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5.逃走劇

「……俺は手を出すなって言ったと思ったが」


 黄金色の瞳を覗き返していたシアンを襲ったのは、細い指を丁寧に揃えた平手打ちだった。

甲高い音とともに頬に走る、染み込むような痛みにシアンは手を当てる。


「貴方は……」


「俺がどうかしたか? 」


「貴方は何故、あの状況を、さも尊ぶべき事のように受け入れたのですか!受け入れられたのですか!? 」


「それで生きている事を理解できるからだ。それよりも(・・・・・)……」


 必死の声もどこ吹く風。

それを雑に流すシアンは自分の感情の濁流を()き止めずにいた。

その目は闇にもティーアの黄金の瞳にも負けず燦爛(さんらん)としている。


「今までは痛みこそが生を実感するのに最も分かりやすく身近な行為だと思っていたんだ。

が、他人にこの状況を掬い上げて貰うというのは……こう、謎の充足感と解放感がある」 


「……すっごい気持ち悪いですね。気持ち悪いです」


「失礼だな。これも天蓋の外を目指す為の心持ちだ」


「ですが、ですがそれは……自分を危険に陥れる理由にはなりません……。ならないんです……」


 その声は震えている。

怒りと、理解の及ばない目の前の相手への心配に。


 だがシアンは動揺している。

言葉に心が動かされた……という訳ではなく、何を怒っているのかを理解できず、次の言葉に困って、結局は本の中の知識を引き出すしか無かった。


「……あー、うん。悪かっ、た。次からは気を……つけると思う」


「……本当に分かってるんですか。分かってないでしょうに」


 ティーアは諦観を帯びた溜息を深く吐く。

感情の色が呼吸に反映されるならば、きっとそれは青色だろう。


「とりあえず、今度からは自ら進んで危険に踏み込むような行為は避けてください。なるべく避けてくださいね」


「……保証しかねる」


「避・け・て・く・だ・さ・い・ね?避けなければ私が殴ってでも止めますからね?」


「わ、分かったって……」


 さしものシアンも、この気迫には圧倒されたようだ。


 平手打ちを受けた自分の頬をいつまでも触り続けるシアンに手を差し伸べ、その手を掴ませて引っ張り上げるように立ち上がらせる。

 

