10.切望
「遂に……と言っても私は封天街で目を覚まして半日ほどですが、外ですよ!外!」
そう言って扉を開けた二人が目にしたのは、まずは何処までも続くような黒い地面。
これは天蓋の外周だと把握していた。
次は空を……封天街には無かった空を見上げる。
_____空は、一筋の光も無い漆黒だった。
「これは本で見た気がする。確か“夜”って奴だ。
特に新月とやらの夜は光が何も無いって聞いた」
「あー、マスターは暗闇が当たり前だったから、こんな空は全く嬉しくない、嬉しくないですよね」
「だけど夜ってのは大体、“まほうつかい”さんが再配給する時間の半分より時間が短いとも書いてあった」
「じゃあ……この夜が明けるまで待ちますか」
そう言うとティーアはシアンを降ろし、天蓋の地面の上で二人で座る。
腕が無い事でバランスを崩しそうになるシアンを慌てて抱き寄せて、結局シアンがティーアに寄りかかるように座る事になった。
「『魔法使いがいつ戻ってくるかも分からない』じゃ無かったのか?」
「よく考えたら、片腕が無くなっているマスターと体内の水が無くなっている私では、魔法使いに追われた時点でもうダメな事に気付きまして……いえ、気付きました」
「それはそうだ」
二人はくつくつと笑う。
……実際は、このままではお互いにもう短い命だという事は分かっていた。
シアンは応急処置をしたとはいえ血を流しすぎており、ティーアの稼働に必要なエネルギー源は、……外に出た今ならば見つかるかもしれないが、水分が足りず膂力が足りない今、果たして何処まで探索ができるかも怪しいところだ。
「じゃあもう太陽見ちゃいましょうよ太陽!」
「そうだな。悔いは残さない方がいい」
二人は静かに空を見上げる。
次第に変わり映えのしない暗闇は封天街から見上げる天蓋と変わらないとつまらなくなって、辺りの景色を見回すことにした。
中心街から登ってきたせいか、光が存在しない夜の帳が下りた空気のせいか、天蓋の地面を超えた先の景色までは見る事が出来なかった。
結局、封天街に住んでいた時と何ら変わらないなと二人で笑いながら、雑談でもして時間を潰す事になる。
「そう言えば、ずっと疑問、かなり疑問だったんだすけど」
「なんだ?」
「マスターは何故、魔法使いの事をずっと“さん”付けするんですか?」
「ん?あー、別に大した理由じゃないけどな」
シアンは書斎のあった扉の方に首を向け、その目を細める。
「俺に文字の読み方とか、この本があった頃の文明……でいいんだっけか?
その頃の常識を教えてくれたのが“まほうつかい”さんなんだよ」
「つまり先生、学校が無い街の教師みたいな方だったんですね」
「そうだな、“まほうつかい”さんは俺の先生だ」
その微笑は郷愁を帯びている。
自分を殺そうとしていた相手であっても、確かな感謝の念を与える柔らかさがあった。
「まぁ街のみんなには嫌われてたけどな」
「知識人で武力もあるなんて、是非味方にしたい存在だと思います。思うのですが」
「多分、そういう考えに至れるような教育が封天街の中に無いのと、3つのルールに少しでも違反したら容赦なく人を殺すからかな」
「それは……まぁ嫌われるというか、嫌われるに決まってるというか」
それからは同じように、多少話して、上手く話が続かなくて、また話しての繰り返し。
ティーアは目覚める前の記憶が無かった為に自分の話を出来なかったが、それでもシアンと、少なくとも雰囲気を悪くせず話を進めていた。
何度も話し続けるものだから、喉の渇きを覚えたので少し話を中断して、やはり手持ち無沙汰になったので喋って。
そうして腹の虫が一層大きな声を上げた頃にまた空を見上げる。
いつまでも、空は暗いままだ。
……二人がこの状況をおかしいなと思うのには、かなりの時間を有した。
というのも、空も今座っている場所も、そのどれもが真っ黒で平衡感覚や時間の感覚が無いからだ。
二人にとって幸運だったのは、封天街とは違って風が吹いている事。
風は新しい空気と緑の匂いを運んでくれるので、自分たちは実は街から出られていないのでは無いかという根拠の無い不安は抱かせない。
だが、それでも
「……なぁ」
「大丈夫、大丈夫です」
二の句を継がせまいと言葉を割り入れ、重ねた手に込める力を強くする。
「俺たち、どのぐらい待ったのかな」
「きっと、思ったほど時間は経っていないと思いますよ。
暇だと時間がゆっくり流れると言います。言いますから」
シアンは時計というものを知らない。
封天街には時計が存在しなかったからだ。
故に、“まほうつかい”が食料の配給にくる時間の感覚を1日として数えていた。
シアンは朝と夜の移り変わりを知らない。
封天街の空は天蓋に閉ざされていたからだ。
故に、本を読む事で朝から夜、そしてまた朝へと流れる“1日”というものを知った。
「……腹、減ったなぁ」
シアンは、それでも何となく、
『天蓋の外へ出てから1日は経ったんじゃないかな』と漠然と感じ始めていた。
「でしたら、天蓋を降りて食料でも探しに行きますか?
時間も潰せる、潰せる事ですし」
「いや、もう少し待ってみることにするよ」
その目から期待は殆ど消え失せていたが、それでも一度目指した光は、目を逸らすには眩し過ぎたのか。
空腹が爪で引っ掻いたような痛みに変わるほどに待っても、太陽が顔を見せる事は無かった。




