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だって、そうだろう。自分が嫌っていた素面の部分を見て、好きって……。
「そんな、冗談言わないでよ、たち悪いなあ」
完璧とは言えないまでも簡易的な仮面を被り、森下に背を向けて乾いた失笑を浮かべながら、目頭に浮かんだ涙を拭って誤魔化した。
そうだ、これは嘘だ。たちの悪い冗談に決まっている。
そうじゃなきゃ俺が今まで被って来た仮面はなんだって言うんだ。
すぐに立ち去ろう、そして家に帰ったらもう二度と外れない仮面を被るんだ。
それがみんなが望んでる、佐々木涼介の姿なんだから。
「嘘じゃないよ」
なのに、森下は言う。
何だよ、何なんだよ。
「嘘だ!」
気が付くと近くにいた雀が飛び立つくらいの大声を上げていた。
「嘘じゃ……」
「嘘だ、そんなわけない! これだって、俺の本当の姿じゃない、もっと醜いところだって沢山ある! 本当の俺が、素の俺が受け入れられるはずがないだろ!」
叫んだ。こんなに叫ぶのは久しぶりに、もしかすると初めてかもしれないほど、大声で叫んだ。気が付くと大粒の涙が地面に零れ落ち、大きな跡となっていた。
嫌だと、助けてくれと、今まで必死に抑え込んでいた声が、腹の底で暴れている。こんなものを解き放ってしまえば、俺はもう仮面を被れなくなる。
だから、その声だけは何とか抑え込む。
「……それじゃあ、佐々木。これ見てよ」
森下に言われるがままに俯いていた顔を上げると、何かのシートを握っていた。
そしてそれを顔に当てる、いや擦っている。何度も何度も、擦る。
数舜して何をやっているのか分かったが、堂々とした雰囲気に押されて止める事も出来なかった。
「ねえ、どう?」
シートを取れば、そこにいたのは化粧が取れた、すっぴん姿の森下だった。
「どう、って……」
「不細工でしょ」
「そ、そんな事無い!」
「嘘だよ」
「嘘じゃない! 確かに化粧をしている時の方が美人かもしれない。でも、それは少しでも自分を綺麗にしたいって思って努力した結果だろ。でも、化粧をして無くても森下は綺麗だよ!」
口に出した後に自分がものすごく恥ずかしい事を言ったことに気付いた。
顔が赤面していると分かるくらい、身体の奥底から熱が上がっていた。
「……あ、ありがとう。そこまで言って貰えるとは思わなかったけど」
「ご、ごめん」
恥ずかしい台詞を言われた森下もまた赤面していた。
森下が恥ずかしがっている姿を見ると、俺もさらに恥ずかしくなって来た。
「えっと、そう。とにかくさ、佐々木が言った通りなんだよ」
恥ずかしさを紛らわせる様に、大きな声で森下が指を指して言う。
「確かにいつもの教室での佐々木もかっこいいと思うよ? でも、私からは見たらどこか息苦しそうに見えた。でも、それが佐々木の全てじゃないじゃん。例えあの姿じゃなくても、今の佐々木だって素敵なんだよ」
森下は真っすぐに目を見て言った。
その一言がどこまでも深く、大きく俺の心を揺さぶった。
「っ、でも俺は……、これだけが本当の俺じゃなくて……」
「うん。でも、それを知り合っていくのが友達だったり、家族だったり、恋人なんじゃないの?」
止まったと思っていた涙が再び瞼一杯に浮かぶ。
「私は毎朝教室の花瓶に生けている花の水を変えて手入れしている、優しい佐々木の事が知りたいよ」
「っ、それだって、偽善でやっていることだ。俺が自分を偽るために……」
「本当に偽善でやっている人はわざわざ花の枯れた葉だけを切ったりしないで、花なんて捨てて新しいのと取り換えちゃんだよ」
森下は俺の事をいったいどこまで見ているのだろう。
花瓶の水を替えているところとか、枯れた葉を切っているところとか、全部見てくれている。
それが嬉しくて溢れる涙を止めることは出来ず、頬に一筋の雫が流れ落ちた。
「私はありのままの佐々木の事が知りたいし、仲良くなりたいよ」
もう耐えられなかった。
十数年分の涙を溜めていたダムが決壊し、まるで滝の様に頬を伝い流れ落ちた。
止めどない感情が溢れて来るどうしようもない心を必死に抑え込もうと掴んでも、掌に収まるのは布切れだけだ。
「っ、俺は、小学生の頃に学校にラノベを持って行って……」
聞かれてもいないのに、忌まわしい昔話を記憶から掘り出して語り出す。
俺は小さい頃から従兄弟の影響で漫画やライトノベルを読む子供だった。ライトノベルは小説だと思っていたし、それは変わり様のない事実だ。
学校で毎朝ある読書の時間にライトノベルを持っていけば、絵本なんかを読むよりもよっぽど楽しい時間を過ごせると思った。もしかしたら俺が読んでいるのをきっかけに、ライトノベルを読んでくれる友達が出来るかもしれないと期待した。
けれど、学校に行くと幼い望みは完膚なきまでに粉砕される事になる。
『なんだよこれ、漫画じゃん!』
『うわ、おっぱい描いてる!』
『おっぱい、おっぱい!』
小学生はどこまでも浅はかで、残酷な程に思いのままに言葉を言い放つ。
何気ない一言がどんなに相手を傷付けるかも考えないのが、子供という生き物なんだ。
