4.その笑みの真意は
「ここが中心街。“まほうつかい”さんが配給に来る場所で、人が一番多いところでもある」
シアンとティーアは、封天街の中でも背丈の大きい廃墟が立ち並ぶ地区にやってきていた。
ティーアのぶんのランプは無いが、彼女の黄金の瞳が薄ぼんやりと輝いており、まるでランプが3つあるかのように暗闇に浮かぶ。
「さて、宝探しをするか」
「えっ?やっぱり私、見捨てられるんですか?ですよね? 」
当たり前のように瓦礫の下を漁り始めたシアンを見て、黄金色の瞳の瞬きが早くなる。
“宝探し”に出る前、シアンはティーアに拾ってきた本が読めるかを聞いていたが、出来ないと伝えられて露骨なため息を吐いていた。
ティーアは、自分の動力探しを放棄されたのでは無いかと焦っていたのだ。
「協力するとは言ったが、正直“まほうつかい”さんが来るまでは難しいんだよ
んで、今日の配給は終わったワケ」
「でも、魔法使いさんとやらに嘘は吐いてはいけないと聞きましたが?
誤魔化すわけでもなく、どんな事をなさるんですか?するんでしょうか? 」
「嘘を吐いちゃいけないならそのまま聞けばいいだろ?
『もし住人が突然増えたらどうするんですか〜』みたいに多少言葉を濁して」
「……上手くいくんですか?いくんでしょうか? 」
「期待は……正直分からないけど。
素直な質問は結構返してくれる人だから」
話しながらも瓦礫をひっくり返し、その下から出てきた書類の束に目を輝かせ、抱えていく。
まるで子供が宝物を見つけたように。
息を軽く吐いて、ティーアはその様を分析し、『随分手慣れてるな』と判断した。
瓦礫は重い。
ひとたび倒れてくれば、人体の皮と肉を易々と突き破り、骨を粉々に砕いてしまうだろう。
それに不規則に崩れてるものだから、素肌で触れば鋭利な傷を負う恐れもある。
「うーん。ここはそんな収穫が無いかなぁ」
しかし今シアンは、持ち上げられずとも瓦礫の下に潜り込んだり、持ち上げられそうな瓦礫を見つければ、手際良く邪魔にならない場所へと退かしてしまう。
「(きっと何年も、こうして娯楽の無い街でこうしていたんでしょうね。そうなのでしょうね)」
そうしていると……不意に背後からやって来る複数の足音がティーアの横を通り過ぎた。
3つの人影は今瓦礫の下に体を滑り込ませるシアンの後ろに立つと、飛び出している足を思い切り踏みつけた。
「……誰だ? 」
「こっちの台詞だよ。薄汚い使い魔野郎」
それは3人組の男だ。
誰もが中肉中背のシアンよりは体格が大きく、ボロ切れのような外套をしているシアンよりはマシという程度だが、服の形をしたものを着ている。
「ここは、俺たちの住居なんだよなぁ。
勝手にコソコソしやがって、配給された飯でも盗みにきたのかぁ?」
「ここは今朝まで誰も住んでなかったと思うが……」
「兄貴が決めた事は知ってて当然なんですよ!
黙っていう事を聞け汚い使い魔が! 」
横に立っていた、一際筋肉量が多いリーダー格の男より一回り細い男が、シアンの上げようとした顔を蹴飛ばしてもう一度地面を這わせる。
「ちょ、ちょっと何なんですか貴方たちは!?
突然出てきてマスターに暴力と暴言を振るって何様のつもりなんですか!つもりなんでしょうか!? 」
「あぁ……、なんだテメェ?
もしかして、……ッハ!庇ってくれる女が出来たのか!?コイツは傑作だ」
「お前も見る目が無いねぇ!
