脱出にしろ、漁る価値は高いと思う」
「ですが、中心部に近づけば近づくほど魔法使いと遭う確率が高くなります。高くなりますよね?」
ティーアはバツ印の周りに、指で三角の魔女の帽子の絵を描く。
「そうだな……お前、その魔法でどれぐらい時間稼ぎ出来る?」
「10秒稼げれば良い方です。
私は一応、戦闘モデルのロボットなのですが、その私と比べてあの魔法の出力は異常。異常そのものです」
大地をも切り裂き、人の文明の跡すら容易く両断する不可視の刃。
それを目の当たりにした二人は、突き立てられた殺意の威力をよく知っていた。
ほんの少し逃げるのが遅れただけで、どちらかの体の一部が無くなっていたかもしれない。そんな実感が身を震わせる。
「だが……怖いからと言って、何も無い事が分かりきっている外周で燻っていても、結局死ぬしな」
「そうですね。
……あー、マスター登録したの失敗でしたかねぇ。失敗だったかもしれません」
「なら失敗だと思わせない活躍をしてみせようじゃないか」
「というと?その心は? 」
「囮は俺がやろう」
ティーアは絶句し、そのボロ切れ同然の衣服とも言えない布をを掴み上げる。
その顔は明らかに怒りに満ちていた。
「私、言いましたよね?言いませんでしたか?“自ら進んで危険に踏み込むような行為は避けてください”って」
「待て。今回は考え無しに危険な事をする訳じゃない」
「またそうやって……
「お願いだ。聞いてはくれないか」
激昂するティーアに対し、しかしシアンのその目はあまりにも鋭く貫くように彼女の瞳を見つめ返していた。
その目に、曇りの一つもありはしない。
「…………っ、分かりました!分かりましたよぅ!ですが私を納得させられる理由が絶対条件!必須条件です! 」
「ありがとう」
根負けしたティーアは、みすぼらしい外套を掴む手を離す。
シアンは先ほど地面に書いた丸い図に書き加えるようにして話し始めた。
「まず、“まほうつかい”さんのルールをもう一度振り返ろうか」
1.“まほうつかい”さんの前で暴力等の他人に危害を与える行為をしてはいけない。
その場で切断されてしまうから。
2.“まほうつかい”さん相手に逆らったり嘘をついてはいけない。
多少なら問題ないが、あまりに度が過ぎれば何処かへ連れ去られてしまうから。
3.“まほうつかい”さんに攻撃してはいけない。
理由を聞き返すバカは、今頃死んでるだろう。
「で、これはどれも、“まほうつかい”さんに直接逆らった場合を指しているよな」
「魔法使いの前以外では普通に暴力が横行していますし、街を軽く見た感じですが……割と街の皆さんは陰口を言ってますよね。言ってる気がします」
「バレなきゃどうとでもなるし、少なくとも配給が終わってから1日経つまでは“まほうつかい”さんは来ない……というのが俺たち封天街の住民の認識だった訳だが」
「昨日、配給が終わった後だというのに、魔法使いは私たちの前に現れました。現れましたね」
シアンは図に新たなバツ印を描き足す。
最初に描かれたバツ印を封天街の中心に当てはめると、丁度宝探しをやっていた地点だ。
そしてこれこそが、ティーアにとっての最大の不安要素。
「つまり、“まほうつかい”さんは、何処かでこの街の住民の会話を聞いている、或いは行動を見ている事になる」
「そうですね。そういう事になります」
「が、今ここで話してる俺たちの元には現れない。
一度に監視できる範囲には限度があるか、中心部付近しか監視出来ないって事だ」
「楽観的な話になりますが……私たちを見逃した、という説はどうですか?どうでしょうか? 」
「それは有り得ないな」
その顔を覗き込むように質問を投げかけたティーアの頭を押しのける。
その金色の瞳は、まだ不安に揺れていた。
「昔、“まほうつかい”さんの前で人を殺した奴が逃げ出した事がある」
「……それで、その人はどうなりましたか?どうなったのですか? 」
「3日もしたら空腹に耐えきれずに、配給の時間から少しずらして食料を強奪しに来たが」
言葉を区切り、地面に簡素な棒状の人の絵の首にあたる部分に、斜線を引いて頭を塗りつぶす。
その様が未来の自分たちに重なっているようで、ティーアは思わず唾を飲み込んだ。
「まぁ、他にも色々あったが、逃げ出した奴は大体バラバラ死体にされるな。
無抵抗の人間は結構楽に殺してくれるぞ? 」
“もう遅いけどな”と無表情の嘲笑を交えて吐き出すシアンに、やはりティーアは怪訝な表情を向ける。
彼の話を聞いてなお、彼女の胸中の老婆心が消えることは無かった。
「やはりダメです。やはりマスターをそのまま行かせる訳には行きません」
「それでお前が行っても10秒しか稼げないんだろう?」
「魔法が使える私が10秒なら、マスターなら瞬きする間に死んでしまう……死んでしまうではないですかッ!」
「……よくもまぁ、出会って1日も経ってない人間に怒れるもんだ。
俺はそういう激しい感情が羨ましいよ」
激しい憤りを露出し、地面を叩いた手が震えている。
見た通りならば柔肌の手が、しかしロボットという体の構造によって傷一つついていない。
それなのに、コバルトブルーの長髪に隠れた顔が、悲痛に歪んだようにシアンは見えた。
「私は……目の前で人が死ぬのを黙って見届けたくありません……。ないんです……」
「……ハァ。話の途中だって言うのに、随分と結論を先に決めつけるなお前は。
ヒステリック……で合ってるか? 」
「……そういうマスターはノンデリカシーです。繊細さに欠けます」
「違いない」
肩をすくめ、飄々と受け流すその姿は何処かぎこちない。台本を読んだばかりの演者のように。
目の前の俯いた金色の瞳が曇り始めたのを見ればその態度もすぐに改め、自然と視線が落ちる地点にあった図にシアンは新たに書き加えていく。
「もう作戦そのものを言っておこうか。
俺が囮になる。お前は“まほうつかい”さんの出現場所を遠くから確認してくれ。
あるかどうかも分からない食糧庫を探すより、こっちの方が新しい可能性を探るには確実だ」
形だけでは許容していても、ティーアは難色を示す。
当然、自らの主人が進んで危険な目に遭う事を良しとする従者などいる筈も無い。
「中心街に行けば確実に補足されるから、お前はその瞬間を見逃さなければいい。
で、確認が終わり次第俺を抱えて前みたいに走り抜けて逃げてくれ」
「それだとマスターの負担が……
「今までを見ていて分かった。
お前、咄嗟の判断が弱いよな? 」
「それは……私は、命令を受ける事が前提で作られている“ロボット”。ロボットですので、どうしても自発的な動作には遅れが出ます」
ティーアは自身の行動、特に“まほうつかい”に襲われた時の事を思い出した。
シアンに無理やり伏せさせられなければ、今頃自分の首がどうなっていたか、首を触りながら考える。
あの時、逃走の方法をシアンに提案された以上の物を出せなかった自分を思い出す。
単純なスペックの差で考えていたが、この事を踏まえて、本当に自分が10秒も魔法使い相手に時間を稼げるのか、ティーアは疑問に思い始めていた。
「安心してくれ。俺が今から伝える作戦が成功すれば……」
しかし、そんな圧倒的な死の臭いに飛び込もうとするシアンは
「……俺一人で、お前10人分ぐらいの時間は稼げる筈だ」
口の端を軽く吊り上げて、自信満々に言ってのけた。