16.天蓋魔境- Ⅲ
シアンが右手を振ると炎は消える。
しかしその肌が爛れ、火傷の跡が痛々しく残る。
「“まほうつかい”さん。俺はな、少しだけズルい言い方をした」
「ズルい、とは?」
「ここに持ってきた本の数、実は64冊じゃ無く65冊だ。
貴方によって読めるようになったのは64冊だけどな」
分割魔法の嵐の中で奇跡的に無傷で残っていた本の山から一冊を取り出す。
それはタイトルの書かれていないぶ厚い装丁の本だった。
「ティーアを見つけた時に一緒に手に入れた日記帳だ。
筆跡に癖がありすぎて俺だけじゃ読めなかったが……ティーアに協力して貰って解読した」
「そこに都合良く突破口があった訳か。
なるほど運が良い」
「いや、どちらかというとティーアってロボットの取扱説明書って感じだった。
そこでやっと、ティーアの仕様をある程度理解したのさ」
分からない事を本人に聞くにしても、分からない事が分からないのでは何を質問すれば良いかも分からない。
今までティーアという機械の最低限も知らなかったシアンは、そこでようやく“基本の知識”を知ったのだ。
「例えば、ロボットはマスターの生体反応?とやらを感知できるらしい」
「……僕、そんな事も知らないマスターとロボットのコンビに逃げられてたのか。
ちょっと凹むなぁ」
“まほうつかい”にとっては当たり前のロボットの性能だったので、そんな事今まで考えてすらいなかったのだ。
思わず歯切れの悪い乾いた笑いをしてしまう。
「正確に感知出来るという事はだ、つまり遠隔操作で俺に魔法を付与する事も出来る」
「……それ、君が大火傷を負う前提の話だ。
魔法は出力を調整出来るとはいえ、僕にダメージを与えなければならない打撃の瞬間だけは君の手は無事でいられないよね」
「貴方が言ったんだろ?“まほうつかい”さん」
そう言って、凶悪な笑みを浮かべながら自分の無くなった左腕に親指を向ける。
それは、悪童ここに有りといった出で立ち。
「『どれだけ痛めつけられようとも情熱を燃え上がらせる』マゾヒストだぜ?俺は」
「実際に燃やせとは言って無いんだけどね!」
シアンは駆け出し、“まほうつかい”は手刀を振り上げる。
今まで殴られるばかりで逃げ出す事もしなかった人間の走力と、作業のように手を振り下ろして人命を奪い続けていた者の最高速の到達の差は歴然だ。
シアンは即座に手刀が下ろされる位置を把握し、足の動きを急転換して抉られる地面の位置から事前に飛び退く。
「……」
違和感。
シアンはそれを何となく感じていた。
実際には、空気感の違いや、“まほうつかい”のほんの少し変わった動き、他にも様々な要因が重なった人間の危機本能からの警告であるそれを、シアンは信じる事にする。
急転換した際、さり気なく足で小石を魔法の着弾点へと弾く。
それまで、分割の魔法の判定は一瞬だった。
今まで通りの魔法なら、軽く蹴り上げられた小石は何の変哲も無い地面の風景に戻るだろう。
しかし、小石が真っ二つになったのを見届けてからそれまでの認識を改めた。
“まほうつかい”は、シアンを本気で殺しに来ていると。
「サプライズにしては物騒だな“まほうつかい”さん!」
「……もうバレたかぁ。
いや何、もうエネルギー効率がどうだとかは言っていられなくなったものでね!」
あらゆるものを分割する魔法。
それが残留するという事は、完全に追い込み漁の形となる。
“まほうつかい”もそれを分かっており、分割魔法の位置を逃げ場を無くすように固定する。
_____やがて、シアンのボロ切れのような外套が回避の度に切り裂かれていき、更に見窄らしい様相へと変化していく。
乞食でももう少しマシな服装をしているだろうという程に。
シアンが言ったように魔法の展開が幾ら単調でも、回避する場所そのものを削られては逃げようが無い。
棒倒しの砂を何の躊躇いも無く削っている状態だ。