こんな薄汚い使い魔野郎と一緒にいるなんてよ」
「そんな奴よりオデたちと楽しい事しようよ……フヒヒ」
3人の男は、下卑た視線と泥沼を泡立たせたような笑い声をティーアに向けた。
リーダー格の男がシアンの頭をこれ見よがしに何度も踏み付けると、ティーアは目をこれでもかと見開いて憤慨する。
「……何なんですかね貴方達は。
突然現れるや否や、人間という文化的な生物としては下品すぎる行いばかりです。行いばかりで不愉快ですね」
「……おい、コイツが何言ってるか分かるか? 」
「さぁ?女で遊んでる時、あっちも意味分からない声を上げるから似たようなもんでしょう」
「そ、それよりこの子の服、見た事無い……。
顔も服も綺麗で興奮してきたナ」
ティーアは苦虫を噛み潰した顔で自分の中の常識をアップデートし直す。
封天街に住む人間には学が無い。
本を集めて読んでいるシアンですら何度な単語の意味が合ってるかどうかを確認していたのだ。
少なくとも、封天街に住む一般人と十全な会話を試みるのは難しいと断定する。
「まぁ?お前が俺の女になるってんなら使い魔野郎は見逃してやってもいいけどな」
「……」
彼女に返す言葉は無い。
会話が無意味と知ってしまったから。
黄金色の瞳は輝きを弱め、ティーアは男達へ向けて歩を進めた。
「来なくていい! 」
しかし、シアンの雷鳴のような声がそれを許さない。
「いいか?お前は黙ってそこで見てろ」
「へぇ?女を庇うなんてカッコいい……なぁ! 」
倒れたシアンの脇腹に容赦の無い蹴りが突き刺さる。
それに感化されてか、残りの二人の男も髪を掴み上げたり、顔を力の限り殴り飛ばしたりと、枚挙にいとまが無い暴力行為の数々を繰り返す。
「“まほうつかい”にヘラヘラ媚び売ってる瓦礫漁りの使い魔野郎が!俺たちの目の前に映るのも!不愉快なんだよ! 」
「いっつもいっつも気持ち悪い反応ばかりしてて反吐が出ますよねぇ」
偶然とはいえ、主人となった人間が暴行を受けているのにただ見ている事しか出来ない。
地に伏している主人を見てその拳を握りしめる事しか出来ない。
「……ッ! 」
ティーアは目の前の惨状を見て、何か歯車の噛み合いが狂ったかのような不快な金属音を頭の中で感じていた。
理解の取っ掛かりが外れ、音は徐々に大きくなっていく。
何故主人は助けを拒否するのか。
何故この男たちは何の躊躇いも無く人に暴力を振るえるのか。
ティーアにとっては不合理で仕方がない現状。
彼女は目を背けたくなる現状に、しかしもう一度目を合わせる。
この街はおかしくて、自分の常識が変わっていくのを見ているから。
少しでも歯車のズレを直したくてもう一度目を合わせる。
「…………は……?………え? 」
ティーアは、自分の中の歯車の噛み合いが完全に崩れた音を聞いた。
意味が分からない。
そこにある光景に理解を示す事が彼女には出来ない。
何故ならシアンは、その顔を凶暴に歪めて笑っていたのだから」
○●
別に、解決策がある訳じゃ無かった。
殴られる。蹴られる。その度に俺の肌に青い打撲痕が刻まれていく。
痛い。とても痛い。出来るならやめてほしい。
“だが”
俺が読んでいた本の登場人物たちは、こんなにも稚拙な言葉で自分の感じた事を表現していたか?
こんなにも機械のような言葉で人に思いの丈をぶつけようと思ったか?
こんな状況から誰かを置いて逃げ出していたのか?
……否。
ならどうする?
振り下ろされる拳は、瓦礫に身を思い切り打ちつけたようなズキズキとした痛みだろう?
踏み下ろされる足が俺の身に与えるのは、倒壊した木材に足を潰されたような鈍痛だろう?
そうだ。いいぞ。らしくなってきた。
この天蓋の中はクソだ。
永遠に明けない夜が支配する、暴力と暗澹たる感情が混沌色に混ざった薄汚いパレットだ。
そんな街で、いったいどうやって、この本の中の登場人物のような自由で柔軟な発想を出来るというのか。
外敵が存在せず、食料を得る為の労働の義務も無い。
あるのは醜い仲間割れだけのこの街は、人を人たらしめる感情をゆっくりと殺していく。
だから、あるもので我慢しよう。
ここにあるもので創意工夫しよう。
醜い暴力に殴られるたびに、俺の死んだ感情が蘇っていく。
死に瀕してこそ、俺の生命は光輝くのだ。
あぁ、いいぞ。
もっとその拳を振り上げろ。もっと足を蹴り落とせ。
そうしていれば、俺は自分の生にしがみつく事が出来る。
そうする事で、俺は自分の生を見失わずに済む。
そう演じていれば、それだけで己が周りとは隔絶されていく。
周りとは違ったモノになれる。そんな気がした。
いつか見る太陽の為、俺はこの街の闇に沈む訳にはいかないのだ。
……しかし、いつもと違う現象が起きた。
ふいに俺の身に降りかかる痛みが、ピタリと止んだのだ。
普段は捨て台詞なんかと一緒に段々と間隔が空いていく暴力が、電気ランプのスイッチを切ったかのようにゆっくりと消える。
何故?
そんな疑問が、好奇心が、それを即座に確認せずにはいられない。
亀のように丸めた体をひっくり返して暗闇の世界を見渡してみる。
眼球だけを右に左に動かして、褪せた空間をめいいっぱい広げた瞳孔に焼き付ける。
そこには、コバルトブルーの長い髪をした女が、その金色の瞳を潤ませながら俺を睨みつけて立っているのだった。