「……なんかお前、随分と手が熱くないか?」


「あー、ちょっとチンピラを追い払うのに“魔法”を使いまして。えぇ、使ったんですよ」


「どうやってその細腕で大の男3人を追い払えたのかと思ったが……もしかして冗談で言った訳じゃない?」


「冗談で言った訳ではありませんが……まぁ、見てください。気をつけて見てくださいね」


 ティーアはおもむろに右手を開くと、手のひらの上にランプの電球と同程度の大きさの炎を生み出す。

外炎の揺らぎとそこから感じられる熱量が、その炎が幻の類でない事は実感できる。

しかし、自分の手のひらに炎を乗せているシーアは火傷をするような素振りもなく、至って涼しい顔だ。


「触ってみますか?触ってみても大丈夫ですよ」


「それじゃあ失礼して」


 その手は炎を迂回して胸を触った。


「そっちじゃねぇよ。ですよ」


 ティーアはその炎を掌底と共にシアンの顔に叩きつけた。


「えっ?“魔法使いが使える能力をたまたま俺が拾ったロボットが使えるなんて!”みたいな展開じゃないんですか?ではない?」


「いや、ロボットの体と人間の体の違いの方がまず気になって……。

特殊な能力は“まほうつかい”さんとか本の内容で割と見たし」


 シアンは掌底を受けた鼻頭を摩り、その感触が衝撃による痛み以外に変わりがない事を確認する。

鼻頭の肌色に赤が差してはいるが、それに掌底による衝撃による血液の広がり以上の理由は無い。

勿論、同時に叩きつけられた炎による火傷痕なども無い。


「この街にも炎の存在ぐらいはありますか?ありますよね?」


「いや、電気ランプの灯りが主流だし、食事も配給されたレーションばかりだから……本で得た知識しか無いな」


「じゃあ知識が一つ増えましたねおめでとうございます。

炎は本来熱くて燃え移るんですが、私が自由に生み出せる炎は自由にその辺りを操作できるんです!凄いでしょう?凄いと言ってください! 」


「知識としか知らないから俺は炎そのものが分からなくて、本来の炎とやらと、魔法?とやらの炎を比べる事が出来ないんだ。すまない」


 肩を深く落として炎を握り潰すように消すティーア。

口を尖らせて、喉まで出かかった文句を全て不服な唸り声に変換させて額を抑えている。


 ドッキリ大成功!……とは残念ながら上手くいかなかった。


「それでアイツらを焼いたのか? 」


「焼いた、とはちょっと違いますね。

こう、ロボットの体の構造が私の魔法を動力に…‥と言いますか。何と言いますか」



「へぇ、それは僕も気になるところだね」


 

 話していた二人の肩を抱くように音もなく立っていた人影に、二人は即座に前へ飛び退く。


 その人影の正体は、首を上げなければ顔を見れないほどの長身だった。

模様のない真っ白な仮面と、足元まで伸びた鎧のような厚手のコートに似た黒衣を纏い、実際の体躯を把握するのは難しい。


 不気味な見た目からは想像もつかないほど穏やかな声色が、かえって二人の恐怖感を煽る。


「「……」」

 

 黒衣の者は、二人の肩に置こうとした五指全てが尖った手甲を所在無さげに握ると、屈んだ腰を伸ばして改めて二人に向き合う。


 白い仮面に視線は遮られている筈なのに、二人は胸の内を握り掴まれているような錯覚に陥っていた。


「むっ、酷いな。僕そんなに怖かったかい? 」


「……マスター、私のレーダーに全く引っかからない“アレ”はなんですか?何でしょうか? 」


「れーだーとやらが何かは分からないが……」


 シアンは僅かに紫が差した白髪ごと、額にかけた壊れた防塵ゴーグルを掻き降ろすように装着する。

探索の際と……危機に瀕した際に自分を奮い立たせるルーチンだ。


「……あの人が、“まほうつかい”さんだよ」


「あぁ、そんなに怯えなくて良いよ。

僕は単純に君たちに興味を持っただけだから」


 放たれる威圧感とは対象的な柔らかい声で2人に話しかける“まほうつかい”に、それでも固まった表情筋が柔らかくなる事はない。


封天街のルールその1を二人は思い出す。


『“まほうつかい”さんの前で暴力等の他人に危害を与える行為をしてはいけない。

その場で切断されてしまうから』


「(どこまで聞かれた?いや、あの口ぶりから察するに、炎を出すところは間違いなく見られている。じゃあ……)」


 その前は?


 シアンも実際に見た訳では無いが、ティーアは魔法とやらで男たちを追い払ったのは間違いないのだろう。

ティーアの発言や、男たちが既にこの場にいない事、炎の魔法が証拠足り得るとシアンは結論づける。

が、そこを見られていれば、ルール1に抵触する事も間違いないのだ。


 しかし、いつまで経っても人がバラバラにされるような様子は無い。


 シアンは口を開こうとするティーアを手を出して静止した。


「……具体的に、どんなところに興味を持ちました? 」


「うん、そうだね。その炎……魔法だね」


「具体的に、どこまで魔法の事を知っているか教えてくれますか?

そうすれば話しやすいと思うんで」


「ふむ、どこまで……どこまで、か」


 わざとらしく指を顎に当て、考え込むような素振りにも二人は警戒の体制を解かない。

その白い仮面は俯いているが、纏わりつく視線が、二人から瞬き一つの間すら離れていないように感じるから。


 この“まほうつかい”の潜考が果たしてどんな意味を持っているのか、シアンは一筋の理解すら得られずに、ただ激しく動悸する心臓を胸の上から押さえつけることしかできない。


