3 サムシング
「きれいだね」
井上さんに貰った薔薇を、洗った空きビンに活けて、タエはご機嫌だった。
取り込んだ洗濯物を畳んでいた僕は、その声にふとタエの横顔を見つめた。
ダイニングの椅子に座りテーブルに頬杖をついて、彼女は薔薇に見入っていた。長いまつげがゆっくりと瞬く。化粧もしていないのに赤い唇がきれいだ、と思った。
「タエちゃん、結婚式、しようよ」
ぽろっと言った僕の言葉に、タエはびっくりした顔で振り返った。
「幼稚園児が遊びに誘うくらい気軽に言うね」
「二人きりでさ。ほら、これでドレス作って」
僕が白いシーツを掲げて見せると、タエは声をあげて笑った。
「ばかばかしさ、振り切ってる。いいよ。わたし、そういうの大好き」
僕たちはシーツの真ん中にハサミでタエの頭が通るだけの穴を開けた。タエがすっぽりかぶったシーツを、白いマクラメベルトできゅっと締める。僕は窓からレースのカーテンを外して、見よう見まねでベールの形にまとめると、タエのお団子頭にヘアピンで留めた。
タエも僕も、作業する間中、ずっと笑い転げていた。こんなに楽しい遊びがまだ世の中に残っていたなんて。
「後は、サムシング・フォーだよ」
タエが魔法の呪文のように言う。
「何それ」
「花嫁が身につけると幸せになれる四つのもののおまじない。サムシング・オールド、何か古いもの」
「僕が一人暮らしを始めたときから使ってる、十年物のレースカーテン」
「道理で洗濯しても埃くさいと思った。本当は親から譲られたものとか使うんだけど、まあいいや。それから、サムシング・バロウド、何か借りたもの」
タエは、ソファの上でいつも一緒にテレビを見ているウサギのぬいぐるみから、耳につけていた白いリボン飾りのヘアゴムを外して、手首にはめた。
「わたしがいつか、この子にあげたの。今日だけ借りることにする」
「次は?」
僕がたずねると、彼女は花瓶を指さした。
「サムシング・ニュー。今日、切ってもらったばかりの花束」
「あと一つだね」
「サムシング・ブルー。何か青いもの」
「それは大丈夫。水色のシーツ、ベッドに掛けてきたから。結婚式の最後の舞台でしょ」
真面目くさって僕が言うと、彼女は、この上なく冷たい口調で言った。
「結局それじゃん! ばっかじゃないの」
僕は大笑いして、花瓶の花を水から上げると、しずくが垂れないようにキッチンペーパーで巻いてタエに渡した。
「始めよう」
「立会人は?」
「うさぎちゃん」
僕はソファの上からぬいぐるみを拾い上げると、鍛え上げた裏声で、うさぎちゃんの役を演じる。ぬいぐるみ腹話術は、僕たちが二人きりの時によくやる、お気に入りの遊びなのだ。
「新婦・多恵子は、新郎・恭一郎を生涯の夫とし、病めるときも健やかなるときも、愛し、いつくしむことを誓いますか」
「はい」
タエは神妙に答えると、手を伸ばして、僕の手からうさぎちゃんを奪い取った。彼女も裏声になって言う。
「新郎・恭一郎は、新婦・多恵子を生涯の妻とし、浮気もよそ見もしないで、病めるときも健やかなるときも、愛し、いつくしむことを誓いますか」
「はい」
僕は心の底からうなずいた。
ひざをかがめたタエの顔を覆うベールを上げて、頭の後ろに流す。誓いの口づけの場面なのに、目が合った瞬間、二人でまた笑い転げてしまった。
「タエちゃん、サムシング・フォーなんてよく知ってたね! 式がすごく本格的になった。僕、最初聞いたとき、アメリカンコミックのヒーローかと思ったのに」
「それはファンタスティック・フォーでしょ」
タエは容赦なく突っ込んで、目じりの笑い涙をぬぐった。
「あんなにすらすら誓いの言葉が出てくるなんて。キョウこそ、超本格的」
「本当の本格は、この後だよね」
