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その仮面  作者: kondouhazime
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 辛いとか苦しいとか、もう何も感じなくなっていた。布団に潜る事も無く、五感から入ってくる情報を受け止める。


 何があるわけでも無く天井を伝う虚空を見つめ、先ほど食べた料理の微かな残り香を嗅ぎ、夕暮れに下校する小学生の楽し気な声を聞く。


 何も考えずにいると、ふと今日は母さんがパートの日だった事を思い出した。スマホの画面を見れば父さんからは今日は遅くなるという趣旨のメッセージが届いていた。


 おもむろにベッドから下りると部屋を出て、一週間ぶりに一階に降りた。


 所々の食器や小物の配置が変わっていたり、あったはずの袋菓子が無くなっていたり、劣化版の浦島太郎のような感覚を味わった。


「……空、赤いな」


 そして何を思ったのか、ぼさぼさの髪とパーカースウェット姿のままでサンダルを履き、玄関を出た。

 空は赤かった。どこまでも赤くて、そして暖かい。


 スマホも財布も持たずに、ただ鍵だけはかけて歩みを進める。


 どこに向かうのか決めずに、何も考えずに、ただ足の動く方向に歩いているとそこには公園があった。


 何となく、公園に入る。この公園は近場では一番の広さがあるが、遊具がある場所が公園の中心で誰の眼も届かない場所にあり、子供が誘拐されるのではないかと近所の保護者会で一時期問題になった場所だ。


 道沿いに歩いていると遊具がある中心部まで来て、そこで歩いて出て来た事を後悔した。


「えっ、佐々木?」

「森、下……?」


 そこにいたのは遊具のブランコを漕ぐ、クラスメイトの森下だった。




「これ、この前行ったけど渡せなかったから」


 森下はそう言って、キリンの絵が描かれたエコバックを差し出した。


 受け取って中を確認するとノートが入っている。どうやら授業のノートを書いていてくれたらしい。


「……来てくれたの、森下だったのか」

「どういうこと?」

「いや、春香だと思ってた」

「あー、そういう……」


 春香の名前を出すと、森下は分かりやすく目を泳がせた。


 何かあるなと思いながら、ここで話を深掘りすると後悔すると本能が告げていた。


「ところで調子は?」


 分かりやすく話題を変えられた。

 なんの興味も無さそうな、どこか義務的な声色で聞かれたものだから、肩の力を抜いて会話する事が出来た。


「まあ、普通かな」

「そっか。でも、顔色悪いよ」

「そりゃさっきまで魘されていたからな」

「普通じゃないじゃん」

「日常的に悪夢を見てるんだよ。大好物のから揚げが力士に平らげられてしまう夢を」

「何それ」


 軽く冗談を言うと森下はけらけらと笑った。


 滅多に見ない森下の声を上げて笑う姿に俺は見惚れてしまった。


「あー、おもしろい。……ねえ、ちょっと話そうよ」


 目尻に涙を浮かべた森下に促され、断る理由の無い俺は隣のブランコに座った。


「佐々木はバスケ部だっけ」

「おう、一応はエースって感じだな」

「凄いね。ダンクとかできるの?」

「いやいや、アメリカじゃないんだから。せいぜいハーフコートスリーくらいかな」

「はーふこーとすりー……?」

「あー、コートの半分くらい後ろからシュートを打つんだ」

「えっ、そんな遠くからでも届くの?」

「まあ届かせるくらいならな。確率は低いから滅多にやらないけど」


 地面から足は話さずに、本気で漕ぐわけでもなく微かに身体を揺らすイメージで足を動かす。

 森下と話すのはストレスが無く、不思議と倒れた日から初めて普通に会話する事が出来た。


「そういえば鈴木がちょっと文句言ってたよ」

「え、何かあったっけ」

「この前の練習試合で佐々木がいなかったから点が全然取れないって」

「ふはっ、俺がいないくらいで何やってんだよ」

「点も取れないし速攻もまともに出来ない奴が多いって愚痴ってたよ」

「まあ、今までは俺が点取ってたからな……」


 どこのチームにも点取り屋っていうのは必要だ。


 平均すると俺が二十から三十の点を取って、敵のディフェンスが俺に引き付けられたところでマークが外れた選手が決めるってのがいつものパターンだった。


 鈴木も一人で切り込める程に上手いが、ポイントガードというポジション的にどうしても味方の得点をサポートするパスを出す立場にある。一年なら安住など有望株もいるが、いかんせん公式戦で通用するほど育ち切ってはいない。


 つまり今はチームを回せるだけの得点を取れる選手がいない事になる。


「……早く、戻らないとな」


 そう思った瞬間、激痛と共に腹の奥底が唸りを上げた。

 しかしその場で悲鳴を上げるほどでも無く、少し顔を歪めて腹を擦るだけだ。

 だが痛みはあって、早くこの場から立ち去ろうとした時、森下が言う。


「佐々木ってさ、そっちが素なの?」

「え? ……あっ」


 今になって俺は仮面を被る事を忘れていた事に気付いた。


 致命的なミスだ、取返しが利かない。


 全身から血の気が引いていくのが分かる。


 どうして忘れた? 疲れていたから、ここ最近は部屋に閉じ籠っていて仮面を被る必要が無かったから、それで……。


 心の中で自問自答を繰り返しするが、仮面を被らない素面の姿を見せてしまった事に変わりはない。

 口止めするか? それでは、この姿が弱みだと言っているようなものだ。


 やがてどうすればいいかと考えている思考が停止して、今度は自分を責める様になる。


 お前は何をやっているんだ。


 これまでに積み上げて来たものを台無しにする気か。


 誰だってこんな姿を見ればガッカリする。


 そもそも仮面を被っていればこんな事にはならなかった。


 そうだ、もうずっと仮面を被ればいいんだ。


 わざわざ仮面を外さないで、ずっと、ずっと。


 死ぬまで仮面を被り続ければきっと……。


「でも私、そっちの佐々木の方が好きだよ」


 思いもしなかった場所から飛矢に射抜かれた気分だった。




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