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想い回る





あの日々を思い出すならば、まず鮮明に思い出されるのは寒い冬の明け方のような静寂だ。

 

王太子妃の為に作られた部屋の装飾品は、全てが銀糸で百合の刺繍が施され、椅子や机、鏡台に至るまでアメジストが惜しみなく使われていた。

長きに渡り国を支えた重臣エインリッヒ・エスメラルダの養女の為に最高の贅を尽くしてつくられたその部屋は、芸術品のように美しく、静かだった。


 

 お兄様の役に立ちたいと思い願い出た王太子妃の座は、まさに重圧そのものだった。


 

 吸血鬼は長寿であるが故、王が代替わりするのは数千年振りであった。今代の王───ユーグドシル陛下は平穏と安寧を重んじる優しい方だ。

 

 ────優しい、と言うのは時と場合により悪い方向に作用することもある。

 平穏と安寧───それは王家や力を持つ一族にのみ与えられたもの。エスメラルダやロッテンマイヤーとは縁のない中立派の貴族の多くは発言権を奪われ、不満を溜めていった。市街の民は貧しさや飢えに苦しんでいる者も多いという。

 

シンシアは中立派の側妃を母に持つ王太子であった。しかし現王妃アンティーヌはロッテンマイヤーの生まれの者だ。それ故にパワーバランスを考えても、ロッテンマイヤーの王妃に対峙出来るのはエスメラルダの私しかいなかったとも言える。


 アンティーヌ王妃は身体が弱く、また生まれた子も直ぐに亡くなったそうだ。

それ故に側妃を母に持つシンシアは王として立つことになったが、シンシアとその妻の私はアンティーヌ王妃からひどく疎まれていた。

 私は不出来を理由に折檻を受けることも数え切れない程あった。


 贅を尽くしたこの王宮(鳥かご)は、私にとっては暗く冷えきった場所だった。




シンシアは初めて出会った日に、2人きりの部屋でこう言った。


「私は貴女を1番に愛する事も、幸せにすることも出来ない」


深海のような深く蒼い瞳は真っ直ぐに私を射止める。

 

「リーゼロッテ嬢、私はこの帝国を1番に愛さなければならない。その為に戦う覚悟は私にはある。ただ、そんな辛い日々に貴女を巻き込んでいいものか……。貴女が私の婚約者になったと聞いたこの日から、そんなことを考えている」


 カップのソーサーがかちゃりと鳴った。

 暫くの沈黙。

 怜悧な美貌からは考えられないくらい、優しい顔で彼は微笑んだ。

 

「今ならまだ、引き返せるぞ」



シンシアは1人で戦っていた。

 

優しく、尊敬出来る人だと思った。

お兄様の役に立ちたい───だから王太子妃を目指した。きっかけはそれだったけれど、彼の話を聞いてこの人を支えたいと思ったのも本当だ。


そして王宮に足を踏み入れた日、この静かな冷たい場所に骨を埋める覚悟を決めた。

それ以来、私たちは二人きりで支え合って立っていた。恋愛感情はなくとも、唯一の半身として。



 その日は王宮にて王太子主催の舞踏会が行われる予定だった。

 

平民階級出身の技術者が、兎の血液を長期保存する事に成功したその偉業を讃えてのものだ。

 今まで動物の生き血は取り出すと一気に鮮度が落ちてしまっていた。変色し、1日も経たず可食部分も腐ってしまう。それ故に食料の少ない冬の時期になると飢えに苦しむ民も多かった。

 それが解消出来るのであれば、どんなに素晴らしいことだろう。


 その技術者はシンシアが直々に目を掛け、アカデミーから王立研究室に勧誘した者だ。この成功は間違いなく彼の夢が一歩前進した証だった。

 

久しぶりの心が弾むような感情を堪能したくて、支度が済んだあとは侍女を下がらせた。

部屋の外から微かに弦楽器の音が聞こえる。ベロアのソファに座りながら、瞳を閉じて耳を傾ける。暫く物思いに耽っているとノックが聞こえた。

シンシアがエスコートに来たのだろう。しかし時計を見ると予定よりかなり早い時間だ。不思議に思い扉を開けると、そこに立っていたのはやはり彼だった。

しかし、めでたい席には到底似合わない暗い顔をしていた。

 


「何かあったのですか?顔色が」


「貴女の顔を見に来たと言いたいところだが」


 

 部屋の中に入ると、シンシアは乱暴にソファに腰掛ける。

 見たことがないような焦りを顔に浮かべて、告げたその言葉を私はすぐには信じられなかった。

 


「今日の舞踏会に人間が参加している」


「………そんな、まさか」


「サミュエル・ロッテンマイヤーが手引きした。ホールは騒動になりかけたが、今は落ち着いているそうだ」


 

悪食の一族────人間の血に対して飢えを知らないロッテンマイヤー一族ならまだしも、産まれてから1度も人間を食べたことの無い他の一族なら……彼女の存在がどれ程甘美なご馳走に見えるだろう。

そしてその衝動を抑えるのはかなりの苦痛になるはすだ。

騒動で済んで良かった。

殺戮が始まっていた可能性だってあったのだから。


それにしても、相手が悪すぎる。相手はロッテンマイヤー一族の長。王太子とはいえ、一公爵を罰する権限は持ち合わせていない。

陛下がこれを知ってもロッテンマイヤーには手出しできないだろう。サミュエルを処罰すれば、|皇后《ロッテンマイヤーの女王》は黙っていないのだから。



 「情けないが今の私に出来る事は監視と牽制だけだ。……頼めるだろうか。君にも彼らを見ておいてほしい」


「勿論です」


「折角君が王妃から息抜き出来る良い機会だったのに、心労をかけてしまってすまない」


「気にしないでください。私、貴女の治世を支える為にここにいるんですから」


「……ありがとう、リーゼ」




 

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