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その仮面  作者: kondouhazime
6/23


 倒れたあの日から、俺は学校に行けていない。行こうと思えば思う程、身体が動かなくなるのだ。動悸が激しくなり呼吸が出来ず、一種の呼吸困難の症状も出ている。病院に行って様々な検査をして貰ったが、最終的には精神科で鬱病との診断を受けた。 


 あの時の事を思い出すだけで身体が震えて来る。


 さらに医師から「最低でも一か月の休養が必要ですね、長ければ三か月やそれ以上になるかと」と言われた。


「そんな……。そんなに長いと勉強に遅れが出て……、もっと早く治せないんですか? 特効薬とか……」


「精神病ですから、休む事が一番の薬です。とにかく休ませてあげてください。他の病院から届いたカルテを見ると直接的な要因になっていないだけで、相当身体に負荷がかかっていたみたいですから」

「っ、なんで……! 何で、もっと休まなかったの!」

「おい、お前!」


 父さんは慌てて母さんを戒めた。譫言の様に「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返す俺を見て、医師は母さんに向けて声を少しだけ荒げていた。まともな精神状態じゃなかったせいもあって、医師や両親が何を話していたのかは全く覚えていなかった。


 ただ今、家にいるのに母さんとはまともに顔を合わせていないのは事実だ。母さんは昔から教育熱心なところもあって、今の状態であっても成績はどうなるのかとか、テストの話をされるに決まっている。怒りに染まった母さんと話すのは嫌だ。


 だからこうして鬱病の休養期間中は自分の部屋に閉じこもって、ただ寝ているだけの日々を過ごしている。たまに漫画やラノベを電子書籍で読んで、たまに窓から外の世界を覗いて、また眠る。


 ただそれだけの日々で済むと思っていなのに、思いのほか小さな絶望は部屋の中に転がっていた。


 身体の周囲で回してハンドリングの練習をしたり天井に向かって軽く放ってパス練習をしたりしていた本革製のバスケットボール、毎日の様に磨いて手入れをしていた使い古したシューズ、初めて貰った瞬間の事は今でも思い出せる背番号11が刻まれたユニフォーム。


 そのどれもが大切な思い出の数々のはずなのに、今では視界に入らない様に全てをクローゼットの奥に放り込んでいた。もう思い出して感傷に浸る事も無くなった。


 別にバスケが嫌いにあったわけじゃない。最初は仮面をより輝かせる要因になれば良いと思っていたけど、途中からは心の底から楽しんでバスケをする様になっていた。楽しかった、バスケをしている間だけは仮面を被っていても息苦しかったりはしなかった。


 怖い。苦しい。バスケットボールを見ているだけで、呼吸がうまくできなくなる。


 何が怖いのかだろう。俺は自分自身に聞いてみたが、何も答えてくれない。


 仮面を被った時の俺は、まるで別の人格があるみたいで質問すると答えてくれる事があった。それが無くなった今では自分の意志を知る術を俺は持ち合わせていなかった。


 ……いや、そんなもの最初から必要無かったんだ。俺に自分の意志も、感情もーーーー。


 その瞬間、脳が揺れているのかと錯覚する様な猛烈な頭痛と腹の底から溶岩が溢れ出る様に喉が焼ける吐き気が俺を襲った。本当に吐けたらどんなに楽だったろうか、俺は便器に項垂れて吐き気が収まるのを待つしか出来なかった。




 辛く苦しいのは翌日も続いた。身体が重たく、寝て休んでいるとラインが鳴った。クラスのグループから、皆が心配のメッセージを送ってくれていたのだ。今はちょうど昼休みの時間帯だからだろうか、着信音が止まらない。


『大丈夫?』

『頑張ってね!』

『倒れた時に頭とか打って無かったか?』

『ゆっくり治して来いよ!』


 それらは全部、裏表が無い本心から来る善意の言葉だ。悪意なんて一つも無いし、きっと俺の事を心配してくれているのだろう。


「おえっ、……ぇっ」


 分かっている。分かってはいるが、脳髄を揺さぶる吐き気が襲った。


 スマホを持つ手が震えて落としてしまう。身体を起こしているだけでも辛く、すぐに横たわった。結局、クラスのみんなに返信出来たのは二十二時を過ぎたくらいだった。それでも「ありがとう」の五文字くらいが限界で、あれだけ言ってくれたみんなに淡泊な返信しか出来ない事に罪悪感を覚え、再び吐き気に襲われるのだった。

 



 何もかもが怖くなり、布団を頭から被って過ごす日々が続いた。母さんに頼んで食事は部屋の前に置いておいてもらい、食べ終わったら食器を部屋の前に置く。それ以外は常にベッドの中で膝を抱えて横になる。


 住宅街に家が建っているため近所には何人も小学生が住んでいるため、朝になると元気な声がたくさん聞こえた。無邪気で純粋な子供達の声は、今の俺には少しばかり響く。何も聞こえない様に両耳を塞いでより深くベッドの中に潜り込む事でしかその時間をやり過ごす方法は無かった。


 それから夕方になるとここ数日、自分から話しかける事すらしなかった母さんから突然、扉の向こう側から「涼介、女の子が来てるわよ」と声を掛けて来た。


 女の子と言われて心当たりがあるのは春香だ。両親には春香の事は紹介していないので、関係性を知らずに女の子と呼ぶのもわかる。


 会えないって言っておいて、そう口に出そうとしたのに俺の唇は重たく閉じたままだ。どういうわけか言葉すら、声すら出せなくなってしまった。


 鼓動が早まるのを感じながらスマホを操作して母さんに言おうとしていた内容のメッセージを送る。少しして階段を下りる足音が聞こえたので母さんは一階に降りたのだろう。


 ほっと息を吐いて、肩が楽になるのを感じる。


 同時に自分が親と話すのにも緊張する様になったのか、と驚いた。


 そして、悟る。


「でも、いつも母さんと話す時ってこんな感じだったな」


 両親と気兼ねなく話していたあの頃はどこにいったのだろう。




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