それから教室中で大好きなライトノベルを晒上げられて、笑いの的にされる事になる。しかし本当の屈辱は、クラスメイトに反論できなかった事だった。
内心でその通りだと納得してしまった自分が恥ずかしくなり、涙が流れ落ちた。
程無くして騒ぎを聞きつけた担任がやって来て、騒動は収まったが地獄はそれだけじゃ終わらなかった。
担任に職員室に呼び出されて、何かと思えばそこにはいるはずの無い母さんがいたのだ。机の上には晒されたライトノベルが置かれており、二人が何を題目に話していたのかが分かった。
そして俺が席に座ってから始まったのは母さんからの叱咤と、担任からの叱責だった。
母さん曰く、こんな事をして何を考えているのか、お前なんて私の子じゃない。と。
担任曰く、ライトノベルは学校には相応しく無い低俗なものだ、と。
そのどちらのお叱りの言葉も深く身に染みて、当時の俺は酷く気分が沈んでいたのを覚えている。
母さんの怒りは治まっておらず、俺が部屋に戻った頃には従兄弟から譲り受けた漫画やライトノベルで満たされていた本棚が空になっていた。
それがトドメになり、俺の心は一度、完全に砕け散ってしまった。ベッドから出る事も出来ずに、誰とも会話せずに無駄な日々を過ごした。凡そ二か月ほどが過ぎて、自動的に進級してクラス替えが起こった事をきっかけに俺はまた学校に通う事になった。
その時からだろう、自分の好きな話題を出すのが怖くなったのは。
みんなはもうライトノベルの事なんかすっかり忘れていて、クラス替えして周りは知らない生徒だらけだ。それでも周囲の視線と、何を思われているのかが分からなくて怯えながら日々を過ごした。
最初は同じ小学校の奴が俺の事を見ても、俺だとバレない様にしたいというくだらない思いをきっかけにして中学進学を機に少しだけ自分を変えてみる事にした。
すぐに取り掛かったのは髪型だ。ワックスを買って前髪を少しだけ上げてみた。
『ねえ、どこの小学校から来たの? 私はねー』
すると、何故かこの髪型にしてから他の小学校から来たという女子に話しかけられた。
こんな事小学校でも無かったのに、酷く驚いた。何か理由を探してみたら、変わったのは髪型くらいだ。
まさか、と半分は疑心暗鬼で今度は小学校六年生ごろに低くなった声を、1トーンほど高くして話してみる事にした。
すると再び女子から話しかけられた時に、どことなく会話が長く続けられた気がした。
最初はただの偶然だったのかもしれない。それでも当時、同性も異性も友達が一人もいなかった俺には劇的な変化で、必然的に見えていた。
それからの俺は必死に自分を高める手段を探した。
女子は筋肉フェチが多いらしいので筋トレをして、小学校の時は無かった学年末テストなどの点数方式の成績も重要視して勉学に励み、またファッションや女心というものの勉強にも取り組んだ。
本当に手当たり次第だった。ほんのちょっとしかやらない体育の授業でも恥をかかない様に、バレーボールを買ってレシーブやトスの練習をしてみた。
そして段々と、皆から頼られる様になった。
勉強を教えて。試合あるんだけど助っ人して欲しい。涼介がいるなら勝利間違いなしだな。
などなど、何気ない言葉の数々でも、段々と俺は努力に費やす時間が増えてきて、中学三年の春にようやく気付いた。
俺が今までやって来たのは努力なんかじゃない、自分を偽るための仮面を作っていたんだ、と。
その頃には学年成績トップ5に立ち、鍛えていた身体も出来上がり、自慢じゃないがかなりの数の告白を受けていた。もしも今、この仮面を外してしまえば周囲からの失望は必死だろう。
外堀を自分で埋めてしまった事を後悔してももう遅く、俺は仮面を外せなくなっていた。
高校に入ってからも同じでバスケ部に入り、気が付くと学年でも一、二を争うほどの美女に告白されて周囲からの後押しもあり付き合う事になり、学業にも部活をやりながらトップを争い続けた。
誰か気付いてくれ。誰か。誰か。誰か。誰か。
願いは空しく泡となって手の届かない空へと消えていった。
誰にも気付かれない。
それでもやらなくちゃいけない。
だって、俺じゃないと失望させてしまうから。
仮面を被った俺じゃないと誰も望まず、誰も必要としてくれないから。
『でも私、そっちの佐々木の方が好きだよ』
森下がありのままの俺の事を好きだと言ってくれた。
ありのままの俺と友達になりたいと言ってくれた。
どれだけ待ち望んでも、恋人も家族も友達も、仮面を被って出来た存在はみんな投げ掛けてくれなかった言葉を森下が言ってくれた。
これがどんなに嬉しかったか。
口に出したいのに言葉じゃ言い表せない。
だから簡単な言葉に、出来る限りの願いを込めて言う事にした。
「森下、ありがとう」
久しぶりに仮面を被らずにする不細工な笑顔を作った。
それを見た森下は、「いいじゃん、それ」と言って笑った。
森下は用事があるらしくそこで解散になったが、家に帰るまでの俺の足取りは不思議と軽かった。
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