 たっぷり数十秒を置いて、ようやく“まほうつかい”はその面を上げた。


「……君、魔法についてはあまり知らないみたいだね? 」


「……っ、しゃがめ! 」


 “まほうつかい”のそれは、非常に穏やかな声だった。

花を愛でる麗人のように落ち着いた品のある低音。それは最初から今まで変わらない。


 だが、何を感じ取ったのか、シアンは閑静な廃墟街の一角を震わせるほどの声を張り上げ……反応の遅れたティーアの頭を殴りつける勢いで地面に叩き落とす。


 瞬間。



 空間が

     /

       割れた。



 すぐに殴りつけられて、視界を地面に落としたティーアは現状が分からず即座に確認の為顔を上げる。


 ……そこに広がっていたのは、あまりにも超常たる風景で。


「何、ですか。何ですか……これは……? 」


 ここは封天街の8割を構成する廃墟街の一角。

殆どは半壊こそしているが、2階建の建物が文明の痕跡を精一杯残そうとしているかのように痛々しく立ち並ぶ街。


 ティーアの背後に並ぶ廃墟の数々は、成人した人間の胸部程の位置から上を、寸分の狂いも無い直線に揃えて斬り落とされていた。


 寂れた廃墟街の一角は、既に1階建ての建築物の様相すら消え、椅子に座って十全に景色を見渡せるテラスへと変貌している。

壁の役割をしていたものは、最早よじ登れば越えられる程度の仕切りでしか無い。


「……これが、“まほうつかい”さんの魔法だよ。

何の前触れもなく、いつの間にか街ごと両断されてる。酷い時はバラバラ死体になる」


 シアンは切り裂かれた白紫の髪と一緒に冷や汗を地面に落とす。

コバルトブルーの髪を押さえつける手は震えていた。

震えた声はそれでも冷静でいようと努めているが、やはり動揺が声色から透けているのが見て取れる。


「……お前の魔法とやらで、この場から離脱する手段とかはあるか?」


「ある……には、ありますが。あるのですが……」


「可能な限り早く頼む」


「で、ですが、それだとマスターの体に甚大な……


「早くしろ!二人仲良く死にたいのか!? 」


 ティーアは葛藤を……しようとしたが、すぐにやめる。

その時間で人が死ぬのだと理解したから。

 

 しかしそれでも彼女は唇を噛み締め、その奥からは軋み擦れる音が鳴る。


「では内臓と肋骨、潰れて砕けても文句を言わないでください……くださいよ……! 」


 即座にティーアは片膝立ちをして、クラウチングスタートのような姿勢を取る。

右手にシアンを抱き抱え、もう片方の突き出した右足が赤熱し、朱色に発光し始めた。


「少し、待ってはくれないかい? 」


「……立ち止まったら斬り殺してくるだろ? 」


「それが僕の仕事だからね」


「っ、逃走準備ッ! 」


「分かってます!とりあえず舌を噛み切りたくなければ黙っていてください!くださいね! 」


 シアンは、曖昧な“殺気”という形が自分たちを目掛けているという気配を、何となく感じていた。


 それが自分の体を頭頂部から股間にかけて真っ二つに斬り裂くであろう直前、ティーアの蹴り上げた地面が爆ぜた(・・・)

比喩では無く、砂利と瓦礫が爆ぜ、残火が立ち並ぶ行燈(あんどん)のように街の果てまで残滓を地面に刻みつけている。


「残念。目視は出来なくなっちゃったか」


 地面に細く鋭利な刀傷が刻まれるが、斬り裂いたのはあくまで地面のみ。

“まほうつかい”の目の前から一瞬で消え失せた二つの影はやがて、残火による痕跡も無くなる。


 自分の目の前から初めて逃げ仰せた罪人を思い、笑うでも怒るでも無く、“まほうつかい”はただ表情の分からない白い仮面で闇の街を見下ろしていた。


○●


 走る。走る。少女は走る。

少し瞬きするだけで、目の前の長いコバルトブルーの髪のなびきが、彼方に過ぎ去っていく豆粒となるのを見送るしか無い速度。


 青と赤を纏う少女はがむしゃらに走り続け、やがて止まった。

まるで壁にぶつかったかのような急停止だ。

抱え込んでいた物と一緒に地面に倒れるように座り込む。

その赤熱した靴の隙間からは、白い煙が吐き出されていた。


「逃げ……きれましたよね?逃げ切れてなければもう終わりですが……」


「……追ってくる様子は無いな」


 シアンは胸の辺りで詰まっていた息を思い切り吐き出して脱力する。

ティーアは大の字で寝転がって、足だけではなく体の……特に関節部から白い煙を吐き出していた。


「しかし、失敗したな……」


「だから言ったじゃないですか!