このままでは、棒が倒れるのは時間の問題であった。
「(しかし、僕の方もマズい。
体内のエネルギーが酷い勢いで減っている。
早急に勝負を決めなければ)」
だが、疲弊しているのはシアンだけでは無い。
事実、現在の“まほうつかい”は、自分の歩行や一部感覚器官に当たる機能をオフにしてエネルギーを節約しているが、このまま続けていれば数十秒で稼働限界が来るほどのエネルギー消費であった。
しかし、目の前の相手が自傷も自滅も厭わない精神性をしている以上、いつ自爆覚悟であの爆発的な威力の魔法が放たれるか分からない為、“まほうつかい”は短期決着は必須と判断した。
それまで回避に専念していたシアンが、ついに大きく左足を踏み込む。
当然シアンの拳は右にしか無いので、軸足は左足に違いない。
対する“まほうつかい”はシアンの体の右半身に当たる位置に魔法を設置する。
シアンがそのまま殴りかかろうが、横や後ろに避けようが、その体を引き裂くような魔法の設置は完成した。
辺り一面が、もしシアンが少しでも動けば体のいずれかの部位が分割される蜘蛛の巣と化す。
張り巡らされた魔法は不可視だ。
幾ら“まほうつかい”の動きを見て回避し続けているとしても、生か死かの極限状態で立ち回った末に、置かれた魔法・置かれずに消された魔法、その全てを把握する事はロボットならまだしも人間であるシアンには到底不可能。
進めば死。避けるも死。
指揮棒のように手刀を振る“まほうつかい”を前にシアンは_____
____停滞を選んだ。
「_____」
ギリギリまで切り詰めたエネルギーの節約の為、声帯機能は一時的に無くなっている。
それでも、だからこそ、形だけでも“まほうつかい”はその言葉を口にした。
『よく頑張ったね』と。
あとは手刀を振り下ろせば、逃げ場のないシアンは体の正中線に沿って真っ二つになる。
シアンに回避は不可能。“まほうつかい”も己が主人の命令を遂行すべく、その手を遅くはしても止める事はない。
それは読んで字の如く必殺。
それを前にしてシアンは……獣の如き引き裂かれた笑みを浮かべた。
「作戦通りだ」
シアンは握りしめた拳を人差し指だけ伸ばし、少し前と同じように“まほうつかい”の後ろを指差した。
「(時間稼ぎか虚勢だ)」
即座に断定。手刀を振り下ろす。
“まほうつかい”の魔法は手刀を完全に振り下ろした事を合図に発動するものだ。
今振り下ろしている手刀は空気を切りながら、自分の胸あたりにまで差し掛かっている。
完全に振り下ろされるまで瞬き一つの時間すら必要ない。シアンは痛み無くその命を散らす。
その筈だった。
「_____ぁ?」
“まほうつかい”に声が戻る。
機能を制御出来なくなったと言った方がより正しいか。
突如胸から生えた掌底が、振り下ろされる手刀を砕いて吹き飛ばしていた。
最初は困惑するしか無いが、段々と機能の制限が維持できなくなり、現状を理解していく。
やけに周辺温度が高い。また、白い煙のようなものが辺り……具体的には“まほうつかい”の背後から漂っていた。
胸から生えているように見える腕は、その長さから“まほうつかい”の背後から突き穿たれた物だと雄弁に語っている。
見ればシアンは顔を顰めており、肩を縮ませている。
耳からは血が流れており、それが何か大きな音による影響だと理解するのにそう時間はかからない。
この静寂と暗黒の街でそんな音を出す事が出来る存在を、“まほうつかい”は2回だけ見ていた。
「……油断、していたな。
あの子は遠距離から君に炎を付与する為に逃げ隠れた……と思わされた訳だ」
「……あー、今回は事前準備無くモロに爆発音を聞いたせいでなんにも音が聞こえないんだ。
だから会話になってない可能性も考えて聞いてほしい」
シアンは崩れ落ちるように、否、実際に力無く崩れ落ちて尻餅はついたものの、イタズラに成功した子供のように破顔していた。