僕がそういって腰のあたりを引き寄せると、タエは室温のバターみたいに僕にしっくり身を寄せて、どちらからともなくキスをした。これが僕たちの誓いの口づけってことになる。
僕はもちろん、タエにウエディングドレスを着せるところだけではなく、タエからウエディングドレスを脱がせるところも同じくらい重要視していたことを否定するつもりは一切ない。だけどその前に、井上さんからいただいた大事な花束を丁寧に活け直したタエに、僕は、この三週間でもう数えきれなくなったくらい何度目かで、惚れ直した。
新婚初夜ってことになるベッドの上で、色々一段落した後で、タエはぽつりと呟いた。
「絶滅ってどうやるのかな。苦しくないといいな」
「今考えてもしょうがないけど、僕らは最後までずっと一緒だよ」
そう言った僕にしがみついて、タエは少しだけ、泣いた。タエが涙を見せたのはその時だけだった。
◇
それからの一週間は、それまでの三週間と、生活としては全く変わらなかった。でも、僕は最高に幸せで、毎日どんどんタエのことが好きになっていて、二人で笑ってばかりいた。
その日の朝、僕は、ほんの気まぐれにテレビのスイッチを入れた。
このところずっとループして放送されていた、景色と柔らかな音楽だけのぼんやりした番組の代わりに、映っていたのは、例のアイラインが濃いめの女性キャスターだった。
「あれ? ニュースはもう終わったんじゃなかったの?」
思わず声に出して呟いた僕に、眠そうな目をこすりながら、タエも起きてきた。
画面の中の女性キャスターは、早口でまくし立てている。
「……異星人の集団は、とある型のアデノウイルスの集団感染により、命を落としたということです。このウイルスは、地球人類の間では普遍的で、健康な人間がかかる限り軽い鼻かぜ程度の症状しか起こさないことが分かっています。四週間前インタビューを行ったテレビ局の撮影クルーから、異星人の一人にこのウイルスが感染しました。このたった一人の感染者を通じて、免疫をもたなかった異星人の集団に感染が爆発的に広がり、船団は壊滅したと言うことです。こうした事情を、死の床より英雄的な態度で地球人類に伝え、地球生命一掃計画の撤回を告げる、船団の指導者の映像が、衛星通信により届けられています。繰り返します。恒星系アルファ=ケンタウリより襲来した異星人の地球生命一掃計画、地球植民地化計画の中止が発表されました……」
僕は、タエと顔を見合わせた。
次の瞬間、タエは慌てて、ほったらかしになっていたスマホを引っ張り出した。僕もそれに倣う。しばらく充電してようやく復活した画面を見て、タエはうめいた。
「まじか。うちの予備校、明日から授業だって。準備で朝から出勤しろって」
「あ、うちの事務所もだ。明日準備して、明後日から再開みたい」
「これって、すっかり元通りってこと?」
気が抜けたように呟くタエの、肩の辺りを僕は抱き寄せた。
「ううん。タエは今や僕の奥さんで、全然元通りじゃないし、僕は名字を変える手続きをしないと」
このタイミングで改姓を申し出る。所長の呆気にとられた顔を想像して、僕はにやにやしてしまった。後に続く煩雑な手続きに見合うだけの、最高に愉快な爆弾発言になるだろう。
「あと、タエの赤ちゃんに会いたいなあ」
二人とも、心当たりはありすぎるほどある。タエは真っ赤になって、呟いた。
「ばっかじゃないの」
それからぎゅっと抱きついてきたタエを抱きしめて、僕らは二人で、くすくす笑った。
お付き合いくださいまして、ありがとうございました!
改造企画参加作品として、書き手の想定していた改造要素は
異星人による地球の植民地への改造(未遂)
シーツ→衣服
カーテン→服飾小物、でした。
本命は下ふたつです。