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次の日、たっぷり寝たおかげでいつもより元気な身体で学校生活を送る事が出来た。先生に仕事を頼まれて放課後の教室で作業していた。残っているのはほんの少しのクラスメイトだけだ。
「ねえ、佐々木」
「っ、森下か。どうした?」
突然、普段関わりの無い女子、森下紗雪に話しかけられた。彼女は春香よりも暗い色の茶髪に染めていて、一匹狼の様な存在だ。誰とも群れず、無用な共感も対話もせず、教室の隅で一人でスマホを弄っている。俺の知る限りでは同性であっても義務的な会話しかしているところを見た事が無い。
一匹狼だと言えば聞こえは良いが、ただクラスに馴染もうとしていないだけだ。その内、必ず孤立して一人ぼっちになる。今は面白がって話しかけてくれる生徒もいるが、終着点は必ず同じだ。俺は早くに気付けて良かった。地獄を味わうのは御免だからな。
「なんかさ、辛そうだなーって」
何気なく、森下はそう呟いた。だが、その言葉が不思議と頭の中で反芻して繰り返された。
「え?」
「……いや、何でもない。忘れて」
「ちょっ、待てよ森下!」
それだけ言うと、森下は鞄を持ってさっさと教室から出て行ってしまった。後を追おうとしたがその途端に立ち眩みがして追う事は叶わなかった。
「何なんだよ、辛そうって……」
家に帰ってからも森下の一言が突き刺さった矢尻の様に、いつまでも胸に残り続けた。
日曜日。部活終わりの俺はその足でバイト先へと向かった。流石に多くの人が休日だけあって、夕方頃にはすでに満席になり、店が客で溢れ返っていた。
あちこちから上がる煙草の煙、飲んでいない俺まで酔いそうな酒気、下品な話題で盛り上がるおっさん連中と香水臭い女達の鼓膜が針で突かれている様に気色が悪い笑い声。
重たい身体がどうにも言う事を聞かない。もう何度目だろうか、足が机に引っ掛かったり、気を付けようと思えば尚更動きが遅れる。運んでいた料理を落としてしまいそうになってヒヤッと寒気が背筋に走ったのは数えきれない程だ。
「佐々木君、調子悪いの?」
あまりに失敗が多いものだから、店長から声が掛かった。いつも以上に身体に倦怠感を感じ、実際に何度も迷惑をかけているので言い逃れは出来ない。素直に体調が良くない事を伝えると、店長からすぐに帰る様に指令が下った。
帰り際、何度も店長や同僚に謝ったが、何を言われたかまでは覚えていない。だが、自分から出勤すると言ったくせに体調不良で一人だけ帰るなんて、役立たずだと思われたに違いない。もしかすると遠回しにいない方がマシだったと言われていたかも。それとも直接、罵りを受けたかもしれない。
怖い。社会は、人は残酷だ。少しでも役に立たない不要な存在だと認識されれば、俺の居場所なんてあっという間に無くなってしまう。長くても三年しか勤められない高校生のアルバイトならば尚更早く忘れられてしまうだろう。
俺はそれがとても恐ろしい。仮面を被り、表情をいくら誤魔化していてもその身は震え、心の奥底は常に恐怖に染まっている。
嫌だ、嫌だ。絶対に忘れられて溜まるか。本当の自分だって見せてたまるか。
俺はもうあんな思いはしたくないんだ。
学校でだって、成績が落ちると母さんが悲しむ。
大山や工藤、春香からも忘れられてしまう。
「……涼介、少しは休みなさい」
扉の向こうから、父さんの声が聞こえた。その声色はどこまでも優しくて心配してくれている事が分かる。だが俺には返事をする余裕なんか無かった。
「……職場の方に休ませて貰っているんだ。休むのも仕事だと思いなさい」
「…………ッ」
煩い。勉強に集中できないだろ。
文句も言いたくなったがやめて、俺はヘッドフォンを付けてプレイヤーを再生すると昔聞いていたバラードの名曲が流れていた。
ボーカルは国宝級と称される歌声の持ち主で、歌詞と一緒にその歌声で聞くものを魅了し、その心を震わせる。
昔は大好きでいつも聞いていたのに、聞くのは久しぶりだった。
「っ、うぁ……ぐゥ……!」
いつの間にか俺は勉強に使っていた手で頬に流れる大粒の涙を拭っていた。
結局、勉強に集中できなくなった俺は止まらない涙を流したまま寝るしかなかった。
翌日、起きる。強い倦怠感を覚えた。けれど身体はうごく。
洗面所でシンクに頭をつっこみ、自己暗示をする。
食卓に行き、朝食をたべた。なにかを話したがする。
部活の朝練にいった。だれかがさきに来ていた。
教しつにはすでにみんながいた。
はるかがいて、でーとのこまかいよていをきめた。
それから大やまやく藤と、けーきやまかろんの話をした。
あたまがいたい。目がかすむ。何もきこえない。
ここはどこだっけ……。おれはいったいだれだ……?
「佐々木! おい、佐々木ッ!」
だれだよ、このおおきいこえは……、すずきか?
「大丈夫!?」
わからない。
だいじょうぶ?
だい、じょうーーーーー
「おええぇっ!」
「キャーっ!!」
「お、おい、佐々木!」
「佐々木君!?」
「早く先生呼んでーーーー」
おれのきおくはここまでだ。
真っ白な病室で対面に座るのは眼鏡をかけた初老の医師だ。彼は当たり前だと言わんばかりに、ただ一言。「鬱病です」と告げた。
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