我儘少年
ああ、この男、面倒すぎる。
もういっそ巨漢のアルトゥルに押さえつけてもらって無理矢理食事を摂らせようかしら。
暗闇に目が慣れてくると、サミュエルの首にいくつもの引っ掻き傷があるのが目に入る。
命を絶とうとしたのかもしれないが、それらはどれも致命傷ではないためらい傷だ。
血が足りていない病的な白さの肌に赤黒い線が痛々しく目立っていた。
高貴で傲慢なロッテンマイヤーの吸血鬼であるサミュエルとその引っ掻き傷が何だか似合わない気がして、少し私は妙な違和感を感じた。けれどその違和感の正体を私はまだ見破ることは出来ず、サミュエルの金色の瞳と私は向き合った。
「早くその術が解けるといいわね。このエスメラルダの屋敷で餓死者が出るのはお断りよ」
「‥‥‥何か、方法はあったのか」
「いいえ。今のところは試しに貴方の腕ごと刻印を切り落としてみる事くらいしか解決策は思いつかな……あら、いいかも」
適当に口から出た言葉だったが、中々悪くない。
お兄様がサミュエルに掛けた呪いは鎖の紋章にかかっているのだろう。
もしその刻印がなくなればサミュエルを縛る術も解けるのではないか?
「結構その方法‥‥いけそうじゃない?」
「名案です」
イグルスにそう尋ねれば可愛い顔に笑顔を浮かべて頷くと、腰に携えていた短剣を抜いた。
イグルスは私が言ったことなら何でも名案ですと言ってくれそうな気もするけれど、考えてみれば中々悪くない。
例え腕を切ったくらいで呪いが解けずとも試してみる価値くらいある筈だ。
どうせ失敗しても十分な血と適度な休息があれば、あっという間に生え変わる。むしろ腕を切る事でサミュエルは回復のために諦めて血を飲むかもしれない。
私にとってそれは思いつきにしてはいい解決策だった。
「や、やめろ!来るんじゃない…‥!」
しかし本人が嫌がるのだ。
サミュエルはふらふらの足取りで剣を構えるイグルスから距離を取る。
部屋の隅まで飛んでいくように逃げたサミュエルの瞳には焦りの色が浮かんでいた。
「ええと、どうかして?」
「どうかしてじゃない!なっ、何故腕を切ろうとする……!」
「言ったじゃない。刻印が身体から切り離されたら呪いから解放されるかも」
「本当か?本当に正当な裏付けがあって言っているのか?まさかとは思うがお前の単なる思いつきでこの私の腕を切らせようとしているんじゃないだろうな!」
「裏付けって……。まあ思いつきと言えば思いつきだけど」
「この大馬鹿者が!」
「ええ……?」
困惑だ。
私とサミュエルの間には、大きな価値観の違いがあったようだ。
いつもの高慢さはあれど、ふらふらと逃げてはきゃんきゃんと騒ぐ彼は私の記憶にあるサミュエルとは全く違う。
こんな……こんな残念な感じだった?私を殺したサミュエル・ロッテンマイヤーって……。
一歩一歩距離を詰めるイグルスに、もうこれ以上下がれないのにサミュエルは背中を壁に擦り付けた。
「でもあなたの嫌いなエスメラルダに縫い止められるよりはずっとマシでしょう?試してみる価値はあると思うわ」
「わ、私は高貴なるロッテンマイヤーの者として裏付けある行動しかしないぞ、絶対に」
「腕の一本くらい大丈夫よ。すぐ戻るわ」
「良くないに決まっているだろう!大体、お前‥‥!前々から思っていたが身体中をもぎ取られて叫び声一つあげないなんて、正気の沙汰じゃない!」
きっと睨む金色の瞳は今やもはや震えた猫のようだ。
正気の沙汰じゃないなんて言葉、この男にだけは言われる筋合いがないのに。
「そもそも貴方がやった事よ、その正気の沙汰では無い事は……」
「リーゼロッテ・エスメラルダ。お前は狂っている」
サミュエルがそう言った瞬間、一瞬にして部屋中に茨が咲き誇った。
うねりながら真っ直ぐにサミュエルに向かったそれは、彼の頬を傷つける。
私達の会話をとうとう聞きかねたようで、イグルスの特性が発現してしまったのである。
「この女の何を尊んでいるのか理解が出来ないな。野蛮で、髪は金の出がらし。瞳は華やかさの欠けらも無い。高貴なる美しさなぞ一つも感じられぬこの女が私と同じ公爵家の者とはあまりに信じ難い」
「リーゼロッテ様。駄目ですか?」
「駄目。ストップ」
駄目ですか?の意味は勿論、命を奪ってもいいですか?の意だ。
「ステイか。犬だな。」
「僕が犬ならお前は臆病者の猫だな」
「ああもう丁度いいわ。イグルス、そのまま抑えててくれる?」
「分かりました!」
「何をするつもりだ!まっ、まさか腕を‥‥!やめろ!離せ!」
食事も足りず、環境にもなれない状態の弱々しいサミュエルの腕は容易くイグルスの茨に捕らえられた。
脚をじたばたさせて逃げようとするがとうとう脚にも茨が絡みつき、完全に動けなくなってしまう。
あれ……ひょっとして私凄く悪女っぽいかも……?
絶望を浮かべるサミュエルなんて今後二度と見られないだろうからしっかりと目に焼き付けておこう。
「少しでも妙な真似をしてみろ。生まれてきたことを後悔させてやる」
「そこまで嫌がられると良心が痛むわ。腕の件はまた今度にしましょう。別件を済ませるわ。アルトゥル、近寄って」
「何故食器を持って近寄る!獣臭い血など飲まない!」
「いいえ、飲むの。……味なんてそんなに変わるものではないと思うわ。ウサギ、美味しいんだから私達が生きるために狩られてしまった彼らの命を無駄にしないで」
サミュエルは暫く抵抗していたが、最終的に観念したように血を飲んだ。というか無理矢理飲ませた。飲まなければ人喰い花を食べさせてあげる、どっちが勝つかしら?という脅しに負けたのである。
「許さないぞ、リーゼロッテ・エスメラルダ。絶対に泣かせてやる……」
涙目になって私を睨むサミュエル。うん、これくらいの仕返しはして良いはずだ。1回目と2回目で彼に殺されかけたんだから。
こうやって話してみるとサミュエル・ロッテンマイヤーという生き物は、想像していたより度胸が無くて繊細だ。
血も飲んだし、脅しもかけたし、この感じだとこれで暫くは大人しくしていてくれるといいんだけど。
久しぶりに投稿させて頂きました。また宜しくお願いします!