たびのはじまり
「うん。こんなものだね」
「うえぇ……、結局この砂みたいなレーションしか食料備蓄してないのかよぉ……」
「こんな世界だから食料の種類だって限られているんだ。文句を言っちゃいけないよ」
大量のレーションを手に入れたシアンは、勝者であるのにその顔を酷く歪ませていた。
心のどこかで、「“まほうつかい”さんだけが知っている美味しい何かがあるのだろう」という期待を裏切られた結果である。
そして、何よりの副産物が……
「うん、良い格好だ」
「似合ってます!良い服ですよマスター!」
「……別に、服はどうでもいいんだけどなぁ」
「何を言ってるんだ。
旅に出るなら、それ相応の服装をする事は必須だよ」
シアンの服装はボロ切れのような格好から打って変わり、黒いコートのような外套と分厚い革製の服へと様変わりしていた。
手袋も厚手だが不器用さを感じさせない変わった作りをしており、高い利便性がある。
「なんか、“まほうつかい”さんの服に似てるな」
「僕のマスターがそういった服を好む人だったからね」
手を握ったり開いたり、肩を回したりして服の具合を確かめる。
黒いコートは以外にも体の動きを阻害しないのだった。
「それで、あー……今は耳が聞こえないのか」
“まほうつかい”はティーアに頼み紙とペンで何かを書かせる。
今のティーアは通訳のような存在となっていた。
『君は、大丈夫なのかい?』
「何がだ?」
『この食料を全て持っていき、僕を殺すという事は、つまり封天街にいる住民全てを殺す事と同義だ』
その質問に、シアンは少しだけ溜めを作る。
悩んだ末では無く、それまでの空気感を切り替えるように。
「……これは、本当に俺の自己満足でやった事だ。誰に何と言われてもそれを否定する事は俺には出来ない。
だから俺なりの考えを言わせて貰う」
シアンはロープを登った先の書斎から封天街に続く穴を睥睨して溢す。
「この街に住む人間は死んでいる事と同義だ。
実際、ロープはここから垂らしっぱなしで、ティーアの放った爆音を聞けば、目ざとい街の連中はすぐに集まってきて“まほうつかい”さんが敗北した事にすぐに気づいてるはずだ」
「……」
「でも、たった1人もこのロープを登ってくる奴はいない」
『皆、外の世界という物に対しての認識が無いのさ』
「だから、その認識を壊そうと思った」
そう言うと、シアンは大量に運んできたレーションを何個か掴み取り、それを穴に投げ入れる。
それを何度か繰り返した後、シアンは腹が膨らむ程に大きく息を吸い込む。
「聞こえてるか!街に住んでる野郎共!
中心街のロープの先は天蓋の外に繋がってる!」
それはほぼ怒声だ。
喉がはち切れんばかりの声は、普段静寂に包まれている封天街には、高い場所からも山彦のようによく響く。
「“まほうつかい”は死んだ!
お前らを養ってくれる者はもういない!
食料も今落としたものが最後だ!
丁寧に分ければ、この街に住んでる人間の一人一人が5回の配給ぶん食べれるぐらいの食料だ!」
実際には生きているが、もう死に体だ。
その言葉には殆ど偽りは無い。
「まだ死にたく無い奴!我こそは人間だと叫ぶ奴はこのロープを登って天蓋の外へ出てこい!そうで無い奴はここで野垂れ死んで斬り崩された廃墟の瓦礫のシミにでもなっていろ!」
それを最後に、大きな深呼吸をしてシアンは纏めていた荷物を背負う。
『正直、あまり好ましくは無いね』
「だよな」
『この世界にはただでさえ人間は少ないのに、これで貴重な人間がまた消えてしまう』
「それも否定できない」
『でも僕は君のその考えを肯定しよう』
その言葉に、声として伝わらないただの文字に、シアンは二の句を告げなくなっていた。
『君は僕を恩師と呼んだよね』
「……はい」
『愛弟子が独り立ち出来るようになった事を喜ばない師が何処にいるという話だ』
「っ、はい」
『なら前を向きなさい。
命の価値を知った上で自らの道を進むのであれば、それが君の正道なのだろう』
「……はいッ!」
“まほうつかい”の仮面が割れる。
仮面の下は相変わらず、無骨な機械部品で象られた人工の顔だ。
エネルギー残量がもう少ないのか、目に当たる部分の赤い光が力無く点滅している。
それでもシアンは、その顔を何より力強い男の顔だと心で理解していた。
「“まほうつかい”さん……いや、師匠」
そんな現在の自分を象った切っ掛けとなった恩師に、最後の別れを告げるため、膝を折って、床に崩れた師に視線を合わせる。
「今まで、本当にありがとうございました。
貴方に教えて貰った全ての知識を持って、きっと俺はこの世界に光を取り戻してみせます」
『うん。その目ならきっと出来るよ。
今の君は無敵だ。何にだって負けないだろう』
そうして一礼をし、シアンはゆっくりと立ち上がって書斎の出口の方向へと歩いていく。
もう彼が振り返る事はない。
迷いのない足取りと手付きでドアを開ける。
「行こうか、ティーア」
「えぇ!着いていきましょう!何処までも着いていきますとも!」
耳は聞こえないが、見ているだけでうるさいほどの素振りに何を言ってるのかを察して苦笑い。
そして2人はドアを開ける。
ドアの先は相変わらず光の無い世界だ。
空は封天街よりも遥かに大きく分厚い天蓋に覆われており、太陽の光が一筋も指す事はない。
それでも少年の歩みには、確かな希望の光が宿っていた。
そんな二人が、“まほうつかい”にはとても眩しいものに見えて。
「行ってらっしゃい。シアン君。
そして……」
“まほうつかい”は崩れていく自分のパーツに目もくれず、少年の横に視界を移していく。
「ぼく、の……ま……
壊れた手は伸ばされる事は無い。
出した声を張り上げる事も無い。
そんな事は機械の頭でも無粋と理解している。
やがて視力を司る赤い点滅の間隔が長くなっていき……
「……?」
「どうしたティーア?」
「いえ、何でも無い……何でもないと、思います」
眩い光を最後に目に焼き付け、暗闇の街の主は静かに電源を落とした。
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