「多分貴方が思っている通り、俺に最大まで注意を引かせてティーアにトドメを刺して貰うっていうのが今回の作戦だ。
ティーアには物凄く渋い顔をされたけどな」
「当たり前です。何回マスターが死にかけていると思ってるんですか。次は死ぬと思うじゃ無いですか」
ティーアは“まほうつかい”の体を貫いている赤熱した腕を、そのまま横方向に体を破壊しながら引き抜く。
勢いのまま無事なもう片方の腕も破壊し、魔法の発動条件である手刀の使用を封じた。
溶けた機械部品が地面に落ち、赤熱した部品が線香花火のように仄かに暗闇を照らしている。
「最初は俺に魔法を付与してジリジリ削るっていうプランだったんだが、こっちの手が最後まで炎に耐えられるかかどうかと、“まほうつかい”さんの魔法の持続がどれぐらいあるか分からないのが問題だった」
「それに、いつまでも隠れていると流れ弾で私の体が分割されてしまう可能性もあります。切断されてしまう可能性もありますからね」
「君、推理で自信満々に僕の魔法の弱点を考察してたよね」
「マスターは嘘が……いえ、方便が上手い人ですので!」
耳が聞こえないシアンの代わりにティーアが代弁するが、シアン本人でも同じような事を言ったであろう事は想像に難く無い。
やがて、“まほうつかい”のエネルギー残量が殆ど空になった事によりその体は崩れて、シアンと同じ目線になる。
「でもこれは使えるぞと思った訳だよ。
だからプラン2だ。俺はこれで注意を惹きつける事にした。
だけど、問題がまた一つ出たんだ」
「私の方のエネルギー残量。必要な食料量ですね」
「ティーアが“まほうつかい”さんを確実に倒す為に必要なエネルギーが、部屋にある食料では足りないんじゃ無いか?という問題だ」
これに関しては、“まほうつかい”もある程度意図していた事だった。
二人が天蓋から脱出する事とある程度の時間は確保するが、ロボットには機体差があるとはいえ自分を破壊するに足り得るエネルギーは供給させまいと考えていたのだ。
「これに関しては簡単だった。俺が絶食すれば良い」
「……………君って、奴は」
当たり前のような一言だった。
それは散歩の予定でも立てるかのような気軽さ。
シアンは重度の栄養失調に陥っている。
これはロボットの2機とも分かっていた。
“まほうつかい”に至っては、封天街の住民の殆どが栄養失調である事も把握している。
つまり、ティーアに食料を全て回して自分は“まほうつかい”を相手に1回のミスで即死してしまう回避行動を長期間絶食した上で行っていたことになる。
「倒れるような回避……あれは回避では無く、実際に、よろめいて倒れていたのか……」
「?なんか口を動かしてるみたいだけど、もういいか?」
シアンは話す事すら厳しい健康状態だ。
それなのに、さも当たり前のように、目標さえ見つかれば人間かを疑いたくなるようなシアンの行動力にティーアの方へ目を向ける。
ティーアは肩をすくめて諦めたように目を瞑るのみだ。
「あとは今までの通りだ。
ティーアには住民を即座に殴り倒して貰って騒ぎにならないようにしてもらったりぐらいかな」
「結構強引な、無理やりな解決法ですよね」
「そこでもう動けない、ここから勝ち目の無い“まほうつかい”さんには話して欲しいんだが」
右手首から先は粉々に破壊され、左腕も肘付近から切断された。
“まほうつかい”はもう魔法を使う事が出来ない。
エネルギーも使い切り、いつ機能停止するかも分からない状態だ。
そんな状態で、一体どんな要求が飛んでくるのだろうと……
「食料って何処に保管してある?
流石に腹が減りすぎて危ない。
ティーアとの目標の為にも、ここで死ぬのはマズいんだ」
思ったより切実な生への執着に、“まほうつかい”は思わず安堵してしまったのだった。