逃げられるとしても骨や内臓が無事では……


「こんな事になるなら本の数冊でも持って出歩くんだった。

見つけたお宝も置きっぱなしだし」


「えぇ……?そっちぃ?マスターはそっちの方が気がかりなんですかぁ……? 」


 手持ち無沙汰に懐を漁るシアンに、ティーアはただ大きく口を開いて愕然とするしかなかった。


「まぁ正直、脇とかは酷いよ。

肋骨がある筈の場所が何の抵抗も無く指が沈むし、腕を上げようとすれば激痛が来る」


「痛むのに指を沈めようとしないでくださいよ。なんでするんですか……」


「骨折は幾らでもあったけど、粉砕骨折っていうのは初めてでな。好奇心が勝った」


「ロボットの私より人間に思えませんよ。本当に人間なんですか?」


「寧ろ、これぐらい痛んでもまだ生きていられるんだなっていう驚きが勝るな」


 実際の所、シアンの脳内からは恐怖と興奮から多量のアドレナリンが分泌されており、それが痛みを和らげていた。

それを象徴するように、目は充血し、暗闇の封天街にいるのも相まって瞳孔が大きく開いている。


 それでも、この状況で日頃と変わらず話す事が出来るのは、彼の精神性の為せる事であるのだが。


「結構派手に逃げたので、もしかしたら追われるかもしれません。早めに移動を。移動をしたいところです」


「いや、大丈夫。“まほうつかい”さんは封天街の中心部にしか来ないんだ。

俺たちが漁ってたのも中心街を少し離れた所だしな」


 『それよりも』と、目の前の天まで覆っている黒紫の壁……街の外周から伸びる天蓋を指で叩きながら続ける。


「お前、凄い動きをしてたよな。

多分魔法か何かを使ったんだろうけど……どれぐらいの動力を消費した?」


「そうですね……半日と少し。大体半日間を少し超えるほどのエネルギーを消費しました」


「つまり今日の経過時間と合わせて、厳しく見積もれば1日分リミットが早まったわけだ」


 人差し指と中指を立て、中指の方を折る。

それは問題がもう一つ存在しているという事を意味していた。


「それに、俺はこれで“まほうつかい”さんから追われる身となった。

ところで、人間って食事無しでどれぐらい生きていられるかお前知ってる? 」


「大体7日です。

しかしマスターの食事を見た限り、殆ど栄養を摂れてるようには見えないので……5日間がリミット。実質のリミットと考えた方がいいでしょうか。」


「お前を看取って2日後に後を追うのか。

笑えないな」


 2本目の指を折り、そうは言いつつも形だけの乾いた笑いを貼り付ける。

偽りで重ねた皮で、崩れそうな足場を繋ぎ止めていた。


「ダメ元で聞きますが、何か食料を得る方法などは……。などはありますか?」


「一応、配給の時間の後に他人から奪うのも手だが……大体の奴らは作業になったレーションの食事なんて貰ってすぐに飲み込むよ」


 封天街において食事とは生きる為に必要な作業以上の何でも無く、人々は唯一配給される無臭のレーション以外の味を知らない。


 つまらない作業であれば、投げ出すかすぐに終わらせてしまうのが人の(さが)

事実、“まほうつかい”が配給に来る街の中心部にはレーションのゴミが大量に落ちている。


「動物……はこんな閉鎖されて植物も無い暗闇の中にはいないですよね。

虫なんかは生息してますか?してないでしょうか?」


「残念ながら本でしか見たことが無い」


「つまり……」


「あぁ」


 二人はお互いに頷き合い、状況の共有を終わらせる。

一筋の光も見えない閉鎖された闇の中、その中で何とか亀裂を入れようと足掻く。


「「3日以内に現状を打破しなければ仲良く共倒れ」共倒れとなりますね」


 街灯の放つ光も届かない封天街の端の端。

怪物が大口を開けたような暗闇は、二人がただ野垂れ死ぬのを待っているようだった。

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