11.真実
「そろそろ、ここを出ませんか?いえ、出ましょう」
「あー……えーっと、もう少しだけ」
「そろそろお互いの稼働限界って言ってるんです。
もうずっとお腹なりっぱなしじゃないですか。腹痛も酷いんじゃないですか?」
すっかり死体のように虚に空を見上げるだけになってしまったシアン。
ティーアはそれを無理に引っ張ろうとするが……体内の水分はもう空になっている為、大した膂力は出せず人間一人に手間取る形となっている。
「だーかーらー!
私の稼働時間はもう1日を切っていますし!マスターもあんな栄養の無さそうな食事を最後に2日半も飲まず食わずなんですよ!
共倒れしてしまいますよ!死にますよ!?」
「その割にはなんだか余裕そうだ」
「まぁ私は最悪、一回電源落として7日ほど休眠してからマスターを食べれば問題ありませんからね。死ねば主従関係は無くなりますので食べられます」
「……」
「…………冗談ですって。
マスターは見るからに長期的な栄養失調に陥っています。
食事を食べられていない現状、意識を失うのは時間の問題。そう遠くないうちにやってくるでしょう」
実際、ティーアが初めてシアンを見た時から唇は乾いており、頬はこけ、爪の表層は剥がれていた。
そして小さく栄養の少ないレーションだけの食事。
封天街の中で日夜走り回っていた成長期の男子が生きていくには、あまりにも少ない食事量だ。
「私はロボットです。エネルギーを全く使わないで休む、という事も一応出来ます。
そうやって耐えて、貴方が死ぬ直前になったら無理やり運び出す気でいます。いますからね」
「……そうか」
少し前には弾んでいた会話も、今はその面影すら無く、ティーアの一方的な呼びかけに近くなっている。
「さて、これからどうしましょう。どうしましょうかね」
辺りの闇と同化してしまいそうなシアンを動かすのは、自分には無理だろうとティーアは判断していた。
だからティーアは待つ事しか出来ない。
彼が倒れるのを、彼が折れるのを、彼がまた立ち上がるのを、その全てを待つ事しか出来ない。
そうして目を瞑り、体を動かしているエネルギーの出力を全て一旦止めるようとしていると……二人以外の足音が聞こえた。
天蓋の外へ出れる者など、ティーアには一人しか思いつかなかったからか、彼女はその足音に対して驚きは無い。
「魔法使い……ですかね?やっぱり外に出れるんですね。今更出てきて何の要件ですか?」
「答え合わせと言ったところかな」
白い仮面に、実際の体格以上に大柄に見えるような黒いコート。
“まほうつかい”。彼はゆっくりと二人が出た部屋から歩いてきて、ティーアの横へと腰を下ろした。
「緊張しなくて良い。
僕は君たちを殺しに来たわけじゃ無いからね」
「私たちを2度も殺そうとした人の言う事が信じられるとでも?信じられる訳が無いでしょう」
「うん。それはそうだ」
あっけらかんとした様を崩さない“まほうつかい”は、しかし唐突に自分の仮面に手をかける。
何故仮面で顔を覆っているのかも疑いたくなるほどの迷いの無い動きだ。
「これで信じられるかな?」
「その……顔は……顔、は……?」
今は赤い飛沫が飛び散った白い仮面の下は、皮膚では無かった。
全体的に硬質で銀色に鈍く光っており、所々角張った外骨格に覆われている。
目に当たる部分は赤い人工の光をギョロギョロと規則的に動かす球体で、片方は潰れたように壊れていた。
「あなたはロボット……機械ですが、私とは全然違うのですね」
「うん。そして、君も同じロボットなら分かるだろう?」
「……マスターから受けた命令で無ければ、それら以外は粗末なこと。どうでも良い事、ですね」
「そう。だから今は君たちに手を出す気は全く無いよ」
仮面から放たれていた声はくぐもっていてある程度の誤魔化しようがあったが、遮るものが無くなって放たれる声に温かみは無い。
何処から放たれてるか把握が難しい反響が、その声を怪しく引き立てる。
「僕がマスターから言い渡されている命令は2つだ」
「貴方にも主人……マスターが?」
「いなければこんな場所にいつまでも滞在してる訳が無いよ」
ティーアは、魔法使いは独裁者のような立ち位置にいると考えていた。
自分の敷いたルールに従わないものは、穏やかな声をかけながら斬首する異常者だと。
しかしロボットであるならその前提が崩れる。
人が造ったものであれば、先天的に人の価値観とは異なる常識が宿っていることは無い。
そうして一人エラーの渦中にいると、“まほうつかい”はタイミングを見計らって話を続ける。
「1つ。天蓋の中の環境を、人間の増減等を除いて完全に同じ状態で維持させる事。
2つ。天蓋内で不適切な行為をした者の処罰。
これが僕の命令された全てだ」
「それが、それがどうしたというのですか」
「指定されているのは天蓋の中だけだ。
つまり、天蓋の外へ出た君たちへの対応は別に好きなようにして構わないって事さ」
「私たちを殺そうとしている相手の言葉を、そのまま鵜呑みにする方が無理がある、厳しいものがあります」
「それはそうだが、君も同じロボットなら命令の強制力がどれほど強いか分かるだろう?
