お誘い
親友が先生によばれて、璃子は廊下を一人寂しく図書室へむかおうと教室をでた矢先、前を歩く樹の姿をみとめて、覚えず早足になりながら、
──ねえ、秋野くん。待って。
そう呼びかけるつもりで、ぽっと高ぶった勇気を振り絞るままに璃子はブレザーにつつまれた左手をあげながら白く細い指先をのばしかけたものの、しかしそっとその手をひっこめながら立ち止まると、スカートをにぎって俯いた。
内輪にむいた足元をみつめながら、ふーっと小さな息が漏れるのをきいて心をおちつけたのち静かに顔をあげると、折から樹は廊下をまがって階段へむかうらしいその横顔がぱっと華やかに目に映ってたちまち頬を染めてしまう。
璃子は早くも過ぎ去った場所にぼんやりと見とれたまま、最前の記憶をさぐり麗しき幻影を誘いだしてうっとりするうち、コツコツと響くローファーの軽やかな反響が耳に届いたかと思うと、ぬっと顔だけつきだした樹とぴたりと目が合った。
ふっと紅潮しながら慌てて後ろをふりむいたものの、
「璃子ちゃん」
といつものように優しく呼びかけてくれたのに向き直ると、樹は制服のよく似合うすらりとした身をあらわして、こちらへ歩を進めながらそっと立ち止まり、
「一人なの? 菜月は?」
「うん──菜月はね、先生に呼ばれて職員室に行っちゃったの」
「そっか。じゃああれだね。ていうか、えっと──」
「秋野くんも一人?」
「そうなんです」と穏やかに微笑んで言うのに、
「じゃあ──」とつぶやいたきり、璃子はふっと目をそらして黙っていると、
「図書室だよね、一緒に行こ?」といいながら早くも向き直って歩きだした。
「うん」と璃子はうなずいたまま、右手の手首をそっとつかんでとことこ樹の隣へならび上目づかいに見上げると、両手をポケットにつっこんだ樹のやさしく冷たい瞳がすっとこちらを見下ろした。
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