ティーアはまた口を閉じてしまう。
そんな彼女を尻目に、表情こそ無いが、肩をすくめた“まほうつかい”の赤い電灯の機械パーツの目が、軽い面倒事を終えた後のため息のように揺れていた。
「まぁ別に君の事はどうでも良いんだ。
僕が用があるのは……ほらそこ、さっきからずっと空をぼーっと見上げてるシアン君。君だよ」
「……俺か?」
一拍遅れて返事こそするが、三角座りから立ち上がったり、顔を向けるような様子はない。
シアンは、魂魄を黒い空に吸われているように口を開けて、定まっていない焦点の為、眼球だけを空に向けている。
「封天街にいた時の君は凄く楽しそうだったのに、今は本当に無気力そのものになっちゃったね君」
「そう、だな。何でだろうな……」
「何で。何でと来たか。
……そうだね。君も薄々気づいていて、今は逃避してるんじゃないかな」
一つ一つ区切られた言葉は先生の答え合わせのようで、壊れた人形のような体に縫い込むように響いていく。
「天蓋の外へ出ても、太陽は無いんだって事を」
「……やっぱり、そうなのか」
「あぁそうさ。
封天街っていうのは、言わばこの世界全体の縮図だよ。
光の無い世界のどこに行っても絶望だって事を知らないままに一生を終えるぶん、揺籠のような優しさが多少はある……と言ってもいいかもね」
淡々と、しかし言い聞かせるような穏やかな声色を発するロボットの顔は、やはりティーア程には柔軟に動かない無骨なシルエットだ。
言ってしまえばこの中で最も生気の無い顔つきをしたものが最も生に対して理解しているという現状が、皮肉にも似た生暖かい空気感を出す。
「なぁ“まほうつかい”さん。
何で、本で読んだような太陽が見えないんだ?」
「言っただろう?
封天街というのはこの世界の縮図だと」
“まほうつかい”は空に指を向ける。
一点を指差すのでは無く、空全体に対して弧を描くように指をなぞって動かす。
そして最後に、3人が立っている天蓋をノックするように軽く叩いた。
「この世界は、ある日を境に天に蓋をされた。
太陽が顔を見せなくなって、植物は殆ど育たなくなり、世界全体の気温が急激に低下し、生物の殆どが死に絶えた。
……あぁ、太陽信仰が消えた影響で宗教なんてものもいつの間にか無くなっていたね」
「……俺の憧れていた世界っていうのは」
「そんなものは無いよ。残念ながらこの世界には」
そこでシアンはようやく空を見上げるのを止め、ゆっくりと瞬きをした。
叩けば小気味の良い空洞音でも鳴りそうな心は、返す言葉を喉から上へと押し上げようとはしなかった。
「……非常に残念だよシアン君。
僕は君に期待をしていたんだけどね」
「こんな俺に何を」
「散々否定されても、どれだけ痛めつけられようとも燃え上がっていた情熱をさ」
“まほうつかい”は無くなったシアンの左腕に目を落とす。
彼自身が行った事だ。
腕を切り落とした張本人が期待とはどの口がと言われても仕方が無い。
それでも自分へ下された命令を忠実に遂行したロボットは、自身の行いに悔いを持たない。
「今の君は、散々君自身が嫌ってきた封天街の死んだように日々を浪費する人間となんら変わらないよ」
そう告げて、“まほうつかい”は音も立てずに踵を返す。
しばらく歩いていく“まほうつかい”をティーアだけが見送っていたが、途中で思い出したかのように立ち止まる。
「そうそう。君たちが出てきた部屋の中に、幾つか食料と水分が余っていた筈だ。
それほど量は残っていないけれど、多少の延命にはなるはずだ。
こんな所より都合が良いと思うよ」
「それじゃあ」と片手を上げて、今度こそ“まほうつかい”はこの場から完全に去った。
「俺が……死んだ日々を送ってる奴らと同じだって……?」
彼の目に宿ったのは、果たして何色か。
それは、彼自身にすら分からなかった。




